第36話 九重研究所
次の土曜日、俺は朝から雪村さんが運転する車に乗っていた。
一度ダンジョン前に足を運び、探索庁の職員から大骨を受け取る。そうして連れられていった場所は、神奈川県の工業地帯にある施設だった。
「ようこそ、先輩。ここがうちの中でも一番大きい研究施設です」
朱音の声を聞きながら、俺は敷地入口の看板を駐車場から眺める。
そこには、『九重グループ 神奈川技術開発センター』と書かれていた。
……ダンジョンのダの字もないんだが?
「……案外普通なんだな」
研究所というからには、もっと近未来的な施設を想像していた。真っ白くて高い建物がでーんとあって、高い塀に囲われていて、入口には常にサングラスの警備員が立っている、みたいな。
実際は高い塀ではなく鉄柵だし、入口には小さな守衛所があるだけで、物々しい警備員が立っているわけでもない。真っ白い建物どころか高い建物すら一つもなさそうに見える。だだっ広い敷地に四〜六階建ての建物が幾つもある感じだ。あと、今もどこかで工事中のような音がしてる。
「なんか、大学と工場を足して二で割ったような場所だな」
「実際そうですよ。元は工場でした。ダンジョン産の素材を研究する施設として作り替えたんです」
そう言って、朱音が肩をすくめた。
「政府も似たようなことをやっていたでしょう。あれと大体同じですよ。もっとも、こっちはバリバリ稼働していた工場だったので、政府の接収みたいに楽ではなかったようですけどね」
「お嬢様。向こうには向こうの事情があります」
「ものの例えですー」
「まったく……」と雪村さんが呆れたように嘆息し、守衛所に向かった。
さすがに入館証くらいはないと入れないらしいが、それだけか?
「なぁ、これで大丈夫なのか。ダンジョン産の物資は貴重なんだろ?」
それこそ先日のスパイではないが、物資そのものや機密が盗まれたりしないか心配になる。ど素人の俺が見ても、外からはかなり無防備に見えた。
朱音も同意見なのか、軽く苦笑して頷いている。
「先輩の言いたいことはよくわかります。ただ、敷地全てをカバーするのは難しいので、監視カメラや夜間警備を増やすくらいしかできてないんですよ」
朱音が悩ましげに息を吐く。
「なんか便利な魔法でもあればいいんですけどね。こう、ぐるっと囲むように結界が張られるとか」
「……あるといいな」
そもそも魔法自体俺たちは何も覚えてないけどな。
自衛隊や一期生が覚えたとも聞かないし、本当にどうやって覚えるんだ。
手続きを終えて戻ってきた雪村さんから入館証を受け取り、首にかける。VIPと書かれていた。この札をぶら下げて歩くのは恥ずかしいので裏返すと、裏面にもでかでかとVIPとあった。もういい、気にしてはいけない。
朱音に案内されるまま目の前の建物に入る。どうやらここを通らないと奥の研究棟には行けないらしい。
そこで、先日の不審者が俺たちを出迎えていた。
「待っていたよお嬢様、それと三橋くん!」
……本当にここの研究員だったのか。
あの時とは見違えるように綺麗になっているが、面影がある。
不審者は俺たちの驚きなど気にも留めず、ぬるっと動いては俺の手を取った。
「よく来てくれた! いやー、あの時は済まなかったね。私も興奮していてつい気が急いてしまったんだ。さぁ、こんなところで長話もなんだし、さっそく施設を案内しようじゃ、」
「なんでこんなところにいるんですか。仕事してください」
朱音が手刀で不審者の腕を叩いた。
割と真面目に怒っているのか、かなり強めである。痛そう。
「お嬢様、まずはご紹介が先ですよ」
「ぐ……はいはい」
朱音が嫌そうに不審者を手で指し示した。
「この人は久世透子。うちでダンジョン素材を研究している部署の主任です。先輩の紹介は別にいいですよね」
「もちろんですよ、お嬢様。改めてよろしく、三橋くん」
「あ、はい。よろしくお願いします」
……まぁ、悪い人ではないのかな。
不審者――久世さん本人からも謝ってもらえたし、もう俺が気にすることは何もない。そもそも大した事件じゃなかったしな。何より美人だし。
そう思って久世さんを見ていると、朱音がしらっとした目を俺に向けてきた。
「ちなみにその人、37歳独身ですよ。変に優しくすると懐かれるので気をつけてください」
「37歳!?」
嘘だろ。どう見ても二十代後半にしか見えない。
わかった。化粧か。すごいな。
「お嬢様、私は研究一筋なので誤解を招くようなことは言わないで頂きたいのですが」
「なら早く持ち場に戻って仕事してください」
「まぁまぁ、客人を持て成すのも職員の務め。ここはお詫びもかねて私が案内するべきでしょう。それに、三橋くんとは色々話もしたいからね」
「――久世」
一瞬、誰が言ったのか分からなかった。
声の主……雪村さんが、底冷えのする声で続ける。
「あまり調子に乗らないように。またお嬢様の手を煩わせたいのですか」
……怖い。
「――おっと、そういえばまだ研究の途中だった。三橋くん、名残惜しいがまた今度話をする機会を設けてくれ。今はそこのメイドが怖いのでね」
「……あとでちゃんと連れていくので、それまで大人しく待っていてください。でないと、次は減給では済みませんよ」
「おお、それは怖い。それではお嬢様、三橋くん、ついでに雪村、またね」
そう言って、久世さんが颯爽と建物の奥へと消えていった。
……なんというか、嵐みたいな人だったな。
「……じゃあ、行きましょうか」
すでに疲れたような顔をしている朱音のあとに、俺も続いた。
とりあえず、雪村さんだけは今後絶対怒らせないようにしよう。
朱音の案内で敷地を歩き、俺たちは工場らしき場所に到着した。
建物の中へ入った瞬間、油と金属の混じったような臭いが鼻をつく。奥からは断続的に甲高い機械音が響き、作業着姿の人たちが忙しなく行き来していた。壁際には工具がびっしりと並び、作業台の上には見慣れない金属片や鉱石らしきものが無造作に置かれている。
……いや、見慣れないというか、二層で見た気がする。
研究施設というより、本当に工場だった。
ただし、扱っているものだけがおかしい。
「……ここは何をする場所なんだ?」
「試作加工棟です。要するに、ある程度性質が分かったダンジョン素材を実際に加工して色々試す場所ですね」
「なるほど」
「あれに時間を食われましたし、施設を見て回る前に用件を済ませてしまいましょう」
朱音が振り返り、俺の手元を眺める。
人目に付かないよう包んでいた厚手の布を、俺は持ち直した。
「それじゃ先輩、どういう武器が欲しいですか」
……どういう武器が欲しい、か。
俺は今のところ、ダンジョン産の物資がどう研究され、どう使われているのかには大して興味がない。言ってしまえば、この施設に来た一番の目的は武器だ。
この時のために、今日はここにいると言っていい。
「なんでもいいのか」
「出来ることと出来ないことがありますけど、とりあえず言ってみてください」
「じゃあ重くて頑丈なのがいい。最低でもこの骨よりは」
率直に要望を伝えると、なぜか朱音がきょとんとした。
「それだけですか?」
「それだけだけど?」
「あの、形や大きさは? 握りや重心やその他諸々は?」
「大きさは今くらいが丁度いいけど、他は特にないな」
そう言うと、朱音があからさまに呆れたような顔になった。
雪村さんもメモを取っていたらしいが、パタンと閉じる音が聞こえる。
……なんかごめん。
「まぁ、ちょっと聞いてみますか」
朱音が作業中の男性を呼び寄せる。もう話は通していたのか、一言二言話しただけで本題に移ったらしい。俺に大骨を渡すよう朱音が言ってきた。
厚手の布を払って大骨を渡すと、男性は眉をしかめる。
……どうでもいいけど、作業服姿でそれ持たれると違和感すごい。
「もうすでに重いが、これ以上重くしたいのか?」
「重くするだけでは駄目ですよ。頑丈にもしてください」
「調べてはみるけどよ……探索者ってのはイカれてるな」
口調が荒いだけで悪意はなかったので、特に気にしない。俺は「よろしくお願いします」とだけ言って頭を下げた。
しかし、正確に重さを量ったことはないが、重そうにはしつつも一般人が一人で持てるというのはやっぱり軽いな。せめて倍、欲を言えば三倍くらいにしてほしい。あとで言っておこう。
作業員が調べている間は暇だったので、工場内を軽く見て回る。二層の鉱物が至るところで目に付いたが、どことなく面影があると思ったらボスゴブリンの大斧によく似ていた。加工されたあとだと尚更そう思う。もしかしたら原料かもしれない。
「二層産の鉱物は硬いうえに錆びませんからね。今のところ、刃物や加工工具への利用が一番進んでます。でも加工が難しいので、今は鉱物を加工するための工具を鉱物で作っているという感じでしょうか」
ということらしかった。早口言葉かな?
ちなみに、鉱物は非常に硬く、錆びず、しかも金属以上に粘るそうだ。どこがどれだけすごいのかは知らないが、こうして研究に躍起になっているからにはすごいのだろう。
そのあとは朱音の武器改良を見守った。朱音は自分で扱いやすいように加工するつもりらしい。まだどうするかは決めていないらしく、広めの作業台に弓を置いて考え込んでいた。俺はその光景を眺めていただけである。
そうしている内に調べ終わったのか、さっきの作業員が戻ってきた。
「お嬢さん、あの骨はちぃと厳しいな」
「厳しい?」
開口一番に告げられた言葉に、朱音が首を傾げた。
「重くするだけならできるが、あれ以上の強度を持たせるとなると今ある材料じゃ難しい。二層産の鉱物より、あの骨の方がよっぽど丈夫だ」
「む。それ以上を求めるのは確かに厳しいですね。できなくはないでしょうけど、さすがにコストが見合いません。軽く億はいっちゃうかも」
止めてくれ。その単位は俺が死ぬ。
俺の必死の思いが通じたのか、朱音が何か思いついたように手を打った。
「三層から持ち帰った遺物はどうですか。あの中には信じられないほど硬い物質もあった気がしますけど?」
「候補はある。ただ、まだ性質を洗っている段階だ。命を預ける武器にするには心許ないんじゃないか? その辺の感覚は俺にはよくわからんが」
「それは、無理ですね……」
なんだか雲行きが怪しくなってきた気がする。
俺は朱音に近づいて、こっそり耳打ちした。
「なぁ、なんなら重くしてもらうだけでも俺はいいけど?」
「いえ、それは駄目です。重くしただけではいずれ骨が砕けますよ。硬くできないのなら、せめて壊れないよう何か構造的に意味を持たせないと……」
そう言って、朱音は作業員から大骨をひょいと受け取る。
朱音は何かを確かめるように、大骨を撫でたり擦ったりした。
そして、「うーん」と唸っては止まってしまう。
……大丈夫かなこいつ。
「先輩、時間は掛かるかもですけど、私にやらせてもらってもいいですか」
「……やるって、加工を? 朱音が?」
「駄目でしょうか」
駄目というか、できるのか?
確かに朱音には武器作りの実績があるけど、俺のは弓やナイフと勝手が違う気がする。単純に硬くて重いというだけだから、手先の器用さでどうこうできるとは思えない。
それに、石田さんから教えてもらった【器用】の新情報には、別に物作りそのものが上手くなるなんて効果はなかった。朱音が武器を作れたのも、ひどい言い方をすれば三層という極限状態で必要に迫られたからこそできたことだと俺は思っている。
……だが、違うのか?
きっと、まだステータスについては分からないことの方が多い。
もしかしたら……いや、いい。
本人がやりたいのなら、やらせてあげればいい。
「分かった。やってみてくれ」
「ありがとうございますっ」
朱音が嬉しそうに笑みを浮かべる。
お礼を言うのはこっちだろう。
「要望は、頑丈に、重くするだけ。大きさは今のままで他は好きにしていい。それで本当にいいですね?」
「ああ、いいよ」
「すみません、正直出来るか分からないですし、その間武器が無くなっちゃいますね。どうしましょうか……」
困ったような顔をしている朱音に、俺は「気にするな」と軽く言う。
「間に合わせの武器なら適当にモンスターから奪えばいいし、出来なかった時もまた同じだ。だろ?」
「……相変わらず野蛮ですね」
そう言いつつも、朱音は笑っていた。
予想とは大分違う形になったけど、どうやら何とかなりそうだな。
上手くいくかはまだ分からないが、とりあえず当初の目的は達成した。
俺としてはもうここで帰ってもよかったのだけど、せっかくなので施設の中を色々見て回ることになった。滅多に来れない社会見学というやつである。
「はーい、皆さま、お待たせいたしました。ここがダンジョン応用開発ラボでございまーす。こちらでは、ダンジョン産物資のさまざまな利用方法を日夜研究中でございます」
……なぜバスガイド風。妙に様になってるのが絶妙に腹立つな。
ともあれ、部屋を見た感想としては一言でいって雑である。研究所というより広い部屋に作業机や棚を無理やり詰め込んだような場所だ。何に使うのか分からない試作品が棚に並ばれ、ともすれば机の上に放置されている。
作業している人も作業服だし、さっきとあまり違わないな。
「今のところ私が知っている開発品はそれほど多くありませんね。数ミリで真空断熱材より高い断熱性を誇る素材とか、切ったら数時間後にちょっとだけ修復する布とか、その程度でしょうか」
「なんかすごそうだけど、地味だな」
開発というからには、もっとすごいことしてるかと思ってた。
例えば、空を自由に飛びたいなとか。どこでもいけちゃう扉とか。四次元ポケットもどきはもう現実にあるというのに。
それで出てくるのが素材や布とは。いや聞いているだけでも軽くファンタジーな性能ですごいとは思うけど、なんだかちょっと拍子抜けである。
などと思っていたら、朱音が見るからに不機嫌になった。
「どーせうちは地味ですよ、ロケットの部品でいえばナットですよ。でもこういう技術や発見が一番大事なんですよ、そこのところわかってます?」
「……まぁ、なんとなく」
「本当に分かってるんですかね。そんなにすごいのが見たいならもっと大手を見に行けばいいんじゃないですか」
「わかったわかった、悪かったよ」
「まぁうちは設備で大手に勝てませんから、最初からそういう研究はしてませんけど。地味なのはむしろ狙い通りですね」
……なんで俺、軽く怒られてたの?
多少理不尽を覚えていると、朱音が思い出したように声を上げた。
「あ! ね、ね、綾。あれどうなった? その、あれ」
「ダンジョン内における生理及び衛生用品のことでしょうか」
「先輩がいる前で言っちゃダメっ!」
俺は聞こえない振りをした。知らぬ存ぜぬ気にせずが信条である。
二人から物理的に距離を離すと、机の上に薄緑色の液体が入った透明なカップを見つけた。思わず手に取って眺めてみる。
……青汁?
「あー! そうでした、一番面白いものを忘れてました!」
そう言って、朱音が俺の手からカップをひったくった。
大事そうに両手で持ち直し、口元を緩めている。
「なんだそれ。飲み物か?」
「ふふん。これはですね、薬草抽出液――いわゆるポーションです!」
「……ポーション?」
ポーションてことは……つまりポーションなのか?
ちょっと意味が分からない。
首をひねっていると、朱音が得意げに説明してくれた。
「一層で先輩が見つけた薬草、あったじゃないですか。あれをずぅっと研究していて、ようやく実用段階に至ったんです。患部にかければ擦り傷や切り傷くらいなら一瞬で治りますよ」
「マジかよ、すごいな!」
ここにきていきなり夢のアイテムらしいのが出てきた。
これはまさしく、ポーションと呼ぶに相応しい。
そう喜んでいたら、朱音が冷や水をぶっかけてきた。
「ですが、それ以上の怪我となると微妙でしたね。ないよりはマシで、気持ち回復が早くなる程度でしょうか」
「……ちなみにどれくらい?」
「さぁ? まだサンプルが少ないのでなんとも。でも骨折には無意味でしたね」
「どうやって調べたよ……というか一気に微妙になったな」
落胆も込めて口にすると、今度こそ朱音が眉を寄せる。
「微妙? まさか。擦り傷や切り傷を甘く見てはいけません。先輩はリジェネがあるから軽く考えていますけど、私たちにとっては大きな問題なんですよ」
「分かってるよ。ただ、前みたいな怪我にも効けばいいと思っただけだ。そしたら、これからは万が一の際もあの時ほど心配しなくて済むだろ?」
そう言うと、なぜか朱音が急に大人しくなった。
「……ま、まぁ、先輩の言いたいことはわかりました。はい」
気を取り直すように、朱音がこほんと咳をする。
「もちろん最終的にはそこを目指しますけど、今はこれが限界ですよ。それでも、ろくな手当てができないダンジョンでは必須と言ってもいいほど重宝すると思います。私に限らず、ね」
「……つまり、探索者用品ってことか?」
「最終的にはパパが決めることですけど、どうでしょうね。日本にはダンジョンが一つしかないですし。他に何か思いついてるかな?」
一期生は百人しかいないし、二期生が募集されたという話もない。いくら重宝されるとはいえ、使う人が限られているのはどうしようもないだろう。
……そこら辺は俺には関係ないし、夢のポーションが現れるのを気長に待つか。
「うまくいくといいな」
「ええ。ただ、人体にどれだけの影響があるのかまだ分かってないので、商品化するには大きなハードルがあるらしいんですよね。医療用品として区別されると鬼のような面倒臭さが待ってると聞きますし」
「いっそ一期生に配って実地試験でもしてもらいましょうか」と、朱音がぼそっと怖いことを言った。
……そういうのは俺が聞こえないところで言ってほしい。
開発ラボはそれくらいにして、他にもいくつか見て回った。
一層の薬草を育てている区画。
三層や二層素材を叩いたり引っ張ったりしている試験室。
VIPなのに中に入ることすら許されなかった魔石の研究区画。
最初は興味も薄かった施設回りだったが、二人と遊んでいると思えばそこそこ楽しめた。それに、まだ世間に知られていない未来の技術を先に覗いているみたいで案外面白い。
……たまにはこういうのも悪くないな。
「結構見て回りましたね。じゃあ帰りましょうか」
「――まだ私のところに来ていないだろ!?」
背後からそう大声で呼び止められ、思わず振り返る。
そこには、案の定久世さんが立っていた。
……完全に忘れていた。
気まずい思いをしている俺と違って、朱音がしれっとした顔で言う。
「いえ、もういいかなって。正直あなたのところが一番つまらないですし」
「つまらなくない! 素材そのものの良さがなぜ分からないんだ!」
久世さんはひとしきり怒ったあと、疲れたように息を吐く。
「まったく、雪村から連絡がなければ本当に帰っていたじゃないか、危ないな」
「……綾?」
「お嬢様はあとで向かうと仰られました。約束を破るのはよくないことですよ」
ぐうの音も出ない正論に、朱音が「わかりましたよ」と肩を落とす。そうして連れられていった場所は、これまでと明らかに雰囲気が違っていた。
部屋名は、『素材基礎研究部門』と書かれている。
「お、おぉ……すごいな」
広さはそこまでない。けれどやたら静かで、白い机とガラス張りの実験室が並んでいる。棚には番号だけ振られた透明な小さなケース。中には金属片、布、骨、鉱石、透明な板と、見覚えのあるものも多い。机の上には顕微鏡やら何に使うのか分からない機械やらが並び、パソコンの画面には意味不明なグラフがいくつも表示されていた。
ドラマや映画でよく見るようなセットが、目の前にある。
それだけで、謎の感動が俺の胸に広がった。
「なんか、これまでで一番研究所っぽいところですね」
「ははは! そうだろうそうだろう! なにせ私は研究者だからね!」
久世さんが上機嫌に笑い、一つ一つを指さして俺たちに説明してくれる。
あれはどうだこれはどうだと言ってくれているが、俺には何を言っているのかまったく分からない。圧縮強度だの熱膨張率だのは辛うじて分かるが、粉末X線うんたらとかはもう意味不明である。何語?
……朱音が連れて来たがらないのもちょっと分かるな。
なるほど。これは見てもつまらない。
「まずこれだ。二層で採取された鉱物だね。硬度は非常に強く、耐食性は極めて高い。ここまでは知っているかな?」
「まぁ、一応」
「ではこれは?」
久世さんが隣のケースを指さす。
中に入っているのは、黒っぽい石の欠片だった。
「君たちが三層で取ってきてくれたものだ。見た目は石だが、組成を調べても既知の鉱物とは一致しない。こちらは金属に見えるが、電気をほとんど通さない。こっちの透明な板はガラスのように見えて熱を加えてもほとんど膨張しない。そして――」
久世さんは楽しそうに次々とケースを指さしていく。
「これに至ってはもっと面白い。一定以上の力で叩くと急に柔らかくなる。ところが力を抜くと、また元の硬さに戻るんだ。なぜだと思う?」
「……なぜですか?」
「私にも分からない!」
「そ、そうですか……」
愛想笑いを浮かべると、久世さんはむしろ嬉しそうに笑った。
「不思議だろう? これだけ調べて、分かったことが山ほどある。だというのに、肝心なことは何一つ分かっていないのだよ」
久世さんは興奮したように続けて言う。
「私のような人種にとって、何も分からないというのは劇薬に等しい。何が何でも解明したいと躍起になるし、夜も寝付けないほどに興奮する。君たちの前で言うべき言葉ではないが、あえて言わせてくれ。ダンジョンが現れて本当によかった」
「それは……他の場所では言わない方がいいですね」
理由はいちいち言わなくても分かるだろう。
久世さんも「わかっているさ」と大きく頷いた。
「だからね、三橋くん。私が君に言いたいのはたった一つなんだ。もっと未知の素材を持ってきてくれ。君がお嬢様たちのリーダーなのだろう」
「ええ、まぁ。善処はしますけど」
どっちかというと、素材集めに躍起になっているのは朱音の方だろう。知らない仲でもあるまいし、俺ではなくそっちに頼んだ方が早いと思う。
そう曖昧に言葉を濁していたら、久世さんが薄っすらと微笑んだ。
「三橋くん。君は薬草抽出液を見たかい?」
「ええ、見ましたけど」
「あれはね、正直かなり出来損ないなんだ。薬の話ではないよ、あれはよくやっている。原料の方さ。一層で採取された薬草そのものが、だ」
意味が分からず続きを待つと、久世さんは更に口を開いた。
「成分を調べると、細胞増殖や血管新生、組織修復に関わる反応を異常なほど促進する何かが含まれている。その何かがまだ分かっていないのだけど、濃縮するほど作用が強くなることは判明していてね」
「えっと……?」
「一層で採れた薬草ですら、あれだけの効果を持っている。ならあれが特別なのか、それとも一層だからあの程度なのか。知りたいとは思わないか?」
……その発想はなかった。
「つまり、深い階層には更にすごいポーションの原料があるかもしれない、と?」
「そういうことだ。わくわくしないか?」
子どものように目を輝かせる久世さんを見て、正直共感した。
これまで素材はダンジョンのついでのように思っていたし、久世さんの言うように未知の成分とやらには興味がない。だから素材集めにも真剣にはなれなかったが、もたらされる結果には大いに価値がある気がした。
ことはポーションだけの話ではない。それこそ前に朱音が言っていたように、ハコブネを量産化させる何かが見つかるかもしれない。それを久世さんの言葉で……いや、今日の見学でようやく実感できた気がする。
「久世。あなたの同僚が呼んでいますよ」
「ん? おっと、済まない三橋くん。私はそろそろ仕事に戻るよ。ではお嬢様、また」
「ええ、どうぞ。ありがとうございました」
久世さんは実験室に入り、文字通り仕事に戻った。ガラス越しに見えるその横顔は、不審者の面影も、さっきまで陽気に見えた顔もなく真剣そのものだ。
「うちは色々な事業を手広くやってるグループなので、何度か言いましたけど研究開発はそこそこなんですよ。だから設備も大したことないですし、元々専門にしていた他所に比べたらどうしても劣っていると思います」
そう言った直後、朱音はなぜか胸を張った。
「ただ、人材だけは一流だと思いますよ。なにせ、未知のダンジョン物資をどこよりも早く研究できる環境ですからね」
……そうか。俺たちが一番なのか。
俺たちが日本で一番、ダンジョンをよく知っている。
久世さんからお願いされたとか、世のため人のためとかそういうのはどうでもいいけど、これだけははっきりしていた。
わくわくしないかと聞かれれば、わくわくしてるに決まってる。
「……四層、行きたくなってきたな」
独り言のつもりが、二人にはバッチリ聞こえていたらしい。
「もう少しゆっくりしたかったんですけどね」と、朱音が苦笑した。
「最低でも武器の更新を待ってください。それまでには準備を進めておきますので」
「ああ、わかった。ありがとう」
そのあと、俺たちは施設を出た。
雪村さんが運転する車の中でも、まだ熱は冷めていない。




