第十四話 薬の量産を妨害したのは、王国の商人だった
薬草の荷車が、三日続けて届かなかった。
「在庫はあと四日分です」
開院から数日後、ベルナから正式な通行許可を得て短期派遣されたミナは、仕入れ担当として納品帳を開いた。
ベルナの薬房の仕事は現地の仲間に引き継ぎ、帝国側の調達手順を学ぶために来ている。
前日に書き直したばかりの数字が、すでに赤く囲まれている。
「発熱した患者に使う薬草は四日。傷の処置に使う清潔な布は六日。予定どおり患者が増えれば、もっと早く尽きます」
窓の外では、看護人たちが洗濯した布を干していた。
第十三話で作った手洗い表の隣には、『不足した物は、隠さず記録する』という紙が貼られている。
セレナはその言葉を見上げた。
「今日の診療を止めるわけにはいきません。まず、患者ごとの必要量を確認しましょう」
「足りないと公表したら、皆が押しかけるぞ」
エドガーの懸念はもっともだった。
病院には、薬を分けてほしいと頼む家族が朝から集まっていた。
「だからこそ、説明するんです。あると言っておいて渡せないほうが、ずっと怖い」
セレナは医師と看護人を集め、必要性の高い患者への使用を優先すること、効能を確かめていない代用品は使わないこと、処置を変更する場合は担当医が判断して記録することを決めた。
イーナが手を挙げた。
「患者さんに、薬がないから我慢してくださいって言うんですか」
「いいえ。今できる処置と、できないことを説明するの。黙って待たせないためにね」
昼前、一人の母親が診察室へ駆け込んできた。
熱のある息子のために薬を買いに行ったが、町の薬店では昨日の三倍の値札が付いていたという。
「病院でも買えないんですか。お金なら、畑を売ってでも……」
「畑は売らないでください」
セレナは少年の状態を診察し、必要な処置をエドガーと確認した。
薬を使う判断は、財布の厚さではなく病状で決める。
その方針だけは譲れなかった。
母親が去った後、ミナが小声で言った。
「町の薬店に入っている品は、うちの荷車と同じ産地です。どうして向こうにだけ届くんでしょう」
その疑問が、調査の始まりだった。
帝国の街道検査所には、荷車が七台並んでいた。
皇女アーデリアの許可状を示すと、監督官は渋々、記録簿を開いた。
ミナの発注した四台のうち二台は書類不備、残る二台は追加検査を理由に止められている。
「どの項目が不備だったのですか」
セレナが尋ねると、検査官は目をそらした。
「通行税が改定された。外国産の薬草は、確認に時間がかかる」
「改定の告示日は?」
答えたのは、背後から現れた絹の上着の男だった。
「細かな手続きより、必要な薬を手に入れるほうが先では?」
男は王国の大商会、ベルク商会の代理人と名乗った。
王宮医療院への納入実績を誇らしげに語り、病院へ薬草を届けられると申し出る。
「価格は通常の五倍です。ただし、当商会との独占契約に署名していただく」
「なぜ独占が必要なんです?」
「王宮との大口契約が失われた今、我々も倉庫と輸送人員を維持しなければならない。小口の注文を寄せ集めるだけでは採算が合わないのです」
事情には一理あった。
だが、三年間ほかの仕入れ先を断てば、次に価格を上げられたとき、患者を守る手段がなくなる。
ミナが息をのんだ。
「五倍? それでは患者さんに……」
「患者の命が大切なのでしょう。ならば安いものです」
セレナは契約書を受け取った。
小さな文字で、今後三年間、他の仕入れ先と直接取引してはならないと記されていた。
「今日は薬が届いても、明日から別の村に頼めなくなるんですね」
「安定供給のためです」
「では、止められた荷車を通してください。そのうえで、価格と品質を比較します」
代理人の表情が硬くなった。
「あなたは王国で追放された身でしょう。帝国でまで商売の邪魔をするおつもりですか」
その言葉で、セレナは確信しかけた。
だが、確信と証拠は違う。
「検査の根拠と、追加税の告示を写させてください。正式な手続きなら、残っているはずです」
監督官は書類を閉じた。
「皇女殿下の命令がなければ見せられない」
「分かりました。では、殿下に判断を仰ぎます」
セレナが引き下がると、代理人は勝ち誇ったように笑った。
しかし、検査所の外でミナが一枚の紙を差し出した。
「荷主さんから預かりました。三日前の領収書です」
同じ日に通過した別の荷車より、薬草を積んだ車だけが高い通行税を取られていた。
領収書には、検査官の署名もある。
「これだけでは、商会の関与は分からない」
「でも、調べてもらう理由にはなります」
セレナは領収書を丁寧に折った。
病院へ戻ると、イーナが待っていた。
「熱のある子の母親が、また来ています。薬が足りないと聞いて、泣いてしまって」
母親は、畑の権利証を握りしめていた。
「これを担保にすれば、商会から買えますか」
セレナは首を振った。
「今は病院の備蓄で必要な処置ができます。今後の見通しも、明日までにお伝えします。どうか畑は手放さないで」
「でも、明日になって足りなくなったら?」
答えに詰まったのは、セレナのほうだった。
「足りなくなる可能性はあります。だから、隠さず伝えます。そして、別の道を探します」
母親はすぐには頷かなかった。
それでも権利証を鞄に戻した。
その夜、アーデリアが病院を訪れた。
「検査所の監査を命じたわ。ただし、商会が命令したという証拠はまだない」
「はい。検査官が独断で不正をした可能性もあります」
「それでも、独占契約を持ちかけた商人がいたのね」
セレナは契約書を差し出した。
アーデリアは三年間の取引制限に目を通し、顔を曇らせた。
「今日の不足につけ込んで、三年先の選択肢まで奪う契約……」
「病院を守るために結べば、次に困るのは患者です」
皇女はエドガーに尋ねた。
「国内の採集人から、直接買える?」
「少量なら。ただし、乾燥の仕方も保管状態もまちまちです。使えるかどうか、検査しなければ」
「では、検査の人手を付けるわ。試験事業の予算内で、ほかの支出を見直しましょう」
「殿下、建物の補修もまだ……」
「分かっている。だから、あなたたちにも何を後回しにするか決めてもらう」
簡単な救済策ではなかった。
新しい調達先を作るには時間がかかる。
乾燥棚も、検品する人も必要になる。
セレナは修繕予定だった玄関の飾り板を予算表から消した。
「見栄えは、来月で構いません」
翌朝、監査官から報告が届いた。
四台の荷車のうち、二台は必要書類がそろっていたにもかかわらず、検査理由を記さず留め置かれていた。
検査官の私的な金銭授受も確認され、処分と再検査が決まった。
ただし、金の出所とベルク商会との関係は、引き続き調査中だという。
「これで薬草が届きますね!」
ミナが声を上げた。
「全部ではないわ。待たされた間に傷んだものもある」
セレナの言葉どおり、夕方到着した荷車の積み荷は、予定の半分ほどしか使えなかった。
湿った束には印を付け、疑わしいものは使用しない。
「やっと届いたのに、捨てるんですか」
イーナが唇を噛む。
「届いたことと、安全に使えることは別なの」
セレナは検品を終えた量だけを在庫表に書き足した。
患者に説明できる数字は、それしかない。
夜、三つの山村へ注文書を送る準備が整った。
村人に無理な採集をさせないよう、数量は相談して決める。
運搬費と品質基準は書面に残し、独占契約は結ばない。
ミナは封筒を並べて、笑った。
「一つの商会に止められても、全部の道が閉じるわけじゃないんですね」
「まだ道を作り始めただけよ」
そのとき、アーデリアから二通目の知らせが届いた。
『ベルク商会の資金の一部に、王宮関係者との取引記録が見つかった。
関与は未確定。
調査を続ける』
セレナは紙を読み返した。
追放されて国境を越えても、王宮の影は消えない。
けれど、目の前には別の事実があった。
新しい注文書を運ぶため、ミナが外へ出ようとしている。
イーナは患者への説明用紙を書き直し、エドガーは明朝の診察順を確認していた。
「ミナ、出発は明るくなってからにして。急いで事故に遭ったら、何も届かない」
「はい。朝に出ます」
セレナは在庫表を閉じた。
薬を奪われそうになった一日だった。
それでも、誰かの命を商人の言い値に預ける契約だけは、結ばずに済んだ。
明日も足りないものはある。
だから明日も、足りないと書く。
そして、届く道を一つずつ増やしていく。




