番外編第十三話 セレナの銅像を建てたら、本人が撤去を要求した
国境の町の広場に、巨大な布が掛けられていた。
町長は胸を張って紐を引いた。
布が落ちる。
台座の上に現れたのは、剣を掲げ、風になびく長髪を持つ女性の銅像だった。
セレナはしばらく黙って見上げた。
「……誰ですか、この人」
広場に笑いが起こった。
町長の顔が引きつった。
「もちろん、あなたです!」
「私、こんな剣を掲げたことはありません」
彫刻師が小声で答えた。
「英雄らしさを優先しまして」
「治癒師に剣を持たせる理由は?」
「剣があると、遠くからでも英雄だと分かると思ったんです」
「少なくとも、治癒師の姿には見えません」
彫刻師は広場にいる子供たちを見て、気まずそうに口を閉じた。
銅像は町の有志が集めた寄付金で作られていた。
完成まで一年。
台座には『国境を救った唯一の英雄』と刻まれている。
セレナはその文字を読んで、笑うのをやめた。
「唯一、というのは消してください」
町長が困惑した。
「なぜです。あなたがいなければ共同病院は」
「建たなかったかもしれません。でも、私一人では建てられませんでした」
セレナは広場の向こうに見える病院を指した。
「屋根を直した大工も、夜勤を続けた看護師も、食事を作った人もいます」
町長は言葉に詰まった。
さらにセレナは尋ねた。
「この銅像、いくら掛かりました?」
金額を聞くと、眉が跳ね上がった。
「その額で、診療所の寝台は何台買えますか」
「寄付金は銅像を作ると説明して集めたものです」
会計係が慌てて説明した。
「別の用途には使えません」
「銅像を望む人の気持ちは分かります。でも、診療所の寝台にも寄付できると知らせてほしかったわ」
町長は俯いた。
「皆、感謝を形にしたかったのです」
その言葉に、セレナはすぐには答えられなかった。
善意で集めたお金を、無駄だったと切り捨てるのも違う気がした。
式の後、セレナは正式に撤去を求めた。
町長は工事の見積書を持ってきた。
台座の解体、銅像の運搬、広場の復旧。
数字を見たセレナは椅子から立ち上がった。
「撤去にも、こんなに?」
「はい。しかも寄付の条件を確認する必要があります」
「それなら、撤去のために病院への寄付を減らすわけにはいかないですね」
リゼが横から言った。
「ようやく落ち着いた?」
「落ち着いていません。私の鼻、あんなに高くないもの」
「問題はそこ?」
「そこも大問題です」
リゼは吹き出した。
翌週、町役場で公開の話し合いが開かれた。
寄付者の一人が立ち上がった。
「銅像を見れば、子供たちが希望を持てると思ったんです」
別の住民が言った。
「でも、診療所の雨漏りも直してほしい」
彫刻師は申し訳なさそうに頭を下げた。
「顔を直すことはできます」
セレナは首を振った。
「顔を直すのは、まだ後でいいです」
「後で、ですか?」
「まずは台座の文字を直したいんです」
会場がまた笑った。
話し合いの結果、銅像そのものは当面残すことになった。
すでに使った寄付金を戻すことはできない。
寄付者の意向を確認したうえで、撤去費を新たに募るより台座の説明文を改める。
そして銅像とは別に、町が管理する救護基金を作る。
基金の収支は毎年公開し、診療所と病院の必要な物資について現場の意見を添えて示す。
セレナは条件を一つ付けた。
「私の名前を使って寄付を募るなら、事前に本人と病院に確認してください。それに、私一人が使い道を決める仕組みにはしないでください」
「なぜです?」
「病院に必要なものは、現場の人が一番知っています」
銅像の問題は、思いがけず町の会計の見直しにもつながった。
基金の収支計画を作る段階で、診療所の屋根の修繕費だけでなく、毎年必要になる保守費も明らかになった。
「一度直せば終わりではないのですね」
町長が言うと、診療所の事務員は頷いた。
「雨漏りが直っても、薬棚は古くなります。働く人の給金も必要です」
セレナはそこで口を挟まなかった。
自分が説明するより、日々管理している人の言葉が届く方がいい。
寄付者たちは初めて、立派な建物の裏に小さな支出が積み重なっていることを知った。
感謝を形に残したい願いと、診療所の日々の仕事を支えたい願い。
どちらも町の人の気持ちだった。
ただ、次にお金を集める時は、目的と使い道を最初から相談しよう。
町長はその約束を議事録に残した。
改修された台座には、新しい文章が刻まれた。
『この町の医療は、多くの人の手で支えられている』
その下には、共同病院と地域救護基金の案内がある。
ただし銅像の剣は残った。
町長は気まずそうに言った。
「剣を外すと、腕の補強が必要で」
「分かりました」
セレナはため息をついた。
「では、いつか修理する時に、せめて包帯を持たせられませんか」
彫刻師は真剣に考え込んだ。
「剣より難しいかもしれません」
広場が笑いに包まれた。
台座の改修が済んだ日、町長はセレナに小さな包みを渡した。
中には彫刻師が作った、銅像の縮小模型が入っていた。
「記念にお持ちください」
「これも剣を持っているの?」
「はい」
セレナは模型を眺めた。
「せめて小さい方は、剣を杖に変えられませんか」
彫刻師は笑った。
「それならできます」
数日後に届いた模型は、剣の代わりに杖を持つ、控えめな姿になっていた。
リゼはそれを見て言った。
「こっちの方が似ているわ」
セレナはようやく頷いた。
救護基金の募集が始まると、セレナも寄付を申し出た。
町長は深く頭を下げた。
「銅像を気に入ってくださったのですね」
「違います。基金の中でも、診療所の屋根の修繕を支えたいんです」
「……承知しました」
リゼは横で肩を震わせた。
「でも、良かったじゃない。銅像が役に立って」
「役に立つのは基金よ」
「じゃあ、銅像は?」
「道案内にはなるかもしれないわね。あんなに大きいんだもの」
数か月後、町の子供が広場で道に迷った旅人に教えていた。
「剣を持ったお姉さんの像を曲がると病院だよ」
セレナは偶然それを聞いた。
「……案内板としては優秀なのね」
彼女が呟くと、リゼが笑った。
「結局、撤去はしないの?」
「寄付者の皆さんと町で決めることです。私の希望だけで動かしてはいけないわ」
セレナは像を見上げた。
その足元では、子供たちが旅人に病院への道を教えている。
像を残すと決めた町の人々の気持ちも、今なら少し分かる気がした。
相変わらず鼻は高すぎる。
それでも台座の文字は、今度こそ自分の言いたかったことを伝えていた。




