第二話「薬草採取は森の奥」
第二話「薬草採取は森の奥」
森の朝は、街よりも早い。
木々の間を縫って差し込む朝日に、まだ眠りから覚めきっていない虫たちの羽音がかすかに揺れている。地面を覆う苔は露を含んでしっとりと湿っており、一歩踏み出すたびに、昨日の雨の名残が靴の先を濡らした。
真は依頼書に描かれた薬草の図版を手帳に写し取りながら、街道から外れて獣道を進んでいた。目的の薬草は「月光草」と呼ばれるもので、葉の縁がほのかに青白く光る特徴がある。風邪薬の原料になると副長は言っていた。熱を下げ、炎症を抑える効能があるらしい。
(にしても、空気がうめぇな)
肺の奥まで澄み渡るような冷気が、妙に心地いい。
朝露に濡れた苔の青臭さ、遠くで咲く不知火草の甘ったるい香り、そしてかすかに鼻をつく獣のむせた匂い。それらが風に混ざり、森の空気を何層にも折り重ねていた。風が吹くたびに、その層が静かに剥がれ、また重なる。真は目を閉じて、その空気をゆっくりと吸い込んだ。肺の奥が冷たく満たされていく感覚。排気ガスも、タバコの煙も、都会の雑多な空気に慣れきった身には、それが何より新鮮だった。
足元で、枯れ葉を踏む音がやけに大きく響く。
自分の足音がこんなにはっきり聞こえるのは久しぶりだった。街中では常に誰かの話し声や車の走行音が背景にあって、自分の足音など気にしたこともなかった。ここでは違う。耳に届くのは小川のせせらぎと、どこかで啄木鳥が幹を叩く乾いた音。そのひとつひとつが、妙に遠くて近い。
一度立ち止まると、今度は聞こえていなかった音が耳に流れ込んでくる。葉擦れの音。どこかで木の実が落ちる音。自分の服の袖が、歩くたびにかすかに擦れる音。静けさには何層もの層があって、立ち止まるたびにその深さに気づかされる。それはアパートの廊下で配達リストをめくる時の静けさとも、夜間窓口で一人、仕分けをしている時の静けさとも違う。もっとずっと濃く、そして人間に優しい静けさだった。
「指定数は十本」
真は呟き、しゃがみ込んだ。
しゃがむと、ひざのあたりで空気が変わった。地面に近い場所には、冷たく湿った空気が澱んでいる。苔の上に膝をつくと、じわりと冷たさが布地を通して肌に伝わってきた。足元に生えている月光草を指で軽く摘み、図版と見比べる。葉の形、色、光り方。条件を満たしている。彼は慎重に根元から薬草を引き抜き、持参した布で包んで袋に収めた。
月光草を摘むたび、指先からかすかに青臭い香りが立った。それは懐かしい匂いだった。子供の頃、祖母の家の裏庭で草むしりを手伝った時の匂いに似ている。祖母はとっくに他界し、その家ももうない。なのに、匂いだけは四十年経った今もこうして指先に蘇る。
「一本」
それから真は、さらに森の奥へと進んだ。陽の光が少なくなるほど、月光草はよく育つと依頼書に書いてあったからだ。木々の密度が増し、空気がひんやりと変わる。さっきまで肩に感じていた陽の温もりが嘘のように、ひやりとした冷気が首筋を撫でた。汗ばんでいた襟元が冷えて、肌がきゅっと締まる。遠くで小川のせせらぎが聞こえる。
二本、三本、四本——真は確実に薬草を見つけ、丁寧に採取していった。
五本目を摘んだ時、真の指が一瞬止まった。薬草の根元に、小さな花が咲いていた。白くて、米粒ほどの大きさで、このままでは採取の邪魔になる。真は花を摘まずに、薬草だけを引き抜いた。
(花は配達物じゃない。俺が触る理由はない)
それが郵便配達員の流儀だった。届けるべきものだけを扱い、それ以外には手をつけない。たとえ異世界の森の片隅でも、その感覚は彼を離さなかった。
引き抜いた後の土を、指先でそっと均す。盗みに入ったわけではない。依頼されたものを、依頼された数だけ、丁寧に採取する。そうやって均した跡も、すぐに苔が覆い隠すだろう。
採取のたびに、葉の状態を確認し、土を軽く払い、布で包む。その手つきに無駄はなく、迷いもない。時折立ち止まっては周囲を見渡し、次の薬草がどこに生えているかを見極める。まるで森そのものが、ひとつの大きな仕事場であるかのように。
真はしゃがみ込んだまま、指先で地面の湿り具合を確かめた。苔の弾力、土の冷たさ、落ち葉の乾き具合——指の腹でそっと押すだけで、そのすべてが手に取るようにわかる。
(南側の斜面は日当たりが良い。この先にも群生があるはずだ)
配達員は住所だけを見て配達しない。家の造り、表札の有無、郵便受けの角度、呼び鈴の位置——すべてを一瞬で把握してからインターホンを押す。森も同じだった。木の傾き、苔の生え方、風の抜け道。それらを読み取れば、探すまでもなく薬草のある場所がわかる。
真は立ち上がり、予測通り南の斜面で新たな群生を見つけた。月光草の葉の縁が、陽の光を受けて青白く脈打っている。
「……配達と同じだな」
かつての仕事でもそうだった。配達先の最短ルートを見つけ、時間を計算し、最も効率の良い順番で荷物を届ける。それは誰に教えられたわけでもない、自分で編み出したやり方だった。誰よりも早く届けるためにはどうすればいいか——それを考え続けた結果が、今の彼を作っていた。
(しかしまあ、こういう仕事は嫌いじゃないな)
森の静けさの中で黙々と手を動かしていると、時間が妙に落ち着いて流れる。追い立てられるような電話も、期限に追われる配達リストもない。あるのは森と、薬草と、それを待つ誰かだけ。
六本、七本。順調に採取は進む。
このペースなら、あと十五分もかからずに指定数の十本に達するだろう。だが真は、ここで小さく息をついた。
「まだ時間あるな……さっさと片付けて次の仕事に取り掛かるか」
まだ朝の八時前。ギルドに戻れば、他にもやるべきことは山ほどある。書類の整理。依頼書の更新。在庫の確認。それでもまだ時間が余れば、ギルドの外壁の補修だってできる。考えれば考えるほど、やるべきことは尽きない。むしろ、時間が足りないくらいだ。
(よし、やることリストに入れとく)
真は手帳を取り出すと、端の方に走り書きした。戻る前に、森の奥の様子も確認しておきたい。今後の依頼で必要なこともある。
「……もう少し奥を確認しておくか」
真は立ち上がり、さらに森の深部へと歩を進めた。依頼にない薬草でも、ギルドの在庫になれば誰かの役に立つ。
「またここには来るかもしれないし、森の奥の様子も見ておくか。まあ、配達と一緒だ。知らねぇ道は歩いて覚えるしかねぇ」
しばらく歩いた先、異常なほどに木々が密集しているエリアを見つけた。
巨大な枝が絡み合い、日光が地面にほとんど届いていない。そのせいで下草は枯れ、空気は湿って重く、鼻の奥にカビの胞子が張りつくような不快な匂いが立ちこめている。
真は思わず鼻を指でつまんだ。この匂いには覚えがある。長年開かずのままだった集合ポストの一番奥、郵便物が朽ちて変色した底の方で、これと同じ匂いがした。カビは生きている。息をしている。放っておけば、それはやがて周りのすべてを腐らせる。森も、同じだった。
「これは……光が均等に当たらないから一部の木が腐っていて、薬草や果実が育ってない……環境が悪くなったら飢饉が簡単に訪れるぞ。よし」
真は荷物を下ろし、腐った木を一本一本見定めて、素手で根本から折り倒していった。
腐った木は思ったよりもろく、手をかけるとぼろぼろと崩れた。湿った木くずが顔にかかる。指の腹で掴んだ樹皮はぐずぐずに柔らかく、力を入れるまでもなく指が中にめり込んだ。篭った空気が一気に動き、ひんやりと肌を撫でた。普通の人間なら斧が必要な太さだが、異世界で強化された体には苦にならない。それどころか、自分でも少し引くほどに力が出る。
「この量だと前の世界だったら感電死する。人間やればできるな」
口にしてから、真の手が一瞬止まった。
あの日も、朝から雨だった。
配達リストは残り四十七件。アパートの外階段は鉄骨むき出しで、手すりは雨に濡れて鈍く光っていた。右手に荷物、左手にリスト。ポケットの中で震えるスマホ——たぶん上司からの着信。四段目を上がったところで、靴底が滑った。とっさに手すりを掴もうとした左手が、濡れた鉄を滑る。そのまま体が傾いで——
バチン。
音より先に、電流が腕を駆け上がった。心臓が一瞬で握り潰されるような感覚。視界が白から黒に変わるまでの、ほんの数秒の間に、頭をよぎったのは「配達リスト、まだ終わってない」だった。
発見されたのは翌朝だったらしい。ニュースにもならない、小さな事故死。ポストに入りきらなかった通販の段ボールが、雨に濡れてふやけていたという。四十二年間、誰よりも正確に、誰よりも早く届けてきた男の最期が、たったそれだけだった。
(今回は滑っても死にはしないだろうが——いや、今は配達じゃないんだった)
真は手のひらを開き、じっと見つめた。
だから、なのかもしれない。この異世界で、俺はまだ「届ける」ことをやめられずにいる。配達リストの代わりに依頼書を、荷物の代わりに薬草を、届け先の代わりに——この世界で待つ誰かを。
腐った木を折り続けるうち、真の手のひらに違和感が走った。マメが潰れたのだ。異世界に来て初めてのマメだった。
かつては毎日のようにあった。郵便物を仕分ける指先、荷物を抱える手首、配達リストを持つ親指——どれもがマメだらけで、それが配達員としての勲章だった。いつの間にかマメはタコに変わり、タコは皮膚の一部になった。痛みすら感じなくなった頃、上司が言った。「お前の手は配達の形そのものだな」と。
(この手は、こっちの世界でも同じことをするんだろうな)
真はマメを潰さぬよう布を巻き、作業を再開した。
「うーん!これで光が当たるぞ!この倒した木は奥の岩がある所に置いて乾燥させよう!」
倒した木を運びながら、真はふと手を止めた。岩場の隅に、見たことのない植物が群生している。葉の裏がうっすらと紫色に光り、触れるとひんやりと冷たい。
手のひら全体で葉を包むように触れてみる。冷たさは皮膚の表面だけで、しばらくするとじわりと熱が移ってくる。それは生きている葉の温度だった。毒か薬かもわからない。
「これは……後で調べるか」
真は手帳を取り出し、植物の特徴を簡単にスケッチした。葉の形、光り方、生えている場所。情報が増えれば、次に来た誰かの役に立つ。
そしてまた、歩み始める。
足音は驚くほど静かで、枝を踏むたびに音を立てないよう、無意識に体重を逃がしている。新しい職場で長く働くためには、まず周囲の環境を知ることが重要だった。それは郵便局にいた頃から変わらない。長年ブラック企業に身を投じ、身についた悲しいスキルでもあった。
(さて、この奥には何があるか——)
やがて木々がひときわ深くなり、再び光が細く筋のようにしか届かない場所に出た。地面の苔はさらに厚く、空気は冷たい。数歩進むごとに、耳に届く音が変わっていく。鳥の声が消え、虫の羽音も遠ざかり、代わりに——自分の鼓動だけが、やけに大きく響いていた。
その静けさは、配達中に時々立ち寄った神社の裏手に似ている。街の雑音がすべて遠くなり、自分の呼吸と心臓の音だけがやけに近くなる、あの感じ。誰もいない。誰も見ていない。それなのに、誰かがすぐそこにいるような気配——
その時だった。
遠くで、小枝が折れる音。足音が複数、乱れている。金属の擦れる音も混ざっている。
風向きが変わり、かすかに汗と鉄の匂いが流れてきた。
真の足が止まる。
風向きが変わった。さっきまで森の甘い腐葉土の匂いが鼻をくすぐっていたのに、今は違う。
汗。鉄。そして——恐怖。
真の鼻が、かすかにひくついた。恐怖には匂いがある。汗とは違う、もっと酸っぱくて、かすかに甘い、皮膚の奥から滲む匂い。強盗にあった配達員の同僚が、同じ匂いを放っていたのを思い出す。
(ひとりじゃない。複数だ。それも、追われている側の匂いだ)
鳥の声が、ふつりと消えた。さっきまで聞こえていた小川のせせらぎも、今は遠い。耳に届くのは自分の服の擦れる音だけだった。
それから——かすかな悲鳴が、風に乗って届いた。
(今の、悲鳴か?それと金属音……剣を打ち合ってるのか?)
真は迷わず、音の方向へと走り出していた。彼の頭の中にはもう、薬草のことも、依頼のノルマも、在庫管理の計画もなかった。ただ、「困っている人がいる」という事実だけが、彼の行動を決定づけていた。
走りながら、真は違和感を覚えていた。
地面を蹴るたび、自分の体重が信じられなかった。かつては階段を一段ずつ重く上がっていた体が、今は落ち葉のように前に出る。膝の痛みがない。腰の張りも消えている。四十二年の蓄積がすべて抜け落ちたような、そんな軽さだった。
老眼だったはずの目が、五十メートル先の倒木の割れ目までくっきり見える。倒木にびっしりと生えた苔の細かい葉脈、その上を這う蟻の触覚、風に揺れる蜘蛛の糸の一本一本——そんなものが、いちいち目に飛び込んでくる。
(これが、チートスキルってやつか)
「状況はどうなんだ。アニメやドラマで聞いたような、剣がぶつかり合う音……ここは異世界でファンタジーだから、あり得る」
色々考えながら真は無我夢中で音のする方へ向かった。木々の間を縫い、小川を跳び越え、倒木を回り込む。真の動きは驚くほど速く、そして静かだった。
長年の配達で鍛えられた脚力と、一秒でも早く届けるために培われた体の使い方、そして付加されたチート能力が、異世界で爆発的な力に転換されていた。
音が近づく。声が聞こえ始める。
「おとなしくしろ、姫さん」
「痛い目を見る前に、観念した方が身のためだぜ」
姫。真はその単語を聞き留めたが、それが何を意味するかは考えなかった。考えている余裕もなければ、考える必要もない。
茂みの向こうに、複数の人影が見える。武装した男たちが、誰かを取り囲んでいる。囲まれているのは——まだ若い女だ。年の頃なら十代の後半かそこら。黒に近い深紅の髪が乱れ、息を切らしながらも、手には護身用の短剣が握られている。
男たちの目は、暗がりの中でぎらついていた。汗と土にまみれた頬。ひび割れた唇。そのどれもが、彼らがただの荒くれではなく、切羽詰まった者たちだと物語っていた。
真は一瞬、茂みの陰から状況を見極めた。
(相手は五名。武装あり。しかし、殺す必要はない。武器を奪い、戦意を削げば十分だ。所要時間は——三十秒。急ぐ必要はない。正確に)
真は背負い袋を地面に置き、袖をまくった。その所作は、配達先で荷物を下ろす時のそれと何も変わらなかった。
「お嬢さん、お下がりください」
全員の視線が、真に集中した。男たちは五名。荒事に慣れた手合いだということは、構えや雰囲気でわかる。一方の少女は、信じられないものを見る目で真を見つめている。
(人間が……なぜ私を?いや、それより——たった一人で何をする気?)
「あ?なんだてめえは」
「ギルドの者です。薬草採取の依頼でこの森に来ていました」
「はあ?ギルドだと?」
「はい。つきましては、そちらのお嬢さんに何かご用でしょうか」
男たちは顔を見合わせた。それから、そのうちの一人が口の端を歪めて笑う。
「たった一人で助太刀とは、いい度胸だな」
「え?助太刀?」
「ギルドの使いっ走りが、俺たちに勝てると思ってんのか?」
「いえ、私は争いに来たわけではありません」
真は動かなかった。ただ、静かに相手の動きを見ている。その姿には剣もなければ鎧もない。あるのは背負い袋と、中に入った十本の薬草だけ。まるで配達の途中に道を尋ねるかのような、そういう佇まいだった。
少女が、声を絞り出した。
「に、逃げて……!あなたまで殺される……!」
真は振り返らずに、少女にだけ聞こえる声で答えた。
「お怪我はありませんか」
「だ……大丈夫です」
「それは何よりです」
風が止んだ。鳥の声が、ふつりと消える。
次の瞬間、真は動いていた。
いつもの朝と変わらない、静かな調子で、彼は言った。
「すぐに終わらせます」
(面倒なことになったな……まあいい。さっさと片付けて、薬草の続きをやろう。カルマみたいなもんだ。あの日、最後の四十七件を届けられなかった分——こっちの世界で取り返すだけだ)
少女は息を呑んだ。
(この男は——何を言っているのかわかってるの?)
目の前にいるのは、魔族の領地で名を上げた傭兵崩れの荒くれ者たちだ。
(この人間は、なんでこんなに涼しい顔をしていられるの?)
「この人間は死なせたらダメだ……一緒に逃げないと……」
(ダメっ……足に力が入らない!)
そう思った瞬間、真が動いた。
茂みから飛び出した真は、一直線に男たちの中心へと走り込んだ。
先頭の男が剣を振り上げる——が、その動きは真にはあまりにも遅く見えた。まるで配達先の住所を間違えて、封筒の宛名を確認する時の、あの一呼吸の間のように。
真は身をかがめて剣の軌道をかわし、男の手首を正確に掴んだ。そのまま関節を極め、最小限の力で剣を落とさせる。郵便物を仕分ける時と同じ——無駄な力は一切ない。
「ぐあっ!?」
二人目が横合いから斬りかかる。真は落ちた剣を拾わず、代わりに男の重心を見極めて足を引っかけた。相手は自分の勢いで転倒し、苔の上に無様に倒れ込む。
三人目と四人目が同時に襲いかかってくる。真は二人の動線を一瞬で読み切り、互いの攻撃が干渉する位置へと誘導した。結果、男たちは味方同士で激突し、鈍い音を立てて頭を打ちつける。
最後の一人は、少女から奪おうとしていた短剣を手に、震えながら真に向かってきた。真はためらわずに距離を詰め、男の手首を軽くひねって短剣を落とし、そのまま地面に押さえつけた。
「……十……二十……三十」
真が顔を上げた時、五人の男たちは全員、地面に転がっていた。
「終わりました」
少女は立ち尽くしたまま、震える声で尋ねた。
「あ、あなたは……いったい……?」
真は背負い袋を拾い上げ、肩にかけながら振り返った。
「ただの郵便配達員です。元、ですが」
(それにしても、このペースならギルドに戻って在庫の確認と外壁の補修、それから副長に報告書の提出——まだまだやることは山積みだな。手帳に追加しておこう。やることリスト、四十七件目)
彼は手帳を取り出し、戦闘で少し乱れたページをめくって、新しい項目を書き足した。
「お、おい……あんた、何者だ……?」
倒れた男の一人が、かすれた声で尋ねた。
真は手帳を閉じ、静かな目で男を見下ろした。森の空気が、さっきまでと同じように穏やかに流れている。まるで何もなかったかのように。
「ただのギルド職員です。今日は薬草採取の依頼で来ていました」
真は少女に向き直り、軽くうなずいた。
「ギルドまでお送りしましょうか。薬草も届けなければいけませんので」
少女はまだ信じられないものを見る目で真を見つめていたが、やがて小さく、ほんの少しだけ、うなずいた。
そして少女は、生まれて初めて「人間の強さ」というものを目の当たりにしたのだった。




