第25話 柱を立てる声
第25話 柱を立てる声
木の鋤は、思ったほど土へ入らなかった。
翌朝、私は家を建てる場所で、同じ地面を何度も突いていた。
肩に力を入れ、持ち上げる。
薄く削れた土が、足元へ落ちた。
「……硬いな」
もう一度、突く。
隣では、ドグリの前の地面が、見る間に低くなっていった。同じような道具を持っているのに、掬う土の量が違う。
私は息を整え、鋤の先を見た。
鉄のスコップさえあれば。
そう思ったところへ、大きな影が差した。
「腰を壊す前に、代われ」
顔を上げると、昨日木材を運んできた男がいた。
棟梁のヨロだ。
彼は私から鋤を受け取り、二度、土へ入れた。それだけで、私が苦労していた場所が崩れた。
「……道具のせいでは、ないんだな」
「道具も使い手を選ぶわ」
ドグリが笑った。
私は腰を伸ばした。伸ばした途端に痛くなり、笑い返す顔も歪んだ。
アシカビが、掘り出した土の方を指した。
「無理はするな。穴掘りは、我らに任せろ」
「だが、自分の家だぞ。私だけ何もせずには」
「何もするなとは、言うちょらん」
ヨロが、籠を足元へ置いた。
「掘った土を、そこからどけてくれ。そこへ置いたままでは、また落ちる」
私は地面と籠を見比べた。
仕事はあった。
自分がやろうとしていた仕事ではなかっただけだ。
「分かった」
膝をつき、土を集めた。
*
地面には、初めから家の形を示す印がつけてあった。
私はその内側の土を運び出した。籠をいっぱいにすると持ち上がらず、半分ほど戻した。
ドグリに見られたが、今度は何も言われなかった。
男たちは、自分の仕事に忙しかった。
少し離れたところで、オオエとカグリが道具を見ていた。刃を確かめ、柄の具合を直し、持ってきた男へ返す。
片方が手を伸ばせば、もう片方は必要なものを渡した。
土器を扱うトオも来ていた。飾りを作るというタマキも、今日は縄を手繰っていた。
名前を聞いて、顔と仕事を結びつける。
昨日、槍を持って家の前へ集まった顔が、その中にいくつもあった。
「皆、家を作れるんだな」
私が言うと、マグリが木を運びながら振り向いた。
「自分らが住むもんじゃからな」
その返事は、火を起こしたときのドグリとよく似ていた。
私にとって、家はまず図面があり、人を頼み、代金を払って作るものだった。
ここでは、目の前の男に頼めば、その隣の男が道具を持ち、さらに別の男が木を担いでくる。
どれも人の仕事なのは同じだ。
ただ私は、これまで、その途中をほとんど見ないで暮らせていた。
籠を運んで戻ると、さっきまであった土がなくなっていた。
四方を見れば、深さの違う場所も、柱を立てる穴もある。
私にはただ掘っているように見えた手が、別々の形を作っていた。
「そこへ、もう土を置くなよ」
ヨロに言われ、私は持ちかけた籠を止めた。
「何か入れるのか」
「柱が来る。そこは、空けておく」
私は荷物を移した。
分かることが一つ増えた。
今度は、ほかの男が同じ場所へ籠を置きかけたので、先に声をかけた。
「そこ、柱が来るそうだ」
「おう」
男は置き場所を変えた。
たったそれだけのやり取りだったが、私は少し、現場の中へ入れた気がした。
*
太い木が運ばれてきた。
木の皮を落としたところに、新しい削り跡があった。山から持ってきて、長さを揃え、ここへ運ぶまでにも、誰かの手がかかっている。
私が穴を掘っているあいだにも、その準備は続いていた。
「柱を立てるぞ」
ヨロが呼んだ。
男たちが集まる。私は少し遅れて寄った。
「どこを持てばいい」
「ここだ。合図に合わせて押せ」
言われた場所へ手をかける。
木は重かった。
持ち上げてみるまでもない。自分一人では転がすのも難しいだろうと、掌をつけただけで分かった。
隣にアシカビが入った。
向こうにはドグリとマグリがいた。
私は足を開き、踏ん張った。
「まだだ」
ヨロの声がした。
私は押しかけた腕を止めた。
柱の先を別の男たちが動かしている。私が先に力を入れれば、向こうが困るのだった。
ヨロが全員の位置を見た。
「よし。上げるぞ」
「おう!」
声が揃った。
私も声を出した。
木が動いた。
掌へ重みが増す。
すぐ隣で、アシカビの腕が太く張っていた。向こうから、マグリの息が聞こえる。
私は木を押した。だが、どこへ押せばいいのか、一瞬分からなくなった。
「タカシ。上だ、上!」
ヨロの声に、手の向きを変えた。
柱の先が、穴へ入る。
鈍い音がした。
「押せ。もう少し!」
私は押した。
自分の力で動いたとは、とても思えなかった。隣にいる誰かが止めれば、こちらも止まる。誰かが持ち上げれば、それに合わせて手を上げる。
それでも、木は起き上がっていった。
「よし。そこで保て」
私は息を止めたまま、両手を離さなかった。
足元で別の男が動く。ヨロが柱を見上げ、反対側からも見て、短く指示を出した。
ようやく、手を離してよいと言われた。
離した。
柱は倒れなかった。
「……立った」
自分で言ってから、当たり前のことを言ったと思った。
しかし、昨日は草と土しかなかった場所に、自分より高い木が立っている。
私は手のひらを見た。
木の粉が汗に貼りついていた。
「見とらんで、次じゃ」
ヨロが言った。
私は笑い、次の柱へ向かった。
*
二本目では、先に押さなかった。
全員の手がかかったのを見て、合図を待つ。
自分の腕を立派に見せる必要はない。言われたところで、言われたとおりに力を出せばいい。
それだけでも、十分に難しかった。
手を離してよいと言われると、膝へ両手をついた。
汗が、顎から土へ落ちる。
ドグリが隣で息を吐いた。
「声だけは、大きくなったのう」
「力も、少しは出してる」
「分かっちょる」
それだけ言って、彼は水を飲んだ。
私にも器を回してくれた。
私は受け取り、長く飲んだ。
会社では、誰に何を頼むかを考えることが多かった。
ここでは、その判断をヨロがしている。
私の仕事は、知った顔で指図することではない。彼の声を聞き、今、自分にできる分を引き受けることだった。
四本の柱が立つころには、肩が上がらなくなっていた。
男たちはその上へ木を渡し、縛り、また次の木を運んだ。私は下で支え、道具を渡し、邪魔になる土をどけた。
少しずつ、空が区切られていった。
木の間のその場所を、私はもう、空き地とは思っていなかった。
「お父さん!」
声がした。
ユキヒコが、茅の束を抱えて来た。顔の半分が隠れるほど大きな束だった。
「これ、屋根に使うんだよ」
「おお。ずいぶん運んだな」
「みんなで、まとめたんだ」
息子の服にも、細い草が何本もついていた。
私が柱を押しているあいだ、あちらも働いていたのだ。
私は束の下へ手を入れ、置くのを手伝った。
「重かったろう」
「お父さんの方が、重そうだったよ」
ユキヒコが柱を見上げた。
私も、隣で見上げた。
まだ屋根はない。風も、日差しも通り抜ける。
それでも、息子がそこへ立つと、家の広さが初めて分かった。
「みんな、昼飯やっちゃ!」
カヤ姫の声がした。
男たちが顔を上げる。
ヨロが最後の結び目を確かめ、手を離した。
「よし。飯を食ったら、屋根じゃ」
私は頷いた。
今度は、私たちの頭の上にある空を、皆で塞いでいくのだった




