第26話 二人の家
第26話 二人の家
お父さんの髪に、土がついていた。
顔も、服も汚れている。ご飯を受け取ろうとした手まで土色だったので、僕が言う前に、近くの人から洗ってこいと言われた。
お父さんは素直に立った。
僕も自分の手を見て、あとを追った。
戻ってきて、並んで座る。
目の前には、まだ柱と木の骨組みだけの家があった。
朝、僕たちが茅を集めていたころにはなかったものだ。
その下を人が行ったり来たりするたび、早く中へ入ってみたくなった。
「お父さんも、柱を立てたんでしょう」
「ちょっと押しただけだ。立てたのは、皆だよ」
「でも、押したんだ」
「……ああ。結構、押した」
お父さんが肩を回そうとして、途中でやめた。
僕は笑い、器の中へ顔を向けた。
ご飯の匂いがした。
ここへ来てから、何を食べるか考える時間が増えた気がする。今は、ご飯のあとに何をするかも、ちゃんとあった。
女の人たちが、空いた器を集めていた。
男の人へ声をかける人も、子供の口元を拭く人もいる。
僕は少し声を小さくした。
「この村、女の人が多いね」
「そうか?」
「うん。マグリが、奥さんが何人もいる人もいるって」
お父さんの手が止まった。
何か難しいことを考えるときの顔になりかけて、僕を見た。
「……そういう暮らし方も、あるんだな」
「お父さんの知ってる昔の話にも?」
「ああ。だが、この村でどうしてそうなってるかまでは、まだ聞いてない」
僕は、皆を見た。
同じ家へ、ご飯をいくつも運んでいた人がいる。それぞれ誰の家族なのか、まだよく分からない。
隣のお父さんを見る。
僕の家族は、ここではお父さんだ。
「僕は、一人でいいな」
「何が?」
「好きな人。一人だけで」
言ってから、カヤ姫のいる方を見てしまった。
お父さんも、つられてそちらを向いた。
僕は慌ててご飯を食べた。
「……そうか」
お父さんは、それだけ言った。
何か付け足されるより、困った。
「ユキヒコ。こっち、手伝うっちゃ!」
カヤ姫が呼んだ。
僕は返事をし、器を置いた。
お父さんがこちらを見ている気がしたけれど、確かめなかった。
*
茅の束は、抱えると顔の前まで来た。
これくらい持てると思って歩き出すと、足元が見えなかった。束の先が地面へつき、体が前へ引っ張られる。
「そんなに一度に持たんでも、よか」
カヤ姫が半分を取った。
急に軽くなった。
僕は悔しくて、もう少し持てると言いかけた。でも、軽くなった分だけ、早く歩けた。
「どこへ置くの?」
「あそこ。使う方を揃えて」
女の人たちが茅をまとめていた。
出来上がったものを持っていくと、上にいる男の人が受け取った。木の骨組みへ重ね、留めていく。
自分が運んだ束が、頭の上へ上がった。
もう一度、取りに戻る。
子供たちも運んでいた。小さな子は、小さな束を抱えていた。
僕も、さっきより少し小さくまとめた。
誰も、少ないとは言わなかった。
近くで歌が始まった。
何を歌っているのか、全部は分からない。でも、同じところになると、ほかの人も声を合わせた。
カヤ姫も歌っていた。
祭りのときとは違って、手を休めずに口だけ動いている。
僕は、何度も出てくる音だけ、小さく真似した。
カヤ姫がこちらを見て笑ったので、次は少し大きく歌った。
お父さんは、下で木を支えていた。
誰かに呼ばれると、そちらへ動く。何か言われて聞き返し、それから頷く。
会社で何をしているのか、僕はあまり知らなかった。
でも、今日のお父さんが何をしているかは、見ていれば分かった。
僕が束を運んでいくと、受け取って上へ渡してくれた。
「こっちへ来る分は、あとどのくらいだ?」
「もう少し。取ってくる」
「頼む」
僕は走りかけ、束の間につまずきそうになった。
振り返ると、お父さんが見ていた。
何も言わなかったが、顔に全部書いてあった。
ゆっくり行け。
僕は頷いて、歩いた。
*
屋根ができると、地面に大きな影ができた。
さっきまで日が当たっていたところが、家の中になっていた。
僕は入口から覗いた。
草の匂いと、削った木の匂いがした。まだ、誰の家の匂いでもなかった。
「入っていい?」
ヨロに尋ねると、少し待てと言われた。
外から屋根を見上げ、別の男の人と話している。結んだところを引き、もう一度押さえていた。
僕は、お父さんと待った。
夕方の光が、屋根を黄色く照らしていた。
ほかの家と同じ形なのに、それだけ違って見えた。
「見事じゃ。皆、よう働いた」
アシカビさんが言った。
僕も頭を下げた。お父さんが下げたからではなく、下げたかった。
「ありがとう」
言うと、ドグリが僕の頭へ手を置いた。
「お前も、よう働いたっちゃ」
僕は家を見た。
自分が運んだ茅がどこにあるのか、もう分からなかった。全部が重なって、一つの屋根になっていた。
「では、生き火を入れよう」
ヨロが、火を持ってきた。
お父さんが顔を上げる。
「生き火?」
「ほかの家から分けてきた火じゃ」
アシカビさんが答えた。
「新しい家を、我らの家族へ迎える」
僕は火を見た。
新しくつけたのではなく、誰かの家で燃えていた火が、ここまで来たのだ。
ヨロが入口へ進み、皆が続いた。
僕はお父さんの隣で、家へ入った。
中に、火がついた。
小さな炎が枝を舐め、だんだん明るくなる。柱に、人の影が映った。
「火の神さんに、感謝を」
皆が手を打った。
僕も、真似をした。
手のひらが少し痛かった。今日は何度も茅を運んで、縄を引っ張ったからだ。
お父さんも手を打った。
その音が、屋根の下に残った。
「タカシ、ユキヒコ。これで、お前たちもミタイ族だ」
アシカビさんが言った。
お父さんは口を開き、すぐには答えなかった。
僕は、その顔を見上げた。
村へ初めて来たとき、家を見て泣きそうになっていた顔に、少し似ていた。
「……よろしく、頼む」
お父さんが頭を下げた。
僕も下げた。
顔を上げたとき、カヤ姫が向かいで笑っていた。
*
人が帰り始めてからも、お父さんは入口のそばに座っていた。
木片を押さえ、小さなナイフを動かしている。
覗き込むと、名前を刻んでいた。
名字と、お父さんの名前。それから、僕の名前。
「何をしておる」
アシカビさんが尋ねた。
「表札だよ。ここに誰が住んでいるか、分かるように」
お父さんは、手を止めずに答えた。
土に書くより、ずっと大変そうだった。一本刻むたびに木片の向きを変え、指についた木屑を払っていた。
名前の前には、仕事も書いてあった。
「語り部」
僕が読むと、お父さんが頷いた。
「ミタイの語り部、タカシだ」
少し、格好をつけた声だった。
でも、僕は笑わなかった。
僕の名前も、その隣にある。
お父さんの会社の名前ではなく、二人で住む家の表札だった。
出来上がるまで、僕はそばにいた。
木屑を集めていると、家の中から火の音がした。
皆が置いていったものや、僕たちの荷物が、壁際に寄せてあった。
「今日は、車に戻らないんだね」
「ああ。ここで寝る」
お父さんは、削り終えた木片を見た。
僕は入口へ立ち、外から中を見た。
お父さんがいた。火があった。
朝には、どちらもここになかった。
明日の朝、目が覚めたら、この屋根が見える。
ご飯を食べたら、二人でここから出かける。
僕はもう一度、中へ入った。
今度は、入っていいか、誰にも聞かなかった。




