第一章 三文役者01
暖かな日差しが、私の首に巻いていたストールを外させていた。
バックにくちゃくちゃのまま押し込むと、一つため息を吐く。
どうしてこんなことをしているのか、自分が、自分でもよく分からなかった。
会社を出て気が付くと、この公園へと勝手に足が向いていた。
彼に会いたい。
一瞬感じる、あの暖かなものが何だったのか、私は知りたかった。
何をするわけでもなく、咲き始めたばかりの桜の木の下で、空を見上げ、会えるあてもない人を待つ。
ふっと、私から笑みが零れる。
皮肉なものだなと、つくづく思う。
ずっと後ろ向きだった仕事のお陰で、今、私はこうしていられる。
電源を切った携帯。
自由な時間。
すべてなくなってしまえと、もう一人の私が、心の中で叫ぶ。
それなのに……。
くだらない理性が顔を出し、そんな私を責めたてる。
そもそも彼が何だって言うの?
どこの誰ともわからない、風袋も怪しい男。言葉さえ交わしたことがない。それどころか……。
私は目を強く瞑り、彼がどんな顔をしていたかを思い出してみる。
はっきりと思い出せないのだ。
周りにあった佇まいははっきりと残っているのに、顔となるとさっぱり思い出せずにいた。
「え? どうしてこのタイミングなの?」
目を開けた瞬間、思わずそんな言葉が零れ落ちる。
ほんの数秒だったのに、彼は私の目の前に立ち、空を見上げていた。
不思議な気持ちで、そんな彼をぼんやり見つめていると、不意に背後から声が聞こえ、私は肩をびくつかせ、声の主の方へ目をやった。
ランドセルを背負った少年だった。
「茶々丸」
「おおショウではないか」
「茶々丸、何してんの?」
ショウという少年の質問に、彼、茶々丸は手にしていた袋を軽く持ち上げて見せる。
「買い物?」
「おにぎり、買って来たんだ。ショウも一緒に、食うか」
「いらねぇ。て言うか、一つしかないじゃん」
中身を嬉しそうに出して見せる茶々丸目がけ、ショウが体当たりをして行く。
「大丈夫。そんなの問題じゃない」
軽く身をよじらせながら、茶々丸は屈託のない笑顔で、そう言い繋ぐ。
声のトーンで、二人の仲の良さが窺えた。
思いがけない友人登場で、私は彼の名前を知ることが出来た。
彼、茶々丸の声は、まるでフルートのように、私の心に響き渡っていく。
つい聞き入ってしまって、自分が立っている位置に気が付くのガ、遅れてしまう。
二人が私に向かって歩いて来ていた。
身を固める私などどこにもいないように、二人は素通りして行く。
そして、ベンチに座った二人は、賑やかな会話を始めだす。
馬鹿げている。
そう思う一方で、私の足は縛られでもしたかのように動けずにいた。
「そう言わずに、はい」
背後のやり取りだった。
おそらくおにぎりを半分に割り、ショウに分け与えているのだろう。
「……あなたも」
はじめ、誰に向けられている言葉なのか、分からずにいた。
袖口を引っ張られ、振り返る私に、茶々丸は自分の分を更に割って、私へ差し出していた。
洗いざらしの真黒な髪は肩にまで届く長さがあり、前髪で覆われたその瞳が、どうしてか、微笑んでいるように感じられ、私も顔を強張らせ、微笑み返す。
その時だった。
一陣の風が桜の花びらを散らせ、吹き抜けて行き、茶々丸の前髪を煽り、微笑んでいる瞳が顕わにされる。
そこには、青空があった。
こんな表現、間違っているかもしれないけど、茶々丸の瞳は、そこはかとなく澄んだ青く輝く空そのものに見えた。
「どうかされたかな?」
目を見張っている私に、頭を振り、徐に前髪を掻き上げながらそう言う茶々丸の瞳の色は、まったく違う色だった。
目の錯覚?
どうしてダークブラウンの瞳が、青空のような色に見えてしまったのだろう。
茫然している私に、茶々丸は微笑みかけ、おにぎりを受け取るように促す。
「いいから、早く食っちまえよ」
ショウの言葉に押され、おにぎりを一口で食べ終えると、またそれを見て、茶々丸は微笑む。
私は、恥ずかしさで俯いてしまう。
「何をしましょうかね。小生は」
「じゃんけんぽい」
口の中におにぎりが残ったままの私は、ショウのそんな掛け声に急かされ、グーを突き出す。
「おっ、茶々丸が鬼ね。ユウ、逃げるぞ」
「え?」
一瞬広がった疑問符は、すぐにかき消されて行く。
「茶々丸、ちゃんと10数えろよな。おいユウ、早くしろよ」
ショウに手を掴まれ、私はハイヒールを履いているのも忘れて駆けだす。
もう何年も感じていなかった感情。
追いかけ追いかけられ、時が経つのも忘れ、私たちは暗くなるまでその鬼ごっこを続けていた。
「ユウ、足おっせぇ」
「うるさい。生ガキ。足が痛いんだよ」
「じゃあ、脱いじゃえばいいじゃん」
「そう言うわけには」
「小生、鬼、疲れました」
日が沈みが始め、黄昏が広がると茶々丸の髪は黄金色に輝きを見せた。夕映えが進む頃には燃えるような赤色へと変わっていた。
一瞬の間はあるものの、それは全然不思議なことではなく、すっかり日が沈んでしまった頃には、空が染まるのと同じ感覚で見ていた。
「オレ、そろそろ帰るわ」
ショウがベンチに放り出してあったランドセルを背負い、言う。
それを合図に私たちは公園を後にした。
工事が中断されたままの道路。
至る所に看板が立てられ、資材が積まれている。それを囲むように無数に並べられたポール。
不意に茶々丸が立ち止る。
「じゃあ、小生は」
「うん、じゃあ」
茶々丸のカンカンと階段を上って行く、音が響く。
月明かりに照らされ、おぼろげなシルエットを浮かび上がらさせているアパート。
「本当に、ここで住んでいるのか疑いたくなるわね」
ゴミの山に目を向け、ねぇと隣に居るはずのショウに話し掛けたが、応答がない。
いつの間にか、独りぼっちにされてしまっていたことに気が付き、肩を竦める。
心細い外灯に、身を固めながら、私はもう一度茶々丸が住むアパートを仰ぎ見る。
そして、何かが頭に引っ掛かった。
それが何か思い出せず、私は駅に向う足を速めた。




