↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
王子に追放された天才治癒師、隣国で病院を建てたら英雄になりました  作者: レモンティー


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
120/135

第百二十話 奇跡がなくても、人は救える

十年後。

王国と帝国の国境には、もう昔の軍用検問塔はなかった。

代わりに、共同救護所と小さな学校が建っていた。

橋のたもとには、二つの国の言葉で同じ文が刻まれている。

『ここを通る患者を、敵と呼ばない』

朝、救護所の扉を開けたのは、まだ若い看護人だった。

彼女は当番表を確かめ、薬棚の数を数え、水場の蛇口をひねった。

その隣で、新人の医師が夜勤の記録を読んでいる。

「先生、昨日の患者さん、今朝は熱が下がりました」

「よかった。

でも、ほかの症状も確かめよう」

二人は患者のもとへ向かった。

その頃、セレナはベルナの診療所の庭にいた。

髪には白いものが混じり、長い階段を上ると以前より少し息が切れる。

かつて一人で担いだ薬箱は、今では若い職員が運んでくれる。

「先生、今日は診察を引き受けない約束ですよ」

リゼが言った。

セレナは苦笑した。

「見ているだけなら、いいでしょう」

診療所の中では、患者の列が静かに進んでいた。

誰も彼女を探していない。

昔なら寂しかっただろう。

今は、そのことが何より嬉しかった。


昼過ぎ、一人の少女が診療所へやって来た。

手には、学校で使う古い教本を抱えている。

「あなたが、セレナ先生ですか」

「そうよ」

「本当に、どんな病気でも治せたんですか」

セレナは笑った。

「そんなことはないわ。

治せなかった人もいるの」

少女は目を丸くした。

「でも、教本には『王国を救った最高治癒師』って」

「教本は、少し大げさね」

セレナは庭の向こうを指さした。

井戸のそばでは、職員が水質を確かめていた。

台所では、清潔な器を並べている。

診療室では、看護人が患者の話を聞いていた。

「王国を支え続けているのは、あの人たちよ」

少女は首をかしげた。

「みんな、普通の人に見えます」

「そう。

普通の人が、学んで、助け合って、間違えたら直す。

それが続けば、たくさんの命を守れるの」

少女は教本を開き、余白に何かを書いた。

「何を書いたの?」

「『一人では救えない』って」

セレナは頷いた。

「その次も書いておいて」

「何ですか」

「『だから、みんなで救う』」

夕方、シーラが訪ねてきた。

かつて偽りの死亡記録に人生を奪われかけた彼女は、今では患者の権利と記録の読み方を教える教師になっていた。

「先生、国境の学校から手紙が来ました」

封筒の中には、今年の卒業生たちの名前が並んでいた。

治癒師、医師、看護人、薬師、給水担当、記録係。

一枚の紙に、さまざまな仕事が記されている。

その最後に、短い言葉が添えられていた。

『先生がいなくても、今日も病院は開いています』

セレナは長い間、その一行を見つめた。

リゼは今もベルナの診療所を支え、若い職員が休める当番表を整えていた。

アーデリアは皇女として両国の医療費協定を見守りながら、毎年の監査結果を公開する仕組みを残した。

エドガーは第一線の当直を後進へ譲り、学校で「診断が分からない時に何を確かめるか」を教えている。

誰もが十年前と同じ場所に立っているわけではない。

それでも、それぞれが引き継いだ仕事は続いていた。

セレナは、かつてシーラを救ったにもかかわらず、彼女の命を奪ったと偽って告発され、すべてを奪われた日を思い返した。

名誉も、仕事も、帰る場所も。

あの日、彼女は自分の力がなければ誰も救えないと思っていた。

けれど今、彼女の知らない場所で、知らない誰かが患者の手を握っている。

魔法を使えない人が、清潔な水を運んでいる。

記録係が、名前を消されそうになった患者を見つけている。

治せない病を前にした医師が、それでも患者を一人にしない。

「先生、泣いてる?」

シーラが尋ねた。

セレナは目元を拭った。

「ええ。

少しだけ」

診療所の窓に灯りがともった。

セレナはその光を見て、卒業式で若い人たちに会えるのを楽しみに思った。

昼間の少女が教本の余白に書いた言葉が、セレナの胸に残っていた。

『一人では救えない。だから、みんなで救う』

卒業生にも、その言葉の意味を伝えたいと思った。

数日後、セレナはシーラとともに国境の共同医療学校を訪ねた。

卒業式に招かれたのだ。

十年という歳月は、国境の風景を変えていた。

国境の橋は何度も補修され、最初の仮設診療所があった場所には小さな公園ができていた。

公園の端には、石鹸と水桶をかたどった記念碑がある。

セレナはその碑文を読んだ。

『ここで、敵と呼ばれた人々が同じ水を分け合った』

彼女の名前は刻まれていない。

それでよかった。

橋の向こうでは、若い看護人が子供たちへ手洗いを教えていた。

「石鹸は食べ物じゃありませんよ」

子供が笑った。

昔、配給所で石鹸を口へ運びかけた老人の話が、今では教材になっている。

ただし老人を笑いものにするためではない。

使い方を伝えず物だけ配っても、助けにはならないと教えるためだった。

共同医療学校の卒業式には、王国と帝国の学生が並んでいた。

彼らの多くは、セレナが追放された日を直接には知らない。

レオニス王子の名前を歴史の授業でしか聞いたことのない者もいる。

シーラは学校の記録室で、古い死亡台帳の写しを見つめていた。

自分の名前の横には、誤った記録であることを示す注記がある。

原本は消されずに保管されている。

「見るたびに腹が立ちますか」

若い書記が尋ねた。

「腹が立つ日もあるわ。

でも、ここに残しておいてよかったと思う日もある」

シーラは答えた。

「誰かが次に同じことをしようとした時、間違いを確かめる方法が残るから」


卒業式の午後、卒業生の一人がセレナへ相談に来た。

「先生、私は地方へ行きます。

でも、治せない患者に出会うのが怖いんです」

セレナは頷いた。

「怖さを感じた時こそ、一人で抱え込まないで。

先輩や仲間に相談して」

「それでも、助けられなかったら?」

「記録して、相談して、次の人につなぐ。

患者のそばにいることも、仕事の一つよ」

卒業生は深く頭を下げた。

夕方、橋の上で小さな事故があった。

荷車の車輪が外れ、御者が腕を傷つけたのだ。

近くにいた学生が駆け寄り、周囲の安全を確かめた。

別の学生が医師を呼び、通行人が荷車を押さえた。

誰も「最高治癒師はどこだ」と叫ばなかった。

セレナは少し離れた場所から、その様子を見守った。

処置が終わると、御者は何度も礼を言った。

学生たちは自分たちだけの手柄にはしなかった。

「通りかかった人が馬を落ち着かせてくれたんです」

「道を空けてくれた人もいました」

その報告を聞き、セレナは頷いた。

医療とは、白い服を着た人だけがするものではない。

彼女は橋の欄干へ手を置いた。

かつて、この橋を渡るために誰かの許可が必要だった。

今も国境の手続きはある。

ただし急患は通常の通行証の発行を待たず、救護所の当直者が緊急性を確認し、両国の取り決めに基づいて必要な治療へつなぐ。

特別な命令を待つ必要はなかった。

先ほどの処置を見ていた幼い子が、セレナの袖を引いた。

「ぼくは魔法が使えない。

それでも、誰かの役に立てる?」

セレナは膝を折り、子供と目を合わせた。

「もちろん。

道を空けることも、助けを呼ぶこともできるわ」

子供は橋の向こうで働く救護員を見た。

「じゃあ、ぼくも覚える」

セレナは微笑んだ。

奇跡がなくても、人は救える。

その夜も、橋のたもとの共同救護所には当直の灯りがともっていた。

――完。――

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。