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3.とある異世界の物語(お嬢様編・前)

 樽の中に潜み、腐った林檎に腹を痛めて数日経った朝方。

 鏡のように眩しい海の端に石の城が見えた。それと古風な港が。

 ふと耳を澄ませば、船員が話している。


 「ふぅ~やっと着いたな。お前ら、ポルトイは検閲があるからちゃんと宝箱を隠せよ。税金は少ねえが、神へのお布施を沢山取られるからな!」


 船が港に着くと、船内がどたばたし始めた。

 その隙に僕はスネークの如く潜み、港に転げ落ちた。


 ここはポルトイと言うらしい。

 歩く人の姿がポスとは違って地味だ。着る服にほとんど柄がない。

 その代わり教会で見たのと同じ、ローブ姿の人を多く見かける。列を為して歩いて、町民に何か説いている。

 あの姿は胃に来る。そもそも今まで樽に籠っていたせいで気持ち悪いのに、司祭を思い出して反吐が出そうだ。


 潮風が吹いた。

 風はぽっかりと開いた心を通り抜ける。

 僕は酷く孤独だった。


 「これからどうしよう」


 一文無し。

 手元にあるのは得体の知れない剣だけ。

 気持ちも悪いが、お腹も空いた。

 それに休みたい。ちゃんとしたところで寝たい。

 だけどお金がない。

 

 それだけじゃない。

 僕はポスから逃げて来た。指名手配されるかもしれない。

 ここでゆっくりしていたらすぐ捕まるかもしれない。

 早くどこかに逃げないと。


――でもずっと、そうやって生きるの?

 ずっと誰かから追われて、怯えながら生きる?

 

 そんな永遠を想起して鬱になった。

 

 「ああ、どうしてこんな目に……」


 ふと弱音を零した。

 地面の割れた煉瓦にぽつりと透明な涙が落ちた。

 喉も枯れて、出たはずの涙がそこに落ちていなかった。

 

……そう暗がっていたせいで、自分より大きな日陰に気づかなかった。

 

 「いだっ!」


 僕は誰かぶつかってこけた。

 酷い日差しで姿が見えない。何か黒いものが僕へ手を伸ばしてた。


 「あら、大丈夫?」


 やや大人びた、けれども若い女性の声だった。

 僕はその伸びた手に、触れれば、これほどになめらかな肌があるのかと驚いて、そればかりに掴む手が滑ってまたこけそうになった。

 でも放したくないと強く思って、引っ張られた。


 丸く大きな帽子、膨れ上がったスカート、ドレス。貴族だった。

 宝石のように透き通った瞳、嘘のない白い肌、綺麗にまとまった髪。大人の女性だった。

 

 「あまりぼーっとしていると怖い人に集られますから気を付けてくださいね。えっと、それでそろそろその手を離してくださらない?」

 「あ、ご、ごめんなさい!」


 彼女は丁寧にお辞儀すると石の城のある方へ去っていった。

 その足音がだんだんと小さくなるというのに、僕の胸の鼓動はまるで止まなかった。

 一目惚れと言うものだ。間違いない。

 手に残る、彼女の肌の感触。

 もぎもぎと手の内にそれを見つめ、思い出し、味わった。

 

――そうしようと見下げた掌は、黒ずんでいた。酷く汚れていた。


 その黒を顔に塗ったのか、自分の境遇のほうを思い出して、却って憂鬱になった。

 美女に恋しようと、僕はどうしようもないのだと。

 決してあの人には届かないのだと。


 これほどに。

 彼女の足音が聞こえなくなるものなのか。


 そんな胸の内を抱いていたところで仕方ない。

 とりあえずポルトイを歩き回ることにした。


 先ほどの通り、教会に似た景色が広がっていた。

 ポスと比べれば色がない。

 売っているものもパンと魚ぐらいで、どこかの果物など、特産物がない。

 また活気もだ。

 教会に灯る火の音が聞こえるほどに街は静かだった。

 けれども暗い所は似ていた。そこにいる格好もしていることも。

 違いと言えば、それを見る目だった。

 ローブを着た女性二人が、見下していた。


 「ネプトーヌから来たのでしょう。みっともないですね」

 「あの様子じゃ神殿からも追われたのでしょう。あんな輩に理を守るなどできるわけがありませんね」


 それから北側へ歩くと少しだけ町が華やかになった。

 ローブの姿が減って、見たことのある姿が増えた。

 活気こそほとんど無く、仕事仕事と台車を漕いだり、馬を歩かせる人ばかりだった。

 

 そこから少し歩くと広場に着いた。広場には時計があった。

 ちょうど正午。なんかデジャブ。

 広場には板があって、紙がいくらか張ってある。これも同じだ。


 『夜盗相次ぐ。戸締りを怠らず!』

 『レジーの服屋オープン! サーコート、ドレス、宝飾品まで!』

 『猪獣討伐求む! 報酬は10000ゴールド、ポルトイの屋敷へ亡骸を持ってきた者に!』


 一万ゴールド。パン一つが五ゴールド、宿が十ゴールド。

 もしもそれだけあれば!――どうとでもなる!!

 

 「だなんて、アホになれるか。猪獣ってなんだよ。それに僕に倒せるわけないし」


 けれどお金が無い……。

 どう足掻いても死ぬのならここで賭けたほうがいい。

 でも無謀過ぎるよ。


 深刻な顔をして板を眺めていると、のしのしと何かが近づいてきた。

 にやにやと胡散臭い。汚い歯を見せる、痩せこけた、僕より数センチ小さい、同じ年くらいの少年がそこにいた。


 「お困りですかね? お兄さん? 見たところ、1ゴールドも持ってないようですが?」


 少年はひもじい心を脅かそうとした。

 そこに僕は嫌気がさした。やや司祭と同じものを感じた。

 いいや、明らかに少年は僕の剣を、宝剣を見ていた。舐め回すように。

 だから無視した。


 ぎゅ~……。


――そのとき、お腹が鳴らなければ。


 「オラはベラン。お兄さん。ずっと何も食べてないでしょ? オラは親切ですからねぇ、ご飯奢りますよ。そこでお話ししましょうや」

 「は、はい……」


 僕は涎が零れないようにするだけで精一杯だった。

 ベランと名乗る少年についていく。


 ポルトイ北側の大通りにある上品な店に入っていく。

 

 「いい香りがする。もうお腹ぺこぺこだ」

 「そっちじゃない。こっちこっち!」


 ではなくその店の隣にあるボロい店に入った。

 はぁ……。なんか残念。


 「すまんな。オラも金はそんなに無いからなぁ?」

 「いや、そんなんじゃ」


 ここに来てから一週間以上経って、ふとここがどこなのかと意識することは無くなってきた。

 日本に帰りたい気持ちが無いと言えば嘘になるが、半ば叶わなそうな願う辛抱などなかった。

 だけど今、ここに来てそのことを後悔した。

 なぜかというと、かびた机の上に置かれたその料理が、


――蛸の眼球パスタだったからだ。

 名前の通り、蛸の目玉がぁぽつぽつと~~おえっ。


 「ポルトイ名物の眼球パスタだぞ? どうした? 腹減ってないのか?」

 「これが名物?」

 「そうさ。古く、ここはロアマトの聖地と言われててな、ロアマトの神眼を思ったのか、蛸の目玉を食うようになったのさ」

 「ええ……」

 「やっぱりロアマト信者じゃないなお兄さん、、そうだ、ところで名前は?」

 「柊人」

 「スウント?」

 「……シユウ」

 「あーなるほどね? じゃあそろそろお話ししようや」


 食えるものは食っておく。

 蛸の目玉を除けてパスタを巻く。

 口に入れれば、案外、美味しい。

 と、味覚が脳へ叩きつけてくるが、これも空腹なだけなのだろう。

 思い出したとき吐きそう。

 蛸の目玉がきゅるきゅるしてる。まるでラブコメのヒロインのみたいに。


 ベランはくるくるとパスタを巻くと、その先に目玉を突き刺し飲み込んだ。


 「シユウさん、組まないか? 物凄く強そうだし~一緒に猪獣を倒そうぜ?」

 「僕が強いわけないでしょ。そういうのいいから」

 「怒らせたなら謝る。ちょっとリップサービスが過ぎたな。でも組みたいのはほんとだ。オイラも一人ぼっちでな、心細いのよ」

 「なんで僕?」

 「いやぁ、強さって大事だけど相性ってもっと大事じゃん? 気の合うやつじゃないとやってらんねえのよ~シユウさんは優しそうだし、うまくやっていけそうだからさ」


 怪しい。絶対に乗らない方がいいやつだ。

 だけど一人で猪獣に挑むよりは勝算がある。

――ってなんで挑むことになってる?

 けどこれも無駄か。

 

 ベランの眼光が鋭くなった。


 「ケチってわけじゃねえ。少なくともロアマト信者よりは親切さ。だけど食い逃げされると気分が良くねえよな」

 「わかった。でも僕はそんな、何も……」

 「勘違いなのかねえ?」


 その眼光は僕の宝剣にぶつかると反射したようだ。

 少し視座が下がった。


 「そんな剣を持っているってことは強者のはずだろ。だってそういった代物は一国の騎士ぐらいしか持ってないんだぜ? 期待させてくれよ。なぁ~」


 ベランが思うほど僕は強くない。

 もしも強かったら堂々とベランの勧誘を断れる。

 僕はそんな勇気など到底ない。

 フォークに皿に残っていた蛸の眼球を刺して食べた。


 「が、頑張るよ!」

 「おうおう!」


 蛸の目玉はなんかぷつぷつして苦かった。

 もうこんなもの一生食べたくない。


 街から門の方へ。

 僕はベランについていく。

 ベランは大袈裟に話し始めた。


 「シユウさん、ウオリアから来たんだろ? なら猪獣のことは知らねえよな。説明してやるよ」

 「うん」

 「事の発端は一か月前、ポルトイの領主が狩りをしていたときだったよ。森で見たことのない赤色の岩石を見つけたんだ。領主はそれが宝石か何かだと思ったんだろうさ。鑑定しようとした。けど違う、それは熊を食っていたんだ。ああ、それが猪だったんだ。とんでもなく大きな猪。しかも獰猛! 領主に気づくと突っ込んできて、領主は――」

 「死んだ?」

 「大怪我しただけ。でも領主はカンカンに怒ってな、騎士に猪獣を殺せって命令したさ。でもな、返り討ち。それで手を焼いてな、こうやって討伐依頼まで出してるってわけ。みっともねえよなぁ~」

 「その割にはニコニコしてるけど」

 「まぁそのおかげで一万ゴールド、チャンスがやってきたからな」

 「でも騎士?でも倒せないのに倒せるの?」

 「それはだな~~」


 にやりにやり。


 「任せとけ! 作戦がある。えっと、猪獣がいるのはトレー森だったな。案内するぜ!」


 僕はよくわからなかった。

 ベランがガチのアホでない限り、何を考えているのか。

 そしてそうであることを祈った。

 僕の直感はむしろ、ベランが生粋の詐欺師だと促していた。

 そう、司祭と同じだと。

 そんなのはもう懲り懲りだ。


 その森は茂っていた。

 足を擦る草が刃物じみていた。

 踏み入るごとに異様な臭いがした。

 恐らくこれが獣臭なのだろう。

 

 「やけに臭うな。まぁいいや。ほら、もうすぐだ。こっちこっち」


 ベランはたじろぐ僕の背を押していく。

 僕は嫌な予感がしながらも抗えなかった。

 森の道なき道へ。深い所へ忍び込んでいった。


 そこには大柄の男、小柄の男、細身の男の三人が、どれも汚らしい風貌の男三人が居た。

 山賊か何かなんじゃないかと僕が怖がっていると、むしろベランはあれを呼んだ。


 「連れてきましたよ。この子が例の子だ!」

 「ほぅ?」


 三人の鋭い目つきが僕に刺さった。大柄の男は舌なめずりして僕の体を隅々眺めていた。

 嫌な予感がして止まない。僕を支えていたはずのベランの手が今は僕を逃がすまい鷲の爪のようだ。

 僕はそれでもベランを信じる。少ない光明にしか助かる道が無かった。僕は祈るように聞いたのだ。


 「ベラン、これって一体、どういうこと? なんなの、この人たちは?」

 「なんなのって? ところでさ、君、宝け――」


 ベランの顔に深い森の影が生えたときだった。

 笹の擦れたような音が辺りを駆け巡った。それと同時に異様な臭いが強くなってきた。

 何かが近くに忍んでいる。だというのに他二人の注意は僕に向いたままで、しかし大柄の男は違った。しまっていた斧を握った。


 「なぁ、ギギ。この辺って猛獣が居たりしねえよな?」

 「猛獣? そういえば最近、でかい猪が暴れ回っているって話がありますぜ」小柄。

 「そういえばこの辺でよく目撃されているようですけど、どうかしたんですか親方?」痩せ型。

 「ミュー、どうかしただと?」


 大柄の男、親方の顔には徐に怒りが立ち込めていた。

 ベランは今の話で何か気付き、気を取られたのか、


 「だからもっと安全なところでやろうって言ったのに」


 そう愚痴を零せば、僕を掴む手が弱まった。

 逃げるなら今しかない。

 その隙に、僕はベランを振り払った!


――しかしすでに遅かった。それがやってくるのだ。


 「カッカッカッカ――フゴッ!!」

 「親方、落ち着いて下せえ!」ギギが宥める。

 「ちげえ! お前ら来るぞ!!」


 それは三人の男を狙っていた。

 森の端から黒い塊が突進してきた。ダンプカーの如く重量感、それより遥かに速いスピードで目の前を駆け抜けていった。

 森からやってきて森に突っ込む。それの走った跡がはっきりとわかる。突進したところ、全ての木がなぎ倒され、地面の芝が剥げていた。

 なんとかそれを躱した三人が顔を上げた。


 「親方、今のって?」ミューがオドオドと。

 「間違いねえ。出たんだ。猪獣が」汗ダラダラ。

 「親方~なんの冗談ですか? そんなの居るわけないじゃん~」

 「だったらあれはなんだってんだ!!」


 舞う砂煙から体高三メートルの黒いものが、三人へ近づいていく。


 「カッカッカ」


 そう鳴くばかりに森の葉は揺れ、地が震える。


――全身真っ黒。

 血管が稲妻の如く張った眼球。

 天を突きさす二つの牙。

 小さな尖った耳と鼻は少し可愛い。

 が、全体で見れば体長五メートル、あの鼻にしても僕の体より大きい。

 だからあんまり可愛くない。


 ベランは先ほどの文句よりも小さな言葉を零した。


 「あれが猪獣? あんなの勝てるわけねえよ……」


 ベランの震える足が、地面から伝わってくる。

 それも猪獣の鈍重な一歩一歩の振動で掻き消されていく。

 猪獣は三匹の獲物から目を離さず、カッカと威嚇しながら近づいていく。


 「親方、どうしよう。遺書を書くにしても紙がねえっす」ギギはペンだけを持っていた。

 「だったら買いに行けばいいだろ?」

 「わかりました。じゃあ買い出し行ってきます~へへ?」ミューは後ずさりしていく。

 「待て。今回は俺も優しいからな。皆で行こう!! 町まで!!」

 「うわああああああああああああああああ!!!」


 三人は背を向け逃げ出した。

 それが発車の合図だった。

 猪獣は足を蹴って突進すると、瞬く間に三人を吹き飛ばした。

 飛んできた細身が木に刺さった。


 「逃げるなら今のうちだよな?」ベランは一目散に逃げようとした。

 「こうなったらやってやる! おい、てめえら、逃げんじゃねえぜ! 逃げたやつから殺す!」


 親方は頭から血を流し、足を引きずり、満身創痍だというのに斧一つで猪獣の前に立った。

 猪獣はその昂った血の香りを気に入ったらしい。涎を零し、頭を向けた。

 すなわち死の宣告。

 猪獣は足を蹴って、突進の準備。蹴った砂だけで竜巻が起こるほどだ。

 三メートルの頑丈な壁が瞬きする間もなく突っ込んでくる。物理的にも恐ろしいのに、猪獣の強い殺意が合わせれば、もう正常でいられない。


 「うわぁ……うわぁあああああああああ!!!」


 親方自慢の癇癪でさえ、現実の塊の前では正常に錯乱するのだった。

 僕は正直、その汚い背中から猪獣に轢かれ死んでしまえばいいと願っていた。それは親方が悪人にしか見えなかったからだ。年齢にして三十か、四十、だのにあの、風貌、言動。心底、失望していた。

 初対面の人に殺意を向けるのは、まるで猪獣のようでもある。でもあの男は悪人だ。死んでしまえ。


 だから僕はあれが切り裂かれるのを待った。待ってからここから逃げようとした。

 しかしなんと、親方はこっちに逃げてきていた。分厚い顔の肌を剥がして、泣き喚きながら。

 そう、親方の後ろを猪獣が突進していた。その延長線上に僕とベランがいた。このままじゃ、僕まであれに轢き裂かれてしまう。

 そう気づいて僕にも恐怖が芽生えてきた。猪獣の走る振動が強く伝わるたびに錯乱が波立ててきた。恐怖が僕を飲みこもうとしていた。

 今すぐに。


 「うあああああああああああああああああああああああああ!!!」

 「死んでたまるか! 俺は逃げるからな!」


 ベランは冷静に林へ飛び込んだ。

 でも僕はすでにそういう判断が出来なかった。

 親方の顔の皴がよくわかるまで、その後ろの黒い獣がもはやなんなのかわからなくなるほど近づいてきているというのに。

 一方で僕は恐怖のその内に、自然と体が動いていた。無意識に宝剣を抜いて構えていた。

 

 「なんで? 体が勝手に? うわあ、ああああああああ!!」


 もう何が何だかわからなかった。混乱の末に体が勝手に動いた?

 戦えない。

 死ぬに決まっている。


 猪獣の大きな影が僕を飲み込む。

――宝剣はさらに強く輝いていた。


 僕は混乱したまま。

 目の前にまで来ていた、

 

 「うああああああああああああ! 助けてくれえええええ!」


 親方を蹴り除け、猪獣の真正面。


 「くそがああああああああああああああああああああああああああ!!!」


 宝剣を両手で握りしめると勢いよくそれをその豚鼻に突き刺した。


 「ブギュアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」


 猪獣の悲鳴。

 咲き乱れる血飛沫。

 さらに強く輝くエメラルドグリーン。

 猪獣は藻掻きながらも僕を突き飛ばそうと、その足を緩めなかった。

 僕は決して突き刺す剣を抜かせまいと強く握った。というか手を離したら地面に叩きつけられてしまうから離せなかった。


 「ああああああああああああああああああ!!!」


 猪獣の頭に跨りながら森を抜ける。

 振り払われないように剣を掴んで猪獣に掴まる。

 背中にぶつかる針のような激風。

 ぶつかって割れた木の破片が全身に刺ささる。

 

 痛い。

 痛い。


 ここに来てからいつもそうだ。

 僕が何をしたって言うんだ。


 この世の理不尽。

 叩きつけられる死という罪。

 もはや心が折れて死にたかった。けど死にたくない。

 このどうしようもない空虚から沸き立ってくる怒り。この世への怒り。

 つまり八つ当たりだった。


 この猪獣が全部悪い。

――死ね。


 猪獣に掴まりながら僕はそう呪った。

 念じていた。

 すると、


 「……」


 猪獣が急に止まった。

 僕はその慣性でついに叩き落された。


 「痛っ……」


 体を強く地面にぶつけたから痛くて動けない。

 猪獣が目の前に居るというのに。

 今、猪獣が突進して来れば軽く殺されてしまうのに。

 人間の体は危機感の精神とは別に物理的で、絶対として逃げることを許さなかった。

 

 運命にしても同じだっただろうか。

 猪獣がゆらりとこちらへ向いた。その頭に刺さっていた宝剣がぽろりと落ちた。

 しかし不思議だ。猪獣の殺気が消えた。石の如く静かになった。

 けれど安心できない。どうしても猪獣は僕を殺したくて仕方ないはずだ。

 

 「カカカカ……」

 「来るな」

 「カカカカ……」

 「来るなよ?」


 猪獣に人の言葉が分かるはずがない。

 だのに命乞いをした。

 もちろん無意味だ。


 「カカッ!!」


 猪獣は僕へ突っ込んできた。

 もうダメだ。体中が痛くて避けられない。

 ただ目を見張って死を直視するしかないのだ。

 

――猪獣は僕の横擦れ擦れを通り過ぎていった。


 直視したはずが目を疑った。

 ドゴン!と強い音、振動と石の破片が背中にぶつかった。

 振り返ってみれば猪獣がなんと、崖に頭を、自ら頭をぶつけていた。

 何度も何度も。

 崖には猪獣の真っ赤な血が滴り付いていた。

 

 「こいつは一体何をしているんだ?」

 

 そう驚いているうちに、猪獣が倒れた。息を無くした。死んだのだ。

 いいや、もっと適切に言えば猪獣は自殺したのだ。


 どうして?

 これで安全だ。

 どちらでもない。ただ僕は呆然としていた。

 今まで起こったことがもう終わったのか。

 森の空を眺め、野鳥の鳴き声を聞いて、風の音を聞いて、それにあたって、自分が生きていることを確かめた。

 その後にやっと、猪獣の死体を眺め、終わったのだと知った。


 気づけば体が少し動く。回復していた。


 「もうこんなところ逃げよう」


 宝剣をしまって歩き出そうとしたとき、林からベランと親方が出てきた。目を丸くしたと思ったら、歓喜した。

 

 「お前、すげえな。おい! マジか、やったのかよ? あれを? はえ!? すげえーなおい、これいくらだっけ? 懸賞金だろ? うわー」

 「流石。シユウさん。信じてましたよぉ~。やっぱりオイラの目は確かだった! さぁさぁ、こいつを運びましょう!」

 「こんなの運べるわけねえだろ? 衛兵を呼んで来ねえと。おい! ギギ、ミュー! 居るだろ! 衛兵呼んで来い!」

 「ついに自首するんですか?」

 「違うわ! この、シユウさんが猪獣を倒したんだ。それを報告してこい!」

 「ええ? ええええ~!!?」


 ギギとミューが町へ走っていった。

 

 二人が戻って来るまで、親方が嘘みたいに僕に親切にして、泣きながら色々と自分たちの過去を話してきたが、どう考えても作り話だからどうでもよかった。

 僕はそれよりも何故猪獣が死んだのかばかり考えていた。というかもはや察していた。つまり宝剣を怪しんでいた。


 エメラルドグリーン、先の尖った形状。司祭の件からも値打ちが付くのは確か。

 でもただの飾り物ではない。この剣には能力がある。

 司祭を刺したとき、司祭がアイアンマンみたいになった。あのとき司祭に助けてくれと叫んだんだ。

 さっき猪獣を刺したとき、猪獣は自殺した。そのときだって猪獣に死ねと恨んだ。

 もしかしてこの剣には刺した相手を従わせる能力があるのかもしれない。


 なんだよそれ。魔法かよ。

 と僕は自分を冷笑した。

 そんなことがあるわけない。

 けど、この剣にまつわる今までの摩訶不思議の方が可笑しかった。


 しばらくしてギギとミューが衛兵数人を連れてやってきた。

 衛兵は酷く驚いていた。

 本当に猪獣が死んでいること。

 しかもそれを十五歳の子供がやったこと。

 自分でも信じられない。


 その後は猪獣の死体を町まで運び、僕とベランは衛兵に呼ばれ町の外れにある領主の城へ行った。

 そこで領主から報酬の1万ゴールドを貰った。


 「これがお礼だ。この度はよく働いてくれた」

 「わーい、一万ゴールドだああああああああ!!」跳ねるベラン。


 これでしばらくは食べ物と住む場所には困らない、とやっと安心した。

 ベランがまるで自分のもののように金貨の袋を振り回すのは気になるが。

 謁見室の扉が静かに鳴った。


 「あらお取込み中でした? あら、あなたは?」


 町でぶつかった貴族の美女が入ってきた。

 白いワンピースが緩く揺れていた。外での大人らしさとは真逆の、子供らしい恰好、彼女の柔らかい笑みが僕の心に突き刺さる。

 

 「なんだカレン。シユウ君を知っているのか? 彼があの化け物を狩ってきてくれたのだ。いやはや、若いのに頼もしい」

 「そうだったのですね」


 カレン。いい響きだ。

 彼女は僕が英雄だと知ると嬉しそうに手を合わせまた喜んでくれた。

 これがまた可愛く。完全に僕は見惚れていた。

 からベランが突いてきてるが気づかない。気づかない。


 「そうだ! お父様、明後日の晩餐会にシユウさんを呼びましょう。きっと楽しくなりますわ!」

 「カレン……それ、正しい」

 「あのえっと?」

 「どうかねシユウ君、良かったら晩餐会に来てみないか。心配はいらない。服はこちらで準備しよう」

 「服なら私に任せてください!」


 カレンさんがウキウキとこっちにやってきて僕の手を握りしめた。

 彼女の方がやや身長が高く、見下ろされる形で、ものすごくお姉さんだった。甘えたくなった。

 特に彼女のワンピースから浮き出ている胸が、ちょうど僕の顎の下に位置する大きな胸が気になった。

 しかし見てしまえば、この距離、スケベとバレる。

 だから美しい顔ばかり見ていた。が、ずっと見ているともうずっと見惚れてしまいそうだった。


 「どうかしました? シユウさん」

 「いや、なにも」

 「じゃあ今から服を仕立てに!」

 「残念ながらもう今日は遅い。店ももうすぐ閉まるだろう」領主が夕日を眺める。

 「あら。残念。なら明日ですね!」


 ということで僕は晩餐会に招待され、明日、カレンさんとデートすることになった。

 ベランが卑しく僕を睨んでくるが、そんなものは知らない。

 町で一番高い宿へ泊って、明日は楽しむぞ!!

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