表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
社畜の郵便配達員は異世界でも休まない  作者: 太幽


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

8/9

第八話「お得意様の失踪」

第八話「お得意様の失踪」


北の廃鉱から戻った真は、報告書の記入に取り掛かっていた。

魔獣討伐は問題なく完了。

移動を含む所要時間は三時間半。

安全確認、死骸処理、鉱山の閉鎖措置までを滞りなく終えた。


後を追った冒険者たちが到着した時にはすべてが片付いており、彼らは何もせず帰ってくる羽目になったという。

副長はその報告に安堵の息を漏らし、周囲の冒険者たちは「さすが勇者だ」と口々に囁いた。


当の真は、称賛の声にはまるで興味を示さず、自分の席に腰を下ろしてペンを走らせている。


「魔獣の死骸、素材として使える部位を一覧にまとめました。買取をご希望なら——」


「あ、ああ、助かる」


「あと、廃鉱の入り口が老朽化していました。応急処置を施しましたが、早めの本補修が望ましいです。見積もりも簡単に添えてあります」


「わかった、所長に伝える」


「それと——」


真は手帳を開き、ずらりと並んだ項目を指でなぞりながら次々に報告を続けた。


「魔獣は廃鉱の第三坑道に潜伏していました。光に反応する習性を利用し、入口で閃光を焚いて誘き出す戦法が有効でした。残存する鉱石に反応していた可能性があり、同様の案件では坑道の閉鎖が最も確実です。また、死骸からは甲殻素材が予想以上の質で採取できました。市場価格は現在のところ中位ですが、加工次第で上位品に相当する可能性があります。周辺の地図も三点測量で修正し、ついでに採取してきた薬草のリストも末尾に添付しておきます」


副長は途中でメモを諦め、ただ相槌を打つだけになった。


(…勇者が言ってることが、もはや意味がわからない)


メモを取ろうとしても情報量が多く、聞き逃した点を尋ねれば「では最初から説明し直します」と本気でやり直す。

副長の手に負える量ではなかった。


副長はその報告書を横から覗き込み、思わず息を呑んだ。

簡潔で、正確で、何の感情もこもっていない。

まるで配達完了の伝票のようだった。

討伐した魔獣の項には「一匹、成獣、推定齢五歳」とだけ記され、その下に素材の一覧が続く。

生命を奪ったという実感など、どこにも感じられない筆致だった。


「……と、以上です」


「ご苦労さん。助かった」


「いえ、業務ですので」


すべての報告を終え、真はふと顔を上げてギルド内を見渡した。

隅の席。

窓際の椅子。

いつもならそこに座っているはずの人物がいない。

彼は少しだけ首を傾げ、ギルドの入口の扉に視線をやる。


副長が手を止めた。

真が仕事以外のことを口にするのは珍しい。

普段の彼は、誰がいようがいまいが関係なく自分の業務をひたすらにこなす。

人間観察や人間関係にはとんと興味がない——というより、すべてを「業務」という枠組みで処理している節がある。


「そういえば」


「なんだ?」


「リーンさん、今日はいらっしゃってないんですね」


「お前が出かけた直後に帰っちまったよ。なんか様子が変だったな」


「変、ですか」


「女神様に『勇者』って呼ばれたのを聞いて、顔色が変わってな。飛び出すように出て行った。動揺してたと思う」


真はしばらく考え込み、それから手帳に何かを書き込んだ。

副長が横から覗き込む。


「何書いてんだ」


「お得意様の来店頻度に変化があった時の対応マニュアルです」


「お得意様……」


「はい。常連のお客様が突然いらっしゃらなくなった場合、まずは理由を分析し、必要に応じて対策を講じる。基本的な顧客管理ですが、このギルドにはマニュアルがないようなので」


副長は口を開けて、閉じた。

「顧客管理」に「対応マニュアル」。

リーンとの五日間を、この男はすべて「業務の延長」として処理しているのか。

いや、それだけではない。

彼は「来客が途絶えた」という事実だけを問題視している。

そこに込められた意味には、おそらく気づいていない。


「本気で言ってんのか」


「本気ですが」


副長は天を仰いだ。

心配するという行為を「顧客管理」と名付けてしまうのも、本人が本気でそれを信じているのも、いよいよ筋金入りだった。


「なあ、真さんよ。お前、リーンさんのこと心配じゃないのか」


「心配、ですか」


真はペンを止め、少しだけ顔を上げた。

数秒、遠くを見る。

副長が口を挟もうか迷った時、彼はゆっくりと口を開いた。


「リーンさんは、良いお客様でした」


「……だった?」


「来店頻度が高く、滞在時間も安定していて、常に笑顔で帰られる。依頼こそ少なかったですが、あの方がここに来るとギルドの空気が和らぐのを、私も感じていました」


「それだけ……か?」


副長は少しだけ間を置いた。

「寂しい」という言葉は出てこないのだろうか。

この男は、自分の感情を「業務の効率」という言葉に置き換える癖がある。

副長にはそれがわかっていた。

長く付き合ったわけではないけれど。


真は何も言わなかった。

ただ、視線を手帳に落とし、再びペンを走らせる。

その動きはいつもよりほんの少しだけ遅い。

副長はそれを見逃さなかった。


手帳の隅に、真のペンが何かを書きかけて、止まった。

「リー」の二文字が、かすれたインクで紙に滲んでいる。

真はその文字を数秒見つめ、それから几帳面に二重線で消した。

その上に「お得意様 来店頻度分析」と書き直す。

消した文字の跡は、蛍光灯の下でうっすらと浮かび上がっている。

副長にはそれが見えていた。


「……そうかよ。まあ、そのうちまた来るさ」


「そうでしょうか」


「あんたが変わらなきゃ、あの娘さんもきっと戻ってくる。あんた、リーンさんに嫌われるようなこと、何かしたか?」


「嫌われる……?」


真は本気でわからない、という顔をした。

自分が誰かに嫌われる可能性など考えたことがないのだろう。

良くも悪くも、それが大黒真だった。


「何もしてないなら大丈夫だ」


「そう、ですかね」


「そうだよ。あんたを見てると、たまにそう思えるんだ。大丈夫だってな」


副長はぽんと真の肩を叩き、自分の持ち場へ戻っていった。


真はしばらく入口の扉を見つめていたが、やがて何事もなかったかのように、ペンを取り次の書類に向かう。

その前に、もう一度だけ窓際の席に目をやった。

リーンの席。

椅子はきちんと机に納められ、カップの跡も綺麗に拭き取られている。

真が今朝、掃除をしたからだ。

そのきれいな席が、どこか間違っているような気がして、彼は一瞬だけ眉をひそめた。

外では夕日が傾き始め、ギルドの窓から差し込む光が一層強く床を照らしていた。


見習いが、カウンターを磨きながらぽつりと言った。


「リーンさん、今日も来なかったっすね」


「ああ」


「俺、この間新しい茶葉を仕入れたんすよ。リーンさん、水ばっかりだったから、たまにはお茶でもどうかなって思って。でも、来ないと意味ないっすよね」


「……お前、なかなか気が利くじゃないか」


「副長こそ、リーンさんのために新しいカップ用意したじゃないっすか。ちょっと小ぶりなやつ。『手が小さいから、こっちの方が飲みやすいかと思って』とか言って」


「ばっ、あれはたまたまだ!たまたま安かったんだよ!」


必死に否定する副長の耳の先が、ほんの少し赤い。

見習いはそれを見て、あえて何も言わなかった。

代わりに、磨いていたカウンターの端を指で撫でる。

そこには、リーンがいつも肘を置いていた位置に、うっすらと擦れた跡が残っていた。


「でも、そのカップ、今も副長の机の引き出しに入ってますよね。ちゃんと箱に入れて、誰にも使わせないで」


「……お前、よく見てるな」


「あの人が来るたびに、ギルドの空気が柔らかくなったんです。それは俺だけじゃなくて、副長もでしょう?」


副長は黙り込んだ。

否定も肯定もしなかった。

それだけが答えだった。


「そうですよね」


見習いの声は静かだった。


「そりゃ見てますよ。俺だって、リーンさんにまた来てほしいですから」


二人のそんなやりとりを、カウンターの隅で聞きながら、真は次の依頼書を手に取った。

依頼書の端を指でなぞる。

報酬欄には銀貨十二枚と書かれている。

リーンは一度も依頼を受けなかった。

それでも彼女は「お客様」だった。

その事実と、今その席が空であるという事実。

その差を、真は「業務効率」という言葉で片付けられずにいた。


その口元が、ほんの少しだけ緩んでいたことに、誰も気づかなかった。


ギルドの入口の扉を見る。

今朝も磨いた取っ手が、夕日を反射して鈍く光っている。

ノブに手をかける人影は、ない。


その夜。


ギルドの奥の控え室で、女神は報告書をいまだに書けずにいた。


窓から差し込む夕陽が、机の上の書類を橙色に染めている。

元は物置だったこの部屋を、女神が無理を言って執務室に変えさせた。

一人で考えるには十分すぎるほどの静けさがある。

その静けさが、今はかえって彼女の心を責め苛んでいた。


神界への定期報告。

その書式は決まっている。

召喚した勇者の行動記録、任務達成率、脅威への対処状況。

そして——魔族との接触に関する特記事項。


ペンを手に取る。

何千年も神界で使ってきた筆記具ではない。

この世界の羽根ペン。

最初は持ち方すら違和感があったが、今では手に馴染んでいる。


(魔族の姫、リーン・ヴァルデマール。勇者と頻繁に接触中。これを報告すれば——)


神界は間違いなく真に魔族との接触を禁じるだろう。

場合によっては、リーンを拘束して魔王討伐の布石にせよと命じるかもしれない。

それが神界の「正義」だ。

脅威は排除する。

敵は討つ。

守るべき人間のために、それ以外は切り捨てる。


それが正しい。

少なくとも、女神としての彼女はこれまでずっとそう信じてきた。

何千年も従い、疑うことすら知らなかった。


でも。


「お客様はお客様です」


真の声が頭の中で繰り返される。

あの静かで、妙に力強い声。

目の前に困った人がいれば助け、依頼があればこなし、相手が誰であれ「お客様」と呼ぶ男。

彼にとってそれは「正義」ではない。

「業務」だ。

それが、あの男の凄みであり、同時に女神には一番理解しがたい部分でもあった。


(私は、あの娘を敵と呼べるのか)


女神はそっと目を閉じた。

思い出すのは、つい先日の昼下がり。


リーンがカップを両手で包み込み、一口飲んで、ほっと息をついた時のことだ。

その瞬間、彼女の眉の力が抜けて、年相応の——そう、十八かそこらの、ただの若い娘の顔になった。


(あの表情が、妙に心に残っている)


それだけではない。

副長に「今日も水でいいか」と声をかけられた時の、一瞬きょとんとしてから、嬉しそうに「うん」と頷く仕草。

見習いが「角って重くないんですか」と無邪気に尋ねた時、怒るどころか声を上げて笑った、あの笑い声。

カップを置く時、ソーサーの端をそっと揃える癖。

帰るとき、真にだけ「また来る」と言い、他の職員にはだけしていた、小さな手の振り方。


気がつけば、女神はリーンのそんな細かな仕草や行動を、一つ残らず覚えている自分に気づいた。

観察記録のためではない。

記録に必要はない。

ただ、目が追っていた。

記憶が勝手にその光景を焼き付けていた。


(私が、あの娘を気に入っている……?)


自覚した瞬間、女神は一人で頬を赤らめた。

神が、魔族の娘を「お気に入り」などと。

そんなことが許されるはずがない。

なのに、否定できない。

あの笑顔を見るたび、自分の胸が温かくなるのを、もう誤魔化せなくなっていた。


(守りたい……?敵であるはずの、魔族の娘を?)


窓の外を見る。

街は夜の帳に包まれ、灯りがぽつりぽつりとともり始めている。

あの灯りの下には、人間も、魔族も関係なく、ただ今日を生き、明日を願う者たちがいる。


(私が守るべきは、この灯りそのものではなかったのか)


神界の掟は「人間を守れ」と命じる。

しかし、この灯りの下で笑うリーンの姿は、果たして「敵」だったか。


違う。

あの娘は、ただの一度も私の敵ではなかった。

私が、そう決めつけていただけだ。

勇者は敵を討つために召喚する。

その前提でしか、物事を考えていなかった。


女神は引き出しを開け、白紙の報告書を取り出すと、何も書かずに封筒に入れた。

「特記事項なし」——今回もまた、そう送る。

それが彼女の答えだった。

繰り返す嘘。

女神として初めてつく嘘ではなくなった。

もう三度目だ。

それでも、書くことはできなかった。


封筒に入れる前に、女神は無意識に机の表面を指でなぞった。

羽根ペンの先がつけた無数の小さな傷。

報告書を書くたび、迷うたび、ペン先を置く場所を間違えてつけてしまった傷跡だ。

何千年も神界で書類を書き続けて、こんなことは初めてだった。

神界の机には傷一つなかったのに、この机はもう、彼女の迷いでざらざらになっている。


(次に会った時、私はあの娘に何と言えばいいのだろう)


答えの出ない問いを抱えたまま、女神はペンを置いた。


指先が少しだけ震えていた。

魔力の消耗ではない。

心の動揺だ。

何千年、感情に揺れることなどなかったのに。


「魔族との平和な共存が実現すれば、それはそれで人間を守ることに繋がる。……そう、言い訳しておこう。後で、なんとかなるわ」


なんとかなる——そう思えるようになった自分が、少しだけ不思議だった。

つい数日前まで、私は「神界の正義」という型にすべてを当てはめていた。


魔族は脅威。勇者は討つ者。それ以外の選択肢など、考えたこともなかった。なのに今は、違う。


(あの日の私を、誰かが責められるだろうか)


リーンの前で真を「勇者」と呼んだ瞬間を、女神は何度も反芻していた。 


あれは単なる口癖ではなかった。


うっかりでもなかった。


心の奥底に、確かにあったのだ——魔族は敵だという、拭いがたい差別心が。


それを、あの娘の前で無意識に露出させた。 


あの時のリーンの顔。


凍りついたような、それでいてどこか「やっぱり」と納得したような、傷ついた顔。


(私は、あの娘を傷つけた。自分の中の差別心にすら気づかずに)


自覚した時、女神の胸に鋭い痛みが走った。 


私は正しいと思っていた。


神界の掟に従い、人間を守るために魔族を警戒するのは当然だと。


でも——それが「差別」だったと、今ならわかる。


相手を個人として見ず、種族だけで判断する。それを差別と呼ばずして何と呼ぶ。


(それでも、あの娘はきっと戻ってくる)


なぜそう思えるのか。


根拠はなかった。


だが、確信に近いものがあった。


真が変わらないからだ。


あの男はリーンがいなくなっても、いつも通り床を磨き、依頼書を整理し、カップの持ち手を客の利き手に合わせている。


その一切を「業務」としてやり続けることが、結果として「お客様を待つ」ことになっている。


真の変わらなさは、信頼の証だ。あの娘がそれに気づかないはずがない。


そしてもう一つ


——リーン自身が、このギルドを「自分の居場所」にしようとしていたのを、女神は知っている。


カップを両手で包む仕草。


水の味にほっと息をつく横顔。「来ちゃった」と悪戯っぽく笑う声。


あれはすべて、本物だった。


(だから、なんとかなる)


根拠は乏しいかもしれない。


でも、信じるに値するだけのものが、この五日間には確かに積もっている。 


真が積み上げた「業務」も、リーンが残していった「笑顔」も、副長の引き出しにしまわれたカップも、見習いが仕入れた茶葉も——そのすべてが、リーンがここにいた証拠であり、そして戻ってくる理由になる。


あの娘が戻ってきた時、私はまず謝らなければならない。


勇者と呼んだことではなく、心の奥に差別心を持っていたことを。


そう思えるようになった自分を、不思議だと思う。


それが、何よりも大きな「なんとかなる」の根拠だった。


独り言の最後は、自分に言い聞かせるようだった。

「なんとかなる」という言葉は、言い訳としてあまりに弱く、しかし今の彼女が絞り出せる精一杯の強がりだった。


だが、その弱さの中に、ほんの少しだけ——本当にほんの少しだけ——確かな手応えがあった。


女神は立ち上がり、もう一度だけリーンの座る席を見た。

月明かりが街を照らす中を、一人、夜の闇へと歩いていく。

その後ろ姿は、神というより、ひどく人間じみていた。

背筋はまだ伸びている。

けれど、その肩はわずかに落ちている。

何かを棄てるのが惜しいような、それでいて棄てなければ前に進めないと知っているような、そんな歩き方だった。


(次に会った時、私は「勇者」ではない名前で彼を呼ぼう。そしてリーンにも——伝えなければならないことがある)


夜風が、女神の長い髪をそっと揺らした。

街の灯りが、彼女の行く先をほのかに照らしている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ