氷の姫は昼食会で情報収集を企てる
王立学園の午前の講義の終わりを告げる時計塔の鐘が、教室中に響き渡った瞬間。
ルナティア・フォン・エーデルシュタインの脳内では、王国規模の祝賀パレードが盛大に幕を開けていた。
(……お昼のお誘いィィィ……!!)
(しかも、昨日の『氷華結界』のことでお話ししたいですって!? ついに白昼堂々の密会デートですわァァァ!! 今すぐ王都中の大教会に鐘を鳴らさせなさい! 今日を国民の祝日に指定して、全市民に林檎の焼き菓子を無料配布しますわよォォォ!!)
「……ルナティア様?」
目の前で、栗色の髪を揺らすノエルが首をかしげている。
ルナティアは歓喜のあまり危うく机に突っ伏しかけたが、そこは王都が誇る「氷の姫」である。一瞬で全精神力を集中させ、完璧な淑女の仮面を取り戻した。
「……失礼いたしましたわ、ノエル様。ええ、喜んでご一緒させていただきますわ。昨日の結界の件も、お話ししたいことがございましたので」
「ありがとうございます! 実はリーゼやラウルたちも誘って、みんなで学生食堂に行こうと思うんですけど……いいですか?」
(…………は?)
ルナティアの脳内で練り歩いていた祝賀パレードが、盛大な爆発音とともに一瞬で更地と化した。
*
数分後。
王立学園の大食堂。
昼休みの活気と喧騒に包まれた広大なホールの一角で、ルナティアは強烈な眩暈と戦っていた。
問題は、目の前のテーブルである。
そこにはノエルだけでなく、風魔法のリーゼ、前衛のラウル、防御魔法のエリクが顔を揃えていた。
そしてあろうことか、リーゼはごく自然な動作で、ノエルのすぐ隣の席に腰を下ろしていたのだ。
(……なんじゃあわりゃァァァァ!!!!)
ルナティアの内心で、七人分の執着が一つに煮詰まった激情の嵐が吹き荒れる。
(二人きりじゃないんかいコラァァァ!!)
(なんでその風女が当たり前のようにノエル様の隣を陣取っとんじゃァァァ!!)
(そこは将来、わたくしが毎朝温かいスープをよそって隣で微笑むための特等席ですわよォォォ!! 今すぐその席を明け渡しなさい! さもなくば椅子ごと氷漬けにして窓から放り投げてやりますわよクソがぁぁぁ!!)
「あ、ルナティア様、こっち空いてますよ!」
立ち尽くすルナティアに向かって、ノエルが爽やかな笑顔で、自分の真正面の席を手招きした。
その瞬間。
ルナティアの脳内は、地獄の業火から暴力的なまでの幸福へと猛烈に反転した。
(――正面、ですって……?)
ルナティアは、ガタガタと震えそうになる膝を必死に抑え込みながら、優雅な所作でノエルの向かいの椅子へと腰を下ろした。
テーブルを挟んで、ノエルと完全に真正面。
少し視線を上げさえすれば、彼の琥珀色の瞳も、整った鼻筋も、柔らかく微笑む唇も、すべてが遮るものなく網膜に焼き付く、まさに神の座席である。
(……正面、最高ですわァァァァ!!!)
(隣に座ったら横顔しか拝めませんけれど、正面ならノエル様のお顔を瞬き一つ逃さず永久保存できますわ! 食事をするお姿まで正面から堪能できるなんて! リーゼとかいう女の座った隣など、むしろ死角だらけの下等席に過ぎませんわね、ハッハッハ!!)
外側は冷徹で気高い「氷の姫」、内面は狂喜乱舞の変質者という驚異の二重構造を維持したまま、五人の賑やかな昼食会が始まった。
「いやー、それにしても昨日の訓練場の『氷華結界』、マジですごかったよな!」
ラウルが豪快に肉料理のパンをかじりながら口を開いた。
「ルナティア様の魔法って、いつも隙がなくて綺麗でさ。ノエルもすぐ背中で見てて圧倒されただろ?」
「うん、本当に。気配を合わせた瞬間に、あんな精巧な氷の薔薇が足元から一斉に咲き誇るなんて、もう芸術の領域だったよ」
ノエルが純粋な敬意と憧憬を込めて、真っ直ぐに見つめてくる。
(あの氷の薔薇は、あなたの体温に当てられて暴発したわたくしの恋心そのものですけれどね!! あああ、すきすきすき結婚してくださいませぇぇぇ!!)
内心で悶絶しつつも、ルナティアはすまし顔で紅茶を一口含んだ。
「……お褒めにあずかり光栄ですわ。あれは、実戦に向けたほんの試作にすぎませんけれど」
「そういえばさ、ノエルって昨日も寮の部屋で、夜遅くまで魔道具の図面を描いてたろ?」
隣でスープを飲んでいたエリクが、冷静なトーンでノエルの日常を暴露した。
「こいつ、普段は落ち着いてるくせに、魔道具のことになると寝食を忘れて夢中になるから、見ててちょっと怖いんだよな」
「ちょ、エリク、それここで言うなよ!」
ノエルが少し恥ずかしそうに頬を掻いて笑う。
「だってさ、空気中の魔素を集める機構とか、ルナティア様の魔法陣の応用とかを考えてると、楽しくて時間を忘れちゃうんだよ。故郷にいた頃から、一度気になると部品を分解せずにはいられなくてさ」
その言葉を聞いた瞬間、隣のリーゼがパッと身を乗り出した。
「へえ、ノエル君ってそんなに魔道具作りが好きなんだ! 私も風の魔石を使った小型の送風具とか興味あるんだよね。今度、工房でいろいろ教えてよ!」
「お、いいね! 今度一緒に試してみるか?」
――ピキッ。
ルナティアの握るティーカップに、見えない氷の亀裂が走った。
(……な、なんだと……?)
(誰の許可を得て、ノエル様の神聖な研究空間に土足で踏み込もうとしとんじゃボケがァァァ!!)
(しかも寮の部屋での夜更かしだと……!? ノエル様が夜な夜などんな姿勢で図面を描き、どんな風に髪を乱し、どんな寝言を呟いているのか、それを把握してよいのはこの世でわたくし一人だけですわ!! 何が『今度教えてよ』じゃ、この突風女ぁぁぁ!!)
嫉妬のあまり食堂全体を氷河期に変えかねない魔力が膨れ上がった、その直後。
ルナティアの極めて優秀な頭脳が、冷徹な『分析モード』へと切り替わった。
(……お待ちなさい。ただ怒っている場合ではありませんわ)
ルナティアは冷静に状況を俯瞰した。
自分はこれまで、完璧な伯爵令嬢として振る舞うあまり、ノエルの「男子寮での日常」や「故郷での素顔」を知る機会がなかった。彼がどんな癖を持ち、どんな風に夜を過ごしているのか。それらはすべて、同室の友人たちが日常的に目にしている貴重な情報である。
ならば。
(……そうですわ。この方々を邪魔者として排除するのではなく、ノエル様の生態を余すところなく吸い上げる『合法的な情報提供パイプ』として、徹底的に活用すればよいのではなくて……!?)
ルナティアの脳内に、狂気的なひらめきが稲妻のように走った。
「……ふふ」
美しく、どこか妖艶さすら漂う笑みを浮かべながら、ルナティアはスッと背筋を伸ばし、少しだけテーブルの前方へ身を乗り出した。
突如として放たれた大貴族の圧倒的な気迫と鋭い眼光に、ラウルとエリクがビクリと肩を震わせる。
「ル、ルナティア様……? なんだか、すごく真剣な目をなさってますけど……」
「ええ。今後の私たちの『連携精度を高めるため』に、非常に興味深いお話を伺えたと思いまして」
ルナティアは優雅にカップをソーサーに置き、まずはラウルとエリクを真っ直ぐに見据えた。
(ノエル様の寝相と使用しているペンのインクの色まで朝までに原稿用紙百枚で提出しろ)と叫びたい衝動をぐっとこらえ、彼女は持てるすべての知性を動員して言葉を紡ぐ。
「エリク様、ラウル様。チームの中心であるノエル様の体調管理と集中力の波を把握することは、戦術上きわめて重要ですわ。……つきましては、彼が寮のお部屋で夜遅くまで図面を描いていらっしゃる際の『具体的なご様子』、よく使われる道具の好み、ならびに故郷で魔道具に熱中されていた頃のエピソードについて、後ほどわたくしに詳しくご報告いただけますかしら?」
「え……? せ、戦術上ですか!? いや、机に向かってすごく楽しそうな顔で描いてるくらいしか……って、なんでそんなに目が本気なんですか!?」
「もちろん、競技祭で勝つためですわ。……詳細にお願いいたしますね?」
ニッコリと微笑むルナティアの背後から立ち昇る「一文字でも漏らしたら許さない」という無言の圧力に、ラウルとエリクは冷や汗を流しながらコクコクと頷いた。
そしてルナティアは、隣で目を丸くしているリーゼへと、氷点下の微笑みを向けた。
「それと、リーゼ様。先ほど、ノエル様と工房で風魔法の魔道具を試したいと仰いましたわね?」
「え? あ、うん。ちょっと聞いてみたいなって……」
「素晴らしい向上心ですわ。ですが、魔道具の試作には高度な魔法理論の裏付けが不可欠です。事故を防ぐためにも、あなたがノエル様と工房へ行かれる際は、必ず事前にわたくしへ日時をお知らせくださいませ。わたくしが責任をもって、お二人の隣で『徹底的に指導・監督』いたしますので」
(二人きりになど、未来永劫させるものですかァァァ!! いかなる実験であろうと、わたくしが真ん中に割り込んで目を光らせてやりますわ!!)
そんなドロドロの独占欲から出た牽制だったが、言葉の表面だけを見れば「仲間の安全を気遣う、面倒見の良い優等生」そのものである。
「え、あ、はい……! なんかすごい圧を感じるけど、ルナティア様ってそんなに私たちの練習に熱心だったんだ……!」
リーゼたちはすっかり気圧されながらも、氷の姫の責任感の強さに感心していた。
そして、当のノエルはといえば。
ルナティアが自分の研究や故郷の話にまで、これほど強い関心を示してくれたのだと受け取り、琥珀色の瞳をぱあっと輝かせていた。
「ルナティア様……! 僕なんかの昔の話や魔道具のアイデアに、そんなに関心を持ってくれるなんて嬉しいです!」
ノエルは、嬉しさを隠せない満面の笑みで言った。
「だったら、エリクたちに聞くまでもありませんよ。今度、僕が寮の部屋で描いてる魔道具のスケッチブック、全部持ってくるから直接見てくれますか?」
その言葉が落ちた瞬間。
ルナティアの脳内処理能力は、完全に許容量を超えてオーバーヒートを起こした。
(……スケッチブックを、全部……!?)
(ノエル様が夜な夜な一人で書き溜めた、自筆の思考の軌跡が詰まった門外不出の聖典を、このわたくしに直接見せてくださるですって……!?)
(しかも『エリクたちに聞くまでもない』……つまり『僕のことは僕から直接ルナティア様にすべて教えます』という独占契約の申し出!! それはもう、実質的な婚姻届の提出ではございませんかァァァァ!!!)
(好きィィィ!! 今すぐ結婚してくださいませノエル様ァァァ!!)
「……ええ、ぜひ。喜んで拝見させていただきますわ、ノエル様」
外側のルナティアは、風に揺れる白百合のように清楚で、涼やかで、非の打ち所がない上品な微笑みを浮かべて静かに頷いた。
しかしその内側では、食堂の天井をぶち抜いて天国の階段を駆け登らんばかりの勢いで、歓喜の祝砲がドッカンドッカンと打ち上げられていた。
氷の姫の圧倒的な熱量と、斜め上に暴走するアプローチに周囲を巻き込みながら、騒がしくも和やかな昼食会は幕を閉じた。
競技祭本番へ向け、ルナティアの恋と狂気の歯車は、さらなる加速を続けていくのだった。
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