第六章 探究者03
夜にまぎれ、一人の男が地表へと降り立つ。
「さゆり、お前さ、唐突に帰って来るのなしにしてやれよ」
ベッドにうつ伏せている私に、兄が呆れながら声をかけて来ていた。
ショウに置いてきぼりを食らった私は、気が付くとここへまっすぐ戻って来ていたのだ。
「ねぇお兄ちゃん、広瀬君って今、どうしてる?」
「ヒロ君なら、新しい病院に移るみたいだけど」
「病院?」
がばっと起き上った私に訊きかえされた兄が、身を引き頷く。
「て言うか、今更、それを聞く?」
去っていくショウを見ながら、私の記憶が一部分蘇っていた。
耳が悪く、金魚の糞のように兄の後ろでニコニコしていた男の子の存在。
「ヒロ君って、どんな顔をしていたっけ」
困惑する私を見て、兄が深いため息を吐く。
「覚えていないのか?」
コクンと頷く私を見て、兄は口元を緩める。
「さゆりちゃん、この音綺麗?」
やたら発音が悪く、聞き取りにくいヒロ君の声が私に問う。
「じゃあこれはどんな音?」
ヒロ君は夢中で鍵盤ハーモニカを鳴らしては、私の唇をじっと見つめる。
分かりっこない。そう思いながら、水の音だよと答える。
「水の音?」
「うんそう。水のさやさやと流れるきれいな音」
まったくのでたらめだった。
自分の言葉に反応して、変なアクセントで訊き返されるのが楽しくて、思いついたことを並べる、そんな遊びだった。
ヒロ君と話すのが好きだった。
私の胸から光が放たれ出す。
「ユウ、目を覚ませ。まだ駄目だ」
ショウが光の中から現れ、胸へと光をおしこめる。
そして白い点となり、ショウが消滅し、私の記憶はそこで途切れる。
ヤバいです。崩壊し始めている気がする。




