番外編第七話 セレナが初めて料理を作ったら、病院が大騒ぎになった
「治癒魔法で焦げた鍋は直せる?」
「鍋は怪我をしていません」
料理長の返事は、診察室のどんな宣告より厳しかった。
ことの始まりは、セレナの一言だった。
「いつも皆に作ってもらっているから、今日は私が昼食を作るわ」
共同病院の職員食堂に、沈黙が落ちた。
リゼは飲みかけのお茶を置いた。
「何を作るつもり?」
「野菜の煮込み。切って煮ればいいのでしょう?」
「その『切って煮れば』が怖いのよ」
セレナは不満そうに腕を組んだ。
「私は難しい治癒術だって扱えるのに」
「人参は手術の患者じゃないの」
料理長は条件を出した。
「患者さんの食事には触れないこと。食物の制限がある人もいます。今日は職員の希望者だけに、試作を出します」
「分かったわ」
「それから、刃物を持つときは話しながら振り向かない」
「はい。包丁を置いてから振り向きます」
料理長は手になじむ小ぶりの包丁を渡した。
セレナはそれを見て、少し傷ついた顔をした。
「私には小さすぎない?」
「手元を確かめながら扱うには、ちょうどいい大きさです」
最初の問題は玉ねぎだった。
皮をむくと涙が出る。
「何か刺激物が混じっているのでは?」
「普通の玉ねぎです」
「目の洗浄を……」
「まず包丁を置いてください!」
リゼが慌てて止めた。
セレナは涙を拭い、再び刻み始めた。
だが切り方はばらばら。
大きいものは拳ほど、小さいものは米粒ほどになった。
料理長が黙ってまな板を見た。
「何か言って」
「火の通り方が、それぞれ違います」
「……これでは火が通る時間もばらばらね」
「ようやく分かっていただけましたか」
「鍋の中では困ります」
次は塩だった。
セレナは小瓶を持ち上げた。
「これを一匙ね」
「待って。それは砂糖」
リゼが止めた。
「危なかったわ」
セレナは隣の瓶を取った。
「じゃあ、これ」
「それは胡椒!」
「どうして似た瓶に入れるの!」
「見分けづらいのは厨房の問題でもあります。改善します。ただ、確認せずに使ってはいけません」
料理長が札を大きく書き直した。
『しお』『さとう』『こしょう』。
「私のために?」
「次の新人のためにもです」
セレナは何も言い返せなかった。
鍋が煮え始めると、今度は香りが焦げ臭くなった。
セレナは底をかき混ぜた。
茶色い塊が浮かんでくる。
「……これは?」
「焦げです」
「取れば食べられる?」
「焦げ臭さが移っています。無理に出すのはやめましょう」
セレナはしょんぼりした。
「食材を無駄にしてしまった」
料理長は火を止めた。
「失敗したときに、食べられると言い張らないのも仕事です」
その言葉は、セレナの胸に残った。
診察室では判断を誤れば命に関わる。
厨房でも、他人の口に入るものを作っている。
失敗を認めることからしか、やり直しは始まらない。
「私、もう何も触らない方がいい?」
セレナが尋ねると、料理長はじゃがいもを一袋置いた。
「皮むきをお願いします」
「それならできるわ」
十分後、料理長は小さくなったじゃがいもを見た。
「これは……何個分ですか」
「一個」
「元の大きさは?」
「このくらい」
セレナは両手で大きな輪を作った。
リゼは笑いをこらえきれず、壁に顔を向けた。
「何よ!」
「だって、皮と一緒にほとんど捨ててる!」
「慎重に削ったの!」
「慎重すぎるのよ!」
昼休み、職員たちが食堂に集まった。
献立は料理長が作り直した野菜の煮込みと、セレナが担当した不揃いの蒸し芋。
セレナは入口で頭を下げた。
「最初の鍋を焦がしました。食材を無駄にしてごめんなさい」
調理助手の青年が手を挙げた。
「先生、あの鍋はもう使えないんですか?」
「磨けば使えるそうよ」
「じゃあ、午後の洗い物を手伝ってください」
セレナは目を丸くした。
「私が?」
「希望者の試作でも、使った道具は作った人が片付ける決まりです」
リゼが笑った。
「診察室でも、使った器具は片付けるでしょう?」
「……確かに」
食後、セレナは焦げた鍋を磨いた。
なかなか落ちない。
力を入れすぎて泡が飛び、隣のリゼの袖を濡らした。
「ごめん!」
「今度は私を洗う気?」
「治癒魔法で乾かせるかしら」
「普通に布で拭いて!」
二人の笑い声に、料理長まで口元を緩めた。
その晩、セレナはリゼに尋ねた。
「どうして料理って、あんなに難しいの?」
「毎日やっている人には当たり前でも、初めてなら難しいのよ」
「診察でも同じことを言っていたわね」
「そう。初めての患者さんに、専門用語を並べても伝わらないでしょう」
セレナは頬をかいた。
「料理長、何度も同じ説明をしてくれた」
「怒鳴らなかったでしょう」
「一度だけ、包丁を振り回すなって大声を出されたわ」
「それは当然!」
二人は笑った。
セレナは小さな帳面を開いた。
『玉ねぎを切る前に包丁の持ち方を確認。鍋は火から離れない。味見は少しずつ』。
その下に、もう一行書き足した。
『分からないことは、知っている人に聞く』。
翌朝、料理長にその帳面を見せると、彼は初めて声を立てて笑った。
「先生、料理は論文ではありませんよ」
「でも、失敗を繰り返したくないもの」
「なら、次は一緒に作りましょう」
翌週の試作の日、調理助手の青年が尋ねた。
「先生、野菜はどこから切ります?」
「ええと……料理長、見本を見せていただけますか」
厨房にいた全員が顔を上げた。
「先生が最初に質問した!」
リゼが大げさに拍手する。
「失礼ね。私だって質問くらいするわ」
「診察室では患者さんに説明する側だから、つい何でも知ってる顔をするでしょう」
セレナは苦笑した。
料理長は人参を置き、同じ厚さに切ってみせた。
「大きさをそろえると、火が通る時間もそろいます」
セレナは一枚切り、隣に並べた。
少し厚い。もう一枚は薄い。
「難しい……」
「最初はそれでいいんです」
その言葉に、セレナは肩の力を抜いた。
翌週、セレナは厨房に再挑戦した。
今度は料理長の指示通り、同じ大きさに野菜を切った。
塩は計量匙で量った。
火加減も確認した。
できあがった煮込みをリゼが一口食べる。
「……おいしい」
「本当?」
「本当。でも、まだ私の方が上手」
「それは認めるわ」
セレナは得意げに胸を張らなかった。
代わりに、使った包丁を洗い、所定の場所へ戻した。
料理長が小さくうなずいた。
「今日は、最後までできましたね」
セレナは鍋よりも、その言葉が嬉しかった。




