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現代ダンジョン黎明期  作者: つくしー
第一部 どこにでもいる高校生
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第2話 最初の一匹


 背中が痛く、身体が冷たい。

 肌がザリザリしていて非常に不快だ。


 俺はどうしているのか訳が分からなくて、「ぅあ」とうめき声のようなものを上げる。喉がひりついていた。ゆっくりとだが、唾を飲み込むことができてなぜか安心する。


 恐る恐る目を開けるが、薄暗くてろくに見えなかった。


「一体、何が」


 声に出して、俺はようやく体を起こした。

 寝ぼけていた訳ではないが、起きたことで頭が少しクリアになってくる。生きているという実感が湧いてくる。

 そして、目を疑った。


「……は?」


 そこは、俺が知っている場所ではなかった。

 壁があった。

 天井もあった。

 けれど、それはコンクリートでも木でもない。

 岩だ。

 剥き出しの岩肌が、どこまでも続いている。

 左を見ても右を見ても岩しかない。


 ただ真っ暗という訳ではなくて、岩肌のあちこちに生えた苔がぼんやりと青白い光を放っていた。そのおかげで周囲だけは辛うじて見える。


 湿った空気が肌に張り付く。

 鼻を動かせば土と石の臭いがした。

 しん、と静まり返っている。

 自分の呼吸音だけが妙に大きく聞こえた。


「なんだよ……ここ」


 返事はない。

 あるのは耳鳴りがするほどの静寂だけだった。

 俺がどうしてこんな所にいるのか、分かる人は誰もいない。


 いや、起きる前の状況はちゃんと覚えている。確か地割れの不思議な景色に見とれて帰るのが遅れ、そして背中を押される形で落ちたのだ。


 ……正確には、落とされた、だろうけど。


 最後に見た竜之介の顔が目に浮かぶ。

 そこまでするか。自分が好きな人に俺が構われた程度で殺すか?

 確証はない。ただ、確信している。

 あいつが俺を落としたんだ。


「……ふぅ」


 あんな奴のことを考えた所でどうしようもない。

 今は、この状況をどうするかだ。


 地割れに落ちたら洞窟っぽい所で気絶していたなんて、夢としか思えない。だが、現実そうなのだからそうもいってられないだろう。


 少しだけ冷静になった頭でスマホを取り出そうとして、俺は視界の端にずっと何かが映っていることに気付いた。


「ステータス……?」


 意味が分からない。

 大きく書かれたそれに手を伸ばそうとしたら、唐突に消えた。

 一瞬びくっと手を引っ込める。何も起きない。

 

 ……は? ゲームなのか?


 ステータス? 今のはステータス画面なのか?

 チラッと見えたレベルという文字が示す通り、俺が知っているステータスで合っていると思う。どのゲームのステータスかまでは分からなかったけど。


 ……なるほど。夢か。


 もしくは、俺はいつの間にか超リアルなVR空間にいて、事故か何かでVR体験前の記憶に制限が掛かっているとか。

 そう思うとしっくり来る。いや、馬鹿な。

 こんなリアルな夢やゲーム、あり得ない。

 ステータスとかいう意味不明なものは、俺が見た幻覚というのが正解だろう。一瞬で消えたし。


「スマホは……圏外か」


 そうだろうと思っていたがガックリくるな。

 何となく写真フォルダを開くと、これまで撮ってきたものが当たり前にあった。

 家族。景色。何気ない写真。

 どうしようもなく現実だけど、どこか心がふわふわしている。

 

「出口、探さないと」


 ここがどこだか分からないが、出口くらいはきっとある。

 俺は気を取り直して、壁伝いにゆっくりと歩き出した。



 薄暗いなりになんとか見える。青白く光っている苔が何なのか俺は知らないが、今はとにかく助かった。

 耳が痛いくらいの静寂に、たまにぴちょんと水滴の音が響く。

 その度に飛び上がらんばかりにビクッとするから、本当に止めてほしい。


 ……不味い。どれだけ広いんだここは。


 もう十分以上は歩き続けているが、景色は一向に変わらない。

 まだたったの十分だ、少しも変わらなくても何もおかしくない。

 そう頭で思い込んでも、気付けば足が速くなっていた。出口を探しているつもりなのに、半ば逃げるように歩いている。


 なんでもいいから変化が欲しい。

 欲を言えば知っているものが出てきてほしい。

 頭がおかしくなりそうな焦りの中、ふと音が響いた。


 ひた……ひた。


 足音。

 足音だ。

 緊張から一気に開放され、足から力が抜けそうになった。


 安心したら体の変化にも気づいてくる。どうやら結構汗をかいていたらしい。服がべったりで気持ち悪いが、今はそんなことどうでもいい。


「おーーーい!」


 向こうに気付いてもらおうと、俺は必死に大声を上げた。

 こんなところにいるのだから、きっとこの洞窟に詳しい現地人だろう。そうだとしたらもちろん出口も知っているだろうし、俺は助かる。よかった。


 ……外国人かな。日本人だと嬉しいな。


 いや、この際外国人でもいい。言葉が通じなくてもジェスチャーでどうにかなるはずだ。そもそもこんな所に高校生が一人でいるんだからおかしいと分かってくれるだろう。


 というか、もうぶっちゃけ現地人じゃなくてもいい。

 人と会って安心したい。それだけだ。


「おーい、おーい!」


 声を上げる度に足音がどんどんと近づき、大きくなっていく。

 向こうも異常に気付いて走ってくれているらしい。ひたひたという足音がドタドタという忙しない音に変わっている。良い人そうで本当に助かった。


 向こうは声を上げてくれないが、そんなことは些細なことだ。


 よかった。

 本当によかった。

 こんな訳の分からない場所で一人じゃなかった。


 苔の光が届かない暗闇の向こう。影が動いた。

 小さい。子供か? いやどうでもいい。

 もう少し近づけばはっきり姿が――


 臭い。

 鼻が曲がりそうなほど。


 青白い光が映し出した人影の肌は、緑色だった。


「……え?」


 俺はその場に立ち尽くした。

 子供のような身長に似合わない筋肉質な体。そして腰布を身に着けただけの体は全身緑色で、真っ黄色に腐った歯を剥き出しにして笑っている。


 手には、なぜか石斧らしきものを握っていた。

 何より、吐き気を覚える嗅いだことのない強烈な臭いがそいつから漂っている。その臭いが俺を急速に現実へと引き戻していった。


 ……それでも、脳が理解を拒んだ。


「ギャッギャッ!」

「――あ、あああああああああああっ!?」


 相手が石斧を振り上げたからなのか、それとも自分の悲鳴に驚いたからなのか分からない。

 ただ、俺は全力でその場から逃げた。

 足が遅い。重い。走っている気が全くしない。

 気の遠くなるような感覚なのに、頭の中は真っ白だった。


 ――なんだあれ、なんだあれ!?


 緑色だった。石斧を持っていた。

 俺に向かって武器を振り上げた。

 人じゃない。

 人であっていいはずがない。

 後ろからドタドタと足音が響いてきている。

 追ってきている。俺を、殺そうとしている。

 怖い。死にたくない。

 

 俺はアレの音が聞こえない遠くまで走り、そこからも更に走り続け、倒れるように地面に崩れた。


「――はっ、はっ、はっ、はっ……っ」


 息が苦しい。全身が痛い。

 体中の水分が一気に抜けたような大量の汗。喉も貼り付いている。

 いっそ服を脱いでしまいたかったが、何となくそれは止めた。

 胃もキリキリしているが、今はあまり気にしてる余裕もない。

 もうしばらく立ち上がれないほどに走った。

  

 ……それでも逃げ切れた。逃げ切れた、よな?


 倒れた姿勢のまま耳を澄ませる。音はしない。

 撒くことができたのか、諦めてくれたのか、それともまだ俺を探しているのか。


 直前の光景が頭に思い浮かんでくる。

 緑色の肌、尖った目つき、汚い歯、吐くような臭い。


 それらを思い出すだけで震えが止まらない。まだ俺を追っていると思うと身動き一つできなくなる。息が苦しいのに、それでも息を殺してしまう。


 服が擦れる音一つ、憚られる。


 


 どれだけ時間が経っただろうか。

 走って倒れて、横になってから俺は未だに動けないでいる。


 ……そもそもアレは何なんだ。


 現地人? 外国にはああいう人がいるのか。いや居ないだろう。

 居たとしても石斧で俺を殺そうとするとは思えない。普通はまず会話からだろ。それもできずにいきなりだ。そんな人がいるとは思いたくない。


 昔は人を食べていた民族がいたというが、そんなのは俺が産まれる前の話で今と全く関係がない。そもそもあっちの肌はちゃんと人間だ。


 ああ、現実逃避だ。逃げるな。しっかりしろ。

 あり得ない想像だとする。普通ならバカにされる想像。

 その上で考えられるのは、考えたくもないが、可能性の一つとしては、


 ゴブリン。

 空想上の生き物だ。

 

 ……そんな馬鹿な。いやいや馬鹿な。嘘だ。


 あり得ない。

 何度も言うが、あり得ない。

 だがあり得ないことが現実に起きている以上、認めるしかない。

 あれは、ゴブリンだ。

 

 ……やっぱり、仮称ゴブリンにしようかな。

 往生際が悪いと思うが仕方ない。認めたくないのだから。


 だって認めてしまったら、ここがファンタジーのような場所ということになってしまう。日本や地球ではないファンタジーな場所。そんな所にしかゴブリンというファンタジー生物はいないだろうから。


 そんなの、どうやって帰ればいいんだ。

 どうやって生き延びればいいんだ。

 到底、認められるものではない。


『――……い……す……て!』


 声が聞こえた瞬間、俺は飛び起きた。

 断片的にしか聞こえなかったが、今のは人の声だった。間違いない。それも日本語、意味のある言葉だ。


 人だ。

 今度こそ人だ。


 俺は震える脚に鞭打って、全力で走り出した。

 疲れているのに、なぜか体が軽かった。


「い、今、行きます!」


 できる限りの大声を出したつもりが、掠れてしまう。

 思ったよりも体を酷使していたようだ。水が欲しいが、我慢だ。

 一人じゃないとわかれば、それくらい我慢できる。


『こないで!』


 今度はハッキリ聞こえた。


 ……こないで? 行っちゃいけないのか?


 思わず足が止まる。その間も声は連続して響いていた。

 いや、たすけて、ゆるして、誰か。

 悲鳴。

 それを最後に、声が終わった。


 ……嘘だろ?


 俺は唖然となり、震える足でゆっくりと歩き出した。

 この先にある光景は何となく想像が付く。けれど諦めきれない。


 せっかく見つけた人を、言葉の通じる人を、こんな訳の分からない場所で助け合えそうな人を諦めるなんてできるわけがなかった。だって、俺はずっと一人だったんだぞ。


 まだ大丈夫、何かの気のせい。

 疲れた俺が聞いた、ただの幻聴。

 そう思いながら、俺は見た。


 ……ゴブリンが、人を食べているところを。



「――ぅ、おぇぇぇぇぇ……っ」



 一瞬で胃の中が逆流し、全て吐いた。

 見たものが一気に頭に刻み込まれる。

 こんなショッキングな光景初めてだった。


 ゴブリンの腕が女性の腹の中にあった。

 何か赤いものを引きずり出している。

 それを口に運んだ。

 そこから先は見られなかった。


 たったそれだけが何度も脳裏に思い起こされ、俺はもう一度吐いた。


「……ギャ?」

 

 死体の向こうで、ゴブリンが顔を上げた。

 真っ黄色の歯の隙間から、赤い何かが垂れている。

 俺と目が合った。


「――ひっ」


 喉が一気に干上がった。勝手に潰れたような音が出る。

 気付かれた。逃げないと。

 俺が動くより先に、ゴブリンが石斧を持って走ってきた。


「グギャギャキャ!」

「くるな、くるなァ!」


 走って逃げようとしたが、体が全く言うことを聞かない。

 これまで散々走ってきておまけに吐いた。それでも限界だとか言ってられない。動かなければ死ぬ。


 ……いやだ、死にたくない、死にたくない!


 俺は背を向けて這うように逃げる。

 体は前のめり。目はろくに見えていない。

 涙か、それとも本当に限界なのか目の前が暗くなっている。

 永遠とも思える時間の中、撒いたか、と後ろを向いた。


「ギャギャギャ!」

 

 丁度、ゴブリンが石斧を振り被る所だったらしい。

 楽しそうに歪んだ顔が目に入る。

 俺は逃げているつもりで、全く動けていなかったようだ。


 ……死にたくない。


 諦め悪く脚を動かそうとして、その脚がもつれた。

 

「ギャ!?」


 視界が回っている。何が起きたのか分からない。

 すぐ耳元で岩同士がぶつかったような鈍い音がしたと同時に、気付けば俺は地面を転がっていた。

 目の前がゴブリンの醜悪な顔で塞がれている。

 腐った黄色い歯から、ヨダレとも誰かの血ともつかない液体が顔に降ってきた。


「ギャ、ギャ!」

「ぐ、っ、っ」


 ゴブリンが俺の顔面を殴ってくる。マウントポジションだ。

 理解が追いつかない。なんでこんなことになった。

 違う、なぜかゴブリンは石斧を持っていない。

 なんでだ。いやどうでもいい。

 このまま黙って殴り殺されるのだけは、絶対嫌だ。


「ふぅぅうぐぅうううッ!」

「ギャ!?」


 俺はゴブリンの腕を掴み、その腕に噛み付いた。

 臭い、臭い、痛い。

 けれど我慢しなければ俺は死ぬんだ。


 腰を跳ね上げ、夢中で身体を捻る。

 気付いた時には、俺がゴブリンを地面に押さえつけていた。


「はっ、はっ、ぁあああ!」

「ギャ、グギ、ギィ」


 子供のような体を全体重で抑えつけ、一心不乱に上から殴り続ける。ゴブリンは俺の体を跳ね返すことがまだできない。何度も何度も殴り続け、俺の拳から出た血なのか、それとも返り血なのか分からないものが飛び散る。

 痛みは感じない。何も考えられない。死にたくない。

 俺は疲れを忘れて殴り、転がっていた石を拾ってまた殴った。


 殺される前に殺してやる。

 そんなことを考えていたわけではない。必死だっただけだ。


「――っ、はーっ、はーっ、ふぅ、ふ……っ」


 気が付けば、ゴブリンは何の反応も返さなくなっていた。頭は見るも無惨にぐちゃぐちゃになっている。殺した後も殴り続けたらこうなるだろう。

 いや、俺がこうしたんだ。


 ……俺が殺したんだ。


 呆然とゴブリンの上に跨っていると、ふと石斧が転がっているのが見えた。

 やけに遠くにある。どうしてあんな所にあるんだ。

 俺は覚束ない足取りで歩き出すと、石斧を拾った。

 なぜか安心して、その場で気絶するように倒れてしまう。


 けれどこの石斧だけは、絶対に離したくなかった。




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