4.とある異世界転生の物語(お嬢様編・中)
宿の夜。夕食を食べ終わった後の相部屋でベランが言ってきた。
「オイラは6万ゴールドでいい」
「は?」
高すぎる。
だのにベランはこれでも負けてやったのだと平気にしていた。
「もしもオイラが猪獣討伐に誘わなければ、森へ案内しなかったら、こうはならなかった。紹介料と案内代。それで6万ゴールドだ」
「倒したのは僕だ。ベランは見てただけじゃないか」
「わかってないな。そうだ。あと、衛兵を呼んだ費用もある」
どうやらあのクズ共に渡す金も含まれているらしい。
なら尚更嫌だ。
「あり得ない。これは僕の金だ。一銭もあげないよ」
「イッセン? なんだそれ。わかった。四万に負けてやる」
「言っただろ一銭もやらないって!」
「だからイッセンってなんなんのさ」
部屋の時計の振り子が揺れて音を鳴らした。もう十二時だ。
宿は丘の上にあり、街を一望できる。
港町ポルトイも暗くなって、灯台の光を残すだけ。波の揺らめく音が静かに漂っているだけだった。
それで眠気にあてられた。のは、僕だけではない。
「話はまた今度にしよう。明日は天下のシユウさんはお嬢様とデートだもんな?」
「そうだ。天下のシユウさんだ」
「はいはい」
宿の一室も静まった。
開いたままの窓からは潮風があたって涼しい。
ベッドもちゃんと柔らかくて疲れが取れる。
日本に居た時よりも高級なところに今居る。
今までは死にそうだったのに。
不思議な気分だ。
もしかしたらこれからずっとこんな豪華な暮らしができるのかも。
僕は寝心地にカレンさんを浮かべて淡い感情を抱いた。
すぐに眠りにつけた。
次の日。
つまらない食事をして適当に散歩をしたりして暇を潰した。
カレンさんのデートは昼から。
僕はこの国に来たおかげで早起きになってしまって、暇な時間が増えた。
それで散歩をしたのだが、町は昨日とは酷く違っていた。
少し余裕ができたからだろう。風が軽い。景色が光って見える。
それと疎ましく僕を見ていた町の連中は、今日はやや僕に敬意を示したようである。
そう、僕が猪獣を倒したのだから。
準備しようと宿に戻るとベランがうざったい。
「シユウ、領主のお嬢さんと関わるチャンスなんてもう来ないかもしれないんだぜ。だから絶対モノにしろよ。まぁ、無理だろうけど」
「無理なことない。それにモノってなんだよ。僕は真摯に付き合いたいだけだ」
「お金や地位よりも恋か。勿体ねえな」
ベランは洗面台の扉の縁に寄りかかって偉そうだった。
「よく考えろよ。もしもお嬢様の婿になれば将来安泰だ。億万長者だ。政治だってできる。適当な法律作ってヤバいことしたり、税金巻き上げて好きな物が買える。こんなことどう頑張ったってできない。こんなチャンス無いんだぜ」
「さっきから金、金、金って。そんなに金が大事かよ」
「そう思ってないならオイラに10万ゴールドくれよ」
「それは違うだろ」
「ふん。まぁうまくやれよ」
なぜか先輩ぶって僕の肩を叩いてきた。
僕はとにかく純情だった。真面目だった。
カレンさんへの恋心だけを信じていた。
そしてそれが正しいと信じてもいた。
きっとこれは間違っていない。
それはそうとどれほど鏡を睨んでも、身なりにこだわっても、恰好などつかなかった。
妥協して僕は宿屋の階段を下りた。
それで待ち合わせの北街まで急いだ。
彼女は街灯の下。
白いドレスと帽子。昨日の分厚い恰好ではなく、夏らしい涼しげな恰好だった。
つまり手足の白い肌が露わで、けれど魅惑的より美しい、大人っぽさがあった。
「シユウさん。ごめんなさいね。思ったより早く来てしまいました」
「いえ。べつにそんな」
「そうですか。じゃあ行きましょう。実はもうお腹がぺこぺこで」
その言動はちょっと子供っぽくて可愛い。
それで揺れる彼女と一緒に歩こうと横に並ぼうとしたら、衛兵がぎょろっと前後に出てきた。
その顔がとにかく怖い。灼熱のモアイ像みたいで。
「あら、言ってませんでしたっけ。衛兵の方々も同行するの。私はいいって言ったのですけど、お父様が煩くて」
「そ、そうですよね」
カレンさんはお嬢様。
浮ついていた気持ちが少し重たくなったのは、衛兵の顔のせいか。
僕は所作を知らない。だからもしも失礼をしたら、処刑とかあり得る?
胃が重たくなってきた。
カレンさんに案内されたまま、北街の料理店へ。
完全予約制。王族御用達。
中は貸し切りで、これもなんか怖い。
渡されたメニュー表。
『鮪のステーキ』
『昆布とカタツムリのシチュー』
『カレイの炙り』
『サボテンと山葵のルクステラ』
『タコのメのパスタ』
等
ほとんどなんだかわからないが、一番下のは絶対にダメだということは分かった。
僕は無難に鮪のステーキ等にした。
なおカレンさんは何か、恥ずかしげに頬を染めて、口元をメニュー表で隠しながら何かを頼んでいた。
きっと美女のカレンさんだ。
食べる物もみんなが憧れるような、上品なものに違いない。
――置かれた皿!
――蛸の眼球パスタ!!
――眼球マシマシ!!!
「えっ……」
「これこれぇ~あら、どうかなされましたか?」
「いや別に」
カレンさんはウキウキとフォークに蛸の眼球を突き刺すと、それを頬張った。
蕩けそうなお顔で味を噛みしめていた。
「これこれぇ~」
「おrr……」
「どうかなされました?」
「いや、べつに」
「シユウさんはステーキですか。ふふっ、まだまだお子様ですねっ」
「あーはい。ソウデスネ」
鮪のステーキは美味しいが、蛸の眼球を目の前で食べられると食欲失せる。
昨日の味が噎せ返ってくるから。おrr
カレンさんが馬鹿舌だったとは。
でもそんなところも可愛いか。
実際、目玉を下で舐め回してるのなんか興奮するし。おrrr
「シユウさん。他にも何か頼まれますか? おすすめはサボテンと山葵のルクステラ――」
「いや、もうお腹いっぱいで」
「そうですか? 遠慮なさらず沢山食べていいですよ? ふふん~」
とカレンさんはまた眼球を噛み砕いていた。
それがちょっとキツイかも。臭いが。
あーでも意外と口が臭い美女、ありかも。
「昨日は驚きました。まさか街でバッタリ会ったシユウさんが、猪を倒したのですから。知ってますか? あの猪は元々、お父様が宝石と間違えて」クスクス。
「あ、知ってます」
「お父様ももう歳かもしれませんね。昨日死骸を拝見しましたけれど、どう見ても猪ですもの。本当におかしいです」クスクス腹を抱えている。
「いいえ、生きてた時はほんとに石みたいでしたよ」思い出したくもない。
「でも宝石ではなかったはずですよ?」
「まぁそうですけど」
「ふふ、おっかしい~!」
カレンさんはよく笑う。きっとツボが浅いのだろう。
僕は苦笑いしかできなかった。
食事を終え、服屋に行く前に北街を散策。
カレンさんはスキップするほど楽しげに歩いていた。
初めは怖い顔をしていた衛兵でさえ、緩んでいる。
もちろん僕もそうだった。
本屋へ行けば躊躇いなく気になったものを買いまくっていたり。
宝石屋へ行けばルビーを見つけてまたお父様が~と笑ったり。
家具屋へ行けばベッドがもう古くて~と言って謎に照れたり。
それから市場へも行った。
カレンさんは本当に蛸が好きらしい。水槽に入っていた蛸を素手で掴んで振り回した。
「お嬢様、流石にそれは!」衛兵が戸惑う。
「あ~ごめんなさい。久々にこうやって暇になったからつい」
「ドレスが水浸しですよ!」
「あっ、まぁいっか!」
色々と服から透けてる。
カレンさんの体の輪郭がやや浮き出ている。
なるほど。
と、眺めていたらカレンさんが前屈みに、近い!?
「シユウさん? どうかしました。そんなにじっと見つめて」
「べ、べつになんでも!」
「どうして照れてるのかな? あーこっちにはイカもある!」
「お嬢様!!!」衛兵がカレンさんを掴んで止めた。
「あーもうっ!」懲りたようだ。
カレンさんって結構変わってるかも。
でもそんなところも可愛いかも。
とまた見惚れていたら、街から仄かに声が聞こえてきた。
「あのガキは?」
「猪獣を倒したんだってさ」
「嘘だろ。あんなのが?」
「見すぼらしいガキが。お嬢様にあんな近づいて」
「どこのガキが知らねえけど、身の程弁えろよな」
目が覚めてきた。
たしかにその通りだ。
僕みたいな暗い人間に、しかも身分もない人間が、カレンさんと釣り合うわけない。
周りからはあんな風に見えていたんだ。恥ずかしくなってきた。
俯いて落ち込んだ。
ところにカレンさんが顎を掴んでくいっとあげてきた。
と思ったらなんか頭を撫でてきた。
「うわっ!」
と僕は思わず振り払ってしまった。
気持ちよかったけどびっくりした。
「あ。ごめんなさい。なにか落ち込んでたから」
「こ、こちらこそごめんなさい」
「何も謝ることなんて――いいですよ」ニコッ。
カレンさんが美しいほどに遠く、胸が痛い。
なんで恋なんかしてるんだろ。
普通に考えればわかる。カレンさんのことをどれほど好きになっても叶わないって。
「シユウさん。気にしてるのですか?」
カレンさんは濡れた手を拭きながらさらっと僕へ言った。
「あなたは誰も倒せなかった猪獣を倒したのです。胸を張ってください。私はあなたのことを認めてますから」
カレンさんの善良な、曇り一つない微笑みが、僕にとっては致命傷だった。
僕は猪獣を倒したけど、それは本当に僕の力だったのだろうか。成り行きでどうにかなっただけで。
だから本当に運ってだけ。何も凄くないんだ。
でも僕は必死に笑った。
励まされたと笑った。
でないとカレンさんに悪いから。
ああ、そうか。僕は尚更一人なんだ。
カレンさんは手を合わせて喜んでいた。
案外僕の作り笑いはうまかったみたいだ。
「うんうん。その意気ですよ! それにまた何か言われたら私に言って。いくらでも励ますから。私、シユウさんの事は弟のように思ってますから!」
致命傷の後の致命傷。
つまり死体斬り。
そうか、僕は弟。恋愛対象外だったのか。
こっちの方が泣きそうなんだけど。
「あら? 泣いてます?」
「いや。なんでもありません」
「敬語じゃなくてもいいのですよ?」
「わかりました」
「おかしな人、ふふっ。じゃあそろそろ行きましょうか!」
カレンさんは手招きをした。
僕は涙を拭いて付いていった。
衛兵が何やら悪く笑っていたので膝を蹴った。
いつか射抜かれた矢が痛いなどとほざいた。
ざまあみろ。
カレンさんが服屋の前で止まった。
レジー服屋。
ガラスドアを開ければチロンチロンと鈴が鳴る。
艶ある茶色の木が高級感を奏でる内装に、上品な服が並んでいた。
「ルクステラ大陸はロアマト教が強くて、こういうお店は他じゃなかなか出せないの。けどポルトイならウオリアとの国交もあったりするから出せるんだ」
「へー」よくわからない。
「あっ。実はこのお店、私が出資してるんだ。えへん!」
「いえ~カレンさんには頭が上がりません」レジー店長。
「苦しゅうない! なんちゃって! あっ、このサーコート良くない?!」
とカレンお姉様が僕に服をあてて色々していた。
まぁ別にいいんだ。サーコートとかよくわからないし。カレンさんが楽しそうだし。
「それにポルトイって色んな人が通るから情報が広まりやすいの。ここがうまく行ったら次はウオリア、その後はストラーダね。全世界に展開していきたいの」
「へーそうなんだ」
「あんまり興味ない?」
「そういうわけじゃなくて、その、スケールが大きくて……」
「そうね。全世界に展開してる洋服屋さんなんて無いからね。文化的なハードルとか色々あって。そういえば、シユウさんの出身地ではどんな服を着られるのですか?」
「え?」
「というかシユウさんってどこ出身なのかな?」
「どうせ言ってもわからないですよ」
「どこどこ~?」
「日本」
「ニホン?」
「あるいはジャパン」
「アルイハジャパン? 知りませんね? もしかして私を揶揄ってますか?」
「あー実はあんまりよくわからなくて」
「はぐらかして。もしかしてレイロンドだったりします? 隠さなくてもいいのですよ?」
カレンさんが距離を詰めて、だんだんと顔を近づけてくる。
そんなに気になるのだろうか。
困った。あんまりここの地理わからないし。
「私、結構色々なところへ行ったことがありますの。だから文化には理解がありますわ。だから遠慮しなくても」
「カレン様、シユウ様の靴はどうなされますか?」レジーが冊子を持ってきた。
「あっ、靴はね~」
なんとかなった。
カレンさんって結構頑固なところがあるな。
あんまり素性は話さない方がよさそうだ。
その後は適当に服を仕立てた。
正直、もう結構諦めていたからどうでもよかった。
カレンさんにとってはどう足掻いても僕は弟だし、僕には彼女に釣り合う何かが無い。
明日の晩餐会だって料理を楽しもう。
そう店を出ようとしたときだった。
店長のレジーがカレンさんを少し引き留めた。
「そういえば明日の晩餐会、リマニアの皇太子が来るようじゃないですか。明日のドレス試着しておきますか?」
「いいですよ。今日はもう遅くなりましたし」
「そうですか。そろそろご婚約らしいですね。いやぁ、めでたい。相手はあのリマニア――」
「ふふ。そうですね」
「失礼。少し興奮してしまいました。あんなに小さかったカレン様がもうご婚約なのですから」
「あーもう。そういうのいいから。また明日ね」
「はい。お待ちしております」
掠れた鈴が鳴った。
婚約。婚約。
婚約? 婚約?
こんにゃく? こんにゃく?
負け確定。
夕日が胸を焼く。
弟とトドメさされたこの心を、火葬しようというのか。
最初から僕とカレンさんに縁が無かったのか。
「シユウさーん?」
だというのに僕はなんてアホな。
「シユウさーん??」
控えめに言って死にたい。
「シユウさーん?」
ああでもこれでやっと諦められるかも。
「シユウさん!!」
カレンさんが頬を膨らましぷんぷんしていた。
あざとい。
「さっきから無視して。もしかして私、何かあなたを不快にさせてしまいました?」
「全然そんなんじゃないですよ」
「ならどうして?」
「それは――」
カレンさんのことが好きだからと言えるわけがない。
かといって言い訳もない。
だから僕は黙るしかない。
そうすればやっぱりカレンさんは不満げだ。
「もう。べつにいいですけど少しだけムカつきます」
「ごめんなさい」
「そういうところも! あ~もう、こっちはただでさえ明日の晩餐会がつまらなくて仕方ないのに。シユウさんがそんなんじゃ、本当に退屈すぎてしまいます!」
明日の晩餐会がつまらない?
婚約者が来るのなら、しかも多分遠くから。やっと会えるってことかもしれないのに?
だったらなぜつまらない?
変だ。
「シユウさーん?」
「あ、ごめんなさい」
「もう。そんなに私とのデート、つまらなかった?」
「滅茶苦茶楽しかったです」
「えっ、あ、そうなんだ」
カレンさんがニヤつく頬を恥ずかしげに隠した。
ポルトイの北街は人寂しく夕の赤に染まっていた。
そのせいかカレンさんの頬もそのように見えたのだろうか。
風が吹いた。
昨日まであった猪獣の討伐依頼のポスターがゴミになって散っていく。
けれどカレンさんは僕をちゃんと見つめていた。
僕もそうだった。
カレンさんはさりげなく溢した。
「実は私、婚約するみたいなの。そろそろそういう年だって、お父様が縁談を進めちゃって。ほんとは嫌なんだけど、でもお父様も結構お爺さんだから、あんまり無理させられないから……」
「結婚するのと領主の仕事って関係あるんですか?」
「ふふっ、何も知らないのね。確かに他にも方法はあるかもしれないけど、ちょっと荷が重いかも」
「あ、あの」
「なに?」
僕は意を決して聞いてみた。
もじもじとしているところが可愛らしいとカレンさんはニヤニヤしていた。
「それでリマニアの皇太子のことって好きなんですか?」
「え?」
「だってお父様が勝手に決めたって」
「あ~そうだっけ。うん。結婚ってそういうものだと思うけど? 違うの?」
カレンさんは妖しげに僕を見下ろした。
その瞳はキラキラしていた。それが涙なのか、艶やかなものなのか僕にはわからない。
ただただ、彼女は美しかった。
僕の気持ちなどそれだけで十分だった。
「違くは無いと思うけど。僕は僕の好きな人と一緒に居たい」
「そこまで言うってことは誰かいるのかな? なんか変なの。私、お嬢様だよ? そういうのじゃ、ないから……」
いいや、きっとそれは涙だったのだろう。
そろそろ沈む夕、夜の青が彼女を寂しく映した。
僕はこの国の人じゃない。平凡な高校生だ。
だから何もかもわからない。
けどどうしても彼女が好きだという気持ちだけは確かだった。
黄昏の不思議な雰囲気が僕を少しだけ大人にした。
きっとどこかの皇太子には見えない、彼女の顔を見上げた。
「僕はカレンさんのことが好きです」
きっと僕は生まれてから一番真剣な顔をしていただろう。
じーっとカレンさんから目を離さなかった。
カレンさんから目を逸らして、下手な鼻歌を歌って誤魔化した。
「あーもう。衛兵だっているのに! そういうところ~」
ほんとだ。衛兵がいる。
面白いものを見たって目を張って笑い堪えている。
なんか一気に恥ずかしくなってきた。
「あーもう! だ、だったら、今日は楽しかったってことだよね! じゃあ、いいや! うん!」
イエスなのかノーなのか。
こういうときはだいたいノーな気がする。
けどまぁ後悔はなかった。
この日のポルトイの町は凄く煌めいていて、そこを歩くカレンさんは何よりも綺麗だった。
そののち、僕はカレンさんと別れて宿へ戻った。
カレンさんは軽く手を振って見送ってくれた。
「ああ、なんかもう死んでもいいかも……」
「そりゃあ困るぜ。シユウ」
「ん?」
夕食を終え、風呂上がりに気持ち良くなっていたところ、ベランが割り込んできた。
「なんだよ」
「まさか公衆の面前でお嬢様に告白するとは思わなかった。皆見てたぜ、文句言ってたやつでさえお前を褒めてたぞ」
「な、なんだよ」照れ。
「まぁそれはそれ。これはこれ。って言ってもオイラの用じゃないけど」
「明日は晩餐会なんだ。もう寝たい」
時刻は夜十時。
浮かれている僕とは異なり、ベランは殺伐としていた。
「親方がシユウを呼んでる。待ち合わせはこの前の蛸パスタ屋だ。来なかったらこっちから行って殴るってやるとかほざいてたな」
「なんか物騒」
「行くか行かないかはシユウ次第だ」
「でも行かなかったら困るのはベランだ」
「なんだよ? 俺のことも好きってか?」
「違うに決まってるだろ」
「止めとけ。あんなのと関わるのは。オイラはオイラでどうにかするさ――っておい」
僕は部屋を飛び出した。
このときの僕は勇敢だった。カレンさんとのデートで男前になっていたらしい。
待ち合わせの蛸パスタ屋にすぐ行った。
外に親方がいた。
「よぅ、シユウさん。こんな遅くにすまないな」
「用ってなんですか」
「そんなに急がなくてもいいじゃねえか。奢るぞ」
「蛸パスタ?」
「そうだけど」
「遠慮します。お腹いっぱいで」
遅れてギギとミューもやってきた。
彼らも食欲が無いらしい。というかギギとミューは体調が悪そうだった。
親方はむしろギンギンだった。
僕たちは路地裏の暗い所に入った。
親方はそこにいた浮浪者を蹴って追い払った。
煙草を吹かし、話し始めた。
その顔は酷く歪んでいた。
「シユウさんさ、せっかく猪獣を倒したってのに10万ゴールドぽっきりじゃ足りねえよな? あれは大物さ、倍貰ってもよかったはずだ」
「べつに足りてますよ」
「なぁ、そこで少し良い話があるんだ。実はな、明日、ここポルトイに貴族が集まるんだ。晩餐会をするんだってな。民には不味い飯を食わせておいて自分たちは豪勢なもんだ」
「それがどうしたんです」
「聞いた話だと、シユウさんさ、領主の娘さんと知り合いみてえじゃねえか。それで晩餐会にも出席するんだってな。流石、シユウさんだ。それでさ、城の二階の大窓、どこの部屋でもいいからさ、開けておいてくれねえか? そしたら10万ゴールドやるよ」
僕はその場でこの男をぶん殴ってやろうと思った。
この悪意の塊を。
カレンさんの愛情を悪用するだなんて最低だし、できない。
「断る」
「それはなぜ? もしかしてあの娘が好きになっちまったのか。あれは別嬪だからな。でもよく考えろ。そんなの無意味だ。少し考えればわかる。アイツらは下民なんか見ちゃいねえ。恋にしたってビジネスにしたって」
「うるさい」
「怒ったか? ならすまなかった。いいぜ、俺は心が広い。シユウさんの気持ちを優先するぜ。でもちょっとだ。気まぐれにどこかの部屋の大窓を開けてさえくれれば、10ゴールドが手に入るからな。ははは! こんな簡単なことねえよどなぁ!」
親方は大きな図体を裏路地の隙間に挟まらないように、肩を揺らして去っていった。ギギもミューも親方と同じく卑しい皴を寄せていた。
あれはまさにクズだ。
人間の終わりだ。
僕は絶対にああはならない。
金に釣られて何でもやるような外道にはならない。
僕は正義の怒りを握りしめ、宿へ戻った。
ベランはすでに眠っていた。




