第三章 伴奏者02
黒目がちな瞳が、私をじっと見つめていた。
「ユウ、少しやせた?」
ベンチに二人で座り、一方的に美和子が私に話しかけていた。
私は今すぐにでも、茶々丸を追いかけて行きたかった。
しかし、足を一歩踏み出した所で、私は美和子に手を掴まれてしまったのだ。
「放して」
「久しぶりだね。なかなか会えなくて、ごめんね」
「放してってば」
「もうそんなに怒らなくたって」
のんびりとした口調で言う美和子を、私は嫌悪の目を向ける。
いつからだったろう。私が彼女を苦手と思いだしたのは。
記憶を溯らせていく私に、美和子は屈託のない笑みで、自分の状況報告をし続ける。
そもそも、友達になったきっかけが見当たらないのだ。たぶんあったのだろうけど、私の記憶力の悪さは、もう、その頃には最悪なものになっていた。
覚えていないのも仕方がないこと。
諦めて、私は美和子の話に頷き、学生の頃の二人のように、無理して笑い、興味がない会話につき合わされているのだ。
「ああもうこんな時間」
そして、これも同じだ。
美和子から突然、打ち切られてしまう。
「あのさ」
ん?
数歩行ったところで振り返った美和子が、口をすぼめ微笑む。
この表情も、知っている。
嫌な予感がしていた。
「彼、格好良いね。今度紹介してくれない?」
ザワッとしたものが私の中に生まれ、美和子を見つめ返す。
「大丈夫よ。取ったりしないから。ユウも知っているでしょ。私には彼氏がいるの」
「うん、今度機会があったらね」
「じゃあ」
小さく手を上げた美和子が帰って行くのを、私は不安な面持ちで見送る。
「俺、あいつ嫌い」
驚く私の横まで来たショウが、思い切り美和子が去って行った方向へあかんべえをしてみせた。
「ショウ、帰ったんじゃないの?」
「ユウ遊ぼうぜ」
「遊ぼうって?」
「あの女の話なんか聞くなよ」
意表を突かれた私の顔を見て、ショウは思い切り私の足を踏んでくる。
「何をするのよ。ちょっと待ちなさい」
ショウは私の話しなどまるで聞こえていない様子で、さっさと帰って行ってしまった。
一人取り残された私は、急に不安になり、茶々丸の住むアパートへ向かう。
昼下がりの障害物のない真っ直ぐな道。
宅配業者の車が一台に、昼食を終えたサラリーマンがゆっくりとした足取りで歩いていた。鳥の羽ばたきにしては少し大きすぎる音に気が付いたそのサラリーマンは、驚きで口をパクパクさせる。
黒々とした大きな翼で飛んで来た男が、目の前を何もなかったように歩いて行くのだ。
「あんた、凄いよ。いったい、どういう仕組みになっているんだい?」
思わず駆け寄り、すっきりした背中に手をやりながら夢中で聞いていた。
黒縁メガネを掛けた男は、無言でサラリーマンを睨む。
一瞬、焦点が合わない視線を泳がせたそのサラリーマンは、すぐにハッとした顔になる。
「すいません」
「いいえ」
前を歩く男とぶつかりそうになったと思ったサラリーマンは、ばつが悪い顔をしながら、追い抜きそのまま足を速め去って行く。
男は愉快そうに鼻歌を歌いながら、胸の前で小さくタクトを振る仕草を見せると、空を仰ぎ見る。
どこからこんなに集まって来たのか電線にはびっしりとムクドリが止まり、一斉に鳴き出す。
そんなことが起こっていることを知らない私は、ゴミが積まれた階段の傍まで来ていた。
獣道のようにあけられたそのスペースに足を踏み入れていいものかどうか、私は躊躇う。
それは勘だった。
ここを踏み入れてはいけないような気がするのだ。
あのアルミの扉を開けてしまったら、全てが終わってしまう。
鳥の鳴き喚く声が、静寂の街へ響き渡っていた。
男のタクトが大きく振られ、それに合わせての声。
私の心臓がドクンドクンと高鳴る。
のどがカラカラだった。
足を一歩踏み出そうとした私の手を誰かが掴んだ。
「ユウさん、こんな所に居ましたか」
「茶々丸」
パタッとタクトを振るのを辞めた男は、肩を窄め口笛を一吹きしてみせる。
ムクドリがそれを合図に一斉に、飛び立った。
真っ黒く、青空を塗り替えるように群れを成して飛んで行ってしまう。
夏の匂いをうかがわせる日差しが差す道に、男の姿はもうなくなっていた。




