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カルテ03 山田が語る バルお嬢様

クリニックの受付に、山田が予約なしで現れた。


「……え?」


受付のスタッフは、思わず山田の顔を見た。

性格的に几帳面であるはずの山田なら、まず電話で予約を取る。

そもそも、このクリニックに来ること自体が珍しいわけではない。だが、今日は何の連絡もせずに突然やって来た。


「山田修さん……ですよね?」


「はい……」


返事はしたものの、声にいつもの覇気がない。

受付のスタッフは困ったように中山のいる診察室へ向かった。


「先生、すみません。山田さんが来られています」


「山田さん?」


中山はカルテから顔を上げた。


「予約は?」


「ありません」


「電話は?」


「それが……連絡もなく、直接来られたみたいで」


中山は少し考えた。

本来なら、予約なしでの診察は断るところだ。

しかし、山田が何の連絡もなく突然やって来るというのが、どうにも引っかかった。


「……様子は?」


「ちょっと、変です」


「変?」


「はい。なんというか……かなり落ち込んでいるような」


中山は椅子から立ち上がった。


「分かりました。ちょっと私が話を聞きます。診察室に通してください」


「はい」


やがて、山田が診察室に入ってきた。


「どうぞ。座ってください」


「……はい」


山田はゆっくりと椅子に腰を下ろした。

いつもなら、座るなり何かしら話し始める。


この前は掃除機、その前は冷蔵庫だった。

しかし今日は、何も言わない。

両手を膝の上に置いたまま、俯いている。


「山田さん?」


「あの……」


「はい」


「電話できなくて……すみません」


「……電話?」


中山は首を傾げた。


「予約の連絡もせずに来てしまって……本当にすみません」


「いえ、それは構いません。それより、何かあったんですか?」


山田はしばらく黙っていた。

そして、小さく息を吐いた。


「……電話が使えないんです」


「故障ですか?」


「違います」


即答だった。

中山は少し待った。


「では、携帯電話を忘れたとか?」


「それも違います」


「……では、どういう意味でしょう?」


山田は答えなかった。

その様子を見て、中山はふと以前のことを思い出した。

山田が診察室に来るとき、いつも小さな座布団を持ってくる。

その座布団の上に、携帯電話を大事そうに置いていた。

最初に見たときは、少し変わった人だと思った。

だが、山田にとっては、その携帯電話はただの道具ではないらしい。

まるで大切な誰かを扱うように、丁寧に置く。

話しかけることさえある。

もちろん、中山にはその電話が喋っているようには聞こえない。

ただ、山田にとっては何か特別な存在なのだろう。


「……あの」


「はい?」


「今日は、あのかわいらしい電話は置いてこられたんですか?」


何気なく聞いたつもりだった。

だが、その瞬間、山田の両手が顔を覆った。


「……山田さん?」


「……」


「どうしました?」


しばらくして、指の隙間から小さな声が聞こえた。


「……彼女と」


「はい」


「彼女と……うまくいかなくなりました」


中山は黙った。


「……彼女?」


「はい」


「…………」


中山は一瞬だけ考えた。

そして、すぐに気づいた。


「ああ……」


以前から山田が大切そうに扱っていた、あの携帯電話。

てっきり、恋人からもらった大切な電話か何かだと思っていた。

しかし、どうやら話はもっと複雑らしい。


「……彼女というのは」


中山は慎重に言葉を選んだ。


「もしかして……あの携帯電話のことですか?」

山田は小さくうなづくと事情を話し始めた。


・

・

・

・


修は、別に家電が嫌いなわけではない。

むしろ若い頃から、壊れたものを探しては修理を繰り返してきた。

壊れた原因を探ったり、基板を眺めては見た事のない部品があれば調べる。

古い製品なら、なぜそんな設計になっているのかを考える。

最新の技術だけが優れているわけではない。

古いものには古いものなりの工夫があり、今では使われなくなった技術の中にも、面白いものはいくらでもある。

修には、そういうものを見つける目があった。

だから電気屋の修理工という仕事も、自分には天職だと思っていた。


家電たちの声が聞こえるまでは。


修は以前、自分にだけ聞こえる「家電の声」について、真面目に分析したことがある。

人と長く接していた物や、持ち主から強い思い入れを向けられていた物。

そういう物ほど、声が聞こえる確率が高い。


逆に、駅の改札機や自動販売機のように、毎日何百人、何千人もの人間と接している物から声が聞こえたことはない。

どうやら単純に「人間との接触回数」が条件ではないらしい。


修が修理を依頼された家電、あるいは修理先で長年使われている物などから聞こえることが多かった。

逆に、自分の持ち物から聞こえた事は一度もなかった。


……ただ、一つだけ例外ができた。


新しいものにも興味があった修は、携帯電話にも奮発した。

海外メーカーの製品も多いが、修が選んだのは国内メーカーの高級機だった。

カメラの性能がいい。音がいい。デザインが優れている。

そんな触れ込みにつられて購入した。

買ったばかりの頃は、あれこれ設定をいじった。

カメラも試し、音楽も聴いてみた。

だが、人間というものは贅沢なものである。

しばらくすると慣れてしまった。

高級機も、修にとってはただの携帯電話になった。


音楽を聴くといっても、たまに青春時代の曲を聴く程度。

カメラも、写真を撮るより修理中の部品や基板を記録するために使うことの方が多かった。

そして、その日もいつもと変わらない夜だった。


修は自宅の机に分解したウォークマンの基板を広げ、半田ごてを片手に修理をしていた。

異変が起きたのはその時だった。

作業の邪魔にならないよう、Spotifyでセンチメンタル・バスの「Sunny Day Sunday」を聞きながら、細かい部品を付けようとしたときだった。

ヘッドホン越しに、曲の合間に人の声が聞こえた気がした。

来客か?ヘッドホンを外し、玄関の方を振り向くが何も聞こえない。

気のせいだと思ってヘッドホンを装着しなおし部品を付けようとする。


ん?


やっぱり何か変だ、曲にノイズが乗っている?


⦅せーのではしりだすー⦆

 ⦅せーのではしりだすー⦆


今度は、はっきり聞こえた。二重に聞こえるのだ。

曲に何か別の声が重なっている?


修は眉をひそめ、よく聞いてみる。

曲に合わせて、誰かが歌っている。


「……なんだこれ」


修はシークバーを戻して同じ部分をもう一度再生する。

しかし、今度は聞こえない。


「…………」


気のせいだったのか?

修は何か嫌な予感がした。


次の曲、Whiteberry「夏祭り」の再生始まってしばらくすると――


⦅そーらーにーきぇてーえったー⦆

 ⦅そーらーにーきぇてーえったー⦆


原曲とは別に、男の声が重なっている。

どっちも微妙に音程が外れているので判りづらいが、夏祭りに男性ボーカルのパートは無い。


「……は?」


修は固まった。

次の瞬間、慌ててヘッドホンを外した。

静かな部屋に戻る。


「…………」


修はヘッドホンを見た。

次に、携帯電話を見る。


「どっちだ?」


問題の切り分けに入った。

一緒に歌っているのは、携帯電話か、それともヘッドホンなのか。

どちらにせよ、迷惑な話だ。

修は接続を確認し、ヘッドホンを別の機器に繋いでみた。

異常はない。


再び携帯電話に戻す。

そして、3曲目。

JUDY AND MARYの「そばかす」が始まってしばらくすると――


まただ!今度は間違いない。

原曲に合わせて、男が歌っている。


⦅思い出はいつもキレイだけどー⦆

 ⦅思い出はいつもキレイだけどー⦆

音程が外れてて全然キレイじゃない。

停止ボタンを止めて携帯に話しかける。


「……お前か?」


返事はない。


「お前だよな?」


<なんだ?>


声が聞こえた。

修は目を細めた。


「お前、何勝手に歌ってるんだ」


<歌って何が悪い>


「悪いに決まってるだろ」


<音楽をいい音で聞けるのは俺様のおかげじゃないか>


「だからってお前のカラオケを聞くために、Spotifyに毎月1,080円払ってるんじゃねぇぞ」


<失礼な奴だな>

<俺だって一緒に楽しみたかったんだ>


「……」


修はしばらく携帯電話を見つめた。

そして、小さく呟いた。


「……お前、いい音でも音痴なのは致命的だぞ」


一瞬、沈黙があった。


<音がいいことと、歌が上手いことは別問題だ>



それ以来、携帯電話は事あるごとに、自分がいかに高性能なのかを主張するようになった。

カメラにはカールツァイスを採用していることを誇り、iPhoneの欠点を並べ、シャープの製品に至っては、どこに目を付けているのか分からないとまで酷評する。

何かにつけて自分を基準に他社製品を評価し、その内容は次第に上から目線を通り越して、単なる暴言に近くなっていった。


それだけなら、まだ我慢できた。


問題は、次第に修の趣味にまで口を出すようになったことだ。

ある時など、突然キハ120を撮りに行こうと言い出した。

しかも、ただ撮影するだけではなく、山陰本線どの路線の車両がいいだの、何番台がどうだのと細かな注文まで付けてくる。

どうやら自慢のカメラ性能を活かすため、修まで鉄道写真の趣味に引きずり込もうとしているらしい。


携帯電話としての性能に不満はなかったし、カメラも音も十分に良く、普段使いするには申し分のない機種だった。

それでも、修はとうとう我慢しきれなくなった。


性能が良くても、持っていて疲れる。

どれだけ高性能でも、毎日のように他社製品の悪口を聞かされるのは御免だった。

結局その携帯電話は、中古屋へ売り払われることになった。


性能が悪かったからではない。

ただ、持ち主との相性が致命的に悪かったのである。

しかし、次の携帯をどうするべきか。

今の世の中、携帯電話がなければ生活できないと言っても過言ではない。


修はAndroid端末しか触ったことがなく、iPhoneはUIが少し合わない。

ガチガチに固められたセキュリティも、修にとっては少々過剰に感じる。

かといって海外メーカーの製品を選び、今度は中国語や韓国語で延々と話しかけられたら、それこそストレスの極みだ。

そう考えると、選択肢は意外と少ない。


国内メーカーあたりで、適当なやつでいいか。

携帯を売り払った足で、どこかで1台調達しようとGEOを出ようとした時だった。

ふと、店のワゴンに山積みにされた箱が目に入った。


「今話題のBALMUDA Phone 新品 9,800円 (純正ケース付属)」


修は、そのうちの1箱を手に取った。

手のひらに収まる、丸みを帯びた独特のデザイン。

今まで使っていた高性能な携帯に比べると、ずいぶんコンパクトだ。

しかも国内メーカー。

修は箱を眺めながら考えた。

よくよく考えてみれば、携帯電話で使っている機能など、仕事の通話と、修理中の部品や基板を記録するためのカメラくらいだ。

音楽を聴くにしても、家には再生機器がそこら中に転がっている。

何も、高性能な携帯電話でなければならない理由はない。

しかも、つい5分前に売り払った携帯の代金は24,200円。

その金は、今も修の手の中にある。


「……高性能なんか、いらんかったんや」


そう思った修は、箱を1つ持ってレジへ向かった。

こうして修は、9,800円のBALMUDA Phoneを買って帰ることになった。


家に帰ると、修は早速SIMカードを入れることにした。

箱からBALMUDA Phoneを取り出し、側面にあるSIMトレーの穴を確認する。

付属の専用工具を手に取り、トレーの穴へ差し込んで、トレーが少しだけ飛び出した、その瞬間。


<……きゃっ!>


「……え?」


聞き間違いではない。

今、確かに女性の声がした。

修はゆっくりとBALMUDA Phoneを見つめた。

やがて、恐る恐る口を開く。


「……おまえもかよ」


しばらくの沈黙。


<どこに入れてんのよヘンタイ! スケベ!>


修は固まった。


「あぁ……」


まただ、しかも、今までの家電とは明らかに違う女性の声だ。

それも、妙に気位が高い。


<まったく、いきなりそんなところに突っ込むなんて、信じられないわ!>


「いや、SIMカードを入れようとしただけなんだけど……」


<言い訳は結構よ!>


修は携帯電話を机の上に置いた。

そして、しばらく眺める。


<ちょっと、硬い所に置かないで、ふわふわな椅子は無いの?気が利かないわね!>


修は、深いため息をついた。

仕方なしに言われるがままに修理用に使っているマイクロファイバーの布を4つ折りにして

BALMUDA Phoneを乗せようとしたとき。


<待ちなさい!そんな雑巾みたいな所に置くのはやめてくださいますこと?>


「……また、とんでもないのを引いたな」

・

・

・

・


そこまで話して、山田はがっくりと肩を落とした。

その様子を見て、中山は何かを察した。

不用意に踏み込むことはせず、少し間を置いてから、優しく声を掛ける。


「……ケンカしたのですか?」


中山が尋ねると、山田は小さくうなずいた。


「たぶん……」


「たぶん?」


「先日の仏壇の座布団の件から、なんとなくギスギスし始めまして……」


「ああ……」


中山も覚えていた。


「それで?」


「それから、あまり口をきいてくれなくなって……」


山田は膝の上で手を組み、しばらく黙った。


「……今までなら、うるさいくらい話しかけてきたんです」

「正直、面倒だと思ってました」


中山は黙って聞く。


「でも、いざ何も言わなくなると……」

「……ちょっと、寂しいんです」


「なるほど、急に一人になってしまった気がすると……」


「いや、でも……」


山田は困ったように頭を掻いた。


「声が聞こえなくなったことで、安心している部分もあるんです」


「安心?」


「はい。静かですし。でも、他の家電の声は相変わらず聞こえるので……その……」


「では、問題は携帯電話だけ?」


「そうなんです」


山田はため息をついた。


「だから、自分でもよく分からなくなってしまって……」


「寂しいのか、安心しているのか分からないと?」


「はい」


山田は小さくうなずいた。


「今まで、ずっとそこにいたものが急にいなくなったみたいで」


中山はしばらく考えてから、ゆっくり口を開く。


「山田さん、先日の仏壇の件については、私にも責任の一端があります」

「その点については、申し訳なく思っています」


「いえ……先生のせいだけではないですから」


「ありがとうございます」


中山は一度息を吐いた。

そして、非常にバツの悪そうな顔で続けた。

「その上で……非常に申し上げづらいのですが」




「恋愛相談については、当院の管轄外です」

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