番外編第十二話 魔法を使えない少女が、最高治癒師に弟子入りした
「治癒魔法の適性は、今回の検査では確認できません」
検査官の言葉に、ノアは握っていた手帳を閉じた。
国境共同医療学校の入学相談会。
周囲では、淡い治癒の光を灯した受験者たちが歓声を上げている。
ノアの掌には何も現れなかった。
「治癒師には、なれないんですね」
彼女が席を立とうとすると、隣にいたイーナが呼び止めた。
「何を学びたくて来たの?」
「人を助ける仕事です」
「それなら、まだ話は終わっていないよ」
イーナが案内した先は、セレナが担当する救護実習室だった。
セレナは検査結果を見ると、首を傾げた。
「今回、治癒魔法の適性が確認できなかったのね。でも、それで医療の仕事すべてができないと決まったわけではないわ」
ノアは答えられなかった。
「治療を支える仕事には、観察や記録、看護もあるのよ」
セレナは手帳を指した。
「それ、使い込んでいるわね」
「村で具合の悪い人が出た時、聞いたことを書いていました」
頁には、転んだ老人の様子や、熱を出した弟が水を飲めた時刻が並んでいた。
「勝手に治療はしていません」
「自分だけで判断しなかったのね。助けを呼んだことまで記録してあるのは大切よ」
ノアは少しだけ顔を上げた。
相談会に併設された体験実習では、包帯の巻き方を学んだ。
患者役の少年に巻くと、ノアの手が震え、布がきつくなった。
「痛い」
少年が言う。
ノアは慌ててほどいた。
「ごめんなさい」
「謝るのも大切。でも、まず状態を確認して」
セレナは少年に尋ねる手順を見せた。
ノアはやり直した。
今度は巻き終えるたび、痛みや指先の様子を確かめた。
時間はかかった。
それでも少年は「さっきよりいい」と笑った。
翌日の体験実習で、ノアは教室の隅で泣いていた。
魔法実習の生徒から「包帯だけなら誰でもできる」と言われたのだ。
イーナは隣に座った。
「誰でも簡単にできるなら、昨日の実習で手順を学ぶ必要もなかったはずだよ」
「……そうですね」
「簡単そうに見える仕事ほど、手順を守るのが難しい」
ノアは涙を拭った。
「でも、セレナ先生に教わりたいんです」
「弟子になったら魔法が使えるようになるわけじゃないよ」
「分かっています」
ノアは手帳を開いた。
「それでも、あの人の教え方を学びたいんです」
一週間後、入学希望者向けの救護訓練で小さな事件が起きた。
訓練用の木箱を運んでいた少年が、段差で足を滑らせた。
少年は立ち上がろうとしたが、顔色が悪い。
周囲の参加者が駆け寄り、治癒魔法を使える者が手をかざしかけた。
ノアは声を上げた。
「待って。指導医の先生を呼んで!」
一人が走った。
ノアは少年に無理に立たないよう伝え、意識がはっきりしているか、どこが痛むかを確かめた。
近くの参加者には、通路を空けて人を集めすぎないよう頼んだ。
それ以上は自分で判断しなかった。
駆けつけた指導医に、見たことと聞いたことを順番に伝えた。
少年は診察の結果、緊急の処置を要するけがではないと判断された。
診察を終えたセレナが尋ねた。
「どうして、周りの人に魔法を使う前に待つよう伝えたの?」
ノアは俯いた。
「けがの状態が分からなかったからです」
「それだけ?」
「何が起きたか分からないまま処置するのが怖かったんです。先生を呼ぶ方が確かだと思いました」
セレナは頷いた。
「怖さを隠さず、助けを呼べたのは良い判断よ。今度は呼ぶ相手と伝える順番も練習しましょう」
ノアは自分の手帳を見た。『指導医を呼んだ』と書けることが、こんなに嬉しいとは思わなかった。
その日の夕方、ノアは入学願書を持ってきた。
希望欄には『救護・看護課程』と書かれている。
「治癒魔法の試験は受けなくていいんですか」
「この課程には別の選考があるわ。基礎学力も実習も必要よ」
「落ちるかもしれませんね」
「そうね。でも挑戦する資格はある」
ノアは深く頭を下げた。
「先生のように、相手の話を聞ける人になりたいです。教えてください」
「私もまだ練習中よ」
セレナはノアの手帳を指した。
「最初の包帯実習で、患者役の子が『痛い』と言った時、あなたはすぐ包帯をほどいたでしょう。大事なのは、正しい手順を覚えることと、相手の声で手を止められること。その両方よ」
セレナは少し考えた。
「合格したら、私だけでなく学校のみんなから学んでほしい。それでもいい?」
「はい」
「じゃあ、最初の宿題。手帳の『分かったこと』と『推測したこと』を分けて書いてきて」
「……難しそうです」
「難しいから練習するのよ」
入学試験の日、ノアは緊張で筆を落とした。
拾ってくれたのは、以前「包帯だけなら誰でもできる」と言った受験者だった。
「この前は、悪かった」
ノアは驚いた。
「僕も訓練で慌てて、先生を呼ぶのを忘れた」
ノアは小さく笑った。
「次はお互いに声を掛け合おう」
筆記と面接、基礎実習の選考を経て、ノアは合格した。
満点ではなかった。
記録の書き方にも課題が残っていた。
それでも彼女は、自分の足で教室へ向かった。
合格通知を手にしたノアは、村の母親にも手紙を書いた。
『魔法は使えないままです。でも、勉強できることになりました』
返事には短く書かれていた。
『あなたが帰ってきた時、村のみんなの話を聞いてくれるなら嬉しい』
ノアは何度も読み返した。
将来の仕事はまだ決まっていない。
それでも、戻れる場所と進める道が一つずつ増えたことが嬉しかった。
初登校の日、ノアは教室の入口にある自分の名前を指でなぞった。
魔法の光はなくても、ここに自分の席がある。
セレナは新入生全員に同じことを言った。
「できることを誇って。できないことは隠さないで」
ノアは手帳の一番上に、その言葉を書いた。
掌に光は灯らない。
けれど手帳には、これから学ぶことが次々と増えていった。
入学からしばらくたっても、ノアの迷いが消えたわけではなかった。
同じ教室には魔法を使える生徒もいる。
光を見せられるたび、羨ましいと思う気持ちは残った。
ある日、ノアはセレナに打ち明けた。
「私、まだ悔しいんです」
「悔しいままでいいと思うわ」
「先生は怒らないんですか」
「何に?」
「魔法を使える人を羨ましいと思うことに」
セレナは首を振った。
「私も、他の人にできることが羨ましい時はあるわ」
「最高治癒師でも?」
「料理なんて、特に」
ノアは思わず笑った。
「それは聞いたことがあります」
「誰から?」
「食堂の人たちからです。先生が鍋を焦がしたって」
セレナは両手で顔を覆った。
笑いが収まると、ノアは手帳を開いた。
「悔しい気持ちも書いておきます。いつか誰かに同じことを言われた時、分かるように」
「その気持ちは、いつか誰かの話を聞く時に役立つかもしれないわ」
ノアは頷き、手帳の次の頁を開いた。




