第5話 母から無理難題の指令が下った
リュクシオンとして、何度か来たことがあるディロメルデ公爵邸の中を一人で歩いています。
いいえ、先導として執事の方が歩いてくれています。
父と母は、ディロメルデ公爵様と公爵夫人に挨拶をしてくると別行動になったのです。
私も公爵様に挨拶をするとついていこうとしましたのに、母はトラにゃんを抱えて使い魔質にしたのです。
「貴女は婚約者殿に挨拶をしてきなさい」と。
これ絶対に私が魔道師団長のリュクシオンとバレバレではないですか。
だって、私はそもそも領地から出なかったので、男装してもバレないだろうということで、容姿はそのままで髪の色を濃くして瞳の色を濁しただけですから。
そしていつもは行かない二階の部屋に通されました。
ソファーに座るように促されたときに、ちらりと窓の外をみたところ、おそらくこの部屋が庭園を一望できる部屋なのでしょう。
これはもしかしたらた、話に詰まったら外に出て庭園を歩かせられるという苦行が発生することが示唆されました。
苦行です。何が楽しくて、フェルアランと庭を散歩しなければならないのですか。
しかし、母からは『婚約者殿と会話を成立させるように』という謎の指令もくだされました。
なにですか? 会話の成立って、それかなり困難だとわかって口にしたのでしょうか。
そんなことをもやもやと考えていると、問題のフェルアランが室内に入ってきました。
「こちらはカサランドラ伯爵令嬢様でございます」
執事から紹介がありましたので、私はソファーから立ち上がって、挨拶をします。
「お初にお目にかかります。カサランドラ伯爵家の長女のリュメリア・カサランドラと申します。以後お見知りおきを」
仲良くしようとはいいません。
知ってくれるだけでいいのです。
「ああ」
「ちっ!」
見習いのときに、初めて顔を合わせたときを思い出して、思わず舌打ちをしてしまいました。
私は頭を上げて、誤魔化すように笑みを浮かべます。
「お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
名前を言わなければ『そこのお前』とか『おい』とかで呼びますわよ。
ええ、昔言ってやりました。
そうですね。一年ぐらい『おい、そこのデカブツ』で呼んで差し上げました。
平民ですもの、礼儀なんて持っていませんからね。
……ちっ! 返答がありません。今度は貴様呼びすればいいでしょうか?
しかし、私を睨みつけても、何の脅しにもなりませんよ。
使い魔質をされている私から婚約の破棄はできません。
さっさとこの婚約はなかったことにとか言って去ってください。
「フェルアラン・ディロメルデだ」
後ろでコソコソと言っている執事に促されて、ようやく口を開いたのですか。
席についたところで、お茶とお茶請けが目の前に置かれます。
しかし、甘い匂いがする紅茶ですね。
こういうお茶は匂いで気分が悪くなるので、苦手です。
視線を上げるとフェルアランは普通に飲んでいます。
え? こういうお茶って好みでした?
しかし、こちらを睨んで来なければ、普通にどこぞの貴公子という雰囲気ですね。
いつもは撫でつけるように上げている黒髪を下ろしているだけで、印象は全く違って見えます。
というか、このお茶を飲まないと駄目ですか?
ティーカップを持ち上げたところで、甘い香りに『うっ』となります。なんというか香水を飲んでいるという錯覚に陥りそうです。
これを飲むのなら苦い薬草茶のほうがマシです。それなら、ちょっと試してみましょうか。
「ディロメルデ公爵子息様は、薔薇茶がお好みなのですか?」
薔薇茶は貴族の御夫人方の中で流行っていると聞いています。流行り物を知っておきなさいと母から送られて飲みましたが、私には合わなくて、口からこぼれでました。
これで『そうだ』と言われたら我慢して飲み干しましょう。
「いや」
その言葉に、私はティーカップを持っていない左手で、こっそりガッツポーズをしました。
「そうなのですね」
控えている使用人の方々が挙動不審になっていますが、私には知ったことではありません。
「キンメリー産の紅茶をお願いできますか?」
「かしこまりました」
昔から紅茶の産地で有名な地名で、愚直に昔ながらの作り方にこだわって作っているのです。
だから、おかしなアレンジを加えないので、ここの産地を言えば普通の紅茶が出てくるはずです。
最近の流行りとか言って母が送ってくる紅茶は匂いが強くて受け付けません。
そして、匂いが強い紅茶が引き下げられ、普通の紅茶が私の前に置かれました。
これでいいのですよ。
心置きなく紅茶に口をつけます。
美味しいですわ。
流石、公爵家の使用人が淹れた紅茶ということですね。
私が適当に淹れた紅茶とは比べ物になりません。
「美味しい」
え? 何故にフェルアランからそのような言葉が出てくるのですか?
いつも飲んでいるはずですよね。
「良かったですね」
私は適当に返事を返したのでした。




