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現代ダンジョン黎明期  作者: つくしー
第一部 どこにでもいる高校生
31/38

第29話 三本爪


 二日後、俺たちは朝からテントの後片付けを始めていた。


 朱音が素材や残骸をハコブネへ収め、雪村さんが包帯や薬草をまとめていく。俺は焚き火の跡を掘り返し、痕跡が残らないよう土をかぶせた。


「……そろそろ水浴びしたいんだけど、だめ?」

「駄目です。我慢してください」 


 雪村さんに一瞬で切り捨てられ、朱音が肩を落とした。

 動けるようにはなったのだから、そうしたい気持ちもよく分かる。

 だが、まだ怪我人なのだしそこは我慢してほしい。


 ……反撃開始といっても、いきなり正面からぶつかったりはしない。


 この二日間は朱音の養生と武器作りに充て、俺たち自身の体力も可能な限り回復させた。俺が姿を見せなくなったことで、ワーウルフが警戒を解いた様子はない。今のところ拠点を探しに来る気配もなかったが、いつ再び動き出すかは分からない。 


 ここに留まっていられる時間は、そう長くはないと判断した。


 ……これからは、拠点らしい拠点も作れないからな。


 このテントとも、しばらくお別れになるかもしれない。

 最後の荷物をハコブネへ詰め込み、俺は二人に振り返った。


「……よし、やるか」


 俺たちはテントを後にし、静かに行動を開始した。


 





 ワーウルフは頻繁に野営地を移している。本来なら居場所を突き止めるのは難しいはずだが、目印を残す習性があるせいで行動範囲だけならむしろ読みやすく、奴らはすぐに見つかった。


 大きな蜥蜴を相手に狩りをしている複数の個体。木々に刻まれた目印から読み解くに、ここは奴らの狩り場として指定されている。現れるまで張り込むつもりだったが、そうするまでもなかったのは運が良い。


 蜥蜴を仕留め、解体を始めるワーウルフたち。

 俺はその様子を樹上から見下ろし、頃合いを見計らって飛び降りた。


「ギャウッ!?」


 落下の勢いを乗せた大斧が、一体の脳天をかち割る。

 突然の奇襲にも、残りはすぐさま反応した。俺を囲もうと左右へ散開する。


 遅い。


「ッ!?」


 踏み出した一体の足を払い、前につんのめらせる。その頭を抱え込むと、力任せに首を捻った。

 ボキッ、と骨の折れる嫌な音が響く。

 体から力が抜けた瞬間、俺はその死体を別のワーウルフへ投げつけた。


「ガゥッ!」


 仲間の死体を無視できなかったのか、そいつは武器を降ろして咄嗟に両腕で受け止める。その隙に大斧を叩き込もうとしたが、横合いから槍が伸びてきた。舌打ちしながら刃で弾く。


 残ったワーウルフたちが低く唸り、牙を剥き出しにして俺を睨んでいた。

 包囲は完成した、といったところか。


 ……二体か。思ったより殺せたな。


 真っ昼間に俺が襲ったことは一度もないから、油断でもしていたのだろうか。不意打ちで二体も仕留めることができたのは初めてかもしれない。


「ギャウッ!」


 考える暇を与える気はないらしい。


 ワーウルフたちが一斉に槍を突き出してくる。俺は跳躍して樹上へ逃れたが、すぐさま複数が追いすがってきた。

 枝を蹴り、さらに距離を取る。今度は一体が先回りしていた。


 ――回避しきれない。


 肩への一撃を許す代わりに懐へ潜り込み、顎を蹴り上げた。背後から迫ったもう一体が、俺の背中目掛けて槍を繰り出す。


「ッ!」


 身を捻り、穂先を寸前でかわす。


 そのまま樹上でワーウルフと激突し、絡み合うように地面へ落ちた。互いに腹を蹴って距離を取り、同時に態勢を整える。ダメージ量は俺が二、向こうが八ってところか。


 ……森の中での連携は、やっぱ強いな。


 一体一体も決して弱くない。単体なら負ける気はしないが、群れで来られるとやはり厄介だ。


 そう考えているのは向こうも同じらしい。

 ワーウルフたちは陣形を崩さないまま、じりじりと後退を始めた。


 奴らは学習している。

 俺が割に合わない相手であること。そして、逃げれば追ってこない相手であることを。

 事実、これまで俺は一度も深追いしていない。そう思われても無理はないが――。


 ……油断しすぎじゃないか?


「ギャウッ――!?」


 隊列の最後尾にいたワーウルフの首から、突然血が噴き出した。

 木陰に潜んでいた雪村さんのナイフが、その喉を深々と掻き切っている。


「そもそも、俺は一人じゃないだろ?」

「ガゥガッ!?」


 何事か喚いたワーウルフの懐に潜り込み、大斧で首から上をかち上げた。

 逃げ切れると思ったところを奇襲され、一気に二体もの仲間を失った。残ったワーウルフたちに目に見えて動揺が走る。俺と雪村さんはその隙に更に一体ずつ仕留めていった。


 残り二体となったところで、ワーウルフたちはようやく我に返った。

 なりふり構わず反転し、森の奥へ逃げ込もうとする。


 ……運がないな。そっちは外れだ。


 ――轟音が響いた。


 次の瞬間、一本の矢が二体をまとめて貫いていた。

 ワーウルフの身体に大穴が穿たれ、折り重なるように地面へ倒れる。遅れて辺りに血の雨が降り注いだ。


 地面には、破壊の象徴のように一本の矢が突き立っている。


「……もう大丈夫です」


 雪村さんがナイフを収めたことで、俺も軽く息を吐いた。


 こうして警戒を任せられる相手がいるだけで、精神的な負担は大分違う。ここ数日の単独行動でそのありがたさを嫌というほど思い出した。


「意外とあっさり終わりましたね」


 戦闘が終わったことを察したのか、朱音が樹上から降りてきた。

 俺は三層の素材だけで作った朱音の弓を、半目で眺める。

 

 巨人の骨をメイン素材に使った弓は、全体的に白く濁っている。


 薄く削った骨を何枚も重ね合わせ、継ぎ目を黒ずんだスライムの接着剤で固めていた。表面には補強のためか蜘蛛の糸が幾重にも巻き付けられ、両端には以前の弓から取り外した金具が嵌め込まれている。


 形そのものは、不格好でも弓に違いない。


 だが、骨特有の硬質な光沢と、不均一に重ねられた素材のせいで、武器というより何かの生物の一部を無理やり継ぎ接ぎしているようにしか見えない。というか事実そうだった。


 ……それより、威力高すぎだろ。


 対物ライフルかな?


「さっきの一撃、スキル使ったのか」

「『ズドン』ですか? 使ってませんよ」

「……嘘だろ」


 スキルを使わないであの威力とは。じゃあ使ったらどうなるの?


 恐ろしいやら頼もしいやら複雑な気分で弓を眺めていると、朱音は何が気に入らないのか顔をしかめた。


「三層の素材は丈夫なので、張力をできる限り上げたんですよ。おかげで威力は上がりましたけど、命中精度も低いし連射もできません。当たらないスナイパーとか最低です」

「二体まとめて仕留めたろ?」

「頭を狙ったのに当たったのはお腹ですよ。二十メートル以内の距離でこれはかなりまずいです。しかも専用の矢じゃないと威力に耐えられないですし、しばらくは力を抑えて普通のを使った方がいいですね」


 地面に突き立っている矢は、朱音の言うように自作したものだ。

 これも巨人の骨をベースにしていて、もはや矢というより槍に見える。完全にやり過ぎだった。


 ……だが、この威力は使えるな。


 ただ、今の朱音に何度も使わせるわけにはいかない。

 弓は体幹をこれでもかと使う。今も無意識に脇腹を抑えているところを見るに、相当負荷が高いのだろう。あまり無理はさせられない。


 ともあれ、まだ初戦が終わっただけだ。

 いわば前哨戦。俺たちの連係を再確認しただけに過ぎない。


「やるぞ。狩られる側の気持ちを味合わせてやる」


 ……これからが、本番だ。





 その日から、俺たちは次々とワーウルフを仕留めていった。


 とはいえ、初戦のように不意打ちから正面衝突するような真似はもうしない。奴らは狩場を木々の目印に沿って決めている。小袋持ちのワーウルフが付けた目印に絶対の信頼を置いているからだ。それを逆手に取る。


 目印を、俺たちの都合の良いように書き換えてしまえばいい。


 つまり、俺たちの有利な陣形に誘い出し、待ち伏せする。そうして書き換えた目印に従ってのこのこと現れたワーウルフを、待ち構えていた俺たちが奇襲する。これが効率良く上手にはまり、都合四回は成功した。


 だが、同じ手を何度も繰り返せばさすがに奴らも学習する。やがて狩りに出る部隊の数は増え、周囲には大規模な警戒役が配置されるようになった。


 一つの狩り場へ向かうだけで、以前とは比べものにならないほど慎重に動いている。こちらが姿を見せれば、無理に戦わず全体で退くことさえあった。


 待ち伏せだけで数を減らすのは、もう難しいだろう。


 ……だが、別に問題はない。


 待ち伏せで倒せなくなったとしても、こちらの目的が潰れたわけではない。むしろ、奴らがそちらにばかり気を取られているのなら都合がいい。

 俺たちはその裏で、別の目印にも手を加えていた。


 狩り場を示す印ではない。

 野営地を畳み、群れ全体が次の土地へ移る際に使われる目印だ。

 待ち伏せでの奇襲は、あくまで奴らの注意を引きつけるためのもの。


 本命は、ワーウルフの群れそのものを、こちらの望む場所へ移動させることだった。


 ……だが。


「……なかなか思うように動いてくれませんね」

「ああ。恐らくこいつが原因だろうな」


 俺は目の前の大樹を見上げ、軽く息を吐いた。


 大樹の幹には、斜めに大きく三本の傷が刻まれている。それは俺たちが一番最初に見つけた奴らの目印でもあった。


 他の目印は、おおよその意味を読み取れた。およそ狩り場、移動方向、野営に適した場所の三つで構成されている。だが、この三本傷だけは今も意味が分かっていない。


 分かっているのは、一つだけ。


 ワーウルフは、この印の先へ絶対に進まない。


「……危険地帯を示す印か?」

「どうでしょう。この目印の近くに私達もしばらく陣取ってましたけど、特に何も起こってないですよね」


 朱音の言う通り、俺たちの最初の拠点である湖畔にはこの三本傷が刻まれていた。しかし何も起こっていないし、至って普通に過ごせていた。


 きっと、あの時ワーウルフが現れなければ、今もあそこを拠点にしていただろう。


「消しますか?」


 雪村さんの問いに、俺は少しだけ迷った。


 消してもいい。というか移動させたい場所はこの先なのだから、俺たちが勝つには消すしかない。あまり派手に動くとバレるという危険もあるが、それはこの際どうでもよかった。


 ……もし、危険地帯を示す印だったら。


 そうだった場合のリスクが大き過ぎる。もう一度誰かに怪我を負わせるわけにはいかない。やはり、ここは作戦を練り直して―― 

 

「えい!」

「あ、ちょ、おまっ!?」


 朱音が、勝手に樹皮を削って三本傷を消してしまった。


 ……何やってんのこいつ。


 そう思わず睨むように見ると、朱音が肩をすくめて苦笑した。


「誘導先は何度も確認したでしょう。綾にも周囲を調べてもらいました。少なくとも目に見える危険はありません」

「いや、だから絶対とは言い切れないから悩んでたんだろ」

「私のせいで、先輩が必要以上に慎重になり過ぎているのは分かります。でも、あの時だって別に失敗したわけじゃないでしょう」

「……」

「その時その時で最善だと思う判断をしました。結果はちょっと残念でしたけど、予測できなかったことまで全部先輩の責任にするのは違います。あまり私達をなめないでください」


 そう言って、朱音はにっこり笑みを浮かべた。


「あんまりウジウジしてると、今日から私がリーダーですよ?」

「……朱音には任せられないな」


「なんでですか!?」と本気で食ってかかる朱音を放って、俺は大斧を構えた。


 そして、他の三本傷が付いた木に向かって横から全力で薙ぎ払う。

 幹に鈍い衝撃が走り、樹皮が盛大に削り取られる。


 当然、三本傷はもうどこにも見えなくなっていた。


「消そう。代わりに移動を示す印を刻む。反対側には三本傷だ。進ませたくない方向を全部塞ぐ」

「……また、随分と露骨ですね」


 雪村さんは嫌そうな顔をしたが、口元は少し笑っていた。

 朱音は逆に満面の笑みを浮かべている。


「やるならとことん、ですね!」

「そういうことだ……おかげで色々すっきりしたよ。ありがとう」

「ふふん。もっと褒めてくれてもいいですよ」


 朱音が胸を張っているが、無視だ。


 ……別に褒めたわけじゃないしな。





 結論から言って、やはり露骨でやり過ぎだった。

 次の日も、また次の日もワーウルフは野営地を移動しない。


 なんでかと思って印を見に行ってみると、斥候らしき個体が何度も周囲を巡回していた。中には俺たちが書いた印の前に長時間立ち止まり、仲間と言い争う者まで現れる始末である。


 もう、完全に怪しまれていた。


「おい、どういうことだ。朱音の言う通りにしたら失敗したぞ。どうすんだよこれ」

「いえいえ、私は三本傷の一つを消しただけですから。調子に乗って全部の印を書き換えたのは先輩ですよね。先輩の責任です」

「……予測できないことまで俺のせいにするのは良くないんじゃなかったのか」

「これは予測できましたよね。あれ、忠告しませんでしたっけ」


 ……してねーよ。


 むしろやるならとことんだとか煽ってきたろ。


「お二人とも、責任の押し付け合いは止めましょう」


 雪村さんが呆れたように仲裁に入ってくる。俺も素直に引いた。

 別に本気で言っていたわけじゃない。ただちょっと、あの時の感謝を返せと思っていただけだ。


 俺は軽く息を吐いて、仲間割れを始めたワーウルフを眺める。


「……やるならとことん、か」

「先輩?」


 嫌な予感でもしたのか、俺を引き止めようと朱音が手を伸ばした。その指が空を掴む。もう俺は大斧を構えて、一足で跳んでいた。


 ワーウルフは喧嘩に夢中になり過ぎているのか、俺の存在に気付いた頃には一歩遅かった。


「ギャウッ!?」


 一息で大斧を振り抜き、二体まとめて胴から両断する。

 呆気なく沈んだワーウルフを見て、朱音と雪村さんは何とも言えない顔で俺を見てきた。


「何してるんですか。偵察部隊を潰したら確実に怪しまれますよ。もう私達が書いた印には絶対に従ってくれません」

「もう怪しまれてるから今更だな。それに、従うさ。従うしかない状況に追い込めばいい」


 選択肢を与えるからこういうことになる。 

 そもそも、こういった思考を誘導するような回りくどい作戦は俺向きではなかった。やはり慣れないことをはするものじゃない。


「それより覚悟しておけよ。もうあまり休めないと思ってくれ」

「……何をする気ですか?」


 心なしか顔を引きつらせた朱音に、俺は言った。


「ここからは攻勢に出る。動かないなら、動かせばいいだけだろ」


 ……目印が信用されないのなら、ここに留まる方が危険だと思わせればいい。


 誰が? もちろん、俺たちがだ。


 ――野営地に、奇襲を仕掛ける。


「ギャイッ!?」「ガゥッ!」「ギャンッ!?」


 俺が天幕を薙ぎ倒し、別方向から雪村さんが張り綱を切る。そして朱音の矢が荷物の集積場所に突き刺さる。慌てて飛び出してきたワーウルフを視界に入れる前に、俺たちは即座に撤退した。


 襲撃し、撹乱し、兵站を破壊したのち即離脱する。 


 大規模な部隊が出てくる暇も与えないゲリラ作戦。昼夜問わずにこの奇襲を繰り返し、敵の警戒が増した時には何もしない。その間だけが俺たちも休める時間だと割り切った。

 

 野ざらしの野営地など、所詮はただの大きな的だ。

 いくらワーウルフが強くても、対応できなければ意味がない。


「……そういえば、先輩はあの二層を一人で攻略したんでしたね。今、嫌というほどその意味を理解しましたよ」

「相手の嫌がることを率先してやるのは常識だろ」


 そう言うと、朱音がもういいと言わんばかりに苦笑した。


「しかしかなり効果的ですね、これは。このまま壊滅までいけるのでは?」

「いいや。奴らは相当追い詰められている。目印を消され、偵察隊を潰され、野営地には襲撃まで掛けられた。このまま黙って死を待つくらいなら、必ずチャンスを求めて動いてくるはずだ」

「動く? それが先輩の言っていた動かすということですか?」


 俺は黙って頷いた。まさしくその通りだ。


「しかしそう都合よくいきますか? もう目印が機能しないことは分かっているのですから、適当に移動する可能性もあるのでは?」 

「さてな。正直どっちでもいい」

「……はい?」


 朱音がきょとんと首を傾げる。

 その顔が呆れに変わる前に、俺は口を開いた。


「どっちにしろ奴らはもう詰んでいる。適当に移動したとして、何か変わるか? 俺たちはこの一帯を調べ尽くしているし、どこへ逃げようと同じように追い立てればいい」

「……なるほど」


 とはいえ、俺はそうはならないと踏んでいる。


 望む方向以外には全て三本傷を刻んでいる。奴らがどれほどあれを忌避しているかはこれまで見てきた。追い詰められてもなお避けるほど嫌な場所なのは間違いない。きっともう理屈ではないのだろう。


 ここに留まれば、いずれ俺たちに削り切られる。

 かといって、三本傷の先へ進むこともできない。

 無理に別方向へ抜けたところで、俺たちの追撃から逃れられるわけでもない。

 なら、罠だと疑っていても、唯一残された移動印に賭ける可能性が最も高い。

 そして、読みが外れても構わない。

 どこへ逃げようと、追い立て続ければいいだけだ。


 ――奴らに選択肢は、もうない。


「……先輩は、やっぱり今の方がらしいですね」

「なんだよ。どういう意味だよ」

「いいえ。意味なんてありませんよ」


 なぜか、朱音だけでなく雪村さんまで微笑ましいものを見るような目で俺を見ていた。


 ……恥ずかしいから、やめて欲しい。


 そして数日後。

 ワーウルフたちは、とうとう野営地を移動した。

 獣皮の天幕を畳み、群れがゆっくりと動き始める。


 向かった先は――俺たちが刻んだ移動用の目印の方向だった。






 誘導先は、三層において異質の場所を選んだ。 


 赤茶けた崖地帯。


 どこまでも森が続く三層にあって、そこだけは木々が途切れていた。乾いた岩肌が幾重にも折り重なり、両側から切り立った崖が迫っている。地面には大小の岩が転がり、足場も決して良くない。


 入口は広いが、奥へ進むほど道幅は狭くなる。枝から枝へ飛び移ることも、茂みに紛れて姿を消すこともできない。森の中でこそ厄介なワーウルフにとって、これほど戦いづらい場所もないだろう。


 つまり、ワーウルフの土俵じゃない。


 ――ようやく、ここまで追い込んだ。


「やるぞ。掃討戦だ」


 朱音と雪村さんが同時に頷き、それぞれ武器を構えた。


 俺たちにとっては逃げ道を限定し、数の利を潰せる絶好の狩場だ。これまでにも散々ワーウルフの数を減らしている。勝算は十二分にあった。


 だが、俺たちが包囲をしようと動いた途端――


 ……なぜか、ワーウルフたちが一斉に怯え出した。


「なんだ……?」


 俺たちに気付いた反応とは様子が違う。戦意がない。

 低く唸り合い、互いを急かすように奥へ駆けていく。まるで何かから逃げるように。


 ……事ここに至って、俺はようやく違和感の正体に気付いた。


 俺たちは確かにワーウルフを追い立てていたが、いくら何でもすんなり行き過ぎている。もちろんいずれは成功していただろうが、もう少し時間が掛かるとは思っていた。


 ……ワーウルフは何度か、何もないはずの森の奥へ耳をそば立て、なりふり構わず逃げ出していた。


 もし、奴らを追い立てていたのが俺たちだけではなかったとしたら。

 そう考えた瞬間、これまでのことが一つに繋がった。


「――――」


 崖の奥から、低く震えるような咆哮が響いた。


 ドン、と重い音がした。

 少し間を置いて、もう一度。


 ワーウルフが諦めたように項垂れた。膝を付いて赦しを乞う個体までいる。それでもなお逃げようとした一体が崖の奥へ駆け出した。次の瞬間、その身体が横合いから伸びた何かに引き裂かれる。


 巨大な爪のようなもの――。


 ……いや、ような、ではない。


 それは紛うことなく、巨大な爪だった。


 三本傷を象徴する、三本の巨大な爪。



 その持ち主が、ゆっくりと崖の奥から姿を現した。

 


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