第二章 弁護人01
すべてが不可解。
納得いかないことばかりだが、それを深入りしてしまえば、全てが白紙に戻ってしまう気がして、私はその先を考えないことにした。
ショウを預けた交番へ一人で出向き、パトロール中の札に、わたしはうな垂れる。
普段は、目を見張って立っているはずの警官が、今日は珍しく、一人もいないのだ。
しばらく待っても、警官は一向に帰ってくる様子がなく、それどころか辺りがやたら物々しい雰囲気になっていることに気が付いた私は、けたたましいサイレンが集まる方へと行ってみることにした。
凄い人だかりができているのを見つけ、私もその群れに加わった。
無数の警察車両が集まり、全員が一方向を見つめ、固唾を飲んいる。
何かが起こっている。
そのことは間違いなく確かだった。
こんな時にさえ、興奮した若者が携帯のカメラを向け、口々に勝手なことを言っている。
そんな会話から私は、あの建物に誰かが立てこもったことが分かった。
姿が見えない犯人。どうしてそんな事をしているのか、その理由もさっぱりで、でも、そこに居合わせた人々は、笑みさえ浮かべてそれを見ていた。
「立てこもりですか?」
不意に声を掛けられた私は目を見開き、その相手を見る。
着流しを少しはだけさせた、茶々丸だった。
「どうして?」
「サイレン、煩かったから」
袖に両手を突っ込み、しばしその状況を眺めていた茶々丸は、何かを思いついたように、眼鏡を指で押し上げ、大きく息を吐く。
「どうしたの?」
「小生、少々野暮用を思い出しましたので、これで失礼」
そう言うと、茶々丸は人の隙間を縫うように、去って行った。
進展しない状況に、人が入れ代わり立ち代わりして行く。私も同様、しばらく眺めていたが、その場を離れ、駅へと向かう。
心がざわついていた。
何かが頭に引っかかった。
やたらにカラスが騒がしく鳴き喚き、私を責めたてているように思えて仕方なかった。
茶々丸の言動も気になった。
一瞬、目が鈍く光った気がした。
冷ややかな空気が漂い、怖いとさえ感じた。
ちょうど入って来た電車に飛び乗り、私はなぜだか、ホッとなる。
私は少し痛む頭を押さえ、座席へと着く。
軽く目を閉じる私を、例えようのない恐怖が圧し掛かってくる。
ジワリと広がる闇、耳を塞がれたように一瞬にして消えてしまった音。不意に茶々丸が言い残して行った言葉が、私の何かを引き上げようとする感覚に陥り、焦って目を開く。
慌てて目を開き見た景色は、いたって平和なものである。
雑音が耳に戻ってきた私は、窓に目をやる。
あれは何だったんだろう?
頭に直接響いてくるような、声とも少し違うような気がする。
一瞬目の前が暗くなり、ビルの中の光景が目の前に広がっていた。
隣り合わせた男性が、舌打ちをし、携帯を持ったまま電車を降りて行く。
その姿を何となく目を追っていた私は、あれ? と思う。
さっきの現場に居た気がしたが、ドアが閉まると同時にシャットダウでもされたかのように、私はもう違うことを考え始めていた。
部屋に戻った瞬間、今頭のどこにもなかった事件のことが蘇り、やたら気になり始めた私はテレビのスイッチを入れる。
ここ最近、この画面に色を映されることはなかった。
その眩しさに、つい目を細めてしまう。
考えてみると、私は滅多にテレビを見ない。
学生の頃、ドラマの話やタレントの話をされても、目を瞬かせていることが多かった。
「文明利器を使いなさい」
鮮明に聞こえてくる美和子の声に、私は顔を顰める。
大学卒業して、最初に躓いた時、私は美和子に救いを求めた。しかし、鼻で嘲笑され、それ以来連絡を取っていない。
私は不思議に思う。
今まで思い出すことのなかったものが、次々とまるでコップからあふれる水のように湧いて出てくるようだった。
なかなか知りたい情報が出てこない画面に嫌気がさし、私はスイッチを切り、意味もなくプラグを抜いた。
その時の私は、ベランダに降り立った黒い影のことなど、微塵も気が付いていなかった。
窓越しに私を投げ目ていたその影は、ぞっくとするような笑みを浮かべ、指をパチンと鳴らす。
まるでそれが合図化のように、私は夢遊病者のように、部屋を出て行く。
その影は実に愉快気に、指で作ったタクトを振る。
私の頭は、茶々丸のことでいっぱいになっていた。
居ても立っても居られない気持ちで、半ば駆け足になっている。
なぜかわからなかった。すぐにでも会って、会って……。
気が付くと、すっかり暗くなってしまった街を、私は振り返り振り返り訪れていた。
まるで何もなかったかのように、大音量で流れる音楽と、人の笑い声を横切り、私は夜にひっそりと佇む、茶々丸が住むアパートを見上げる。
部屋の窓を見つけたいのだが、工事資材が浮き立って見える傍まで行って、私はピタッと足を止める。
そこにはまるで見えない壁が建てられているように、進むことが出来ないと思い込んでしまった私は、急に怖くなり踵を返そうとするが、背中に冷たいものを感じ動けなくなる。
どうしてだろう? 背景がくっきりと見えている気がした。
闇にまぎれて立つ一つの影。スルスルと伸ばされる手。逃げ出したいのに、躰が石にでもなったように動こうとしなかった。
「なぜです? なぜちゃんと声を聞かせないのです?」
ふいに飛び込んできた低い声に、私は身の毛立っていた。
あの現場でも、似たような言葉を、茶々丸が口走っていた。
「事実から目を反らしてはいけません、今、目覚めの時です」
「小生は、そんな愚かな力に屈せない」
険しい顔をした茶々丸は、私を見ていた。
動く唇。
「まだ開けてはなりませぬ」
確かにそう動いていた。
グラリと躰が右に傾く。
闇に紛れた陰の目が、ギロリと動く。
頭の中が揺らぐ。
躰が不安定になり立っているのが辛くなる。
次の瞬間、一面の青空が広がり、誰かがこちらへ振り向く。
「まだダメだよ。この力を使うのは今じゃない」
友暉の声だった。
見えない何かが弾かれ、ぼんやりと茶々丸が住むアパートを見上げている私に戻っていた。




