6.雪豹将軍の動揺
「ルデアの仕事ぶりはさすがだな。さすがあのスタークの娘、今思えば、平凡な男の妻に収まるような器ではなかった」
州侯に報告書を提出して署名をもらい、王都への早便を出したあと、そのまま侯の屋敷で昼食会という流れになった。硝子張りの大きなサンルームに設えられた食事の席で皿が運ばれてくるのを待つ間、ふとヴァルドイがそうこぼして、アレクは内心でどきりとした。
あの後ルデアは、少し考えさせてください、と言って宿屋を去った。少しというのがどれくらいの期間のことかわからないが、母親の容体のことや、いつ別の討伐任務が発生して北州を発たなければいけなくなるかわからないことを考えると、そう長く時間をかけるわけにもいかないだろう。しかし母親の背景を思えば、貧民街上がりの将軍というのはあまり良い相手とは言えないのかもしれない。もっと家柄の良い相手、そう、例えばゼトのような…
「顔が怖いです、俺何かしましたか」
「すまん」
知らず知らずのうちにゼトを睨みつけていたらしい。何も知らないゼトに罪はないどころか、貴族社会と討伐軍の間にできた深い裂け目を埋めるのに一役買ってくれている、たいへん貴重な人材である。八つ当たりをしてよい相手ではない。
ほどなくして、今回討伐した凍鹿の肉をパイ包みにして焼き上げたものが供された。凍鹿の肉は不思議な青みを帯びていてあまり食欲をそそる色味ではないのだが、肉をスパイスや野菜とともに細かくたたくことで色味を変えてある。さくさくに焼き上げられたパイ皮の中から照りのある肉だねがのぞいて、食欲をそそる香りを立ち昇らせていた。
「討伐軍の成功に」
「北州の安全と繁栄に」
「「祝福のあらんことを」」
ゼトは西州の州侯の傍系の、かなり高位の貴族の出自である。金髪に灰色がかった青い瞳、すらりと長い手足、いかにも王子様然とした端正な顔立ちで、強さだけでなく見目の良さや所作の美しさも重視される親衛軍で出世街道を確実に歩んでいた。
ゼトは去年、親衛軍将軍の補佐として、年に一度の将軍たちの会議に出席していた。名目上は王国の安全維持に大きな貢献をしている軍の長たちが一堂に介して相互理解を深めつつ翌年の方針などを話し合う場ということになっていたが、その実ただただ討伐軍将軍いびりの場と化している。そういうものと割り切っていたアレクは嫌味や侮辱の数々は平然と聞き流し、押さえなければいけない予算をきちんと勝ち取ることだけに集中していた。
参加者の中で一番の若手だったゼトは、アレクのその平然とした態度が癇にさわったらしく、会議中にたびたび難癖をつけてきただけにとどまらず翌日行われた三軍合同演習の場で1対1の手合わせを申し入れてきた。そして衆人環視の中でさんざんに負けたゼトは、負けたら討伐軍に入るという約束の通り、アレクのもとでこき使われることになったのだった。
…というのが表向きの筋書きだ。ゼトは幼いころ、災害獣と戦う討伐軍を見た経験があった。好奇心から討伐軍の荷車にもぐりこんで、そのままうっかり前線にまで出てしまったのである。爆薬を積んだ荷車から明らかに貴族の子供が出てきたことで前線は一時恐慌状態に陥ったが、さいわい通常以上の被害は出さず、ゼトを守り切って討伐に成功した。
ゼトはその経験がもとで討伐軍に憧れを抱くようになったが、ゼトの家族がそれを許すはずもなかったので、いったんは家族の望み通り親衛軍に入隊した。しかし秘密裏にルデアと連絡を取り合って、一芝居打つということになったのである。
そういうわけで、いつまで演じきれるかわからないが、表向きにはゼトはいやいや討伐軍にいるという体で振舞っている。それでいて将軍の副官という位置に収まっているので、様々な憶測やうわさが飛び交っているが、討伐軍の中で一番有力な噂は、ゼトはルデアにご執心で、彼女とかかわる機会を増やしたいがために貴族の立場を利用して副官の地位に固執しているというものだった。
「アレク殿?」
声をかけられてはっと瞬きをする。
「…失礼した」
もう空の皿をナイフとフォークで押さえつけたまま物思いに沈んでしまっていたらしい。州侯もゼトも給仕も少し戸惑った表情を浮かべていた。動揺を動作に出さないように、音をたてずにそっとカトラリーを置く。
「お疲れのようですな」
「いえ、お気遣いなく」
「討伐がせっかく終わったのだ、あまり引き止めるものでもないな。最後に虹鶏のカスタードプディングを用意しているが、召し上がっていかれるか」
「もちろんです。本当に何でもないのです、どうか、お気遣いなく」
全身に嫌な汗が噴き出していた。もともと貴族との食事は苦手なのだが、苦手だからこそぼろを出さないようにいつも気を引き締めているのに。ヴァルドイが気を害した様子がないのが唯一の救いか。
案の定、帰りの馬車ではゼトからの説教をくらった。
「本当にどうしたんですか、恋する乙女みたいに食事中に上の空になんかなったりして。相手がヴァルドイ卿でよかったと思っているかもしれませんが、逆ですよ。せっかく良い関係でいられている相手だからこそ、丁寧に接しないと。舐められていると感じさせて怒らせてしまったら、ああいう人がいちばん怖いんですからね」
「わかっている。気をつける」
宿屋に戻ってからもどうにも気持ちが落ち着かず、アレクは自分の部屋の中で所在なくぐるぐると歩き回ったあげく、また長袍を羽織って外に出た。澄んだ冷たい空気の中を、あてどもなく、ゆっくりと歩き出す。
町中ではあちこちで討伐軍の面々を見かける。アレクは貧民街でガキ大将をやっていたころから変わらない面倒見の良さを遺憾なく発揮して、婚約者への土産物を見つくろっているという若い兵士に小遣いをやったり、酔っ払って州軍の兵士に絡んでいる兵士を拳で寝かしつけてかわりに頭を下げたりしているうちに、時間はあっという間に過ぎていった。
気がつけばもうずいぶんと、都市の中央部の喧騒からは離れた場所まできていた。ここまで来てしまったなら行くか、と、そのままどんどんと人気のない通りをすすんでいくと、人家はまばらになっていき、石畳の道は砂利道にかわり、行く手には素っ気ない土の空き地に、いくつかの丸太小屋が見えてくる。小屋の戸の前で見張りに立っている紺色の軍服は、州軍の兵士たちのものだ。
ここは犠牲になった兵士たちの遺体の安置所だった。
寒さの厳しいこの地方では、凍った土を溶かすのがかなりの手間になるので、基本的には冬の間は埋葬ができない。討伐軍の犠牲者はたいていがその殉職地で弔われ、軍服その他いくつかの身の回りのものだけが家族のもとに返されるのが常だったが、「保存」の能力持ちの州軍の将官が遺体の一つ一つに保存をかけてくれたので、半年ほどの間は遺体が腐ったりすることはないし、遺族が望めば損傷の激しくない遺体は返してやることができるかもしれない。
アレクに気が付いた州軍の兵士たちがひときわ姿勢を正し、胸に手を当てる州軍式の敬礼を送ってくる。アレクは握り拳を額に当てる討伐軍式の敬礼でそれに応えた。
「中に入ってもかまわないだろうか」
「はい。鍵はこちらです、どうぞお持ちください」
小屋の戸にかけられた金属製の錠は、どの小屋も同じ鍵で開くらしい。差し出された鍵はずしりと重く、痛いほど冷たかった。
「我々は少し離れていましょうか」
「いや、ここにいてもらって構わない」
明かりの入る窓もない小屋の中は濃い死の気配に満ちている。遺体はひとつひとつ木の台の上に寝かされてきっちりと等間隔で並べられ、白地に黒で独特の文様が織り込まれている毛織物で覆われていた。冬の間に死者の眠りを護るためのこれらの織物には数種類の文様があるが、それぞれに「勇気ある戦士」や「安らかな夢」など、死者への弔いの意味が込められているのだと、以前ルデアから聞いたことがあった。
どれがどの意味だったか俄かには思い出せないことを少し申し訳なく思いつつ、アレクは毛織物の端をそっとめくった。土気色の、しかし穏やかな微笑みが、そこに眠っている。
「…カティル」
北州と東州の境に近い村の出身で、たしか実家は鍛冶屋をしているはずだ。特殊能力はなかったが、刃物を研ぐのが格段にうまく、アレクの槍も研いでもらったことがある。これなら竜の骨でも斬れそうだ、と言ったアレクの軽口に紅潮していた少年の頬は、その微笑みのまま永久に時を止めて、冷たくこわばっている。この文様が「安らかな夢」の意味のものであることを願いながら、アレクは元通りにその顔を覆った。
その隣はカティルのいた隊を指揮していた、「測定」の能力持ちの50人隊長リゴダだった。今回の遠征が終われば引退して若手の育成にあたる予定で、次の春には4人目の孫が生まれる予定でもあった。厳つい見た目に反して甘いものに目がなく、孫たちへの土産と称して買い込んだ菓子の半分は彼自身の胃袋に収まっていたことは、もはや公然の秘密である。
ひとつひとつ、毛織物の下の表情を確認して歩く。皆の名前も、声も、故郷も、夢も、自分が忘れていないことを確かめながら。
56の顔を見終わるころには、もうほとんど日は暮れていた。
これで本当に、今回の討伐任務は完了だ。冷え冷えとした達成感が胸のうちを満たして、朝からそこに巣食っていた妙な動揺を、すっかり腹の底に押し込めてしまった。




