第10話 戦争の終わり
ゴブリン集落の巡回部隊は激減している。
俺が集落に奇襲を仕掛け、そこそこ大きな被害を与えたからだ。
そもそもなぜ巡回をするのかは、この層の特徴を考えれば理解できる。
ここは多分、群雄割拠の紛争地帯だ。
一体いくつの勢力があるのか知らないが、ゴブリン同士が領土を奪いあって生きている。警備も兼ねた巡回を回すのは当然の判断で、当たり前だ。
それらを激減させ、集落を厳重にするのに充てている。
つまりそれは、俺の奇襲がよほど効いた証でもある。
加えて嫌がらせのような夜襲が重なれば、俺だけをターゲットにしていると思ってもおかしくない。
これは実際俺に効いている。
嫌がらせで夜も眠れないし、無理に攻め入ろうにも被害を想像しただけで二の足を踏む。完全に決まった一度目の奇襲ですら、配下のライオンを二頭も失ったのだから躊躇するのは当たり前だ。
だが、これは戦争だ。
やりようは他にもある。
そもそも、本当に巡回部隊はゼロだろうか。
いいやあり得ない。
よしんばゼロにしていたとしても、他の部隊は人知れず動いている可能性が大だ。
例えば、兵站。
向こうは数百、数千匹の食い扶持を賄わなければならないのだから、獲物を狩りに出る部隊は必須だろう。それだけの腹を満たす食糧生産など、あの狭い集落でできるはずがないのだから。
俺はじっと、ゴブリン集落の近くで潜伏し続ける。
出入り口は一カ所しかないのだから、いつまででも敵が出てくるまで待てばいい。
なに、バレることはない。
向こうは集落を固めるのに必死だ。
自ら警戒範囲を狭めているのだから、世話ないな。
……きた。
潜伏してからどれだけ経ったか分からないが、小数のゴブリンライダーが集落から出てくる。俺は風向きにだけ注意して後を追った。流石にライオンの鼻だけは誤魔化せないからな。
奴らは近場の草食動物を狩ったあと、他に用はないとばかりに引き上げようとした。
そこを、俺は襲撃する。
「グギャ!?」
俺も数を揃えているわけではない。
隠密行動が原則なのだから、俺と獅子丸、ライオン二頭だ。
それ以上連れてくれば目立つし、少なすぎれば逃げられる。
それでも、小数のゴブリンを捻り潰すのは簡単だった。
「まずは一回。成功だな」
兵站潰し。兵糧攻め。
戦争の基本だ。
奴らは考えるだろう。なぜ補給部隊が帰ってこないのか、と。
そしてボスゴブリンは悟るだろう。俺に殺されたのだと。
奴は危機感を抱くだろうか。それとも偶々だと流すだろうか。
所詮は一人の人間だと、できることはこの程度が限界だと。
どっちでもいい。俺のやる事は変わらない。
これが俺の、本当の意味での宣戦布告だ。
その日から、俺とボスゴブリンの本格的な消耗戦が始まった。
俺は兵站潰し。ボスゴブリンは疲弊作戦。
事は俺に有利に進んでいるように見えた。
小数精鋭のゲリラ攻撃に奴らは有効的な対抗策を出せていない。二回、三回と確実に数を重ねることができた。それも考えてみれば当たり前だろう。
俺が弱いのならば打てる手は幾らでもあるが、生憎と俺はゴブリンライダーの二騎や三騎で討ち取れる敵ではない。中途半端な数なら被害を大きくするだけなのだから、必要最小限で補給を続けるしか向こうに手はないのだ。
加えて、奴らの襲撃は寝所を転々とするだけで回避できる。
むしろそれを狙って殺し返すことができるのだから、俺にとって好都合だった。
だが、俺も全くの無傷というわけではない。
食糧の補給にいつ出るのか分からないのだから、二十四時間緊張と待機を強いられた。獅子丸と共に配下のライオンをローテーションすることで対応しているが、疲弊具合は夜襲されていた時よりむしろ悪化している。
いつまで続ければいいのか分からない。
千匹が餓死する期間はどれだけだ。
一週間? 一ヶ月?
いや、集落には少なからず備蓄があるだろう。最悪半年は持つかもしれない。
気が遠くなるが、やるしかない。
しかし、耐えきれず先に変化を起こしたのは、意外なことに向こうだった。
「……護衛付きとは、また豪華な補給隊だな」
補給隊が三騎。それを囲むようにして五騎が警戒に当たっている。
合計八騎。
護衛風ではあるが、このうちの一騎でも食糧を持ち帰れば向こうの勝ちだろう。
……俺を脅威と認めた、ということか?
低く見られていた方が都合が良いが、そう上手くはいかないか。
もしくは単純に、何が何でも食糧を補給したいと思っているのかもしれない。
そうであれば、向こうも限界が近いということか?
……いや、やめよう。
希望的な考え方ほど厄介なものはない。
俺はこれまで通り、こいつらを蹴散らしてしまえばいい。
まず、背後から俺と獅子丸だけで奇襲を仕掛けた。
弓矢を持っているゴブリンライダーを優先的に狙い、その後は待機させていたライオンも呼んで乱戦に持ち込む。
簡単に制圧することができた。
俺は瀕死のゴブリンを見下ろし、言う。
「帰っていいぞ」
「ガ、グ、グギャ……?」
意味が分からないと首を振るゴブリンに、もう一度言う。
「帰っていいぞと言ったんだ。それともここで死ぬか?」
「ギィアッ!」
言葉が分かるとは思えないが、雰囲気くらいは分かるのだろう。
ゴブリンは飛び起き、無くなった片足を引きずりながらライオンに乗った。
その途中も自力で動けない、だがまだ生きているゴブリンも同乗させている。
生き残らせたのは三匹と一頭。
そのゴブリンはきっかり三匹同乗させ、慌てて逃げ去っていった。
「グルルルゥ」
「ああ、いや、別に可哀想だから逃がした訳じゃない」
不服そうに唸った獅子丸にそう答え、その背に乗る。
「少し試したいことがあるだけだ。追ってくれ」
この層のゴブリンは知能がやたら高い。
ゴブリン同士の戦争風景でもそうだったが、ゴブリンは仲間を見捨てなかった。
生きていれば連れて帰るとそう踏んだのだ。
……案の定、逃げ去ったゴブリンはそのまま集落に帰っていった。
食糧は何一つ持ち帰ることが出来ず、怪我を負うだけで帰ってくる。
だからといって、奴らは責めたりせずに温かく迎え入れるのかもしれない。
怪我人にも当然食糧を分け与えるだろうし、必死に治療もするはずだ。
だが必死に治療し、食わせた所で、そいつが戦争で役に立つことはない。
俺が狙って、それだけの怪我を負わせたのだから。
……これも一つの消耗戦、か。使えるな。
鬼か悪魔みたいな作戦だが、相手はゴブリンだ。
食い扶持を減らすより効果的な方法があるのなら、どんな手だろうと採用する。
それに、ゴブリン相手に今更だろ。
その後は、また俺とボスゴブリンで何度か応酬が繰り返された。
補給部隊に別働隊を付けたり、一斉に複数部隊を出したり。奴も色々と手を変えてきたが、俺もライオン達を巡回に使うようになってからは状況が変わった。
ライオン三十頭。俺の群れだ。見付けた後は遠吠え一つでいい。
そうしてからは、向こうも有効な手を打てていない。
実際、出てくるゴブリンやライオンも以前より若く見えた。
幼い個体まで前線に出さざるを得ないほど追い詰められているのだろう。奴の焦りが見える。
……疲れたな。
正直前より疲労は倍増しているが、俺は正しい。
あと少しで、俺の勝ちだ。
……今夜は少し、妙だった。
配下のライオン達から何の報告も受けず、声も聞こえない。
ここの所寝る間も惜しんで走り回っていたのが嘘のようだ。
何かあったか、と引き上げようとしたタイミングで、丁度遠くから遠吠えが聞こえてくる。
俺には見分けがまだつかないが、獅子丸には分かる。
どうやら俺の配下で間違いないようだった。
「考えすぎか……?」
ろくに寝ていないせいで、思考が鈍っている気がする。
それか、勝ちが近づいてきたことで敏感になりすぎているのか。
……一回休んだ方がいいな。
相手に補給を許してしまうことになるが、一、二回でそう変わるものではないだろう。あと少しだからと焦り過ぎることの方が、結果的に成果を得るのが遅れることだってある。
急がば回れ、だ。
いや、あれは違う意味のことわざだっけ。
……何にせよ、今夜の奇襲が終わってからだ。
獅子丸に導かれるまま着いた先は、崖の下だった。
複数のライオンに追い立てられるようにして、息を切らせながらゴブリン達が逃げている。ネズミを甚振るようにではないが、結果的に袋小路へと奴らを追い詰める形になった。
「ガルルルゥアッ!」
最近群れに加わった新参のライオンが、張り切ったように唸りを上げている。
よほど興奮しているのか口から涎が垂れていた。辛抱できない奴だな。
俺は苦笑し、食っていいぞと言いかけ――止まった。
……おかしい。なんだこの違和感は。
数は二頭に、ゴブリンが五匹。
珍しく三人乗りで、正規のゴブリンライダーではないのかもしれない。
とうとうここまで追い詰めたかと思ったが、喜びが冷めるほどに普通ではなかった。
奴らは怪我をしていた。
それだけならまだいいが、片腕を無くした奴まで狩りに出すか。
弓も持てない。ただ乗ってるだけ。
そんな役立たずを補給部隊に乗せる意味なんて、俺には考え付かない。
……まさか。
「ガァァァアアアアッ!」
「待て行くな!」
新参のライオンが俺の静止を聞かずに突撃する。
ゴブリンに喰らいつこうとした瞬間、その背中から矢が生えた。
――囮ッ!
気付いた時にはもう遅かった。
草陰から。
岩陰から。
崖の上から。
今まで気配すら感じさせなかった無数の火が灯る。
四方八方から、ゴブリンライダーが一斉に姿を現した。
一騎や二騎ではない。
十や二十でも足りない。
目に映るだけでも把握しきれない数に、俺たちは囲まれていた。
「やられた……っ」
全てが嘘だった。
今まで見てきた巡回部隊など、奴らにとってはほんの一部だった。
その気になれば、奴はまだこれほどの戦力を使ってこれる。
手詰まりだと思わせたのは、俺にやり方を変えられたら困るから。
俺はボスゴブリンを追い詰めているつもりだった。
違う。
追い詰められていたのは俺だった。
補給隊を襲われ、怪我人を返され、寝る間も惜しんで動かれ続ける。
奴はこれだけ追い詰められながらも、俺を確実に殺す為に策を講じ続けていた。
対応できなかったのではない。変化させたくなかっただけ。
そうして俺の行動範囲を固定し、思考を誘導し、戦力を集める時間を稼いでいた。
全部、俺をここに誘導し、殺す為に。
今この瞬間を作り出す、ただそれだけの為に。
「グギャアアアアアアアアッ!」
ゴブリンから一斉に矢が放たれた。
避けられない。
「ガァァァアアアアッ!」
獅子丸が吠えると同時、影が動いた。
俺と矢の射線上に何頭ものライオンが割って入り、雨のような矢を全身に受ける。
倒れたものは何頭もいた。
だが動けるものも何頭もいた。
喉を射抜かれても、足を貫かれても。
それでもゴブリンに喰らいつこうと、血みどろの体で走り続ける。
その先頭を走るのは――獅子丸だった。
「獅子丸――ッ!」
……何をやっているんだ俺は。
裏を突かれたからと、なにを足を止めている。
まだ俺は死んでいない。それどころか負けてもいない。
何が群れの王だ。何が俺の配下だ。
今の獅子丸の姿の方が、よっぽど王に相応しい。
俺は地面を全力で踏み抜き、一足で駆けた。
ゴブリン共から連続して矢が放たれる。
頭と心臓だけを庇い、残りは受けた。
体中の至る所を一瞬で矢に貫かれても、俺は止まらない。
あいつらのように。
「ガ、ぁあッ!」
崖を駆け上がり、矢を放ったゴブリンにこん棒を振り下ろす。
旋回するように横薙ぎ。
何騎もの体で止まるそれを、俺は力任せに振り抜いた。
腕が軋む。
貫かれた矢のせいで骨の動きが悪い。
邪魔だとばかりに引き抜いて、獅子丸の体に背中を預ける。
「グルルルゥッ!」
遅いぞと、そう言われているようだった。
獅子丸の体には何本もの矢が刺さっている。
そんな有様の奴に言われちゃ、何を言われても受け入れるしかないな。
「……はっ」
血塗れだ。
体中が自分の血で染まっている。視界も真っ赤だ。
奴らの足元に近づくだけで、これだけの怪我を負った。
痛みは不思議と感じない。ただ動きにくさがあるだけだ。
リジェネが無かったら、きっと俺は死んでいるのだろう。
……だが、近づけた。
包囲された状態から、その一角へと無理矢理に。
これからだ。
「ぉぉぉおおおおおッ!」
こん棒を振り上げ、下ろし、振り回した。
こん棒の隙がデカすぎるせいで、間に何度も槍や斧を差し込まれる。
武器だけに頼らず蹴りや拳を使うと、少しは隙が小さくなった。
力任せに敵ライオンの首を絞め落とし、その体を盾に使う。
時にはゴブリンを生きたままぶん投げて、同士討ちさせることもあった。
全て狙ったわけではない。
俺は何も考えちゃいない。
その場でできる限りの死力を、ただ尽くした。
「ガァァァアアアアアアッ!」
吠える。獅子のように。
「グ、グガ……ッ」
「ガルァアアアアアッ!」
怯んだゴブリンの頭を、獅子丸が好機とばかりに噛み砕く。
そのまま敵ライオンの喉笛に噛みつき、千切るのではなく首投げのように振り回した。
少し力に頼っているそれは、俺と戦い方が似ている気がした。
戦いの途中なのに笑ってしまいそうだ。
「ァァァアアアアアアッ!」
殺して、殺して、殺して、殺して。
泥沼のような乱戦に持ち込んでからは、更に無我夢中だった。
何度突き刺しても、切り裂いても倒れない俺を見て、ゴブリン共の顔に恐怖の色が浮かび始める。
「グキャ……ッ」
一切構わず、俺は更に殺し続けた。
蹴り、殴り、振り払い、ぶん投げる。
途中から殴っているのか蹴っているのかすら分からない。
単純な平押し。
頭の中まで血で染まった。
やがて朝焼けが訪れ、視界を白く塗り潰した頃。
……敵はどこにも、いなくなっていた。
『レベルアップをお知らせします』
血の池に立つ俺の頭に、そう場違いな言葉が響いた。
終わった……?
その声に構わず、俺はふらつく視界の中で辺りを見た。
立っているのは、俺と獅子丸、配下のライオンが四頭。
他は全て、全滅だった。
三十頭いた俺の群れが、今は獅子丸合わせて五頭だけ。
生き残った五頭も、無事な奴は誰もいない。
獅子丸ですら重傷を負っている。
実質、俺一人に戻ったようなものだった。
だが――。
……それは奴も同じだ。きっと俺以上に。
これまで俺は何度もゴブリンライダーを殺している。
今回も合わせれば、総数は百騎を楽に越えるだろう。
この際兵站潰しは無かったこととしても、それだけで大打撃は避けられない。
これだけの大部隊を使ってきたのならば、集落は手薄になっている可能性が高いはずだ。
「……チャンスだ。今しかない」
俺を殺す為に大規模な罠を張ってきた。
奴は勝ったと思っているはずだ。これで確実に殺したと、間違いなく勝利を確信している。
だが時間が経てば経つほど、確信は疑問に変わるはずだ。
当然だ。ゴブリンが一匹も帰ってこないのだから。
そうなってしまえば、いくらでも態勢を立て直されてしまう。
奴は俺が死んだと思っている。
今だけが、奴の裏をかける最初で最後のチャンスだ。
……こいつらの死を無駄にしない為にも、動くしかない。
脚は動く。体はまだ持つ。
MPだけが心許ないが、ゼロでないなら勝ち目はある。
長い、俺にとって一生分ほどに長い戦いだった。
……そろそろ、終わりにしよう。
「集落を落とす。動ける奴だけ付いてきてくれ」
その言葉に、獅子丸含めた全頭が唸りを上げた。
――開戦の合図はド派手にいった。
ゴブリンライダーから鹵獲した松明に火を付け、見張り台に放り投げる。
乾いた木材は一瞬で燃え上がり、黒煙を空へと噴き上げた。
更に一本。
もう一本。
今度は遠くまで飛べと、全力で奥を目掛けて投擲する。
これ以上の小細工はいらない。奇策もいらない。
それすら必要ないほどに、ゴブリン集落は弱っている。
あれだけいた見張りが嘘のように姿を消していた。
遠目から映るゴブリン達が、見てわかるほどに飢えている。
俺はただ、真正面から堂々と。
奴の根城に攻め入った。
「ギャ!?」
立ち塞がるゴブリンを薙ぎ払い、ただ前へ。
進む。
進む。
奥へと更に突き進む。
「ガァァァアアアッ!」
「グルルルゥッ!」
現れたゴブリンライダーを一騎、また一騎と潰していく。
手薄になっているのは間違いないが、それでも戦力は残っている。
残飯のような戦力が。
飢えた体で、疲れ切った目で、俺を行かせまいと立ちはだかる。
……ふざけるな。
「この程度で俺が止まるかッ!」
「ギャ!?」
こん棒を振り下ろし、ゴブリンごと敵ライオンを地面に沈める。
散発的に現れるゴブリンライダーを、俺は同様に始末した。
ここまでやってこの程度。
この前みたいに一気に囲まれるという可能性は、もうない。
となれば、あとは。
「出てこい!」
ボスゴブリン。
奴以外に、もう用はない。
決着を付けよう。
その為に俺は、ここにいる。
「出てこなければ、皆殺しにする」
俺にとってゴブリンなんて、石ころよりも価値がないのだから。
「獅子丸、他を引き連れてゴブリン共を殺してこい」
「ガルルルルゥ」
低い唸りを上げ、獅子丸達は俺とは逆方向に駆けていった。
動くことすらキツい今の獅子丸達に、戦闘は難しい。せいぜい非戦闘員のゴブリンを喰い殺すくらいが関の山だろう。付いて来てくれたのは嬉しいが、やはり邪魔だ。
……どこにいる。もっと奥か。
ゴブリンを殺しながら、更に松明を燃やして家屋に放り投げる。
油を吸ったそれらは簡単には消えない。
むしろ運が良ければ更に燃え盛る。
俺にとって、こんなものは奴をあぶり出す為の燻しに過ぎない。
だが、出てくるのは飢えたゴブリンだけ。
一向に現れないボスゴブリンに、いい加減焦れた時だった。
――ドン、と爆発音が響いた。
「なんだ!?」
あまりにも大きな音に思わず身構える。
ボスゴブリンの切り札か、と思ったのは一瞬だけ。
すぐに音の正体が目に映り、唖然とした。
「火災……だと?」
燃えている。
木造の家屋が、まるで松明のように燃え上がっていた。
確かに俺は火を放ったが、これほど一気に、大規模に燃え上がるような放火はできていない。さっきの爆発音が、この大規模な火災の引き金か。
……火薬庫に引火した? そんなものまであるのか?
いや、奴らは油を作れる。どこかに大量に保管していても不思議じゃない。
渓谷を吹き抜ける谷風が、炎を呑み込みながら加速している。
火の粉が空へ舞い上がり、次の建物へ降り注ぐ。
燃える。
まだ燃える。
――止まらない。
「ギャアアアアアアッ!?」
「ギギャッ! ギャアアアッ!」
悲鳴がそこかしこから響き渡る。
消火しようとしたゴブリン達が熱風に弾かれ、逃げようとしたゴブリン達が混乱した群衆に押し潰される。
上を見れば火の粉が吹雪のように舞っていた。
下を見れば炎の帯が集落を呑み込んでいる。
戦場が燃えているのではない。
集落そのものが燃えていた。
……まるで火災旋風のような、地獄の光景だった。
「獅子丸……!」
この有様では集落攻めどころではない。
手負いの獅子丸達では無駄死にするだけだ。
……クソ、心配だが、それでもっ。
俺は燃え盛り、今にも崩れ落ちそうな高台を駆け上がった。
熱い。
息を吸うだけで喉が焼ける。
火事の現場にいたことなどないから分からなかった。
これは、レベルが上がってなければ立っていることさえできない。
だが、必要なことなんだ。
火傷を負っても構わない。どうせリジェネで治る。
それよりも、今しかできないことをしないとならない。
登り切り、地獄と化した集落を俯瞰する。
すぐに見付けた。探す必要すらなかった。
檻が焼け落ちてライオンが解き放たれたことも。
ゴブリン共が炎に包まれて焼け死ぬさまも。
全てどうでもいい情報だとばかりに頭から消えていく。
何よりも真っ先に、俺の目には奴が映ったから。
「――いた」
ボスゴブリン。
奴は奥に陣取るように座り込み、静かに俺を見ていた。
事ここに至っては逃げようとすらせず、俺を待っている。
俺もだ。
ここまでやっておいて、今更逃げるつもりはない。
「ッ!」
見張り台をこん棒でぶっ叩き、体重を乗せて方向性を加える。
棒が根元から折れるように高台が崩れていく、俺もろとも。
落ちていく浮遊感に逆らわず、俺は前だけを見据える。
激しい倒壊音を伴って、俺はボスゴブリンの前に落下した。
「……」
言葉はない。
ただ、お互いに黙って値踏みする。
全身鎧で分かりづらいが、間近で見たボスゴブリンは俺と近い背丈をしていた。
その全身は既にボロボロで、鎧も赤く赤熱している。
……火災か、爆発に巻き込まれたか。どっちにしろ満身創痍だな。
こうなってしまえば、このまま放っておいても死ぬかもしれない。
このまま火災に巻き込んで殺してしまえばいいと、そう一瞬でも思わなかったと言えば嘘になる。
意地とは違う。
痛い目に遭わずに終わらせられた方が、絶対良いのだから。
ただ俺は、こいつの顔を見てみたかった。
兜の隙間から覗く顔色は相変わらず緑だが、その眼光は鋭い。
大きさからホブゴブリンの方が、一見強そうに見えるだろう。
武道素人の俺には強者の気配なんて分からない。
だが、これだけは言える。
こいつはきっと、誰よりも多くのものを殺してきた。
「……」
「……」
無言でこん棒を構えた。
ボスゴブリンも無言で椅子から立ち、背中の斧を手に掴む。
合図はない。
踏み込みは同時だった。
「ォオオオオッ!」
「グガァアアッ!」
こん棒と斧が激突する。
耳を劈くような衝突音。
弾かれる。
だが互いに距離は取らない。
俺はそのまま体当たりを仕掛け、ボスゴブリンは肩で受け止めた。
至近距離から斧が振り上げられる。
「ッ!」
身を捻って躱し、横殴りにこん棒を振るう。
鈍い音。
奴の脇腹に直撃したはずなのに、全身鎧が衝撃を受け流した。
「グガァッ!」
代わりに振り返した斧が肩を裂く。
熱い。
だが止まらない。
俺も。
奴も。
互いに傷を増やしながら前へ出る。
こん棒を叩き込む。
斧が食い込む。
殴る。
切られる。
押す。
押し返される。
技も何もない。
ただ殺す為だけの殴り合いだった。
「お、お、お、おおおおッ!」
「ゴァアアアアアアアッ!」
気付けば俺達は武器を押し付け合い、力比べになっていた。
膂力は互角。いやむしろ俺の方が僅かに押している。
ジリジリと押し込まれたボスゴブリンの顔が赤くなる。
腕は持つ。
まだ力を入れられる。
最後まで。
――勝った。
バキ……と、嫌な音が耳元に響いた。
「え?」
全てがスローモーションだった。
一瞬で砕け散った俺のこん棒も。
それを見て驚き、目を瞠ったボスゴブリンも。
しかし好機を逃さずに、袈裟斬りに吸い込まれた斧さえも。
その光景がいつ終わったのか分からない。
ただ、俺はいつの間にか、地面に膝をついていた。
「グガ……ッ」
俺を見下ろすようにして、斧を振り上げたボスゴブリンが見える。
その顔は怒っているようにも、残念そうでもあった。
ゴブリンの顔が最後の景色とか嫌すぎる。
駄目だ、回復が追いつかない。
傷口が深すぎる。
後少し、もう少し――時間を。
「ガルルルルルルゥアアアアアアッ!」
斧を振り下ろされる直前、雄叫びが聞こえた。
その声は炎をかき分け、一直線にこちらに飛び掛かってくる。
獅子丸が――ボスゴブリンの腕に噛み付いた。
「ゴガッ」
鎧を凹ませるほどの顎力に、ボスゴブリンが嫌そうに顔を顰めた。
その程度だ。
その程度の痛みしか与えられていない。
お前じゃ駄目だ、いいから逃げろ。
「グガァッ!」
返す刀で斧を振るわれ、獅子丸は顔を切られて後ろに倒れる。
叫びたい衝動を抑え、俺は右腕に集中した。
――よくやった。
大丈夫。まだ生きている。
獅子丸があのくらいで死ぬはずない。
それよりも今は、獅子丸が稼いでくれたこの時間で、――
――あいつをぶっ殺す為に、全力を込めるだけだ。
なぜか、回復が止まった。
代わりに右腕に力が集まる。
体は痛いのに思い通りに動いてくれる。
不思議で、初めての感覚だった。
何でもいいから、あいつを殺せるだけの力を寄越せ。
――いや、出ろ!
「――ゴガッ!?」
気付けば、俺は踏み込んでいた。
ボスゴブリンの顔が驚愕に染まる。
遅い。
そう思った時にはもう終わっていた。
右腕が鎧を砕く。
鈍い感触が一枚。
硬い何かが二枚。
肉を裂き、骨を砕き、
そして――貫いていた。
「グ、ガ……」
ボスゴブリンがゆっくりと視線を落とす。
俺の拳は、肘の辺りまで奴の胸に埋まっていた。
鎧ごと。肋骨ごと。心臓ごと。
全てを貫いて。
『レベルアップをお知らせします』
……決着が、ようやくついた。
「獅子丸っ!」
さっきの馬鹿力は何だったのか。
そう疑問に思うのは置いて、俺は獅子丸の元に急いだ。
ぐったりと横たわる獅子丸に血の気が凍る。
まさかあり得ないと頭を抱き……うざったそうにはね返された。
「は?」
顔を切られたせいか、右目から血が流れている。
だが死んではいない。
少なくとも俺より先に死にそうな顔ではなかった。
思わずため息が溢れる。
……心配を返してくれ。
「なんというか、お前も案外タフだな」
「グルゥ」
お前に言われたくないとばかりに鼻を鳴らされる。
こっちこそお前に言われたくない。俺はリジェネ使ってんだぞ。
「けど、終わったな」
火災は今も続いている。
戦争も。
焼け落ちた檻から溢れ出したライオンの群れが、逆襲するようにゴブリン共を殺している。戦力が著しく落ちたここのゴブリン共では、きっとその波を乗り越えられない。
全て燃え落ちるか、死に絶えるしか終わりはないのだろう。
ただ、俺の戦争はここで終わりだ。
ふと視線を向ける。
ボスゴブリンが守るように座っていた奥に、下へと続く階段と、見慣れない扉が現れていた。奴がここのボスだと裏付ける証拠のように、ひっそりと佇んでいる。
「俺は行く。お前はどうする」
「グルァ」
行かねぇよと尻尾を振られた。
獅子丸の視線の先には、他のライオンが暴れている。
……そうか。お前はそっちを選ぶか。
俺は苦笑し、ボスゴブリンの斧を拾って扉の前に立つ。
階段は一度降りたのだから、次は扉を試してみようと思う。
斧を拾ったのは、普通に武器の新調だ。
壊されたしな。
「獅子丸」
振り返り、名前を呼んだ。
そういえば、いつから名前を口に出していただろうか。
まぁ、どうでもいい。
俺は顔だけを向けてきた獅子丸に手を振ると、
「生き延びろよ」
「ガルァ」
それを別れの挨拶とした。
確かにされた返事に満足して、俺は扉を開く。
複雑に輝く扉の先に、俺は振り返ることなく踏み込んだ。




