第9話「残された温度」
あの日から、雨は何度も降った。
けれど——蒼は、現れなかった。
凛はそれでも、雨が降るたびにあのバス停へ向かった。もう来ないとわかっていても、足が止まらなかった。
同じ場所。同じ時間。
けれど、隣に立つ人だけがいない。
「……ほんとに、終わりなんだ」
ぽつりと呟く声は、雨音に溶けていく。
最初は信じられなかった。次は否定した。そして今、ようやく受け入れかけている自分がいる。
それでも——
胸の奥には、確かに残っているものがあった。
蒼の声。表情。何気ない会話。
そして、最後に触れられなかった手の感触。
「……ばか」
誰に向けたのかもわからないまま、凛は小さく笑う。
あの時間は短かったのに、やけに濃くて、消えてくれない。
ふと、ポケットに手を入れる。
そこには、小さな紙切れが入っていた。
濡れないように折りたたまれたそれは、見覚えのないものだった。
「……なに、これ」
ゆっくりと開く。
そこには、見慣れた字で一言だけ書かれていた。
——「雨のあと、探して」
凛の心臓が大きく跳ねる。
この字は、間違いなく蒼のものだった。
「いつの間に……」
思い返しても、受け取った記憶はない。
けれど、そんなことはどうでもよかった。
大事なのは、その言葉の意味。
「雨のあと……」
凛は顔を上げる。
空は、さっきまでの雨が嘘のように晴れ始めていた。
雲の隙間から、光が差し込む。
——雨のあと。
それは、今この瞬間のことかもしれない。
「探すって……どこを」
呟きながら、一歩踏み出す。
わからない。何も確証はない。
それでも——
止まっていたはずの時間が、もう一度動き出した気がした。
凛は走り出す。
水たまりを跳ねながら、濡れるのも気にせずに。
胸の奥に、小さな灯りがともる。
——もしかしたら、まだ終わっていないのかもしれない。
その予感だけを信じて、凛は前へ進んでいった。




