第5話 お風呂上がりには
「こちらの温泉にはよくいらっしゃるのですか?」
「あ、いえ、実は初めてなんです。近場に新しい温泉ができたという情報を耳にしまして、偵察がてら来てみたといったところで......」
私は頭上にタオルを乗せ直しながら答える。
「あら、では、この辺りの方でいらっしゃるんですね。......あの、近くの王立アカデミーのことも何かご存知ですか?」
「あ、ええ、まあ」
「あら!そうなのですか?! もしや、あちらに通われているのですか?」
彼女が身を乗り出してくると、琥珀色のお湯の表面が大きく波打った。
「ええ、ま、まあ......」
(今は、療養中なんですけどね......)
「まあ、なんて偶然! 実は私、来月からそちらに転入する予定でして」
「そ、そうなのですか?!」
(転入?! ということは、やはり名家のご令嬢なのかしら?)
銀髪の少女は湯船の中で背筋をすっと伸ばす。
「はい、申し遅れました、私、ユリナ・ラヴェルと申します」
(え......?ラヴェル......? あの銀髪の彼と同じ苗字じゃない! )
「ラ、ラヴェル様でございますか?」
「あら、知っていただいてたのですね。嬉しいです。
私、ラルバ王国の王女、ユリナ・ラヴェルでございます。この度、隣国交流の一環として、こちらの学園に留学することになりました」
「え?」
(......ええ?! り、隣国の、王女様なの?!
ということは......ユリナ様とユリウス様はご兄弟で......
つまりユリウス様は、王子様ってこと?!?!)
「こここれは!失礼いたしました! アステリア国、ヴァレンシュタイン公爵家のシイラ・フォン・ヴァレンシュタインと申します!」
私は慌てて名を名乗る。一体何がどうなっているのか、状況がうまく飲み込めない。
「あ、いえいえ! どうぞお気になさらないでください。シイラ様とおっしゃいますのね。これからどうぞよろしくお願いします」
そう言ってユリナ様は優しく微笑みかけてくれる。笑うと目がくしゃっと細くなった。その場に美しい花でも咲きそうだ。
失礼な態度を取っていなかったかと心配になったが、ユリナ様は大変気さくな方のようだ。
「こ、こちらこそ、よろしくお願いいたします。
あの......実は先日、お兄様に大変お世話になりまして」
「まあ、兄をご存知なのですか?」
「はい、ええと、かくかくしじかで......ええと、今日はお兄様もご一緒で?」
(私ったら、なんでこんなに気が動転しているのでしょう)
「いえ、兄は今日別の用事が入っておりまして、別行動なのです」
「あ、あら、そうですわよね」
(ああ、よかった......って、なんで私、ホッとしたのかしら?)
少し緊張して、次にはホッとして。
自分の気持ちを考えているうちに、どうしたのだろうか、頭が朦朧としてきた。
のぼせてきてしまったのかもしれない。まだまだ温泉のたしなみ方を習得するには時間がかかりそうだ。
ユリナ様に声をかけると、彼女も喉が乾いてきたとのことで、湯船から上がって一緒に脱衣所に向かうことになった。
♢♢♢
脱衣所を出たところの売店でキンキンに冷えた牛乳を見つけ、ガラス張りの窓のそばのソファーに座って飲むことにした。
(前世ぶりの、湯上がりの牛乳......感動的ですわ。この間は飲みそびれてしまいましたし)
「まあ、こちらの牛乳、絶品ですわね! どうしてこんなに美味しいのでしょう?」
横に座るユリナ様から歓声が上がる。
「お口に合ってよかったです。牛乳をこうしてお風呂上がりに飲むと、格別に美味しいんですよ」
「まあ、そういうことってあるんです? 不思議ですね」
「ええ、本当に」
私も牛乳瓶のフタを開け、一気に口に含む。キンキンに冷えた牛乳が、温泉で温まった身体に染み込んでいく。
(はあ......生き返るわ......)
それから、どのくらいのあいだだっただろう。
しばらくソファーによりかかって2人でぼーっとしていた。窓から見える近くの森は、時折風が吹いて木々が揺れる。私がうとうとしかけていると、ユリナ様が唐突に口を開いた。
「あの、私、実は、この街に全く知り合いがいなくて......
シイラ様、もしよろしければ、私とお友達になっていただけませんか?」
(お友達......? それって、何をすればいいのかしら......?)
思い返せば、これまで友達と呼べる存在の人はほとんどゼロに等しかった。学園に通って、毎日顔を合わせるクラスメイトはいても、当たり障りのない話で終わってしまう。
パーティの場で顔を合わせても、どこかよそよそしく、互いに社交辞令を伝え合っては仲の深まらない平行線。
それに、過去の私には自由な時間というものがまるでなかった。
朝は稽古でひたすら自分を磨き、稽古が終われば学校に行き、学校が終われば授業の予習・復習をする。
前世でも、社畜時代は土日返上で働いていた。
新しい友達なんてできることはなく、会社と家の往復。
(......でも、今の私は違うのよね)
婚約破棄を受けた今、朝稽古からも学校からも解放されて、初めて自由な時間を手に入れたのだ。
私はユリナ様に向き合う。
「え、ええ、私でよろしければ......どうぞよろしくお願いいたします」
ユリナ様は気さくに私に右手を差し伸べてくれる。私たちは硬く握手をした。
「では、早速ひとつ、お願いしたいことがあるのですが.....」
「ええ、何なりと! どんなことでしょう?」
「実は私、超のつく方向音痴でして......いつもお母様にお叱りを受けているのです。
それでシイラ様、私にあの学園の中のことを、教えていただけないかしら? もし可能でしたら、中を案内していただけたら、大変助かるのですが......」
(ま、まずいわ......今あの学園に近づくのは、危険でしかない......
ぜひともお近づきになりたいところだけど、これはお断りするしか......)
「え、ええとですね」
私がなんと断るべきか思案していると、背後から声がした。
「ユリナ様」
「あ、ええ」
「そろそろ日が暮れて参りますので、お帰りのお支度をお願いいたします」
「あら、もうそんな時間。では、シイラ様、ぜひご検討いただけますと嬉しいです」
「え、ええ、かしこまりました。ユリナ様、お気をつけてお帰りくださいね」
ユリナ様は無邪気な笑顔で私に手を振って、護衛の者を連れて温泉を出ていかれる。
(どうしましょう、学園を案内して欲しいと言われるなんて!
ご案内したいのは山々だけれど......私には破滅フラグがあるのよ......)
私は牛乳瓶のフタを手で転がしながら、ユリナ様に何とお返事をするべきか考える。
(それにしても、こんな展開、小説にあったかしら?)
そういえば、ピンチを助けてくださったユリウス様も、前世で読んだあの小説に出てきたのか、全く思い出せない。
隣国の王家の方々が留学で学園に、という話は、あっただろうか。
私が違う行動を取っていることで、小説も違う展開に進み始めているのかもしれない。
しかし、分からないことはどうしようもない。
とにかく今は、婚約破棄の裏側で何があったのか、調べるのが先だろう。
(早く真相を掴まなくっちゃ......!)
♢♢♢
家に帰ると、侍女のニナが玄関で出迎えてくれた。
「シイラ様、お帰りなさいませ。温泉はいかがでしたか......?」
ニナが荷物を持ってくれ、屋敷の長い廊下を歩いて、自室へと向かう。
「ありがとう、あそこの温泉、最高だったわ」
「それはなによりです! またいい温泉の情報をリサーチしておきますね。それで私、シイラ様の婚約破棄の件について調べてみたのですが、とある噂を耳にしまして......」
ニナが間が悪そうに言う。
「噂?どんなものなの?」
「エミリア様のことなのですが......」
「エミリア様?」
(やはり、記憶がないだけで、私が何かしてしまったのかしら)
思わずその場で身震いしてしまう。腕に鳥肌が立っていた。
(やだ、急に冷えるわね)
私には、それが湯冷めなのか、悪い予感から来るものなのか、よく分からなかった。




