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現代ダンジョン黎明期  作者: つくしー
第一部 どこにでもいる高校生
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第35話 不審者


 あのあと、俺は逃げた。


 肩に掴まれていた手を振りほどき、探索者の身体能力でもって全力で走った。「待ってくれ!」という叫び声を残して。まさになりふり構わなかったと言ってもいい。誰かに見られてなければいいなと思う。


 ……なんだったんだ、あの女は。


 身につけていた白衣は小汚く、目は血走っていてひどい隈ができていた。髪はボサボサ。ダンジョンでそういったのに慣れた俺は平気だったけど、臭いもすごかった。あれが風呂キャン界隈かと思ったくらいだ。


 ただ、顔色は悪かったけど、それでも結構綺麗だった気がする。鼻筋も通っていたし、顔立ち自体は整っていた。多分洗って三日くらい寝かせば美人じゃないだろうか。


 しかし、いくら美人でもあの女はヤバい。絶対に何かある。

 冷静になればなるほど、危険だという悪い思考が膨らむ。


 最初は城崎に次いで何なんだと思っていた。何でこうも俺が三層を突破したと疑われているのかと。いや疑いではなく事実そのものではあるが、おかしいだろう。政府の情報規制とやらはどこにいったんだ、と。


 だが、考えれば考えるほどに、あの女は城崎とは違うと思わざるを得ない。


 城崎は俺がダンジョンに遭難した人物であり、俺が普通ではない身体能力を持っていることも知っている。それに城崎は一応友人だ。当てずっぽうで、冗談で、「お前が三層攻略者だろ」と言ってもおかしくない関係だ。


 だが、あの女は誰だ。少なくとも俺は知らない。

 見知らぬ他人に三層攻略者だろとか普通言わない。よほどの確信を持ってないと言わない。言う奴がいるとしたらそいつは狂人だ。いや狂人だったと思うけどそうじゃない、落ち着け。


 問題は、あの女は間違いなく俺を待ち伏せていたということだ。

 なぜ俺を知っている。なぜ俺がよく通る道を知っていた。


 ……もしかして、俺の家も知ってるのか?


 自室の窓から、そっと下の道路を覗く。

 門の前にも、向かいの電柱にも、それらしい人影はなかった。


 ……とりあえず、大丈夫ということだろうか。


 今は大丈夫でも、やはり心配は尽きない。俺は別にいい。仮に良からぬことを考えていたとしても、そう簡単にどうにかされるとは思っていない。


 ただ、家を把握されているかもという恐怖は、理屈ではない。それに万が一を考えた時、ことは俺だけでは済まないかもしれなかった。


 ……誰かに相談した方がいいだろうか。





「――ということがあったんだ」

「……そうですか」


 翌日の日曜、探索帰り。


 拠点で今日の探索結果をまとめたあとに、俺は朱音に相談した。

 真壁さんに相談しようかとも思っていたが、いなかったので仕方ない。先に相談しやすい朱音に事情を話してから決めようと思った形だ。


 大げさだと一蹴される可能性もあった。

 だが、朱音は真剣な表情で考え込んでくれている。

 気が楽になるというか、これだけでも相談して良かった気がする。


「どう思う。真壁さんにも言った方がいいかな」

「言った方がいいとは思いますけど、難しいですね。対応できる場合とできない場合があります。そもそも情報が少なすぎるので、判断しようがないと言いますか」

「まぁ、そうだよな」


 ……現状だとやっぱり様子をみるしかないか。


 不安ではあるけれど、このまま何事もなければそれが一番だ。

 俺がそう諦めていると、朱音が困ったように苦笑した。


「ですが、それでも相手を想定することはできます。いざとなった時に慌てないよう、今から考えておきましょうか」


 そう言って、朱音が「候補は三つほど考えられます」と指を立てた。


「一つ目は、先輩をどこかで知った一般人。三層を攻略した先輩の熱烈なファン、もしくは恨みや妬みを抱いている人でしょうか」

「ファンはないと思うけど、恨みや妬みってなんだよ。俺は何もしてないぞ」

「何もしてないわけではないでしょう。私や綾が先輩に救われたように、その裏で間に合わなかった人もいた可能性があります。何がきっかけで人を恨むようになるかは誰にも分かりませんよ」


 ……まぁ、それはそうだ。


 事実、俺はダンジョンで一人見殺しにしている。助けられる力も勇気もなかった。

 なぜそれを知っているのかは置いておくとして、十分俺を恨む動機になる気がする。これもそういった部類であることは否定できない。


「妬みは?」

「それは単純に一期生になり損ねた人ですかね。ほら、私たち未成年でしょう? 試験も受けていない未成年がダンジョンに潜ってるとか、ズルだと思われてもおかしくないと思いますけど……」


 自分で言ってて腑に落ちないのか、朱音が首を振った。


「とはいえ、私はこの可能性は低いと思います。先輩の身元だけならともかく、普段使う道まで調べて待ち伏せするのは、一般人にしては少し手が込みすぎています。結構大変なんですよ、そういうの」

「……俺の身元を調べて転入した奴が言うと重みが違うな」

「ふふん。私は特別なので」


 ……別に褒めてないが、まぁいい。


 というより、俺もそれはないと思う。色々現実的じゃない。


「一般人であれば政府も容易に対処できますから、これが一番楽なのですけどね」


 そう言って、朱音が二つ目の指を折った。

 指を折ってから少し固まる。まさか今考えてるんじゃないだろうな。


「……二つ目は、諸外国の諜報員、でしょうか」

「諜報員? おい、考えるのが面倒だからって適当言うなよ」

「ち、違いますよ、挙げたのにはちゃんと理由があります。別に映画の観すぎとかでもないですから!」


 気を取り直すように、朱音がこほんと咳をした。


「ニュースでも散々やっていたように、私たちは三層を死者ゼロで突破しました。これは世界的に見ても優秀な成績と言っていいと思います。ほら、スパイがきてもおかしくないと思いません?」


 ついにスパイと言いやがった。

 でも、そう言われてみればおかしくないとは思う。それだけダンジョンというのは世界中で熱狂している事柄だからだ。ただ、その対象が俺であることに納得するかはまた別の話である。


「仮にスパイだとして、俺に接触して何がしたいんだよ」

「さぁ? でも色々考えられますよ。自国に引き入れて自国のダンジョンを攻略させたり、ダンジョン情報を盗もうとしたり。それが叶わなければ……始末とか?」

「始末!?」


 物騒すぎる。穏やかではないにもほどがある。日本だよねここ。

 物理的には銃弾がとんできても死ぬことはないと思うけど、いきなりミサイルとか撃たれたら分からない。あと毒。レベルアップした体に毒は効くのだろうか。


 ……まだ一度も風邪とかひいてないし、効かないといいな。


「いや待て、なんで俺だけ? まさか二人にも接触があったのか」

「私はありませんよ。綾は?」

「私も特に。不審な気配もありません」


 ……なら余計になんでだ?


 俺だけを狙って接触する理由が、ますます分からなくなってきた。


「先輩だけに来たのはたまたまか、または先輩だけが特別だと判断されたのかもしれません。実際、先輩は一層二層を単独で突破してますからね、そう思われても不思議ではないでしょう」

「……三層は俺だけじゃ無理だぞ」


 そう言うと、朱音は軽く苦笑した。


「このパターンだった場合は少々厄介なことになると思います。何が厄介か言い尽くせないほど厄介なので、私としてはそうでないことを願いたいですね」


 スパイ説はそれで終わったらしく、朱音が三本目の指を折った。

 どこか敵意さえ感じられるほどの顔で、「最後に」、と口を開く。


「先輩のことを嗅ぎつけたその他企業が、自陣に引き込もうと小賢しくも接触してきたパターンでしょうか」


 ……めちゃくちゃ棘のある言い方だ。


「新たにダンジョン関連の産業へ参入したい企業なのか、それとも一期生が持ち帰る素材では物足りなくなった企業なのかは分かりません。ですが正直、このパターンが一番可能性が高いでしょうね」

「……まぁ、他の二つよりは現実的か?」

「ええ。私と綾はどうとらえても九重グループから動くことはないでしょうし、先輩だけに接触したのも頷けますからね。何より他の二つよりは行動に移す理由になりやすいです」


 そう言って、朱音が苦虫を噛み潰したような顔をする。


「本当に狡い手を使ってきますね。蜂の巣にしてやりましょうか」

「お嬢様、まだ確定したわけではありません。それと言葉遣い」

「……随分と元気なようなので、少し休ませてあげたいですね」


 今更お嬢様風に取り繕っても遅い。というかお嬢様なのかそれ。

 しかし、その口ぶりだと朱音には心当たりがあるように思えた。


 ……相手は、いいや。聞かないでおこう。

 聞いても仕方ないし、何より聞いていいことなのか分からない。


「何にせよ、相手が企業なら真壁さんに言って止めさせてもらえばいいだけだな」


 これで解決、と思っていたら、朱音が首を振った。


「いえ、それは難しいと思いますよ」

「……なんで?」

「だって犯罪じゃないでしょう。人と人が会うのは何罪ですか」


 そう言われて見れば、確かにその通りではある。

 害意があるならともかくとして、まだ一度だけではストーカーとも言えないだろう。俺にストーカーとか、言っててなんか恥ずかしいな。


「国内企業同士の話に、政府は直接介入できないでしょう。とはいえ先輩は特殊な立場なので、何らかの対処を取ってくれる可能性はあります。ですが、それも注意が限界じゃないでしょうか」

「注意か……」


 俺を殺そうというのなら、当然注意だけでは納得できない。相手を殺してしまえとまでは思わないが、それに近い対応を俺は望むだろう。

 だが、そうではなく俺と話したいだけだというのなら、別に注意だけでもいいような気がしてきた。


 そう考えていると、なぜか朱音が悩ましげに唸った。


「しかし、おかしいですね。今言った三パターンは、すべて誰かが先輩の情報をリークしたという前提で成り立ってます。政府の職員や自衛隊、色々リーク元は考えられますけど、にしては動き出したタイミングが遅いような」


「それこそ一期生の時に、いやもっと前に」と、朱音が続ける。

 そして、真剣な顔で俺を見てきた。


「先輩、長官への連絡含め、この件は私が預かってもいいですか。大丈夫、悪いようにはしません」


 ……朱音に丸投げか。


 だが、ダンジョンならともかくこういったのは朱音の方が明らかに得意だ。それはこれまでの実績からも間違いなく、企業相手であれば尚更だろう。


 年下の女の子に俺の問題を丸投げするのはどうかと一瞬思ったが、もう年下とかそういうので遠慮する仲じゃないしな。最悪の場合は雪村さんもいるし、いいや。


「分かった。任せるよ」

「ふふん。すぐに吉報を届けてあげますよ」


 朱音の得意げな顔を見届けて、俺たちは解散した。

 今日は少し遠回りするように家路に着いた。不審者はいない。

 そのタイミングで、真壁さんからメッセージが入る。


『九重くんから話は聞いた。不審な人物と接触した場所と時間、それから覚えている範囲で構わないので、相手の特徴を教えてほしい』


 どうやらさっそく朱音が真壁さんに連絡を入れてくれたらしい。

 実際に真壁さんから連絡がくると、大ごとになったような気がして何となく気まずい。忙しいだろうにこんなことにまで手を煩わせて申し訳ないと思う。


 そういった意味も含めてメッセージを送ると、『万が一のことを考えれば当然の対応だ。気にすることはない』と返ってきた。良い人だ。


 万が一の時に備え、家族には夕食の時に不審者に気をつけるように伝えた。唯愛が先生みたいと茶化してきたが、十中八九ダンジョン絡みなので俺は真剣である。とはいえ強く言い聞かせる役目は家長である父さんに譲ろう。嫌われたくないからな。


 ……父さんからは恨みがましい目で見られたけど、気にしてはいけない。





 そうして次の月曜日は普通に学校へ行き、放課後は拠点に寄る。何か進展があったかなと期待してみれば、朱音が非常に居心地の悪そうな顔で本部長席に座っていた。


 朱音のこのような顔はあまり見ない。何かあったのかと雪村さんに視線を向けると、雪村さんはどことなく怒っているように見えた。


 ……いや、怒ってるかな。表情に出ないから分からないな。

 黙っていても始まらないから、聞くしかないか。


「どうした。何かあったのか」

「……その、先日の不審者の件なんですけどね」

「もうわかったのか?」


 思わず食い気味に言うと、朱音がぴくっとした。なんだよ。

 しかしもうわかったのか。さすが国家権力。いやここはさすが朱音と言っておこう。こういうことに関しては本当に頼りになる。ありがたい。


 ……ただ、なんでそう顔色が悪いんだ?


「何か、悪い知らせなのか」

「悪い知らせといいますか、都合の悪い知らせといいますか……」

「はっきりしないな。言ってくれ」


 まさか、本当に他国のスパイだったのか。

 俺ができる最悪の想定を頭に入れ、覚悟を決めて答えを促した。

 すると俺の思いが通じたのか、朱音が諦めたように息を吐いた。

 そして、


「……その、先日の不審者、うちの研究員だったみたいです」

「…………」


 なんて?

 頭が理解を拒んでいると、朱音が言い訳のように続けて言った。


「私がうちの施設で話した内容と、資料から先輩のことを知ったみたいで。あ、でもでも、資料には先輩の住所までは載ってませんよ。そこは安心してください!」

「……」

「ほ、本人も別に悪気があったわけじゃないそうですよ。ただ先輩と話したかっただけだそうです。えっと、だから、その……」


 もう言い訳が思いつかないらしい。

 朱音は冷や汗をたたえて、申し訳なさそうに項垂れた。


「ごめんなさい、先輩……」

「はぁぁ……」


 思わず溜息を漏らすと、朱音はばつが悪そうに視線をそらした。

 ……蓋を開けてみればなんとやら、だな。


「……まぁ、何もないならよかったよ」

「ぅ……怒ってます?」

「怒ってない。別に朱音が悪いわけじゃないだろ。むしろ調べてくれてありがとな」


「私が話さなければ起きなかったことなので、完全に悪くないとも言えませんけどね……」と、朱音がぼそっと言った。


 何にせよもう気にしない。確かに拍子抜けはしたが、最悪の事態ではなかったのだからそれに越したことはないだろう。害がなければそれでいい。


「だから言ったでしょう、お嬢様。三橋様なら事情を説明すれば許してくださると」

「……はい、綾の言う通りです。だからそれ以上言わないで」


 雪村さんの呆れたような言葉に、朱音がうなだれている。


 ……こいつ、もしかして隠そうとした?


 そういえば、不審者がわかったという連絡はなかった。俺が拠点に来たのはたまたまで、どうなったと聞いたのも俺からで……いや、いい。何も言うまい。


 最終的には話してくれたし、誤魔化そうともしなかった。

 あるある。そういう魔が差す時。もうそれで流しておこう。


「……そういえば、先輩。前に武器の改良の話、しましたよね」

「ああ、してたな。それが?」


 話題を変えたいだろう朱音に乗っかってやる。

 朱音は露骨にほっとしたような顔をして、


「では次の土曜日に、お詫びもかねて三人で遊びに行きましょう。先輩の意見も聞かないといけないですからね」

「……は?」


 ……どういう意味だ?


「自分だけの武器、作りませんか」


 そう言って、朱音はいつものように笑みを浮かべた。






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