第八章 支配者05
かすかに残る胸の痛みが、何なのか分からないまま、ギルバードは人の躰を手に入れ、そのまま暮らすようになっていた。
自分が持つ、不思議な力と胸の痛みに苛まれながら、過ごしていたのだが、ある日、霧が晴らすように、現れた女性へギルバードは目を輝かせる。
雲の切れ間に垣間見える記憶。
愛しさと切なさが織りなす心の響きを、歌わずにはいられなくなる。
鳥たちが囀り、光の粒が躍る。気が付くと、ギルバードは翼を広げ、空へ飛び立とうとしていた。
悠々と飛んで行く姿が目に浮かび、喜びがあふれてくる。
口笛を吹き、風を起こす。花弁が散り、地面で踊り出す。髪を風が揺らし、居てもたってもいられなくなったギルバードは地面を蹴り上げた。
翼が大きく空を掻き、足が地面から離れようとした時だった。
自分の中から、少年が飛び出してきたのだ。
そして少年はギルバードへこう告げたのである。
「私はあなたの友であり、敵でもあります」
目を見開くギルバードに対し、少し棘を持った言葉が続けられる。
一変した表情が窺える。
「愚か者よ。よく聞くがよい。お主が向かう先、不幸を招く。その時は、この実を口にするがよい」
少年の目は鋭く、しかし悲哀を含んでいた。
手渡された瞬間、ギルバードのほんの一部分が取り戻される。
青空が眩しく、なつかしいものに思えた。それと同時に、悲しさが胸を過る。
目の前に現れた、ユウキの存在はそれに等しいものがあった。
ユウキは、雲の切れ間の向こう側へ連れて行ってくれる、大切な役割を持つ女性。しかし、深入りしてしまえば、必ず彼女を傷つけることになってしまう。
愛しさが増せば増すほど、とりとめのない痛みに変わり全身を襲ってくる。
ヒラーヌが与えた罰だった。
いっそのこと、自分の中へ取り込んでしまえばいい。
支配を、仄めかす心があった。
黒く濁った感情が、ギルバードの心を二分していく。
苦しさに喘ぎ、ユウキのすべてを奪うことで、楽になれると思い込んだある日、手を掛けようとした。しかし、あの忌々しい女が現れ、すべてを妨害してきた。
魔笛が聞こえる中、ギルバードはその女のを怒りの炎で焼き尽くす。
だが、それにいち早く気が付いたヒラーヌは手を打っていた。
罪を犯したのである。
あの者の命が奪われてしまっては、戻る道は失われる。
青白い炎にもがき苦しむ志津恵の魂を背に、ヒラーヌは立ち去る。
堕天使となってしまった以上、迷いはなかった。
悪魔の実を口に含み、悲しい笑みを浮かべ空を仰ぎ見る。
美しき景色が目の前に広がり、至福の光が降り注ぐ木の下、心安らがせた遠い日々。もう戻ることは許されまい。すべてを失ってしまう前に、何とかギルバードだけでもあの場所へ戻さねば。固く決心したヒラーヌは向かう先は一つだけだった。
烙印を手掛かりにして追って来たのは、ヒラーヌだけではない。
狩人が放たれたのだ。
浅はかなシールドなど、すぐに破られてしまうのも、時間の問題である。
パラパラと魔導書を自動で開き、この世と思えない雄たけびをするギルバードを見やる。
「まさか実の弟を、こんな姿にしてしまうとは……」
ギルバードの目が、赤くぎらぎらと光る。
その渦中に晒されていることなど知らない私は、曖昧な記憶に漂いながら、本当の自分を探し当てることに必死だった。




