第33話 帰還後の日常
次に起きたのは三日後の土曜日だった。
いや、正確には何度か起きていたと思う。
水を飲んだり、母さんに何か食べさせられたり。けれどその辺りの記憶は全部ぼんやりしている。シャワーを浴びなかったのは体臭で分かった。全身が汗臭い。
さすがに気持ち悪かったので、起きて最初にシャワーを浴びた。
裸になったことで分かったが、俺の怪我はもう完治している。どうやら無意識にリジェネを使っていたらしい。疲労までは治せなかったようだけど。
スマホを確認すると、真壁さんからメッセージが入っていた。
『体調が戻ったら、改めて三層について話を聞かせてもらいたい』
……まぁ、そうだよな。
俺が話したのは本当に概要だけなので、正式に情報を共有する必要がある。地図データを持っているのは雪村さんだから、そっちには俺が連絡しておくか。
俺は溜め息を吐きながら、雪村さんにメールを送った。
こうして、俺の土日はほとんど三層の報告だけで潰れた。
雪村さんとも合流して地図データを提出し、遭遇したモンスターの位置や特徴を書き込む。二層でやっていたこととほぼ同じで慣れたものだ。ここから更に情報が増える度に追加し続けなければならない。
遺跡の壁画やワーウルフの行動についても、覚えている限り細かく聞かれた。一度話した内容を別の担当者にもう一度聞かれることもあり、正直かなり疲れる。
……これ、いつまでやればいいんだろ。
後続のためを思えば仕方ないけど、いい加減めんどくさくなってきた。情報料として結構なお金はもらってるけど、そもそもお金に困ってないし、面倒が勝つ。そろそろ他の探索者に役割を移したいが……仕方ないかもしれないな。
そうしてあっという間に土日が過ぎて、月曜日。
俺はいつものように朝食を食べながら、朝のニュースを見ていた。
『――政府は昨夜、日本国内の異常領域において第三階層の攻略が確認されたと発表しました』
真壁さんの言葉通り、政府は三層突破を正式に公表した。
俺が知らなかっただけで昨夜のうちにそれは済ませていたらしい。今は昨日の会見の様子をテロップ付きで流していた。
……どうでもいいけど、真壁さんて本当に偉いんだな。
知り合いがテレビに出ている姿を見ていると、なぜか感動する。
『政府の発表によりますと、第三階層の攻略が確認されたのは、アメリカ、中国に続いて世界で三例目となります』
画面が切り替わり、世界地図の上に日本、アメリカ、中国の国旗が表示される。
『一方、今回特に注目されているのが、攻略に伴う人的被害です。政府は今回の第三階層攻略について、攻略に参加した人員から死者、行方不明者ともに出ていないことを明らかにしました』
『これは第三階層の攻略を公表している国としては世界で初めてです』
へえ。
そんなところまで比べられてるのか。
『先行して攻略を発表したアメリカでは死者三名、重傷者十一名。中国についても複数の死傷者が発生したことが明らかになっています。これに対し、日本では第一階層、第二階層を含め、政府管理下で行われた探索活動における死者は現在まで確認されていません』
その言葉とともに、画面には大きく、
【世界三例目 三層攻略】
【死者ゼロでの攻略は世界初】
と、表示された。
『これまで政府の探索方針については、海外と比較して慎重すぎるとの指摘もありました。しかし今回、人的被害を出すことなく第三階層を攻略したことで、その方針を評価する声も上がっています』
『また政府は、今回の攻略に関わった人物や人数、具体的な攻略方法については、安全保障上の理由から公表しないとしています』
そこまで聞いて、俺は味噌汁をすすった。
やたらと死者ゼロが強調されているが、当事者としてはあまり気持ちのいいものではなかった。そんな数で数えられるみたいに死んでたまるかっての。
「へー、兄ちゃんすごー」
「……」
ただ、耳触りの良い言葉には違いないらしい。
向かいの唯愛が箸をくわえながら、俺とテレビを交互に見ていた。
「行儀が悪いぞ。箸をくわえながら喋るな」
人のことが言えないながらも注意をして、俺は軽く嘆息した。
「別に、俺だけの成果じゃないよ。仲間がいたからできたことだ」
「仲間! そっか、そうだよね。一人で行くわけないもんね」
何となく居心地が悪くてそう言ったのに、なぜか興味を刺激してしまったらしい。
唯愛が瞳を輝かせながら口を開いた。
「ね、ね、兄ちゃんの仲間ってどんな人? 唯も会ったことある?」
「何だよ急に……そういや会ったことなかったな」
「どんな人どんな人? 今度うちに連れてきてよ!」
……いきなり何を言い出すんだこいつは。
興味本位で口走っているのは丸わかりで、俺としてはこの話題をあまり長引かせたくはない。なぜなら母さんまでも興味深そうに聞き耳を立てているからだ。
お世話になっているお仲間に挨拶を、とか言われたらまた面倒だ。
「まぁ、そのうちな」
「そのうちっていつ? 明日?」
「……またお前は。そのうちはそのうちだ。待ってろ」
「えー気になる! せめて男か女かだけでも教えて……て、まぁ男の人に決まってるか。ダンジョンだし、何より兄ちゃんだもんね」
「は? 誰が男だなんて言――あ」
唯愛の口元が悪戯っぽく笑みを描いている。
……しまった。完全にやられた。
「へー、女の人なんだ。ダンジョンで、兄ちゃんと、何週間もずっと一緒に」
「言い方に気をつけろ。そういうのじゃないし、二人きりなわけないだろ。俺含めて三人パーティだ」
「そっか、そうだよね。でもその人可哀想だね。女の子が一人だと色々気を遣いそうだし」
「……どうだろうな。俺の方が一人だから」
「え」
男二人と女一人より、男一人と女二人の方がまだ聞こえはいいはずだ。前者だと何となくむさ苦しいし、唯愛の言う通り女性一人というのも色々と気まずそうだ。
いや、後者は後者でハーレム野郎みたいじゃないか?
いや違う、俺にそういうつもりがなければセーフになるはずだ。
……誰にというわけじゃないが、許しを請いたくなってきたな。
「つ、連れてきて! 本当に会いたくなってきた!」
「本当にって何だよ……だからそのうちな」
「絶対だよ、約束!」
差し出された小指に、仕方なく自分の小指を絡める。
色々マセているところはあるけれど、こういうところはまだ子供っぽい。
……まぁいい。むしろチャンスだ。
朱音と雪村さんに根回しして、二人にはダンジョンの汚い話だけを語ってもらおう。万が一にも唯愛がダンジョンに潜りたいとか言い出さないようにな。
もっとも、そのうちがいつになるかは分からないけど。
「はいはい、そんなことより早く学校の準備しちゃいなさい」
キッチンから聞こえた母さんの言葉に、俺たちは急いで朝食を口に運んだ。
洗いものの時間が遅れたらめちゃくちゃ怒るから急ぐしかない。
「暁一、あんた今日は学校行くんでしょうね。冬休みからずっと休んで、留年でもしたら許さないわよ」
「わかってる、行くよ。それと多分だけど公欠扱いになってるから、その辺も大丈夫だと思う」
「あら、随分な待遇ね。ちょっと安心したわ」
そう言った割に、やや棘のある声で母さんが続けた。
「けれど、それと勉強はまた別でしょう。もう成績が悪いのは諦めたけど、そのせいで留年になっても許さないわよ」
「わ、わかってるよ、頑張るって」
というか成績が悪いのは諦められたのか、俺。
もう何を言っても藪蛇になるから大人しくしておこう。
しかし、次の母さんの言葉に愕然とした。
「ちなみに成績は日頃の態度でも決まるわよ。あんた、宿題は?」
「……しゅく……だい……?」
母さんと、それと目の前の唯愛からも溜息が聞こえた。
どうやら、兄としての名誉は今ので砕け散ってしまったらしい。
そんなんやってる時間なかったじゃん……。
……ちなみにだが、唯愛との話は母さんも一言一句聞いていた。
家を出る瞬間に声を掛けられ、満面の笑みを浮かべてこう言われた。
「暁一。お仲間さんだけど、本当に連れてきなさいね。母さんも挨拶したいから」
「……分かりました」
……どうやら、適当に誤魔化して終わりとはいかなそうだ。
今のうちから理由でも考えておこう。
久しぶりの通学路は、相変わらずダンジョンフィーバーが続いていた。
駅前の大型モニターでは、今朝見たものと同じ三層攻略のニュースが流れている。スマホを眺めている人の画面にもちらほら見覚えのある単語が見えた。
俺が初めて帰ってきた頃も大概だったが、あの頃とは少し雰囲気が違う。
あの頃はゴブリンもレベルもステータスも、どこか現実離れしたものとして騒がれていた。けれど今では、それらはもう存在を疑うようなものではないようだった。
「三層ってアメリカと中国の次だろ? 普通にすごくね?」
「でも誰が攻略したんだろうな。自衛隊じゃないんだろ?」
「きっと錦戸さんだぜ。だって渋くてかっけーもん」
「ありそー!」
ホームで電車を待っていると、すぐ近くにいた高校生らしき二人組の会話が耳に入ってきた。
いくら芸能人みたいに露出していても、少し前までは探索者をどこかイロモノ扱いしている空気もあったと思う。特に年を重ねた人ほど半信半疑だった。
だが今では、年齢に関係なく憧れや嫉妬の目で見る人が増えている気がする。
むしろ、ありがたいとすら思う。
俺たちの代わりに目立ってくれて、ありがたい。
そうして久しぶりの満員電車に揺られ、最寄り駅で降りる。
学校までの道を歩いていると、なぜか妙に視線を感じた。
……なんだ? 聞き耳……は、立てないようにしよう。
どんな内容であれ少なからずダメージを受けるからな。
それが万が一にも悪口であれば、もう特効である。
謎のデジャヴを覚えながら、上履きに履き替えて自クラスの扉を開けた。
そして――なぜかまた、俺が入った途端に教室が静かになった。
……な、なんで? 今回は目立つような真似してないよな?
前回はダンジョンから初めて帰ってきた時だから、まだ分かる。あれは一カ月近く学校を休んでいたし、何よりダンジョンに落ちた事実があったから仕方ない。
でも今回は違くない? せいぜい一週間冬休みを延長したくらいだろ?
そう顔を引きつらせていると、城崎が空気を読まずに駆け寄ってくる。
そして、
「よぉ暁一! お前なんだろ、三層攻略したの!」
「――――」
心臓が止まるかと思った。
なぜ、どこから漏れた。いや誰が漏らした。
しかし俺が反応を返す前に、城崎が続けて得意げに言う。
「三層攻略発表の直後に学校来るとかわかりやす過ぎんだよ! どう、俺の推理? マジ名探偵じゃね?」
……ああ、合ってるよ。マジ名探偵だよ。
けど、そこで推理とか言っちゃうのがもう城崎らしいよ。
俺は他の誰かがその名推理に乗っかる前に、急いで口を開いた。
「違うよバーカ、インフルエンザだよ。あとで先生に聞いてみろ。公欠になってるから」
「なんだ、そうなのか。みんな違うってよー」
城崎の言葉に、教室の至るところから騒がしさが戻ってくる。
少しだけ耳を澄ませてみると、「まぁそうだよな」「怪しいとは思ったけどさすがにねー」と言った声が聞こえてきた。
どうやら疑惑は抱いていても半分以上はネタだったようだ。ネタで人の心臓を止めようとしないでほしい。
とはいえ、例えネタだとしても、普通は同級生が三層を攻略したとは思わない。これは俺が自分の想像以上に目立っている証拠かもしれなかった。
……あとで先生と口裏合わせておこう。
「よぉ、災難だったな、暁一」
「ああ、おはよう黒井」
自席につくと、薄情な城崎と違って黒井が苦笑を浮かべながらやってきた。
災難は災難だが、事実は事実でもある。だから突然疑われた被害者のように振る舞うのが難しくて、俺は曖昧な笑みを浮かべた。
黒井はそんな俺をしばらく眺めてから、不意に口を開いた。
「お前、冬休みどっか行ってたのか」
「いや、どこにも行ってないけど」
「そっか。いやいいんだ。ただ、隠すなら隠せよ。お前、インフルとか言ってた割に、冬休み前よりどっか逞しくなってる気がするぞ」
「……そ、そう?」
思わず体を見下ろした。別に変わったつもりはない。
レベルが上がったところで肉体には何の変化もないはずだ。
というかこの物言い、もしかして気付いてる? いやまさか。
……でも、なんだろう。
逞しくなったと言われて、ちょっと嬉しい。
「……たく。まぁ、なんか困ったことあったら言えよ。一応友達だからな」
「お。おう。ありがとう」
はっきり友達と言われてなんかむず痒い。
黒井に「なんだその顔」とからかわれていると、朝倉さんと京本さんが俺の席に近づいてくるのが見えた。笑顔で「おはよう!」と挨拶される。
「おはよう、朝倉さん。何か用?」
「ううん。インフルエンザだって聞いたから。もう大丈夫なの?」
「ああ、うん。全然平気。心配してくれてありがとう」
本当はインフルエンザでも何でもないので、そう答えること自体に罪悪感がある。だが、朝倉さんは素直に安心したように笑ってくれた。
「よかった。じゃあ今日、放課後空いてる?」
「今日?」
「うん。皆で遊びに行こうって話してるの。三橋くんも来ない?」
……何か予定があっただろうか。
真壁さんとの面談はもう終わっているし、特に予定もないように思える。ただ、できるなら朱音の様子を見に行きたい気もあった。家がどこにあるかすら知らないけど。
俺がそう返事に迷っていると、朝倉さんが軽く頬を膨らませた。
「冬休みのパーティー、来てくれなかった」
「え? いや、あれは、」
「それに何度か連絡したのに、一回も出てくれなかったし」
隣で京本さんが「あーあ」という顔をしている。
……もしかして、怒ってる?
「だから、今日は来てね」
朝倉さんがにっこり笑う。
疑問形ですらなかった。
きっと、俺が今言える答えは一つしかない。
「……はい。分かりました」
……何だか今日は、朝から押し切られてばかりな気がする。
そのあとは驚くほど普通に時間が過ぎていった。
少しでも成績を戻すため(良くするためではない)に授業をしっかり聞いて、ノートに丁寧に板書していく。あっという間に放課後になった。
朝倉さんと京本さんを含めた女子四人と、男は俺一人の計五人。
その五人で地獄のようなカラオケを満喫していると、途中で朱音からメッセージが入った。
『(´・ω・`)』
……なんだこいつ。
意味不明な顔文字に首を傾げながらも、返事を打った。
『なんだよ』
『なんでもないです』
……暇かよ。
『そういえば、アイテムの所有権を決める打ち合わせを近々やることになりました』
『怪我は。もう動けるのか』
『激しい動きは禁止されましたけど、明日から外出オーケーです』
それってもうほぼ治りかけに等しくないか。
俺が言うのもなんだけど、やっぱり探索者の身体って異常だろう。
……けれど、思ったよりもダンジョンに潜るのが早まりそうだな。
そう考えていると、続けて朱音からメッセージが届いた。
『でも、打ち合わせはうちで行います
『よほど早くアイテムを調べたいのでしょうね
『先輩、何言いました?』
……事実しか言ってないけど、黙っておこう。
『まぁいいです。先輩もうちにきます?』
『行かない』
『(´・ω・`)』
そこで朱音からのメッセージは終わった。
顔を上げると、朝倉さんが膨れっ面で俺を見ていた。
「三橋くん、楽しい?」
「……楽しいです」
……まぁ、人といる時に他人とメッセージをするとか、これは明らかに俺が悪い。




