32話 爺やの報告
洞窟での戦闘から丸二日。
鬼が住む国、ヘルベルクの宮廷。王の間にて報告がされていた。
「ご報告します。シギムラガンが傷を残すことも出来ずに敗北し、更には治療されて帰りました。」
「それは……本当、なのですか?」
「はい。気付かれぬように気配を消し、更に出来る限り離れた場所から見ていたので間違いありません」
驚いているのはこの国の若き王。真っ直ぐで真っ白な、立派な角を額に生やした少女である。床全てが畳の王の間で、一段高くなった上座に簾越しに座っている。
その王に報告をしているのは全身を黒いので覆い、顔を黒い塗料で塗りつぶした男の老人である。王の前で膝を付き、頭を垂れて報告する。目には濃い隈が浮き出ており、疲労の蓄積が見て取れる。
「そうですか……傷を残す事も出来ず、それどころか兵士の治療まで。相手は余裕ですね。一体どれほどの力を……」
王は自らの唇を噛んだ。
シギムラガンはネイロンの森近隣で一番軍事力のある国だ。軍を使うことに余力があり、竜夫婦や【無限多重の魔女】の一番槍はこの国になると予想できた。だが、その一番槍があっさり折られてしまった。これでは何処もうかつに動けない。
「それで、敵はどうでしたか?力量はどれほどで?」
とにかく情報を。そう考えた王は目の前の男に報告を促した。
すると、男は苦虫を噛み潰したような顔でそれに答えた。
「それが……竜夫婦がフェアリー以外の者とも手を組んだのです」
「ッ!!あの竜夫婦が!?」
王は目を大きく見開き、立ち上がった。
「じょ、冗談でしょう?あの竜夫婦がフェアリーでは無い、誰かと馴れ合う?そんな事は信じられません。様々な者が、様々に考え、様々な手段で取り入ろうとし、竜夫婦が森に住み始めた五十年前からことごとく失敗していたのですよ?産卵期に入ってもそれは変わらず、むしろ死人は増えた。もうとっくに誰もが諦めたというのに、一体、誰が、どうやって、何を企んでいると言うのです!!」
同様を露わにし、声を荒げる王を前にして男は体を小さくする。この男も信じられないのだ。竜夫婦が誰かと手を組む等という事が。
竜夫婦は約五十年前。ネイロンの森に住み着いた。突然の脅威の来訪に周囲の国々は恐怖した。勇気ある者は戦いを挑んだが、命があれば良い方。大概は物言わぬ存在となった。
竜の亜人という強力な種族。それが明らかに強力な称号まで持っている。一人が暴れるだけで多大な被害を及ぼす事が予想出来るというのに、それが二人だ。何時被害が及ぶかと当時の者達は震えた。
しかし、一年、また一年と過ぎ、とうとう五年が経った。当時の者達は意を決して会話を試みた。
初めは殺されるばかりだった。唯一つながりがあるフェアリーを利用しようとしたが、彼等は稀に話をする程度らしく、大した事は聞けなかった。
そんな中、とある者が会話を成功させて情報を持ち帰った。
『貴方達はどうしてこの森に来たのですか?』
『黙れ』
質問した男が風に切り刻まれて死んだ。
『貴方達の元いた場所は何処ですか?』
『黙りなさい』
質問した女が水に飲まれて死んだ。
最後の一人。同情を買えるやもしれぬと付けられた幼い少年は、泣き、震えながら尋ねた。
『あ、貴方達の……関係は……?』
その質問に、竜夫婦は不機嫌そうながらも笑みを浮かべながら少年を同時に見つめた。そして──
『『夫婦!!』』
そう叫び、泣き続ける少年に半日間愛について教えこんだという。
余談だが、その少年はその後しばらく愛を恐怖とごっちゃにしていた。
何はともあれ、今まで何百人が失敗した会話を少年は成功させたのだ。その少年が半日聞き続けた情報からヒントを回収。ポツポツと会話をして帰ってくる者が現れだした。
そしてとうとう。どうやら竜夫婦には隣国を襲うつもりが無いという事が分かったのだ。この知らせに人々は喜んだ。
だが、人は欲深いものだ。手に入れた物の更にその上が欲しくなった。つまりは自軍の戦力として取り込もうとしたのだ。
金、宝物に地位。何人もが何度も試した。だが、成功する者はいなかった。それからは竜夫婦を狙うものは減り、勧誘もほとんどしていないに等しくなったのだ。
だが、その竜夫婦が手を組んだ。これは異常な事なのだ。そして危ない事でもある。
今でこそなんとかバランスが取れて戦争の少ない大陸だが、竜夫婦が何処かの国に付けば一気にバランスが崩れる可能性がある。もっと言えば、鬼の国、ヘルベルクが戦争に巻き込まれる可能性があるのだ。
「その者は……協力者は何処ですか!!」
直接危険が及ぶのか、それとも回避可能なのか。焦りで声を大きくしながら王は尋ねた。
「……【無限多重の魔女】です」
「なっ!?【無限多重の魔女】ですって!?」
またもや王の目が大きく見開かれる。
「確かに……確かに【無限多重の魔女】は開放されました。ですが何故?竜夫婦は彼女が眠ってから来た為、少なくとも開放から期間の短い今、存在は知らないはず。竜夫婦が洞窟から出ることも考えづらい。例えフェアリーが橋渡しをしたとしてもわざわざ危険を受け入れるでしょうか。いや、それ以前に彼女は十分に強いはず。手を組む理由なんて無い。一体何が起こって……」
目眩を覚えたような感覚でふらつく王。だが、すぐに足で踏ん張って堪えた。
「……とにかく。その二つが合わさるのは危険過ぎる。今すぐ近隣の戦力を纏め上げ、一気に叩きこまねば。竜夫婦が弱っている今しか無い!!」
口に出してしまっている事にも気づかない程に焦る王。その王に男はおずおずと声を掛ける。
「……王よ」
「こんな時に何!!」
「まだ報告があります。お聞き頂け無いでしょうか」
「…………言いなさい」
少し沈黙し、幾分か落ち着きを取り戻す。
「協力者はもう一人います」
「っ!?まだ……いるですって!?」
その言葉に男は黙って頷く。
「その者は誰なのです!!伝説級の大物と肩を並ばせる者は!!」
「そのものは、空の黒騎士と名乗っております」
「……空の……黒騎士?」
先ほどまでと違い一度も名前を聞いた事の無い人物。王は困惑を明らかにした。
「はい。恐らくそのものが二つをつないだかと」
「……理由は?」
「その者は【災害竜】を守るために、鎧一つで六重の魔法陣による火球に飛び込みました」
「なっ!?鎧が丈夫でも中は大火傷ですよ!?」
「はい。そのはずです。ですが、その後問題なく動いております」
「魔法装備か、称号か。いずれにしろ並では無いですね」
王はその性能を考えて俯いていたが、すぐに顔を上げた。
「それで?他にもあるんでしょう?」
「その者は【無限多重の魔女】と親しげでした」
「……つまり、その者が仲介役と言いたいの?」
「その通りです」
王は再び俯いて考え、尋ねる。
「その者を含め、今分かる限りの情報を」
男は頷き、王に自分の得た情報を上げていく。
バレ無いようにかなり離れた場所にいたため、最後の宣言以外は聞こえなかったが、目で手に入れた情報等を伝える。
竜夫婦については女は弱り、雄もかなり弱っている事。
【無限多重の魔女】については、数人相手に魔法陣の書き換えを行ったり、燃費の良い魔法を使った事
空の黒騎士については驚くべきレベルの治療能力や壁を貫く程の馬鹿力。
そして、『力が戻るまで四人が協力するという事』も。
「つまり、【無限多重の魔女】も竜夫婦も弱っていて、四人の中では一番強いのは空の黒騎士。手を組んだのは身を守り合う為だから、手を出すなと……どうですか?」
「私もそう思っています」
(竜夫婦も【無限多重の魔女】も恐らく大きく弱っている。けれど、……いや、むしろ大きな問題はおむそこではない。溶けた皮膚を完全に治す治癒能力。シギムラガンの師団長を軽く相手取る戦闘能力。空の黒騎士……一体何者)
「空の黒騎士について、もっと詳しい情報はありますか?」
「そうですね……」
男はジンの禍々しさ、恐ろしさ、部下への気遣いの激しさ等を話した。
「なるほど」
王は小さくそう呟いた。
「どうかなさいましたか?」
尋ねられた王は、小さく笑って返答する。
「良い事を思いついたわ。その者についての情報が正しいのか調べない。そして、もし本当に部下に甘く、それどころか敵にさえ優しいなら──」
三日月のように口を裂き、可愛らしい笑顔を、けれどどこか悪戯っぽい笑顔をして、
「──こちら側に引き込みましょう」
そんな王に、男は尋ねた。
──ジト目で。
「具体的な案はあるんですか」
「えっ?あ、ありますよ。えっと……その……そう!!交渉です!!」
「ほう。では、交渉内容は?」
「うんと。ほら。あれとかこれとですよ」
「抽象的過ぎますな。もっと具体的に」
「ふぐぅ!!あ。う。えーーー。はっ!!そう土下座です!!」
ハーッと大きな溜め息の男。
「何を言っているのですか。王が土下座など……いい笑い者ですぞ」
「じゃあ。爺やは何かあるんですか?」
『爺や』と呼ばれた男はまたもや大きな溜め息を付く。
「また昔の呼び方を……そのせいで私のあだ名が爺やになってしまいそうな事を知っておりますか?」
「いいから!!爺やも何か言ってくださいよ!!」
渋々といったように、塗料で黒く染めた髭を触りながら答える。
「そうですな。数人ほど攫ってき──」
「極悪人ですね!!」
途中で罵倒によって遮る王。それに男はまたまた溜め息。
「この程度で何をおっしゃいますか。私の若いころは戦争によって血が飛び散り──」
「長話はいいです!!とにかく交渉に引きずり出してくださいよ!!」
無茶苦茶な命令を言われた男は盛大な溜め息と共に立ち上がった。そして頭部のを包む布を剥がす。すると、白髪と額に小さな二本の角が出てきた。
「わかりました。ベニバナ様のご命令通りに調べますよ」
「お願いしますね」
「警護はいつも通りにスザクでよろしいですな?」
「ええ。いいですよ。またついでに訓練でも付けてもらいます」
「そうですか。では私はしばらく眠りますので」
そう言って男は王の前だというのに大きな欠伸をした。
「え?今から調べてくれるのでは?」
「丸二日間不眠不休で報告の為に森を駆け抜けたのですぞ、それも御年百五歳が。むしろ長期休暇を頂きたい所ですぞ」
「そうでしたね。ごめんな──」
「ああ。ベニバナ様はこんな老いぼれをこき使うだなんて、なんて残忍な人でしょう」
謝罪を言い切らせず大袈裟に言い張る男。それに反論しようとするが、
「ちが──」
「激務は老骨に響きますな~。おぉ痛い痛い。それをベニバナ様は何て酷い」
「だ、だからちが──」
「ああ、関節の軋みが体を蝕んで──む?少しやり過ぎましたかな?」
そういう男の前には簾越しにでも分かる何かを必死に耐える姿。
「別に泣いて無いです。私元気です。凄く元気です」
「そうですか。なら遠慮無く痛みを訴えさせ──」
「酷くないですかぁ?それ酷くないですかぁ?」
涙声が涙腺が決壊寸前という事を伝えてくる。
「ホッホッホ。冗談です。ではベニバナ様の優しさで半日程休ませてもらえませんか?」
「ダメ。爺やは年寄りだから一日休みなさい」
「そうですか。では遠慮無く」
部屋の扉を開けて振り返る男。その顔には笑顔が浮かんでいる。
「良い子に育って爺やは嬉しいですぞ」
そう言い残して退出した。