第八章 支配者06
柔らかく心に寄り添うようなせせらぎに、私は目を覚ます。
「ここは?」
私は目を瞠る。
どんなに探しても見つからなかった門扉が目の前にそびえたっているのだ。
「この門を開けれるのは、聖なる力を持った者のみ」
ヒラーヌが手を翳すと、静かに門扉が左右に開かれる。
「入りなさい」
私はおずおずと前へ進み出る。
二人が入ると同時に、門扉は元へ戻され、その姿を隠してしまう。
「娘よ、なぜ、ここへ参れたか、謎に思わぬか?」
ヒラーヌの穏やかな声で問われ、私は後ろを振り返る。
私の右手に握りしめられたぺんぎんを指さし、ヒラーヌが小さく笑う。
「そこにギルバードの聖なる力を封じ込めてある。だが、そのようなのもの、そなたには必要はないようだ」
驚きのまま、私は手にしているぺんぎんを見つめる。
「娘よ、そなたがどこまで思い出したのか、少し、頭の中を覗かせてもらうが、良いか?」
私は訳も分からないまま、頷いて見せる。
どこまでも澄んだ、エメラルドグリーンの瞳に見詰められ、私は身動き一つできなくなる。
細切れでつながらない私の記憶の糸を、ヒラーヌは一つ一つ繋ぎ合わせて行く。
ランドセルを背負った男の子が振り返り手招く。
友暉だった。
「僕は信じるよ」
たどたどしい滑舌で言うと、頬を綻ばせる。
出会った少年の話。鳥も言葉が分かってしまうこと、ひとの醜い心が読めてしまう悲しみ。誰かを恋しく思ってしまう心。もう一人の自分の存在。消えてしまう記憶。壊れてしまった時計。青空を切り取ったような瞳を持つ、青年との出会い。そして、目の前に現れた人の闇の中に、青空を見つけてしまった自分。自分が願わなければならない誠。一人で背負いきれない十字架を、友暉が半分背負ってくれていた。
「今、心は解き放たれた」
高らかにヒラーヌが宣言し、私に心が軽くなって行くのを感じる。
「娘よ。愚かな弟のため、最後の力を貸してはもらえぬか? どうやら私にはもうそのような力は残されていないようだ」
「ヒラーヌ」
ガックリと、ひざを折ってしまうヒラーヌを見て、私は目を瞠る。
翼がだんだん黒ずみ始めていた。
「どういうことなの?」
「天使は地表へはそう長くは留まれぬ」
「まさか、悪魔に魂を売ってしまったの?」
「いや、あいにく私にはそのような知り合いはおらぬ」
「だったらどうやって」
「人の子の躰を借りた」
「まさか、友暉?」
恐る恐る尋ねる私を、悲し目で見つめ返す。
「私の魂を分け与えることで、彼もまた永らえることが出来た。しかし彼の躰は衰弱をし、動かすには少し無理があった」
私は何も言えないまま、ヒラーヌの瞳を見つめる。
想像がついた。
半分だけならきっとどうにかなったはず。しかし残りの半分を、金森になるため使ったのだ。
辛そうにしているヒラーヌの躰を支え、私はブランコへ座らせる。
「そなたにはなった矢は別の者の運命を運ぶもの。本来与えられるはずの運命は存在できぬ」
「私が出会うべき相手。それが、金森さんだった」
ヒラーヌは目を瞑ってしまう。
風がさやさやと吹き、草花たちが心地よい歌を歌い始めるのを感じながら、私は何も語らなくなってしまった、ヒラーヌの顔を優しく撫でる。
「どうしてあなたがそこまで」
鳥たちが囁く。
「それはあなた様に恋をしてしまったから」
そんなこと、あるわけないじゃない。
私の心が叫ぶ。
「あなたは何も知らない、知られてはならない」
「止さぬか」
最後の力を振り絞ったヒラーヌが、言葉を振り払おうとするが、囁きは終わろうとはしなかった。
「あなたは何も知らない。知られてはいけない。だけど誠はやがて伝わるもの」
「教えてください。ヒラーヌ様」
ヒラーヌの頬に、一滴の涙が流れ落ちる。
「知らなくて良いのだ」
「嫌です、教えてください」
「どうやら、時間切れのようだ」
心地よく吹いていた風は強まり、黒雲が空を覆い尽くしてしまっていた。
「娘、急ぐぞ」
「でも、その躰では」
「大丈夫だ。休息は取れた」
ヒラーヌの翼に抱かれたまま、強い力で私たちは弾き飛ばされてしまっていた。




