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社畜の郵便配達員は異世界でも休まない  作者: 太幽


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第二十七話「二組の婚姻、そして新しい家族」

第二十七話「二組の婚姻、そして新しい家族」


カミナンデスとレナスの婚姻が正式に決まったのは、共同復興計画の会議からさらに五日が過ぎた朝だった。


ギルドに届いた封書には、魔王城の紋章と、レナスが新しく作った個人の印が並んで押されている。


招待状だった。


真はいつものように四時半に出社し、床を磨き終えたところでそれを見つけた。


封を切ると、かすかに柑橘の香りが漂う。レナスがいつもまとっている香りだ。インクの渋みと混ざり合い、真は一瞬息を止めてから文面に目を落とした。


「真さん、それ」


いつの間にか背後に立っていたリーンが、真の手元を覗き込む。


深紅に近い黒髪が、真の肩にそっと触れた。洗いたての髪から、微かに石鹸の匂いがした。


「婚姻式の招待状です。カミナンデス様とレナス様の」


「二人とも、ついに」


リーンは招待状を手に取り、二つの印を指でなぞる。


魔王城の厳めしい紋章と、レナスのシンプルで優しい印。


その対比が、二人の歩んできた道を物語っているようだった。


封筒を受け取った彼女の指先が、かすかに震えている。招待状の文面を一通り読み終えたリーンが、真を見上げた。


その目は少しだけ潤んでいる。


「私、この日のために、ずっと準備してたんだ」


リーンは駆け出した。向かう先は控え室。真はその後ろ姿を見送り、手帳を開いて今日の予定を確認する。


婚姻式は三日後。


それまでにやるべきことは山ほどあった。


控え室で、レナスは一通の封書を前に座っていた。


神界への報告書。


彼女の嘘はとうの昔に終わり、今は「特記事項あり」の報告が日常になっている。


そこへ、ノックもせずにリーンが飛び込んできた。


手には、あの招待状。


「お母様、これ」


「見てくれたのね」


「うん。それで、これを」


リーンが差し出したのは、小さな布袋だった。


中から現れたのは、銀細工の髪飾り。


月を模した三日月の飾りが、窓からの朝日を受けて静かに輝いている。


細工は繊細で、三日月の縁には無数の小さな星が散りばめられていた。


「魔王城でお母様が私に『母になりたい』って言ってくれた夜、月がすごく綺麗だったのを覚えてる。だから、月の髪飾り。市場で見つけて、ずっと取っておいたの」


「リーン……」


「婚姻式、絶対に行くから。父上の隣に立つお母様を、私が見ないわけにはいかない!」


レナスは立ち上がり、リーンを抱きしめた。

銀細工の髪飾りが、二人の間で小さく揺れる。その揺れが止まるまで、レナスは腕を離さなかった。レナスの肩がかすかに震えているのを、リーンは黙って受け止めた。


リーンの髪からはかすかに柑橘の香りがし、レナスの指先は少し冷たかった。抱きしめる腕に込められた力だけが、言葉よりも雄弁にレナスの想いを伝えている。


「ありがとう、リーン。あなたが私の娘で、本当によかった」


「私も。お母様が私の母で、本当によかった」


婚姻式の前日、真はギルドの在庫庫で一人、荷物の最終確認をしていた。


といっても、ただの確認ではない。


カミナンデスから「婚姻式の運営と、ついでに今後の物流計画について相談したい」という正式な依頼が入ったのだ。


真はすでに婚姻式のタイムテーブルと、魔王城までの配達ルート案を手帳に清書している。


「真さん」


リーンが立っていた。


手には水差しとカップ。冷たい水だ。カップの表面には細かな水滴が浮かび、在庫庫のランタンの灯りを小さく反射させている。


「明日、私、お母様にこれを渡そうと思ってる」


差し出したのは、先ほどの銀細工の髪飾り。


「いい品ですね。市場で見つけたんですか」


「うん。三日月の髪飾り。あの夜、月がすごく綺麗だったのを覚えてる。お母様が『娘のように思ってる』って言ってくれた夜」


「いい思い出です!もう一つ、手作りのアクセサリーをプレゼントしてみては?」


「手作り?」


「はい!樹液を加工して型に流し込んで太陽光に当てると、透明で綺麗な板が出来るんです。液状の間に着色するとその色で硬化するので作ってて楽しいですし、世に一つしかないから喜ばれますよ。」


「へー!それ!面白そう!」


リーンは好奇心に満ちた目をした。


「材料は既に揃えてあります!リーンの魔法で着色して、紫外線を当てましょう!」


リーンは笑い、一緒に創作の過程を楽しんだ。彼女の魔力がほんの少し注がれたレジンは、星のように微かに内側から輝いていた。


それから真の手をそっと握った。


「真さん、私たちも、もう婚姻してるんだよね」


「はい。婚姻届は受理済みです」


「そうなんだけどね」


リーンはそこで言葉を切り、少しだけ俯いた。


頬がほんのりと桜色に染まっている。


真がペンを置き、彼女に向き直る。


「真さん、私ね、お母様みたいにちゃんとした婚姻式を挙げたい」


「婚姻式、ですか」


「うん。でも、真さんはそういうの興味ないかなって思って」


「婚姻式の運営は、私にとっては業務の延長線上にあります。興味がないわけではありません」


リーンが顔を上げ、目を丸くする。


「それって、どういう意味?」


「婚姻届の備考欄にも書きましたが、これは業務外の感情に基づく案件です。つまり、個人的に重要です」


「……真さん、それ、私との婚姻式をやりたいってこと?」


「はい。手続きは既に完了しております。見てください。」


真は手帳を開き『第二婚姻式リーンさんとの』と書いてあるメモを見せた。インクはまだ新しく、かすかに湿り気を帯びている。ついさっき書き足したばかりの文字だ。


リーンはその文字を覗き込み、それから声を上げて笑った。


(あれ?手続き『済んでる』?)


「って!待って!第二婚姻式って何!第一はどこにあるの!」


「魔王様とレナス様が第一です。混同すると事務処理が煩雑になるので」


「そうじゃなくて!それは真さんらしいけど!済んでるってどういう事!」


「備考欄に『個人的に重要』と記載してあります」


「……なんか、真さんの方が楽しみにしてない?」


リーンは笑いながら、真の肩に頭を預けた。


彼女の目から、一滴だけ涙がこぼれ落ちる。

「ありがとう…」


婚姻式の当日、魔王城の広間は朝から賑わっていた。


壁には無数の松明が灯り、その炎が赤黒い岩壁を橙色に染めている。かすかに松脂の焦げる匂いが広間に満ち、それがかえって神聖な空気を引き締めていた。


床には魔族の職人が織り上げた深紅の絨毯が敷かれ、その上に神界から贈られたらしい銀の燭台が並んでいた。


神と魔の品々が同じ空間に置かれるのは、これが初めてのことだ。


カミナンデスは深紅の礼服に身を包み、広間の奥で待っていた。礼服の襟元には、レナスが贈った青い宝石のブローチが静かに光っている。その手には、亡き妻の形見の指輪。


隣にはリーンが立ち、手にした銀細工の髪飾りをそっと握りしめている。


やがて広間の扉が開き、レナスが姿を現した。


白い衣装に身を包み、髪にはリーンから贈られた三日月の髪飾り。


その胸には、リーンと真で作成したレジンのブローチ。


広間の松明の灯りを受けて、銀細工の星々がきらめいている。


彼女をエスコートするのは真だった。


「大黒、私のことはいいから」


「いえ、これも業務です。新郎新婦の補佐はギルドの重要な依頼ですので」


真は淡々とレナスの手を引きながらも、その歩調はいつもより少しだけ遅く、丁寧だった。彼の礼服の袖が、レナスの白い衣装の裾とほんの少し触れ合い、さらりと音を立てる。


赤い絨毯の上を二人が進むたび、神界の使者たちが静かに頭を下げ、魔族の戦士たちが胸に手を当てて敬礼する。


魔界神は小さな翼を広げて祝福の言葉を呟き、清掃隊のリーダーは広間の隅で号泣していた。


祭壇の前で、カミナンデスがレナスの手を取った。彼の指には、長年剣を握り続けてきた硬い節くれがあったが、レナスの手を取るその動きだけは、壊れ物を扱うように優しかった。


「レナス。お前と共に歩む未来を、私は待ち望んでいた」


「カミナンデス。私もよ。神ではなく、一人の母として、あなたと共に生きる」


二人が指輪を交換する。


神界の光と魔界の闇が、指輪の中で静かに溶け合った。


リーンは広間の片隅で、母の形見の指輪と、レナスの三日月の髪飾りを交互に見つめている。


(母上、見てる?私の隣で泣いてる副長と見習いと清掃隊のリーダー。みんな泣いてる。父上は照れくさそうに笑ってる。お母様は、今まで見た中で一番綺麗。真さん、手帳に何か書き始めた。多分、報告書の下書き)


「婚姻式の運営完了。特記事項、新郎新婦の指輪交換は滞りなく完了。祭司の承認も得られました」


「真さん、今それ書く?」


「記録は重要です」


「嬉しい時くらい、手放しで喜んであげようよ!…って、あなたは嬉しい時こそ書くんだよね」


リーンは笑い、それから真の手をぎゅっと握った。


婚姻式の後、広間では引き続き祝宴が行われた。


魔族の戦士たちが杯を掲げ、神界の使者たちがそれに応じる。


清掃隊も今日は特別に列席を許され、リーダーはビスケットを片手に涙をぬぐい、仲間に「お前、泣きすぎだ」と笑われている。テーブルの下では、清掃隊がモップ代わりに使っていた古布をハンカチ代わりにぎゅっと握りしめていた。


魔界神はすでに小さな手帳を取り出し、神界の使者に熱心に営業トークを展開していた。


「見ろ、この羽ばたき一枚で三枚の伝票が切れる新型の羽根ペンだ。魔族の職人が徹夜で作り上げた」


「……魔界神、お前、いつからそんなに商売に」


「真に教わった。『業務とは誰かを幸せにすること』だと。私は魔族を幸せにしたい。ついでに儲けたい」


「ついでに出たな本音」


「儲けた金で共同復興計画を加速させる。真に教わった」


「お前、最近そればかりだな」


「真に教わった」


「もういい、わかった。それで、その羽根ペンはいくらだ」


「一本、銀貨三枚。三本まとめて買うなら銀貨八枚だ」


「商売上手か」


カミナンデスが杯を掲げて宣言する。


「聞け、皆の者!これより魔王城とギルドの間に、定期便を開設する!担当者は大黒真!ついでに、私とレナスの婚姻に伴い——」


「ついでに、とはなんですか!」


レナスが横から口を挟む。カミナンデスは咳払いを一つして、気を取り直した。


「むしろ!こちらがメイン!私とレナスの婚姻に伴い、魔王城はギルドとの正式な業務提携を結ぶ。今日から、ここはお前たちのもう一つの家だ」


「ふむ…では、さっそく配達ルートの確認を」


真が手帳を開くのを見て、リーンが「真さん、今日はお祝いの日だから!」と袖を引いた。


副長が笑い、見習いが拍手し、清掃隊がさらに泣く。その泣き声は、さっきまでよりもずっと大きく、遠慮のないものだった。


清掃隊のリーダーは仲間からハンカチ代わりに手渡されたモップ用の古布で顔を拭きながら、涙声で宣言した。


「俺、次の目標ができた」


「なんだよ、リーダー」


「清掃主任になる」


「……それ、今のお前の役職な」


「違う。名実ともに、真の清掃主任になるんだ。まだ俺は真さんの清掃を一回も手伝えてない」


「真さんの自宅の?」


「ああ。あの人、ギルドの床は自分で磨くけど、自宅はどうなってるかわからん」


真がすかさず手帳を開く。


「清掃のご依頼ですか。承ります。自宅の床は毎朝磨いていますが、棚の上の埃までは手が回っていないので」


「だから、そういうとこやぞ、真さん」


「えっ、俺が言うのもなんすけど、真さん、棚の上の埃くらいで依頼出しちゃうんすか……」


「はい。業務ですので」


レナスはそんな様子を、カミナンデスの隣で静かに見つめていた。


彼女の手には、一杯の神酒。


神界で飲んでいたものとは違う、魔族の地で醸された素朴な酒。


でも、今の彼女にはこれが一番美味しく感じられた。


宴が終わりに近づく頃、レナスは一人で広間の窓辺に立っていた。


手には一通の封書。


神界への、最後の報告書だった。


「何を書いている」


声をかけたのはカミナンデスだった。


杯を二つ持っている。


深紅の液体が、松明の灯りに揺れていた。彼の手が微かに震え、杯の縁から一滴の酒が落ちて、床の敷石に染みを作る。


「報告書よ。今日の婚姻について」


「相変わらず真面目だな」


「それが私の役目だから。でも、それも今日で終わり」


レナスは杯を受け取り、一口含んだ。熱い酒が喉を落ちていく感触が、妙に心地よい。


「私は今日、神としての役目を終える。明日からは、一人の母として、そしてあなたの妻として生きる」


カミナンデスはレナスの手を取った。


大きくて節くれだった手が、レナスの細い指を包み込む。


神と魔族の王。かつて敵同士だった二人が、今、同じ杯を掲げている。


「レナス。お前は、リーンの母だ」


「ええ」


「ならば、私の妻でもある」


「そうね」


「これからも、共に」


レナスは答えず、代わりにそっとカミナンデスの肩に頭を預けた。彼の礼服からは松明の煙の匂いがした。戦場の匂いではない、平和な夜の匂いだった。


窓の外には満天の星。


その下で、ギルドの灯りが静かに揺れている。


松明の炎が、二人の影を長く伸ばして一つに重ねていた。


その頃、広間の隅では、真が手帳を開いていた。


婚姻式の報告書を清書している。


ペンの走る音だけが、静かに響いていた。


「本日、魔王城にて婚姻式の運営を実施。新郎カミナンデス、新婦レナス。双方の合意に基づき、婚姻成立。これに伴い、魔王城から正式な業務提携の申し入れあり。定期便の開設が決定。次回より、魔王城までの配達ルートを正式に開拓する」


そこへ、リーンが近づき、隣に腰を下ろした。


手には冷たい水のカップ。


真はそれを受け取り、一口含む。


冷えた水が喉を落ちていく感触が、長い一日の終わりに染み渡った。


「真さん、今日はありがとう」


「業務ですので」


「うん。でも」


リーンは真の手を握り、それから静かに言った。


「真さんは、私にとって世界で一番の夫です」


「……それは、光栄です。」


「もちろん。仕事の評価じゃないよ」


真は少しだけ間を置き、それから言った。


「リーンさん、あなたは私にとって、世界で一番の妻です」


「……それ、個人的?」


「業務外の感情に基づきます」


「合格!」


リーンは笑い、真の肩に頭を預けた。


リーンが真の肩に頭を預け、うとうとと舟を漕ぎ始めた頃だった。真は手帳を開き、新しいページに何かを書き始める。


「真さん、何書いてるの?」


「将来の子どもの名前の候補です」


リーンの眠気が一瞬で吹き飛んだ。


「は!?な、なんで急に!?」


「婚姻届の備考欄に『将来的な家族計画については別途協議』と記載しましたので」


「それ、婚姻届にそんな欄あった!?」


「私が作りました」


「また勝手に!で、どんな名前書いたの」


真は手帳をリーンに見せた。そこには几帳面な字で、十以上の名前が並んでいる。


「男女両方の候補をリストアップしました。読みやすさ、呼びやすさ、この世界での通用性を考慮しています」


「真さん、そういうの、もっと雰囲気で考えるやつだよ……」


「では、リーンさんも雰囲気で候補を」


「え、いや、私はその……」


リーンが耳の先まで真っ赤になって俯く。真はその様子をじっと見つめ、それから静かに付け加えた。


「ちなみに、備考欄には『業務外の感情に基づき、非常に楽しみにしている』とも書いておきました」


「それ、もう業務でもなんでもないじゃん…」


「はい。個人的な感情です」


リーンは真の胸に顔を埋め、くぐもった声で叫んだ。


「もう!そういうとこだよ!」


真の手帳には、今夜も淡々と、しかし確かな熱を帯びた文字が並んでいた。


広間の向こうでは、レナスとカミナンデスが並んで立ち、清掃隊のリーダーがまだ泣いている。その肩を、副長が無言でポンと叩いた。


副長は杯を傾けながら、ふと自分の手帳を取り出した。最近、真の影響でつけ始めた「副長業務記録」だ。


「副長、あんたまで手帳つけてるんすか」


「真さんがうるさいからな。『業務の可視化は基本です』って」


「中身、見せてくださいよ」


「見るな」


見習いが横から覗き込む。副長が慌てて隠すが、すでに目に入っていた。


「……副長、これ、業務記録じゃないっすよね」


「な、なんだと」


「『本日、リーンさん来店。笑顔。小ぶりなカップで茶を出す。喜ばれた。業務外の感情に基づき、非常に嬉しい』……これ、ただの観察日記っすよ」


「ち、違う!これは業務の一環だ!」


「『業務外の感情に基づき』って、もうそれ業務じゃないっすよ」


「真さんのパクリかよ!」


副長の耳の先が真っ赤になり、清掃隊がさらに泣き、見習いが腹を抱えて笑い転げた。


杯が触れ合う澄んだ音が、遠くで幾度も響いていた。


真は手帳を閉じ、リーンの手を静かに握り返した。


「明日からは、またいつも通りの業務です」


「うん。でも、いつも通りが一番だよ」


窓の外では、満天の星が二人を見下ろしていた。


明日も、仕事がある。変わらない朝が来る。それこそが、彼が静かに築き上げた平和の形だった。

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