カルテ04 山田が語る 婦警さんの話
山田がクリニックに来なくなって、しばらく経っていた。
前回の診察から1か月以上経っても姿を見せないので、中山は少し気になっていた。
そして、季節はいつの間にか夏になっていた。
朝から気温は30度を超え、診察室のエアコンは朝から休むことなく動いている。
それでも、なぜか暑い。
エアコンの設定温度は24度に設定している。
風もちゃんと出ているのに暑い。
そのときだった。
「先生、エアコン入れてても暑いですね」
「……山田さん?」
いつの間に入ってきたのか、山田が診察室の入口に立っていた。
「お久しぶりです」
「お久しぶりです、じゃありませんよ。ずいぶん来ませんでしたね」
「いやあ、忙しくて」
「仕事の方ですか?」
「そうです。エアコンの取り付けとか、もう、すごいですよ」
山田はそう言って、椅子に腰を下ろした。
そして腰のポーチからバルミューダフォンを取り出すと、一緒に取り出したお洒落なミニクッションの上にそっと置いた。
「……」
私は、その様子を黙って見ていた。
以前なら、ここで私は少し身構えていたかもしれない。
家電の声が聞こえるという症状の患者を前にして、医師として気になるのは当然だ。
しかし、今日の山田は表情が穏やかだ。
会話も自然で、こちらの質問にもきちんと答えている。
仕事も続けているようだ。
そして何より、以前より人との関わりについて話すことが増えた。
幻聴そのものがなくなったわけではない。
むしろ、こうして今もバルミューダフォンを大切そうに扱っているところを見ると、症状が消えたとは到底言えない。
だが、精神科の診療では、症状があるかないかだけがすべてではない。
症状によって日常生活がどの程度妨げられているのか。
本人がそれをどう受け止めているのか。
周囲との関係を保てているのか。
仕事や生活を続けられているのか。
そういったことも重要な判断材料になる。
だから私は、余計なことを聞かず、もう少し様子を見ることにした。
私はカルテを取り出した。
「それで、最近は症状はどうですか?」
「いや、相変わらず声は聞こえるんですけど」
山田は少し考えてから、診察室のエアコンを見上げた。
「先生、このエアコン、ちゃんと掃除してます?」
「……えっと、どうでしょう。してると思いますが」
「フィルターだけじゃなくて、室外機も見ないと駄目ですよ?」
中山は参ったという顔で苦笑いを浮かべ、山田を見た。
「山田さんは、まるでお医者さんですね」
「そうですか?」
「ええ。どちらが診察されているのか、分からなくなりますよ」
二人は顔を見合わせ、少しだけ笑った。
「実はこの前、ある事務所にエアコンの取り付けに行ったのですが……」
中山はカルテを閉じて山田の話に耳を傾ける。
「エアコンの取り付けは、それほど時間のかかるものではないのですが……」
山田は、いつもの調子で話し始めた。
・
・
・
・
修はある事務所でエアコンの交換に来ていた。
古いエアコンは完全にガスが抜けてしまっており、まったく機能しなくなっていた。
歴戦の勇者とでもいうのだろうか。壁から取り外したとき、エアコンがボソリと修に話しかけた。
<すまんのぅ、兄ちゃん>
修は、何となくやり切った感のあるエアコンに言葉をかける。
「いえ、お疲れさまでした」
<わしらの時代も……終わったんじゃのぅ。あとは若いモンに任せるわ>
修はそっと修理マットの上に室内機を載せると、静かにカバーをかけ、新しいエアコンを箱から取り出す作業にかかった。
そのとき、ドカドカという足音と共に、スーツ姿をびしっと決めた男が事務所に入ってきた。
その後ろから、チンピラのような若い男がおずおずとついてくる。
「お、兄ちゃん、新しいのやっと付けてくれるか!」
修は何も言わず、静かにうなずく。
「アニキがこう言っとるんじゃけぇ、返事くらいせぇやぁ!」
若い男が修に向かって悪態をつく。
しかし、修はあまりビビることもなく、こくりとうなずくだけだった。
実はこの部屋に入ったときから、修はオーディオラックに入った古いDVDプレーヤーに、ずっと話しかけられていたのだった。
<あー、帰って来た。あのチビの方が無理矢理トレーを押し込んだもんだから、取り出しのツメが一段ずれちぇゃってさ>
修はエアコンの取り外し中、ずっとおしゃべりなDVDプレーヤーから、取り出せなくなったディスクを出してくれとせがまれていた。
<兄ちゃん、頼むから助けてくれよ。俺の中で、もう3日も寝てるんだ>
もちろん、今日はエアコンの取り付けである。
余計な仕事をするつもりもないし、取り付けが終わったら、とっとと帰るつもりだ。
「おい、カタギの人に向かって、なんちゅう口の利き方じゃ!」
そう言うと、スーツの男がチンピラの頭を思いっきりひっぱたく。
『ぱんっ❢』
小気味のいい音が事務所に響く
「すいやせん!」
何とも微笑ましい光景である。
修は知っていた、DVDプレーヤーの中で眠るディスクが、
『新人婦警がおとり捜査で潜入したら、捜査対象の極道に正体を見抜かれてしまい、絶体絶命の状況からなぜか気に入られてしまった挙句、初めての経験までしてしまった件』
――という、何とも言えないタイトルの違法コピーDVDであることを。
「まぁ、暑いのも今日で終わりじゃ。もうちょっと我慢じゃ。兄ちゃん、よろしくな」
修に向かってスーツの男がそう言うと、黒革のソファーにドカッと座った。
<で、さっき言ってたのが、スーツの奴だ。コピーして来たのもこいつ。親分が見たいからって言い訳しながらな>
修は正直、どうでもよかった。
他人が何を見ようが、自分には関係のない話だ。
ただ、ひとつだけ気になるのは、『極道の女たち』のようなタイトルではなく、ラノベのような長ったらしいタイトルなのが、ちょっと不思議だった。
そうこうしていると、スーツの男がリモコンを手に取り、テレビの電源を入れた。
それを見ていた若い下っ端が、小さな声を上げる。
「あ……」
テレビに表示されたのは、HDMI-1の真っ黒な画面だった。
「……」
若い下っ端の顔から、さっと血の気が引いていく。
修は、それを横目で見ながら、室外機から伸びる冷媒配管を手に取った。
「おい、ユージ! これ触ったんか?」
「……ぇ……ぃぇ……」
ユージと呼ばれたチンピラが、子供のように小さくなる。
スーツの男がDVDのリモコンを手に取り、再生を始める。
『そこはダメっ❢ ダメなのっ❢ 触らないでっ❢』
大画面、大音量で怪しげなDVDが、いきなり再生され始める。
修は淡々と壁から古い取り付け金具を外し、新しい金具を設置する。
「おい、ユージ! ……これは……その、オヤジのやつだ。勝手に触るな」
「ぇ……マジっすか? てっきりタカ兄ィのものだとばかり……」
「あ、そ、そう……そんなわけないだろ。何言ってるんだ。こんなラノベのタイトルみたいなやつ、見るわけないじゃないか……」
『いゃああぁぁぁ見ないでぇ❢』
<アニキの方、なんかキャラ変わってねぇか?>
DVDプレーヤーの突っ込みを無視して、修は新しい本体をよっこらしょと持ち上げて慣れた手つきで壁に取り付けて水平である事を確認した。
「おい、出ねぇぞ」
「実は、出なくなって」
「ぁ? なんでだよ!」
<トレーを無理やり押し込んだんだよ!>
『ダメっ❢ ムリヤリはダメっ❢』
「わかりません」
「わかんねぇじゃねぇよ、なんでだアホっ!」
<だから爪が一段ずれて動けねぇんだよ、このアホコンビ!>
『いやっ❢ いやっ❢ 動かないでっ❢』
「押しても出ねぇぞ、どうなってるんだ!」
『いやっ❢ ださないでっ❢ ださないでっ❢ だしちゃダメぇっ❢』
修羅場をよそに、修は工具箱からマキタの充電式真空ポンプを取り出した。
もちろん、純正バッテリーを装着済みである。
「このアホっ!アホっ! オヤジに見つかったら、どう落とし前つけるつもりじゃ!アホっ!」
そう言うと、タカ兄ィと呼ばれたスーツの男は、何度もユージの頭をパンパンと叩きまくる。
『ぱんっ❢ ぱんっ❢ ぱんっ❢ ぱんっ❢』
「タカ兄、勘弁して、勘弁して!」
いろんな音が混じる中、マキタの真空ポンプだけが、静かに、確実に仕事をこなしていく。
<ココココココココ!>
・
・
・
・
「ええっと、ちゃんとお仕事は出来ていると……」
中山はそう言うと、カルテに書き込む。
「はい。仕事の方は問題ないです。むしろ夏場は忙しくて、毎日へとへとですよ」
「それは大変ですね。熱中症などに気を付けてお仕事なさってください」
少なくとも、以前より状態はあまり変化していないように思える。
「ええっと、それで……どうなりました?」
「何がです?」
「その、事務所の方の話です」
「はい。そのあとは室外機と室内機を接続して、バルブを開け、冷媒が正常に流れることを確認した後、試運転しました。無事に冷えるようになりましたよ」
「……そうですか」
中山は一瞬、言葉に詰まった。
「DVDの方はどうなりました?」
「え?……あ! はい。最後まで見ることができませんでしたので、婦警さんがどうなったのかまでは分からないです……」
中山は、そっとカルテを閉じた。
「今年も暑い夏になりそうですね……」




