第2話 温泉地での出会い
王太子レオンハルト・クラウゼルに呼ばれて行ったパーティ会場からの帰宅途中に立ち寄った温泉で、靴箱の鍵を無くしてしまった私。
そんな時、背後から声をかけられた。
「なにかお探しですか?」
透き通るような銀髪の、青い目の青年が立っている。
その澄んだくもりなき眼は、吸い込まれてしまうほどに美しい。
「あ、えっと……」
(どうしましょう。鍵をなくしてしまったと、正直に打ち明けていいものでしょうか……)
自己管理がなっていないと咎める、お母様の鬼の形相が浮かぶ。でも、靴がなければ帰ることができない。ここは素直に打ち明けるとしよう。
「実はその……靴箱の鍵を、なくしてしまいまして」
「それは大変だ、私も探しますよ」
「え、いいのでしょうか……すみません、実は、今日中にヴァレンティアまで帰らなければならなくて。とても助かります」
私はその場で彼に頭を下げた。なんて優しいお方なのだろう。
また泣きそうになってしまって、まばたきをすることでなんとか涙をこらえた。今日の私は、どうも涙腺が緩くなっているようだ。
「それはますます大変だ。では、まだ探していない場所を一緒に探しましょう。すでに探されたところはありますか?」
「ええと、鞄の中と、脱衣所は探して、あとは待合ロビーを探してみようかと思うのですが……」
「ではロビーに行ってみましょう、足元にお気をつけて、ここに段差がありますので」
「す、すみません。ありがとうございます」
(な、なんだかエスコートされてしまっているわ……。この方、ずいぶん落ち着いて見えるけれど、一体おいくつなのかしら。20代ではあるわよね……?)
前世で会社員だった私は、恋愛経験はないに等しく、喪女と自称していた私は、今世でも、ひたすらお母様の修行をこなす毎日で、レオン様にも指一本触れたことはなかった。異性からこんな扱いを受けたことはない。
彼の気づかいのおかげで、段差につまずくことなく廊下を進むことができた。
その後は、待合ロビーに休憩室、受付カウンターと1か所ずつ血眼になって探してみたのだが、あいにく鍵は出てこなかった。
これは本格的に困ったことになったかもしれない。
(もうこれ以上付き合わせてしまうのは酷だわ。あとは、私一人で探しましょう)
「すみません、こんなにご協力いただいて……あとは私が……」
「ちょっとここで待っていてください」
彼は手にしていた荷物を私の足元に置いて、外へと飛び出して行った。一体急にどうしたのだろう。
突然置いてけぼりになってしまった。
誰もいない受付のベルを再び鳴らしてみるも、返ってくるのは静寂だけ。
(完全に詰んだわ……)
すっかり気力を失って、そばにあったソファーに腰を下ろす。万策尽きた、といったところだ。
(それにしても、『王太子に溺愛されすぎて困ってます』に、あんな銀髪で青い目のキャラっていたかしら。あんなに好きだった小説なのに、なぜか思い出せないわ)
絶望してソファーに横になりかけていたところ、あの銀髪の彼の、穏やかな声が聞こえた。
「あの、もしよろしければ、ちょっと履いてみていただけませんか」
「……は、はい……!?」
玄関の方から手招きをしている。急いで向かうと、なんとそこには2足の可愛いパンプスが現れた。
淡いピンク色に、可愛らしい花の飾りまでついている。
「……これは、どちらで?」
「私の知り合いに、靴屋をやっている者がおりまして」
(なんだかお顔の広いお方なのね。......それにしても、なんてお優しい方なのでしょう)
「わざわざ買ってきてくださったのですね。こちらはおいくらでしたか? 一人では歩いていけませんでしたので、大変助かりました」
「いえ、大丈夫です、よろしければ、こちらにおつかまりください」
そう言って手を差し伸べてくれる。どこまでお姫様対応なのだろう。めまいがしそうだ。
恐る恐る右足を入れてみる。靴は、私の足のサイズにぴったりフィットした。
「わあ、ぴったりです、それに、すごく可愛らしい……」
ピンク色に花の飾りは、私の今日のドレスにぴったりだ。レオン様に気に入っていただけないかと、悩みに悩んで決めたドレス。もうそんなことは無意味だったが。
「それは良かった。……受付には、メモ書きを置いておくといいかと思います。鍵、出てくるといいのですが……」
「そういたしますわ。本当に、何から何までありがとうございます」
私はその場で深々と頭を下げた。
「あ、それで、お代を……!」
「いえ、大丈夫です。たまには、ご褒美も必要ですよ」
私が落ち込んでいたのはお見通しだったのだろうか。
我ながら、知り合ったばかりの方にまで心配をかけてしまう自分に辟易とする。
「……すみません、本当にありがとうございます。恩に着ます」
「いえいえ。……それでは、お気をつけてくださいね」
「はい、お気をつけて……」
彼は置いていた荷物を手に取ると、風のように行ってしまう。
また会えるだろうか。
(そうだ、お名前を聞きそびれていたわ! まずい、行ってしまう——)
私は全速力で外に飛び出した。慣れない砂利道を、もらったばかりの靴で駆ける。
「あ、あの! おなま……えっ」
次の瞬間、ぐらりと身体が傾いて、地面が近づいた。気がついたときには、思いっきり砂利道の真ん中でうつぶせに転んでいた。
(痛っ……やっぱり今日はついてない……というか、絶対見られたわよね……)
恐る恐る顔だけ上げると、声が届いていたのだろう、彼が心配そうにこちらに向かってくる。顔から火が出るほど恥ずかしい。
「大丈夫ですか!? すみません、靴、大きかったでしょうか。……もっと歩きやすいものを選ぶべきでした」
問答無用で手を差し伸べられ、再び手を借りる形となる。
「ありがとうございます、いえ、逆にサイズはぴったりと言いますか、きっとこの石につまずいてしまっただけで、もう」
痛む右足を確認すると、血が出てしまっていた。転んだはずみでドレスも汚れてしまったし、またお母様に怒られることを思うと胃がキリキリしてくる。
「あそこまで歩けますか。傷口を見せてください」
彼はそう言って、すぐそばにあったベンチを指さした。
ベンチに腰掛けると、彼は鞄から絆創膏らしきものを取り出し、私の足にそっと触れる。
「わっ、すみません、自分で……」
(貼れるのに……もう、どうしてミスばっかりしちゃうのかしら。何一ついいところを見せられてないわ.......あ、ちょっとくすぐったい。)
「これでひとまず大丈夫でしょう。応急処置ですが」
傷口がすっぽり隠れるよう、絆創膏を重ねて貼ってくださる。立ってみると、そこまで痛みを感じない。
「痛みがおさまりました。何から何まで、本当にありがとうございます......」
「いえ、本当にお気をつけてくださいね」
「はい、あ、それで、あの......」
(今度こそ、お名前を......)
「ユリウス様! 早く行こうよ!」
その時、遠くで誰かの幼げな声がした。目の前の彼が振り返って言う。
「待っていてくれ、今向かう」
「ユリウス様、でいらっしゃるのね」
私はその名前を初めて口にした。
「はい。申し遅れました。ユリウス・ラヴェルと申します」
「いえ、私も申し遅れました。私はシイラ・フォン・ヴァレンシュタインと申します」
ユリウス様。銀髪の、青い目の綺麗なお方。
これが運命を変える出会いとなったことを、私はまだ知らなかった。




