第3話 ヴァレンシュタイン公爵家
温泉地から帰宅した私を待っていたのは、やはり、お母様からの厳しい追及だった。
「婚約破棄をされたって、一体どういうことなの!?」
お母様のきいきい声が夜のお屋敷に響く。帰り道に考えていた言い訳が、お母様の怒りの形相を前にして、全部ふっ飛んでしまった。
「ご、ごめんなさい。それが……」
(なんて説明したらいいのでしょう。パーティが始まったら、いきなり婚約破棄を伝えられたなんてこと……)
それにしても、もうお母様にまで話が回っているだなんて、世間というものは恐ろしい。
「ちょっと、ドレスが土まみれじゃない!? もう、どのように過ごしたらそんなことになるのでしょう!」
お母様が駆け寄ってきて、汚れのついたドレスを隅々までチェックされる。そうしているうちに、足の怪我までばれてしまった。
「まあ、血が出てるじゃない! ちょっとニナ! 救急箱を持ってきてもらえる?」
「は、はい、かしこまりました」
侍女のニナが慌てて部屋を飛び出していく。
一体どこで怪我をしたのかと問い詰めるお母様に負け、私は帰り道に温泉に寄ったこと、そこで起きたことを素直に告白した。
「......もう、それはいいです、分かりました。それより、婚約破棄のことを教えて頂戴。一体、パーティで何があったの?」
「はい、ええと、パーティが始まったら、レオン様が、宣言があるとおっしゃられて......」
「......はい。それで?」
「それで、私の名前をおっしゃられて、婚約破棄だと言われて......それだけなんです。理由は、特にお聞きしておりません」
「.....え? 理由がないの?」
「は、はい……あ、いたっ」
そばでは侍女のニナが消毒を施してくれている。消毒液が傷口にしみて痛い。
私が生まれ育ったヴァレンシュタイン公爵家は、お父様の代で一気に地位を築き、名声を上げることに成功した。
しかし、お父様とお母様はなかなか子どもに恵まれなかった。そんな中、奇跡的に生まれた私は待望の第一子だったらしい。そして現在も一人っ子である。
私は一族繁栄の次の一手として、王家との結婚を期待されていた。それなのに、全部私が台無しにしてしまったのだ。
「......お母様、ごめんなさい。私のせいで、こんなことになってしまって......
王太子妃になるために、たくさん教育してくださったのに......本当にごめんなさい」
一度おさまったはずの涙が再び頬を伝う。お母様が何と言われるのか、怖くて仕方がない。
お父様が死に物狂いで築かれた地位と名誉。それも、私のせいで一気に失ってしまうのかもしれない。
なんてことをしてしまったのだろう。
「......分かりました。ひとまず怪我が治るまで、学校と朝稽古はお休みで結構です。お父様には私から伝えておきます。もう夜も遅いから、早く寝支度をしなさい」
意外にも、お母様はそれ以上怒ることはなく、私は拍子抜けしてしまった。
(意外だわ......。でも、助かった......)
今までなら、学校を休むなんて絶対に許されなかったが、婚約破棄をされてしまった今、怪我の療養という名目で休んでいいという。
学校には、レオン様もヒロインのエミリア様もいる。破滅フラグ回避のため、彼らとは極力距離を置きたかった。幸運にも、お母様の判断に助けられた。
自室に戻ると、今日初めて一人になることができた。
婚約破棄を受けたり、前世の記憶が戻ったり、あの銀髪のユリウス様に出会ったりと、頭がパンクしそうな一日だった。
(なんだか、一日の出来事とは思えない......)
シイラが倒れ込むようにベッドに横になると、すぐに深い眠りがやってきた。
♢♢♢
明け方、侍女のニナの声で目が覚めた。
「シイラ様、朝でございますが......」
ニナが恐る恐るといった様子で私の顔を覗きこむ。彼女はいつも私より先に起きて、朝の弱い私を起こしに来てくれていた。
時刻は早朝5時半。いつもなら、朝6時から王太子妃教育の先生のレッスンがあった。
(ああ、でももうしばらく稽古はないんだった......)
「疲れが取れないので、もう少し眠ります……」
シイラはニナにそう告げ、頭から布団を被った。
次に目覚めた時には、幾分か疲れも取れていた。
ニナが温かい紅茶を淹れてくれる。少し遅めの朝ごはんを食べるとしよう。
「シイラ様、あの......」
ニナは何か言いかけて、口をつぐむ。
彼女は私が8歳の頃から仕えてくれている専属の侍女だ。私よりも年上で、たしか今年で23歳。器用でなんでも卒なくこなすので、いつも助かっていた。
「どうしたの、ニナ」
「シイラ様、昨日は本当に、お疲れさまでございました。......それであの、日課の、本日のスケジュールチェックですが、どういたしましょう......?」
ニナはスケジュール帳に目を通しながら言う。そうだ、いつもは稽古前の支度中に、彼女がスケジュールを読み上げてくれていたのだった。
「ちょっと、それを見せてくださる」
「は、はい」
私はニナからその手帳を受け取り、机の上で開いた。毎日のように、予定がぎっしりと詰まっている。
「はあ……そうね、こんなこともやっていたわね」
でも、朝稽古はもう当分行われないだろうし、学校はしばらく休んでいいことになった。王太子のお姉様とのランチの予定もきっとない。
私は無くなった予定に×をつけていく。
(......あら、予定が何もなくなってしまったわ)
私はスケジュール帳から顔を上げる。
「では今日から、ゆっくり療養をしようかと思います。ニナももう早起きしなくていいわよ。
それと、もしよろしければ、温泉のガイドブックを買っていただける? 昨日寄った温泉がなかなか良かったの。マップがついてるやつがあったら、それにしてくださるかしら」
「温泉のガイドブックですね、かしこまりました」
「よろしく頼んだわ」
これで朝の確認事項は終わったはずだった。けれど、ニナはまだ何か言いたげにしている。
「ニナ、何か考えごと?」
「......え、ええ、あの、大変申し上げにくいのですが、私、一つ気がかりなことがございまして......」
「どんなこと?」
私はニナに続きを促す。
「あの、昨日の婚約破棄についてなのですが、レオン様からは特に理由は告げられてないとのことでしたよね......?」
「そうね……特に何も言われていないわ。実はそこは私も引っかかっていたの。
一体どうして、レオン様が皆様の前でいきなり婚約破棄を宣言されたのか......」
「あの、私、少し調べてみてもよろしいでしょうか。
「......どうやって?」
「ちょっと心当たりがあるので、なんとか動いてみます」
ニナはいつになく真剣な面持ちだった。
たしかに、なぜレオン様がいきなりあのようなことをされたのかについては、破滅フラグを回避するためにも、調べてみる余地はある。でも、今の私がレオン様の周りでうろうろ嗅ぎまわるのは、リスクが大きすぎた。
(これは、ニナに頼むのが得策かもしれない。私は私で、過去の記憶を整理してみよう)
「ありがとう、でもあまり無理はしすぎないでね」
「はい、ありがとうございます」
私は×だらけのスケジュール帳をゆっくり閉じると、ニナが淹れてくれたアールグレイの紅茶をゆっくりとすすった。




