第一章 三文役者02
翌日、雨が降っていた。
むき出しに置かれた布団に、雨粒が吸い込まれて行き、わずかに開けられているスペースを、じっと私は見つめていた。
傘に当たる雨音が増えた気がした私は、振り返り目を見開く。
コンビニでも行っていたのか、手に小さな袋を持った茶々丸が、私に気が付く素振りも見せずに、通り過ぎて行く。
「茶々丸」
不意に巻き起こった呼び声に、私の肩がビクンと動く。
「ショウ?」
きょとんとした声で言う茶々丸が振り返り、私は慌てて目線を地面に落とす。
ランドセルを背負ったままのショウが、傘も差さずに立っていた。
まただ。
また、私の存在などないように、二人の会話が始まる。
「遊ぼう」
「いいけど」
私は思わず、腕時計を見ようとして、修理に出したことを思い出す。
ショウが、息をひそめて立ち尽くす、私の横をランドセルを音を立てながら、すり抜けて行く。
「じゃあ決まりね」
茶々丸の腕を取ったショウが、本当に嬉しそうに笑う。
……いくないだろう。どう考えても学校がある時間のはず。
二人に気が付かれないように一瞥してから、私はふっと笑ってしまう。
私も、人のことを言えた義理じゃなかった。
今日も仕事をサボって、こんな所に来ているのだから。
「何する?」
「この雨だし……、室内で出来るものが良いかと、小生は思われるが、如何かな?」
「オレ、ゲームとか持っていないし」
「ユウさんは、何が良いと思われます?」
突然、声を掛けられ、私はギョッとする。
「私?」
自分を指さしながら聞く私に、茶々丸は大きく頷く。
「茶々丸、オレ、寒い」
見るとショウの唇が青くなり、躰が小刻みに震えていた。
どうしていいのか分からないのか、茶々丸はそんなショウを見て、きょとんとするばかりだった。
「あのー、早く躰、温めてあげないと」
恐る恐る言う私を見て、茶々丸は目を輝かせ、手を一つ叩いて見せる。
「お医者さんごっこ!」
「そうじゃなくって」
目の前で、ショウがぐったりと座りこむ。
「大丈夫ですか?」
手にしていた物を抛り出した茶々丸は、ショウを抱き上げ、まるで初めて会った人のように、声をかけ始めた。
「急げ。このままだと、この子の命が危ない。ストレッチャーの用意を」
身動きできずにいる私を見て、苛立った声を茶々丸は張り上げた。
「もういい。時間がない。急ぐぞ」
そう言って茶々丸は、ショウを抱いたまま、雨の中を全速力で走り出す。
無残にさかさまになった傘の上に、容赦なく雨粒が降り注ぎ、袋からは中身が半分、飛び出していた。
彼は、いったい何者なのだろう。
突然、ふたを閉めらていた思考回路が動き出す。
茶々丸に対しての疑問が、次々と溢れ出てくる。
本当は、ここの住人じゃないのかもしれない。
住所不定。
ふと、頭にそんな言葉が浮かんだ。
何かのトラブルに巻き込まれ、身を隠している。
詮索や思い込みは良くない。本人に聞けばいい。
概念が頭をもたげ、私はいったん考えを止めさせ、改めてアパートを一望する。
しかし、一度咲いてしまった好奇の芽は、摘まれることなどそう容易くは出来やしない。
パラパラと、傘を叩く雨粒のメロディに合わせるかのように、私は想像の花を咲かせ続ける。
行くところをなくした茶々丸は、偶然、ここを見つけ住みついた。
取り壊す予定の、廃屋。
問題がある茶々丸にとって、好都合だったのだろう。
不意に悲しみが突き上げてくる。
どこまでおめでたい私なのだろう。勝手な想像なのに、不憫に思うなんて。もしかしたら強犯罪者かもしれないというのに。
茶々丸という名前も、本当かどうか判らない。
事件に巻き込まれでもしたら厄介なことになる。
それにしても……。
私は、苦笑してしまう。
さっき見せた、怖いくらい真剣なまなざし。
あれは、迫真の演技ってやつなんだろうか。
売れない役者って考えもある。
ここいら辺は、大小関係なしに劇団があると聞いている。仕事柄、そういう人にも遭遇したこともあった。それにしたって、あんなゴミ屋敷に住むなんて、まともじゃないことは確かだ。
首を竦め、私は踵を返した。
雨は一向に止む気配を見せていない。
足が重い。鉛の靴でも履いているようだった。
仕事に戻りたくなかった。
中途半端な私。
友達なんて名ばかりの人に、愛想笑いで電話を掛ける。
露骨に嫌そうな声を出され、くじけそうになりながら、会う約束を取り交わす。
「家族はともかく、親戚にまで迷惑を掛けるようじゃ……」
母親の言葉が蘇り、私は頭を振る。
私だって好きでやっているんじゃない。
泣きそうになりながら、公園を横切ろうとした私は、ハッとして足を止めた。
もうとっくに暖かい場所に身を移して、二人で仲良くしているものだと思っていた茶々丸が、ま悪ふざけを続けていた。
屋根が付いているといっても、隙間だらけの日差し避けで、ベンチに横たわっているショウに、雨粒は容赦なく降り注いでいる。茶々丸の髪からも雨が滴っていた。




