芦ノ湖
狭い国道をゆっくりと進んでいく。
町と違って人工物が少ないせいか、エキドナ様の動きも軽い。日本の山は比較的けわしいのだけど、かなりの急勾配を全くものともしていない。
「どうしたのじゃ?」
「いや、単純に機動力と走破性に驚いてるんですが」
思えば、こんなに長くエキドナ様が動き回るのは初めて見るからなぁ。
「確かに、成熟個体になってからは子を産む事に力を注いでおるからの、こんなに動き回るのは本当に久しぶりじゃが……。
わらわは元来、こうして動き回るのは嫌いではないぞ」
「そうみたいっすね」
蛇というのは手足がないから機動性が低いと思われがちだが、そうではない。
手足がないのでなく、必要ないんだと思う。
昔、自動車に関するテレビ番組で、立派な自動車を支えているタイヤの接地面積は、実はハガキ程度の広さでしかないと聞いた事がある。
それはすごい事なんだけど、実はこんな話もあったり。
ホッキョクグマの足の裏は冷たく滑る氷の上でも動きやすい構造になっているそうだけど、彼らの足の裏の実際の接地面積は実は大したことないそうだ。理由は簡単で、氷雪に接する面積が広ければ広いほど、体の熱を奪われてしまうからだ。
これらの事を頭にとめたうえで、蛇という生き物を考えてほしい。
そう。
蛇という動物は、四足獣では事実上不可能なレベルで常時地面に張り付き、さらに、これまた比較にならないほど広い面積で地面と接しているわけだ。
ということは?
そう。
彼らは爪も、スパイクになった肉球も何もないのに、下草などで滑る山の斜面も登れてしまうわけだ。
「まもなく尾根のようじゃな」
「ですね」
乙女街道ことR138のトンネルを使うわけにはいかないので、少し南よりの斜面から乗り越える。尾根の縦走道はごめんなさいするとして、その向こうにあるのは県道が一本くらいで、あとはゴルフコースくらいしかないはずだ。
そのまま仙石原経由で芦ノ湖キャンプ村の方に出られれば、芦ノ湖までのルートとしては完璧だろう。
「ほほう?」
エキドナ様は楽しそうに尾根から顔を覗かせて……そして渋い顔をした。
「おるのう、おるのう、向こうの湖に……イヤじゃのう」
「……どんだけ龍が嫌いなんだよ」
いつもは自信満々なエキドナ様が、ここまで嫌がるなんて……珍しいな。
と、その時だった。
「ところでユウよ、このあたりの地下にはロップスでもおるのかえ?」
「ロップス?」
「ほれ見よ、あのように地形の一部だけが切り取ったように禿げ上がっておる」
ああ、そういうことね。
「ロップスが何者か知らないけど、あれはゴルフコースです。
是非はとりあえず脇に置いといて、人間が作ったもんなので気にしないでください」
よくもまぁ、こんな風光明媚な山の中に、あんなもんを作るよな。
いや、ゴルフというスポーツそのものを否定するわけじゃないけど、これだけは言いたい。
こんな狭い国で、たかがゲームのためだけに、こんな大規模に森林破壊する娯楽設備ってどうなのよと。
さすがにね。
こうやって山の上からハッキリと、切り開かれた大量のゴルフコース見ていると、色々と考えちまうよな。
どうせリソース使って自然破壊するなら、芦ノ湖で天然記念物のクニマス養殖して釣り堀でも作った方が、まだ色々と物議をかもして面白かったんじゃないかってね。
なにより、無事にクニマスが根付けば未来に残す事だってできるんだから。
さて。
「降りてゆくぞよ、念のため手近なものに捕まっておれ」
「はーい」
「了解」
その存在は、静かに湖面から首を出していた。
静かな湖面から出ている、巨大な龍の首。
それは確かに……昔話によく見聞きする龍の姿で。
そして。
途方もない歳月を経た存在である事を思わせた。
すげえ……なんて迫力だよ。
これが自ら王を名乗るほどの、歳月を経た龍ってやつか。
富士五湖の……。
いや、富士五湖が五湖になるより前にあった巨大湖『剗海』を支配していた龍。
剗王、といってたっけ。
まぁ俺的にはやっぱり、富士五湖の龍王様だけどな。
湖畔で停止したエキドナ様が、向こうの世界で何度か見た古いお辞儀みたいな礼をした……ある程度以上の礼儀の身についた女性がするものだ。
といってももちろん、エキドナ様がそんなお辞儀をするところなんて初めてみた。
「龍王どの、はじめてお目にかかります。
わらわはここではない世界で魔獣の母と呼ばれる存在、名をエキドナと申す者。
あの世界の危機にあたり、このユウを頼ってこの世界に避難所を探しておる身でございます」
うわ、堅苦しいなぁ……らしくねえ。
そう思っていると、龍王様がクックッと楽しげな声を出した。
「そう畏まらんでもよいぞ蛇の。
見ての通り、わしはただの草臥れた年寄りじゃ。
確かに、霊峰富士に対する人々の想いは今も健在じゃ。昔のように畏れる気持ちは弱まったが、それでも多くの民が富士に特別な想いを抱いておったでな。
じゃがそれは間接的なものにすぎぬ。
そなたは、今も多くの信仰を直接に集めておるのであろう?」
「光栄の至り……では龍王どの、お言葉に甘えて楽にさせてもらおうぞ」
「うむ」
お、いつもの雰囲気に戻った。
「それで龍王どの、状況であるが」
「うむ、今そなたより読み取ったぞ蛇の……なかなか苦労したようじゃな」
読み取った?
あ、エキドナ様の顔が渋くなった。
「ふん、これだから龍種は嫌いなのじゃ。遠慮もなく記憶を覗きよる」
ああ、そういうことか。
あれ、でもそれって?
「ふふ、他者の記憶を覗くは蛇種の得意技であろう?」
「……」
エキドナ様の顔がますます渋くなった。
ああ、でもそういうことか。
つまり。
全くの異種族のはずなのに、それでも容姿や性質が似ているからこその嫌悪なのか。
なるほどなぁ。
「ユウ」
「何も言ってませんよ?」
うわ、嗅ぎつけられた!
エキドナ様に睨まれた俺は、あわてて首をふった。
そしてなぜか。
そんな俺達を見た龍王様は、クックッと笑った。
「ぶしつけだったのは事実だ、謝ろう。
しかし今は状況が特殊なのでな、許してもらえると助かる」
「……まぁ仕方あるまいのう」
エキドナ様はためいきをついた。
「それで龍王どの、わらわの行動に問題があるじゃろうか?」
「いや、よいじゃろ」
龍王様はあっさりと許可してくれた。
「昔は伊豆の国にも龍がおったが、やつは最近、鳥島や小笠原の方に出向いておる事が多いのでな。
そのうち戻ってくるじゃろうが、わしが許可をしたと言えばよいじゃろう」
「感謝いたします」
「なに、かまわぬ。
ただし、生き残りの人間がわずかに野営している場所があるようじゃ。
彼らとどう接するかは好きにすればよいが、まぁ良識ある態度を忘れぬようにな」
「避難民たちに周知しておきましょう」
「すまぬが、よろしく頼む」
へえ、そんなもんなんだ。
日本の神様だし、もう少し人間の肩をもつのかと思ったよ。
そんなことを考えていると、龍王様が俺をじっと見た。
な、なんだ?
「そなたは少し勘違いをしておるな」
「え?」
「ユウといったな、わしは別に今いる人間だけの味方ではないぞ」
「そりゃそうかもですけど……エキドナ様たちは外来者なわけだし」
そういうと、龍王様はクツクツと笑った。
「では聞くがユウよ。
そなた、大地震や大火事で避難民が逃げてきて、その者をよそ者という理由で無条件に排斥するか?」
「あ」
そうか、そういうことか。
「いつなんどき、どこの民も、よそに助けを求める事になるやもしれぬ。
お互い様ということ、そうであろう?
まぁ、そのあとに対立問題などを引き起こすなら話は別だが……今おる避難民にしても土着の民ではなく、たまたま逃げてきた者なのでな、片方だけ特別扱いは不公平であろうよ」
「なるほど……すみません軽率でした」
「わかればよし」
ウムと龍王様は大きくうなずいた。
ロップス:
プレーリードッグに似た魔獣の一種で、モグラ以上の掘削力で巨大な巣穴を作る。
雑食性なので注意が必要。




