痕跡
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アセビの町の北にある山は、町の住人から何のひねりもなく「北の山」と呼ばれている名も無き山だ。町から日帰りできる距離にあり、標高もそれほど高くない。山道も整備されているため、春から秋にかけては山菜やキノコを採りに山に入る人も多いらしい。
「雪が降る冬を除けば、遭難するような場所じゃないんだけどな」
周辺を慎重に見回しながら歩いていたラップが、しかめ面で呟く。危険な場所や、行方不明者の痕跡を探しているものの、何も見つからないようだ。俺も山中に潜んでいると思われる人買いグループを警戒しながら歩いていたが、特に不審な点は無かった。
山の中腹まで登った俺たちは、眼下に町を一望できる見晴らし台のような場所で小休止することにした。
「わー。こうして見ると、結構、町から近いんだね」
北の山に登ったのは初めてだというクランが、上機嫌で町を眺めている。
「シノブくんの家は見える?」
「俺の家は町の東側だから見えないな」
北の山は、厳密にはアセビの町の北西に位置しており、俺たちのいる場所からは町の西側とそこから一直線に伸びる街道を見渡すことができる。
「この街道って、獣人国まで続いているんだっけ?」
「そうだな。町から国境までなら、王都に行くよりも近いはずだ」
「へー」
ラップの言葉に適当に相槌を返しながら、俺は別のことを考えていた。
――――この場所で見張っていれば、年明けに起こる獣人国の奇襲を、いち早く察知できるのではないだろうか?
(早朝だから難しいか……? いや、それ以前に冬だな)
明け方の時間帯だと、真っ暗ではないにせよ、間違いなく薄暗いはずだ。獣人国の兵士が闇夜に乗じて攻めてくるのであれば、気づいた時には、避難が間に合わない距離まで接近されている可能性がある。
それに、季節が冬だと、山には雪があるはずだ。そんな場所で夜通し見張りをするなど、風邪を引いてくれと言っているようなもの。防寒対策をしっかりしなければ凍えてしまうし、火を使えば、逆にこちらの存在に気付かれてしまう恐れがある。
どうしたものか、と。
俺が、早くも山積みの問題に頭を悩ませていると、
「……ねえ。二人とも。ちょっと、これを見てくれない?」
弓矢の訓練のため、木の枝に的を吊るしていたクランが、足下を見ながら声を上げた。
近づいてみると、クランが立っている道端に草を踏み潰したような跡が残っている。
「これ、車輪の跡じゃないかなぁ」
クランの感想を聞いて、俺は思わず息を飲んだ。
「……たしかに、それっぽいな。よく見つけたな」
「ちゃんと探していたわけじゃなくて。たまたま、目に入っただけなんだけどね」
ラップとクランは呑気に会話しているが、これは野生の獣の食べ残しを見つけたのと同じレベルで、悠長にしている場合ではないのかもしれない。
もし、この車輪の跡を残したのが人買いグループなら、既にこの場所はそいつらの縄張りである可能性が高いからだ。ここに至る道中、あまりにも痕跡らしい痕跡が無かったので、無意識のうちに警戒のハードルを下げてしまっていた。
ここはもう危険領域で、いつ人買いグループが現れてもおかしくない。
もしかしたら、既に俺たちの存在は捕捉されていて、見過ごすべきか、それとも拉致すべきか、物陰から監視されているかもしれない。
――――そんなことを考えたら、鳥肌が立ってしまった。
もし、そうだとすれば、今から俺たちが取るべき行動は、たった一つ。
何も気づいていないふりをしながら、回れ右をして下山することだ。
だが、残念なことに、ラップとクランの二人とは、危機感を共有できていない。
二人の頭の中には、まだ人買いグループの情報が存在しないからだ。むしろ、行方不明者の捜索に役立ちそうな痕跡を見つけたのだから、本腰を入れて周辺の調査をすべきだと考えているかもしれない。
(マズいな。どうにかして、下山する方向に話を持っていかないと……)
もう、いっそのこと、後からラップに「なんで知っていた?」と問い詰められる覚悟で、人買いグループのことを話してしまうのもありではないだろうか?
だが、悪ふざけや悪質な冗談だと思われた場合、その後の説得が余計に難しくなってしまう恐れもある。
俺は焦りまくって、思わず、見晴らし台から見えるアセビの町に目をやった。
あそこまで逃げれば、大丈夫。
ゴール地点の再確認――――そのつもりだったのだが。
「……」
長閑で平和な街並み。街道を通って町に出入りする人々や、煙突から立ちのぼる煙を見て、いろいろな思いが刺激されてしまった。
あそこは、俺の生まれ故郷だ。
幼馴染や、多くの友人が生活する場所。
その町が、人買いグループのせいで、大きな悲しみに包まれることになる。
仮にクランが無事だったとしても、もう既に被害者は出ているのだ。
――――それでよいのだろうか?
クランさえ無事なら。
知り合いさえ助けることができれば――――それでよいのだろうか?
「……そんなわけないよな」
小声で呟く。
風が吹き抜けて、汗がすっと引いて行くような心地よさに包まれた。
おかげで、迷いも洗い流されて、冷静になることができた。
プリムラからも言われていたはずだ。
無限ループする世界の中で、苦しんでいる人たちを助けてあげて欲しいと。
約束したわけではないが、ここはその願いを叶えるべきだろう。
いつか、この無限ループを抜け出して、エンディングを迎える時が来るのであれば、それはハッピーエンドでなければならないのだから。
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