第五話 鉄の神獣(かみけだもの)
## 一 夕陽の森
タカシとユキヒコは、夕陽の赤く染まる斜面をただ駆け下りた。
地面は腐葉土と湿った杉の葉が幾重にも重なって、一歩踏み込むたびにぬるりと靴底が横に滑った。
「お父さん、こっちさっきの"沢の上流"の道と違う!」
「いいんだ、とにかく走れ!」
タカシはユキヒコの小さな手を強く握りしめていた。
心臓が肋骨の内側で悲鳴を上げていた。
運動らしい運動をここ十年、ほとんどしてこなかった。会社と家と、たまに出張とたまに実家と──その往復の生活で、タカシの足腰は四十一歳の平均的な中年男性のそれだった。
だが今、タカシを走らせているのは筋肉ではなかった。
──恐怖と、ただ一つの"責務"だった。
(息子を生贄にはさせない)
(俺がどうなろうと、それだけは絶対に)
*
「待テ──!」
背後、三十メートルほど後ろから、弓の男の鋭い声が響いた。
森の巨木の幹をかすめるようにして、ひゅうと一本の矢がタカシの右耳のすぐ脇を通過していった。
タカシの膝ががくっと抜けそうになった。
「──っ、ユキヒコ、屈め!」
小さなシダの群生地へ飛び込んだ。
ばさりとシダの大きな葉の下に、二人折り重なって身を伏せた。
心臓の鼓動がじわりと耳の内側に響いている。
「お父さん、あの人たち、どうしてこんなに足が速いの……?」
ユキヒコは息も絶え絶えだった。
「彼らの足は生涯、土の上を走り続けるためにできているからだ」
タカシは汗をぬぐいながら、かすれた声で答えた。
【弥生時代の日本列島の成人男性は、現代人と比較して下肢骨、特に脛骨の"柱状断面"が著しく発達していたことが、古人骨の形態学的研究から知られている。これは日常的に山野を走り、獲物を追い、重い石具を担ぐ生活が骨に刻み込んだ身体的証跡である。──現代の東京でIT経営者として暮らす四十一歳の男が、勝負になる相手ではない】
「でもねぇ、お父さん」
ユキヒコがシダの葉の陰でじっとタカシを見上げた。
「向こう岸のあの女の子は、"ニエ"って言ってなかったと思う」
「──え?」
タカシは息を詰めた。
「あの子が言ってたのは……『"コロスナ"──殺すな』って声。聞こえたよ」
タカシの脳裏に、先ほどの沢の対岸の混乱の残響が甦った。
確かに──。
男二人が『ニエ、ニエ』と獣じみた歓声を上げていたその後ろで、少女はきっぱりと違う言葉を放った。
(『コロスナ』──殺すな)
(『フタリトモ、ムラ、ツレテ、カエレ』──二人とも村へ連れて帰れ)
「──」
タカシはその瞬間、気付いた。
(殺されるのではない)
(捕らえられるのだ)
*
それは一見、"救い"の言葉だった。
だが──考古学徒のタカシの頭は、その認識を少しも安堵には繋げなかった。
【『魏志倭人伝』には倭国の社会構造についてこう記される。『下戸、大人と路上に相逢えば、逡巡して草に入る。辞を伝え事を説くには、或いは蹲り、或いは跪きて、両手地に拠り、これを恭敬となす。対応の声を曰わく"噫"、比するに然諾の如し』──上層民(大人)と下層民(下戸)の厳然たる階層分化が、すでに倭国には存在していた。『生口』──奴隷階層も明記されている。卑弥呼が魏に献じた生口十人、壱与が張政に託した生口三十人、これらは日本の奴隷制度の最古の明確な文字記録である】
村に連れ帰られる──それは"奴婢"、あるいは"生口"として囲われるということを意味していた。
最悪の場合、海を越えて魏の都・洛陽に貢物の生口として送られる可能性すらある。
──この正始元年、西暦二四〇年、その今年まさにこの今の瞬間。
魏の使者・梯儁が金印紫綬と銅鏡百枚を携えて、倭国に上陸していたのだ。
【『魏志倭人伝』正始元年の条:『太守弓遵、建中校尉梯儁等を遣わし、詔書・印綬を奉じて倭国に至り、倭王に拝仮し、并せて詔を齎し、金・帛・錦罽・刀・鏡・采物を賜う』。──魏の帯方郡太守・弓遵の命により建中校尉・梯儁らが倭国に派遣され、卑弥呼に魏の皇帝の詔書と印綬を直接手渡した、その歴史的な年。タカシたちが時の扉を潜り抜けて着地した、まさにその年である】
(今、俺たちがあの村に連れて行かれるということは、つまり──)
(最悪のシナリオでは魏の使者の目の前に引き出される可能性がある)
(二十一世紀から来た奇妙な服の親子が、生口として洛陽まで送られるかもしれない)
タカシの全身に冷たい汗が噴き出した。
(冗談じゃない)
*
シダの葉の向こうで、複数の足音が止まった。
近くだった。
タカシはユキヒコの口を掌でそっと塞いだ。
目で頷き合う。
──静かに。
──息を殺せ。
ユキヒコは小さく頷いた。
「……ドコニ行キよッタカ」
弓の男の呟きが聞こえた。
「西ノ森ノ方カ──」
「イヤ」
澄んだ少女の声がそれを制した。
「アノ二人、"東"カラキタ山の者デハナカト、ワノ勘ジャ──」
──あの二人は"東"から来た山の者ではない。私の直感だ。
そう言ったのだ。
タカシの背筋が強張った。
──『東』。
少女は正確に"東"という方角を口にした。
(こいつら、この山の民は──もう"東"の存在を知っている)
(それはおそらく──後のヤマト王権のその原初の氏族集団、あるいは邪馬台国そのものか)
(それとももっと別の──何かか)
「……鏡ヲ持っチョルカモシレヌ」
少女の続けたそのただ一言に──。
弓の男の、石槍の男の息遣いが明らかに変わった。
「鏡──」
弓の男の声には、抑えきれない"欲"が滲んでいた。
「ナラバ追エ──!」
*
タカシの指先が冷たく凍った。
"鏡"──のひと言がこの時代の人間にもたらす異常な反応。
(この時代、"鏡"は国家間の最高級の贈答品であり、同時に──神器そのものだ)
(この山の民の長がもし一面の銅鏡を手にすれば──彼らの村の地位は、近隣の他のどの小さな部族よりも一段階上に引き上がる)
(それは魏の皇帝から"親魏倭王"の称号と金印を拝領した卑弥呼のその権威の構造と地続きの、同じ論理だ)
(鏡が──運命を変える)
タカシの視線が自分の胸ポケットに入っているスマートフォンに落ちた。
黒いガラス面。
反射する夕陽の名残。
──一面の"未来の鏡"。
「ユキヒコ」
タカシは息子の耳元に囁いた。
「もう駆け抜ける。一気に車まで。──走れるか?」
「──うん」
ユキヒコの返事は短かったが、揺らぎはなかった。
「三、二、──」
タカシは指で最後のカウントを示した。
「──走れッ!!」
## 二 刺青の面
夕陽の最後の一筋が、山稜の向こうに沈もうとしていたその時。
タカシとユキヒコの視界に──。
草原が広がった。
そしてその広大な湿性草原のちょうど中央に。
赤茶けた夕陽を真横から浴びて、鈍く金属的に光っている"それ"があった。
──二十一世紀日本のミニバン。
タカシが親父の還暦祝いのついでに思い切ってローンで買った、あの七人乗りの家族用SUV。
「車だッ──!」
タカシの声はほとんど叫びだった。
(ユキヒコ、あと三十メートル──!)
*
「待テェェェェ──!」
背後から獣のような弓の男の咆哮が響いた。
タカシとユキヒコはもう振り返る余裕もなかった。
肺が焼けそうだった。
太腿の筋肉が限界を越えて痙攣し始めていた。
それでもタカシは走った。
車の運転席のドアに右手を伸ばす。
キーレスエントリーの車体キーをポケットから探る。
──あった。
震える親指でカチリ。
「ピッ──」
電子の開錠音が夕暮れの草原に鋭く響いた。
同時にヘッドライトが──カッと自動点灯の設定に従って、夕陽の残光の中に二筋の強烈な白色光を放った。
*
「──ッ!?」
背後の弓の男の足がぴたりと止まった。
石槍の男の口がぽかんと開いたまま、草原で硬直した。
少女だけは数歩さらに近付いてきて──。
そして刺青の男たちがようやく、被っていた"仮面"をゆっくりと外した。
*
その顔を夕陽が斜めから照らし出したその時。
タカシは息を呑んだ。
──顔中に刺青が彫られていた。
額から頬、顎にかけて鋭く曲線的な幾何学文様。
唇の下、左右に三本ずつの鋭い黒い棘状の線。
まるで獣の髭を模したかのようなその刺青。
【『魏志倭人伝』倭人の条、冒頭近くのあの有名な記述。『男子無大小、皆黥面文身。自ら古より以来、其の使いの中国に詣るに、皆自ら大夫と称す。夏后少康の子、会稽に封ぜられ、断髪文身して以て蛟竜の害を避く。今倭の水人、沈没して魚蛤を捕らうを好み、文身して亦た以て大魚水禽を厭しむ』──倭国の男子は身分の上下を問わず皆、顔と体に入れ墨を入れている。これは古代中国・越の地で水の害を避けるために行われた呪術が倭国にも伝わったものだと記される。入れ墨こそ三世紀倭国の男子の成人の証】
タカシの目の前に立っているのは──まさに『魏志倭人伝』のあの文字列が、文字列通りに肉体を持って現れた姿だった。
「──オメェラ、ドコカラキタトカ?」
弓の男、今や仮面を取ったそいつの刺青の顔が低く唸った。
低い獣声のような声。
同時にその目の奥には──畏怖と好奇心と、そして抑えがたい"欲"が揺れていた。
「……ドウセコロシテ、ニエニシチマイヨ」
石槍の男が再び槍を掲げた。
「マテ!」
少女の声がピシャリと飛んだ。
「コロスナ。」
「ハイ──ワカイモシタ、姫」
──姫。
タカシの耳の奥で、そのたった一音節が反響した。
("姫"──そう呼ばれているのか、この子は)
【『姫』──本来、『日女』、すなわち『日の女』、太陽神の巫女たる女性を指す上代日本語における祭祀的称号。『比売』とも。天皇家の女性に使われる『姫命』、神社祭神の『○○比売命』など、古代日本において神と繋がる最も高貴な女性を指す言葉であった。単なる『娘』や『美しい女性』という意味での『姫』は平安時代以降の派生である。ゆえに一介の山の民の一行の中で少女一人が"姫"と呼ばれているという事実は──彼女の出自と血筋の尋常ならざる高貴を示している】
## 三 神器、起動す
タカシはユキヒコを運転席の反対側に誘導した。
「ユキヒコ、助手席側から回り込んで後ろに乗れッ!」
「う、うん!」
ユキヒコがドアを手早く開いて後部座席へ転がり込んだ。
タカシは運転席に素早く身を滑り込ませた。
ドアをばたんっと閉める。
カチッとドアロックを全席施錠する音。
──その電子ロックの音が、閉ざされた夕暮れの草原の中で、あまりにも異様に響いた。
刺青の男たちがびくりと後退った。
「──な、なんじゃあれは」
「音が……鉄が鳴いたぞ……!」
タカシはキーを差し込み、スタートボタンを押した。
ドゥルルルル、ドドドド──。
エンジンの低い重厚な振動音が夕闇の草原を満たした。
それは──彼らの耳にとって"地中の大地の神の唸り声"そのものだった。
「鉄の獣が吼えたッ──!」
石槍の男が絶叫して槍を構え直した。
ひゅん──。
弓の男の手元から反射的に矢が放たれた。
黒曜石の鋭い鏃がミニバンの側面のドアにガキィィィンと甲高い音を立ててぶつかり──。
そして弾かれて地面にカランと落ちた。
「──!?」
ミニバンの塗装面にわずかな擦り傷が残っただけだった。
二〇〇〇年代以降の自動車の高張力鋼の、厚さ〇・七ミリから〇・九ミリの鋼板。
弥生時代の黒曜石鏃の射出エネルギー、約三十ジュールが──届かぬ壁。
【弥生時代の弓矢の有効射程は人物殺傷レベルでおよそ三十メートル程度、殺傷エネルギーは獣皮の鎧をかろうじて貫通する水準であった。これは十六世紀のヨーロッパのロングボウ(最大射程三百メートル、殺傷エネルギー百ジュール超)や鎌倉時代以降の和弓と比較しても遥かに原始的な水準である。──現代の工業製品の鋼板の前に、弥生の弓矢の威力はほぼ無力である】
タカシはハンドルに両手をかけた。
「矢などこの"鉄の神獣"には効かぬッ──!」
自分でも信じられないほどの大音声が喉からほとばしった。
## 四 鉄の神獣
ハンドルを左に切る。
アクセルを床まで踏み込む。
ミニバンは草原の上をぐおっと加速して真横を向くと、刺青の男たちに正面から突進し始めた。
「ひ、ヒィィィィ──!」
石槍の男の足が、腰が崩れた。
尻もちをついたその巨体が、夕暮れの草原の腐葉土の上にへたり込んだ。
タカシは急ブレーキを踏んだ。
ザザザザザッ──。
ミニバンは草を薙ぎ倒しながら減速し、そして石槍の男のわずか五メートル手前でぴたりと停止した。
白熱のヘッドライトがダイレクトにその刺青の顔を照らし出した。
「──あ、ああ──」
男の眼球が白熱の光に耐えかねて涙を溢れさせた。
神ならぬ存在が──神の光に晒されている姿そのものだった。
*
タカシは運転席のウィンドウをほんの五センチほど降ろした。
夕暮れの冷えた風が車内に流れ込んでくる。
「──よく聞け」
タカシの声は低く重く、そして腹の底から響いた。
「我らは──」
次の言葉を口にするのに一秒必要だった。
現代の自分の理性、そして東京丸の内のビジネスの世界の自分の誇りが──このひと言を口にすることを躊躇わせた。
だがタカシは息子を守るためにためらいを捨てた。
「我らは──神の使いである」
【『神の使い』──古代日本の信仰構造における最も基本的な概念の一つ。人々が直接には姿を見ることのできない『神』の代わりにこの世を巡り、神意を伝える中間的な存在。伊勢神宮の『御師』制度、あるいは山伏の『修験者』、そして神を憑ける依代としての巫女──全てはこの『神の使い』という原初の概念から派生している】
ミニバンのヘッドライトがタカシの背後からその顔を逆光のぼんやりとした黒いシルエットに浮かび上がらせていた。
それは刺青の男たちの目には──。
言葉通りに"神の使い"の顕現として映っていたに違いない。
「分かったら──」
タカシはもう一度低く唸った。
「帰れェェェッ──!」
同時に拳をホーン(警笛)に叩きつけた。
──プァァァァァァン──!!
三世紀、倭国の日向の夕暮れの草原に。
二十一世紀の日本の乗用車のホーン音が轟いた。
それはこの西暦二四〇年の日本列島にかつて存在しなかった周波数の音響だった。
野に眠っていた鳥たちが一斉に空へと舞い上がった。
草原の遠くで鹿の群れが飛び跳ねて散った。
*
「カ、カミサマッ──!」
少女が初めて身を崩した。
ぺたんと草の上に膝をついたまま。
両手を顔の前に合わせ──。
深々と頭を垂れた。
弓の男も石槍の男も持っていた武器を地面に放り出した。
そして姫に倣うように草原に両手をついてひれ伏した。
「どうか──」
少女の震える声が聞こえた。
「ユルシテ……!」
「帰れ!」
タカシはもう一度怒鳴った。
ミニバンのエンジンをわずかに吹かす。
ブォォォン──と排気音が草原を震わせた。
三人は這うように立ち上がり、そして弓と槍をそこに置き去りにしたまま──。
脱兎のごとく夕暮れの森の闇の中へと消えていった。
*
草原に残ったのは──。
タカシとユキヒコと、アイドリングするミニバンと。
そして沈みゆく夕陽の最後の名残だけだった。
## 五 正始元年の夜
タカシはエンジンを切った。
一気に耳が静寂を取り戻した。
虫の声と遠くのどこかの沢のかすかな水音だけが世界を満たしていた。
「……お父さん」
後部座席からユキヒコのかすれた声が聞こえた。
「あの人たち、行ったかな」
「……ああ、行った」
タカシは震える両手をハンドルの上で組み合わせた。
そのまま前頭部をゴンとハンドルに押し付けた。
「はあ──」
長い、長い息を吐いた。
全身から一気に力が抜けた。
指先が、膝が、肩が──全部小刻みに震えていた。
(──生き延びた)
(この初日を──俺とユキヒコはギリギリで生き延びた)
*
草原の上空にはもう星が出始めていた。
タカシは運転席のドアをゆっくりと開けて外に降りた。
夜の冷えた空気が汗ばんだ全身をひやりと包んだ。
ユキヒコも後ろから降りてきて、タカシの腰のあたりにぎゅっと抱きついた。
「怖かったよ、お父さん」
「……ああ、怖かったな」
タカシは息子の小さな頭をしばらく撫でていた。
*
その夜。
タカシはミニバンのリアシートを倒して、ユキヒコを車内の毛布の中で眠らせた。
自分は運転席の背もたれを目一杯倒して夜空を見上げていた。
満天の星。
──北辰の位置がやはり現代よりもわずかにズレている。
歳差運動の約二万六千年周期の、そのほんの一八〇〇年分。
タカシはその"誤差"を自分の眼球の網膜で確かに検出していた。
そしてその"誤差"の中に──この『西暦二四〇年、正始元年、五月』の時の重みが詰まっていた。
*
(──正始元年)
(今年、魏の建中校尉・梯儁が金印紫綬と銅鏡百枚を帯方郡を経由して倭国に運び届けている)
(つまり今この瞬間にも──あの百枚の鏡のうちの幾つかは、すでに北部九州のどこかの有力者の手に届き始めているはずだ)
(その鏡の一枚一枚が倭国の小国家群の政治地図を塗り替え、権力の序列を再編成し始めている)
(山の民の少女が俺たちに"東から来た、鏡を持つ者"の可能性を見たのは──決して偶然ではない)
(今、この倭国は歴史上最も激しく"鏡"と"権威"が動く時代の、ちょうど最中に入ったばかりなのだ)
タカシの胸の中に考古学徒としての抑えがたい興奮と、震える父親としての純粋な恐怖がぐるぐると渦を巻いていた。
*
(──そして俺は今日、その動乱の渦に無防備に"神の使い"の名乗りを投げ込んでしまった)
(あの姫と呼ばれた少女は必ず村に戻る)
(戻って"光る鏡"と"鉄の神獣"を操る"神の使い"の男と子供を見た、と村長に報告するだろう)
(その報告は噂となって山を越え川を下り、いずれ──必ずあの"東の鏡を持つ者"の耳にも届く)
(俺たちは今日生き延びた代償に──"見つかる存在"になった)
タカシは夜空の星をじっと見つめながら唇を噛み締めた。
鹿光のあの言葉が耳の奥に甦った。
(『一月生き延びよ』)
(──生き延びるだけではダメなのだ)
(生き延びたその先に"見つけた"者たちとの遭遇がまだ待っている)
タカシは、そしてほんの少しだけ笑った。
笑いながら呟いた。
「面白くなってきたじゃないか」
四十一歳の考古学徒崩れの東京のIT経営者がようやく──。
自分が『歴史の只中』に居ることを心の底で受け入れた瞬間だった。
後ろでユキヒコの安らかな寝息が聞こえていた。
夜はまだこれから長い。
正始元年、五月の日向の夜は──始まったばかりだった。
(第五話 了)




