第百三話 治らない人を見捨てない
支援所には、義足を受け取っても仕事に戻れない女性も通っていた。
歩けることと、長時間働けることは同じではない。
彼女は織物職人で、長く座ると傷口が痛む。
雇い主は「働けるようになったら戻っておいで」と言ったが、何時間働ければ『働ける』のかは誰も決めていなかった。
セレナは職人本人と雇い主を同じ卓につかせた。
短い時間だけ織機に向かい、途中で休む案を出すと、雇い主は「ほかの職人に不公平だ」
と難色を示した。
女性は席を立とうとしたが、看護人が呼び止めた。
「続けるかどうか、あなたの希望をまだ聞いていません」
女性は俯いたまま、「一日全部は無理。でも布に触れたい」と答えた。
そこで二週間の試行期間を設け、作業時間と痛みの変化を記録することになった。
試行期間の給金と休憩時間は本人と雇い主が書面で確認し、体調悪化を理由に一方的に不利益を与えない。
雇い主には負担が残るため、支援所は織機の高さを変える費用の一部を負担した。
初日は三十分で帰宅した。
女性は悔しそうだったが、次の日も来た。
三日目、彼女は小さな布を織り上げた。
出来栄えを褒められても、すぐには笑わなかった。
「これだけしかできなかった」
セレナは布を手に取り、「何を作りたかったんですか」と尋ねた。
女性は「娘の冬の襟巻き」と答えた。
目標は病気になる前と同じ働き方へ戻ることではなかった。
自分の手で誰かのために何かを作れることだった。
支援所の記録には、作業時間だけでなく本人が選んだ目標も書かれた。
数字が良くならない日も、暮らしの意味まで失ったとは限らない。
*
翌日の訓練では、義足をつけた青年が階段の前で足を止めた。
平地では歩けても、故郷の家には三段の石段がある。
ハンスは義足の金具を調整しようとしたが、セレナは青年に尋ねた。
「何が一番困りますか」
青年は少し考え、「家に帰ると、皆が僕を抱えようとすることです」と答えた。
手すりを取り付ければ解決する、と誰かが言った。
だが家は借家で、勝手に壁へ穴を開けられない。
支援所の職員が家主を訪ねると、家主は建物を壊されるのではと警戒した。
ハンスは壁を傷めない置き型の手すりを試作したが、最初のものは体重をかけると滑った。
青年は倒れかけ、セレナが支えた。
「危ないなら、もういい」
「危なかったから、直すんです」
とハンスは言った。
滑った箇所に印をつけ、床との接地面を広げる。
再試験には別の職人も立ち会わせた。
できたと報告する前に、できない条件を確かめるためだ。
数日後、青年は三段目を上がり切った。
家族が駆け寄ろうとすると、青年は笑って手を上げた。
「少し待って。自分で戸を開けたい」
セレナは支援記録の『歩行可能』に丸をつけず、『自宅の階段を安全に昇降、見守り継続』と書いた。
病気や傷が治らなくても、暮らしの選択肢は増やせる。
青年が帰った後、ハンスは支援所の階段を測り直した。
義足だけを改良しても、街に段差が残れば外へ出られない。
セレナは町役場に提出する改善要望書へ、青年の名前を勝手に書かなかった。
本人に確認し、希望する範囲だけを記した。
患者を救うとは、その人の人生を代わりに決めることではない。
支援所では義足を作れない人にも相談の席を設けた。
傷がまだ塞がらない人、長く座っていられない人、働きたいが雇い主に断られた人。
必要な支援は一つではない。
セレナは治癒魔法を使う前に、痛みが強くなる時間と日常の困りごとを聞いた。
ハンスは青年の歩幅だけでなく、靴の擦れる場所を毎週記録した。
初めて遠くまで歩いた日、青年は嬉しそうに笑ったが、翌日は疲労で訓練を休んだ。
セレナはそれを後退とは呼ばなかった。
無理をして壊れた義足を修理するより、休む判断を学ぶほうが大切なこともある。
青年の帰郷を前に、支援所では家族との面談が開かれた。
母親は「私が全部やります」
と何度も繰り返した。
青年は視線を落としたまま、椅子の肘掛けを握った。
セレナは母親を責めず、本人にできること、手伝ってほしいこと、触れられたくないことを別々に聞いた。
青年はしばらく黙り、「朝、ひとりで戸を開けたい」と答えた。
母親は驚いたが、ようやく頷いた。
義肢職人ハンスは、階段の模型を作って家族にも試してもらった。
最初の試作品が滑ったことを隠さず、改良した箇所と使ってはいけない床材を説明する。
母親は不安そうだった。
「転んだらどうするの」
ハンスは答えた。
「転ばないと保証はできません。だから、転倒しそうな時の支え方も練習します」
青年は母親の腕を借りながら、もう一度段差を上がった。
一方、痛みの消えない患者は夜の眠りを取り戻せずにいた。
セレナは魔法を重ねる代わりに、痛みが強くなる時間と動作を記録した。
医師と相談し、寝具の高さを変え、休息の取り方を試す。
ある夜、患者は三時間続けて眠れた。
翌日はまた眠れなかったが、記録には両方を残した。
「良い日だけを数えると、悪い日に自分を責めてしまいます」
と看護人は言った。
帰郷を控えた青年は、支援所の外で同じ境遇の元兵士に会った。
相手は義足の費用を聞き、顔を曇らせた。
「俺には払えない」
ハンスは工房の収支を見せ、修理のたびに職人の手間がかかることを説明した。
無料と約束することはできない。
セレナは補助制度の申請を手伝い、急ぎの修理と長期の調整を分けて計画した。
青年は自分の足元を見てから言った。
「歩けるようになって終わりじゃない。壊れたときに直せる場所が、僕には必要なんだ」
支援所は義足を渡した件数だけでなく、半年後に使い続けられている人数を調べることにした。
織物職人の女性は、試行期間の終わりに雇い主へ一枚の布を差し出した。
以前の半分ほどの長さしかない。
雇い主は受け取りながら『これでは注文を全部は受けられない』と言った。
女性の肩が落ちる。
すると雇い主は続けた。
『でも、細かい模様は誰より丁寧だ。
仕上げの仕事を分けられないか考えたい』。
支援所は作業工程を見直すため、他の職人にも相談することになった。
誰か一人の善意に負担を集中させず、働き方そのものを変える試みだった。
青年の帰郷後、ハンスの工房に短い手紙が届いた。
『雨の日は石段が滑ります。
教わったとおり無理をせず、母に手を借りました』。
ハンスはほっと息を吐いた。
自分で戸を開けることと、誰の手も借りないことは違う。
セレナは手紙の写しを本人の許可を得て研修に使うことにした。
成功例として飾るためではない。
支援の必要は暮らしの中で変わると、次の職人に伝えるためだった。
帰郷前の面談で、青年は支援所の地図に赤い印をつけた。
家の石段だけでなく、井戸へ続く坂道にも大きな段差があった。
以前は気づかなかった不便が、義足を使うようになって初めて見えたのだ。
町役場は道全体の改修には予算が足りないと答えた。
ハンスは迂回路を歩いて確かめ、雨の日に滑る場所を記録した。
セレナは「すぐ直せる場所」
と「工事が必要な場所」
を分けて申請した。
青年はその書類に、自分の希望を一行書き添えた。
『誰かに運んでもらうためではなく、自分で買い物に行くために』。
その言葉を読んだ担当者は、工事の順番を決める会議に本人を招いた。
青年が故郷へ出発するとき、セレナは「治りました」
とは言わなかった。
「困ったら、また来てください」
青年は杖を持ち直し、「今度は、自分の足で来ます」と笑った。




