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第十七話邪馬台国の影と、カヤ


一 三つの世界


 日本神話において、世界は三つに分けられている。


 一つは『葦原中国あしはらのなかつくに』。我々生きた人間が住む、地上。


 二つ目は『根の国』。死んだ者が向かう場所、すなわち冥界。


 そして三つ目は、神々が住む天上界。その名を『高天原たかまがはら』という。


【古事記に記される宇宙観──『古事記』冒頭は「天地初発の時、高天原に成れる神の名は、天之御中主神」と始まる。この一文こそ、日本神話の宇宙論の原点である。高天原は「天」に位置し、葦原中国は「地」に位置し、根の国・黄泉の国は「地下」に位置する。この三層構造は世界各地の古代神話に共通するが、日本神話の特徴は、この三つの世界の間を神や人が比較的自由に行き来することにある。天孫降臨では高天原からニニギが葦原中国に降り、スサノオは根の国へ赴き、イザナギは黄泉の国へ降りて妻を連れ戻そうとする。世界は閉じていない──この感覚が日本神話の根の柔軟さだった】



 篝火を背に、私はアシカビと正面から向かい合って座っていた。広場の喧騒は少し離れた場所に移り、祭りの太鼓の音が遠雷のようにくぐもって届いてくる。


 ──あのネリという男は、『高天原の民』だと名乗った。


 神話の中にしか存在しないはずの場所が、今、実在の地名として語られている。


 胸の中で、先ほどのネリの言葉が何度も反響していた。"我ら高天原の民は、偽りの神を許さない"──。


「妙な空気にして悪かったな、タカシ」


 アシカビが低く言った。


「……いや」


 私は首を振り、若き族長の目をまっすぐに見た。


「それより、教えてくれないか」



「あの、高天原を名乗る男たちのことを。──そしてこの村で今、何が起きているのかを」


 アシカビは、しばらく黙って炎を見つめていた。やがて、長い息を吐いて語り出した。


「……このヒムカの地は、大きく分けて、三つの民がおる」



「山あいに住む、我ら『山の民』」


 アシカビの視線が、遠くの山の稜線に向かった。


「川沿いに住み、田を耕す『川の民』」


 視線が、谷あいの平野の方角へと、ゆっくり移った。


「そして──川が海に注ぐ場所に、『海の民』が住まう」


 最後に、視線は東の遥か向こうへと延びた。


【古代日本列島の三層社会──弥生時代の日本列島の人々は、地理的条件によって大きく三つの生業集団に分かれていた。山間部の狩猟採集民、沖積平野の稲作農耕民、そして沿岸・島嶼部の漁撈民である。この三層構造は柳田國男の『海上の道』、宮本常一の『日本文化の形成』など、戦後の民俗学・歴史学が繰り返し指摘してきた日本基層文化論の基礎である。九州地方においてもこの三層は明確で、山の民(熊襲・隼人の一部)、川の民(筑紫・肥前の稲作民)、海の民(安曇・宗像の海人族)といった区分が『古事記』『日本書紀』にも痕跡を残す。三者は時に争い、時に交易し、時に通婚しながら、列島の基層社会を形成していた】



「我ら山・川・海の民は、時に争い、時に交易し──長い時を、共存してきた」


 アシカビは、もう一度深く息を吐いた。


「だが──奴らは、海を越えてやってきた。最初は武器を持たず、笑顔でな」


「笑顔……?」



 脳裏にネリの、あの涼やかな微笑みが蘇った。穏やかで、優雅で、そして底が見えなかった。


 アシカビの話を聞きながら、私の頭の中では、別の映像が並行して動き始めていた。ネリの一団が、初めて川の民の集落に現れた時の光景。笑顔で近づき、手を差し伸べ、困っている民に何かを渡す──。


「奴らは、自分たちを『高天原からの使者』と名乗った」


 アシカビは淡々と続けた。


「そして──川や海の民に、見たこともない農具や、知識を広め始めたのだ」


「技術供与、か……」


 私は思わず、二一世紀の語彙で呟いた。アシカビは聞き返さなかった。ただ、頷いた。



「その見返りに、奴らが求めたのは──ただ一つ」


 アシカビの目が、炎の赤を反射した。


「『アマテラス』への、信仰だ」


「──!」


二 米という名の呪文


 技術を差し出し、信仰を要求する。このやり口は、あまりにも見覚えがあった。十六世紀以降、ヨーロッパの宣教師たちが世界中の"未開地"で、延々と繰り返してきた構図そのものだった。


 だが、私には一つ、腑に落ちないことがあった。


 広場の端には、祭りのために運び込まれた食材が山のように積まれている。干し肉、魚の干物、貝の燻製、椎の実、栗、どんぐりの粉、山菜の漬物──。


「なぜ、そんな簡単に、奴らの教えになびく? 山の暮らしは、悪くないではないか」


 飢えていないのだ、彼らは。弥生の山の民は、私が都会にいた頃想像していたよりも、ずっと豊かに食べている。獣と木の実と魚と、季節ごとの山菜──森の神が毎月、何かしらを彼らに与え続けている。それを裏切ってまで、異国の神に帰依する理由は、どこにあるというのか。



 アシカビは、しばらく黙ってから低く答えた。


「……『白い米』だ」


「米!?」


 思わず声が裏返った。


「米は、甘く、腹持ちが良いうえ、保存が効く」


 アシカビの声は、炎の中に何かを読むように静かだった。


「そして米があれば、何より──」


 若き族長は、小さく微笑んだ。それは疲れた微笑みだった。


「『狩りに、出なくて、良い』」


「!」



「森の暮らしは、命懸けだしな」


 アシカビの言葉の奥に、数世代にわたる狩人たちの無数の死が、無言で重ねられていた。


 私の脳裏に、自分が猿に噛まれて高熱にうなされたあの夜が、痛みと共にくっきりと蘇った。


 一度の狩りが、即、死に直結する。熊に、猪に、毒蛇に、感染症に、一晩の発熱に──弥生の山の民の成人男性は、常に死と肩を並べて歩いている。


 米が一握りあれば、その日は狩りに出なくていい。それは、何を意味するか。


 "明日、死ぬかもしれない"という可能性が、その日だけ、消えるのだ。


 ──なんという、強烈な呪文だろう。



 私はしばし言葉を失った。


【稲作革命の人類学的意味──世界各地の狩猟採集民から農耕民への移行(新石器革命)について、最新の人類学的研究は"進歩"という単線的モデルを強く否定している。イェール大学のジェームズ・C・スコットは『反穀物の人類史』において、狩猟採集民は農耕民より健康で、労働時間が短く、栄養的にも優れていたと指摘する。にもかかわらず農耕が広まった理由は、"楽だった"からではなく、むしろ政治的強制──国家形成と税徴収の基盤としての穀物の管理しやすさ──による可能性が高いという。だが一方で、個々の狩猟民にとって、農耕への転換は"次の狩りで死なずに済む"という具体的な安心の獲得でもあった。この心理的誘引は、どんな思想教育よりも強力だった。アシカビの言う「狩りに出なくて良い」は、この人類史最大の転換点の、最も簡潔で、最も残酷な要約だった】



 宗教と文明を使って、狩猟採集社会から農耕社会への移行を促している──。


 しかし、このやり口は……。


 脳裏に、二一世紀の歴史教科書で見た一枚の絵が蘇った。ジャングルの中、白衣の宣教師が十字架を掲げながら、先住民に種や道具を差し出している一枚。彼らは"野蛮人"に"文明"を与え、代わりに"真の神"を信じよと説いた。そしてその背後には常に、植民地経営のもっと冷たい手が控えていた。


 ──かつてヨーロッパが、世界各地で行った植民地政策のようだな。



 そこまで考えて、私はハッとした。


 ──いや、それよりも。


 ──高天原からやってきた者が、宮崎の地で都作りをしている、だと?


 考古学徒の頭が、ものすごい速度で回転し始めた。まさに、『古事記』の──天孫降臨の神話、そのものではないか。


【天孫降臨神話──『古事記』『日本書紀』に記される、日本神話の中核をなす場面。天上界・高天原の主神アマテラスが、孫のニニギノミコトを地上の葦原中国へ遣わす。ニニギは「三種の神器」と「稲穂」を携え、天之浮橋を渡って筑紫の日向の高千穂のくじふる嶽に降臨する。降臨後、ニニギは地上に都を定め、コノハナサクヤヒメと結ばれ、その子孫から初代神武天皇が生まれるとされる。これが後の天皇家の起源神話である。重要なのは、この神話の核心が「高天原の支配者が、高千穂に、稲穂と共に降臨する」という構造を持っていることだ。宗教学・歴史学の一部では、この神話を「大陸または半島由来の先進集団が、稲作技術と共に九州南部に進出し、現地勢力を統合した史実の神話的記憶」と解釈する説が根強く存在する。史実としての天孫降臨──それが今、私の目の前で起きているのかもしれない】



 天照大神に稲穂を渡されたニニギノミコトが、高千穂の地に降り立って、国作りをする──。


 それが今、現実に、目の前で進行しているのではないか。


 ネリという男はニニギ本人ではないだろう。だが、"ニニギ"と呼ばれる存在の先遣隊、あるいは下士官として、この地に送り込まれた一人であることは、ほぼ間違いない。


 私は戦慄した。


「ということは、まさか……」



「アシカビよ」


 私は若き族長の目を、ゆっくりと正面から捉えた。


「奴ら、"高天原の民"というのは、一族の名だな?」


 アシカビは頷いた。


「……そうだが」


「では──彼らの国は、『邪馬台国』の事ではないか?」


 アシカビの眉が、ぴくりと動いた。


「!」



「そして、それらの長は──『卑弥呼ひみこ』と呼ばれる女王」


 私は一気に、この数日間頭の中で渦巻いていた仮説を、言葉にした。


「……違うか?」


 炎越しに、私とアシカビは、向かい合った。


三 カヤ、という名の王


 ──邪馬台国。


 それは、日本史における最大のミステリーだ。


【邪馬台国論争──江戸時代の新井白石、本居宣長以来、三〇〇年以上にわたり日本の歴史学者たちが取り組んできた難問。『魏志倭人伝』に記された邪馬台国の所在地が、現代の九州北部・南部・畿内のいずれであったかをめぐり、無数の学説が乱立してきた。北九州説(山門郡説など)、畿内説(奈良県纒向遺跡を中心)、宮崎説(高千穂・西都原説)──いずれも決定的証拠を欠いたまま、二一世紀の今なお論争は続く。問題の核心は、『魏志倭人伝』の記述(女王卑弥呼、三十国を統べる倭国の盟主、鬼道を以て衆を惑わす)が明確に示す強大な連合王国が、なぜか日本側の『古事記』『日本書紀』の歴史記述から一切抹消されていることだ。空白の一五〇年、と呼ばれるこの謎の空白期こそ、邪馬台国の正体をめぐる論争の発火点である】



 中国の史書『魏志倭人伝』に描写された日本の大国にもかかわらず──。


 日本の史書である『日本書紀』や『古事記』には、一切の記録がない、幻の国。


 邪馬台国と卑弥呼の存在は中国側には明確に記録されているのに、日本側の正史からは完全に抜け落ちている。三世紀の倭国を支配した女王の記憶が、なぜ、八世紀に編纂された日本の正史から消えたのか。


「だが──それらは、消えたのではなく、神話の中に、置き換えられたという説がある」


 私は、自分でも驚くほど、はっきりとした声で続けていた。


「すなわち──日本神話の『高天原』こそが、『邪馬台国』であり」


 アシカビがじっとこちらを見つめていた。


「そしてそこの最高神である『天照大神』の正体が──『卑弥呼』なのではないか、と」


【天照大神=卑弥呼説──この仮説は、江戸時代の国学者の一部から近代の白鳥庫吉、和辻哲郎まで、多くの歴史家が論じてきた古典的仮説である。根拠は複数ある。第一に、年代の一致──卑弥呼の没年(二四八年前後)と、記紀神話における天岩戸神話(アマテラスが岩戸に隠れて世界が暗闇に包まれる)の符合。第二に、統治形態の類似──卑弥呼の"鬼道による統治"と、アマテラスの"神聖性による君臨"の共通性。第三に、後継者の類似──卑弥呼の後を継いだ壹與(台与)十三歳と、アマテラス系譜の後継女性神の対応。いずれも決定的証拠ではないが、状況証拠としては極めて強い。この仮説が正しければ、記紀の天孫降臨神話は、三世紀の邪馬台国の"史実"を、八世紀の編纂者たちが神話化した記録ということになる】



「つまり、あのネリという男の出身は、邪馬台国であり──」


 私は、自分の仮説を最後まで押し切った。


「彼が仕える王の正体が、『卑弥呼』だ、と推測できるのだ」


「邪馬台国、か……」


 アシカビは低く呟いた。


 そして──。


「聞いたこと、ないな」


「はあ!?」



 私は、のけぞった。


 二千年後の歴史家たちが、三〇〇年以上、血眼で探し続けてきたその名を──その時代の、当事者であるはずのアシカビが──聞いたこともない、と断言した。


 ──いや、落ち着け。落ち着け、タカシ。


 慌てて、自分の脳を再起動させた。


「い、いや──発音が、違うかもしれん」


 私は必死に、考古学徒としての知識を掘り返した。


「その東の国は──『ヤマト』、とか、『ヤマイ』、とか、呼ばれているのでは?」


【邪馬台国の発音問題──『魏志倭人伝』の原文では、当国の名は実は「邪馬台国」ではなく「邪馬壹國やまいちこく」と表記されている。後の版本で「いち」が「たい」の誤写とする説が広まり、「邪馬臺國→邪馬台国やまたいこく」と読まれるようになった。だが原典の「邪馬壹國」をそのまま読めば「ヤマイコク」あるいは「ヤマトコク」となる。「壹」は上代中国語で「ト」もしくは「イ」の音価を持つ可能性があり、これが「邪馬壹→ヤマト」すなわち後の「大和ヤマト」に直接つながる、とする説も有力である。三世紀当時の当事者であるアシカビに、二十一世紀日本語の読みである"やまたいこく"で尋ねても通じないのは、むしろ当然だった】



 アシカビは、しばらく宙に視線を彷徨わせた。そして、首を振った。


「それも、知らんなあ」


「──!」


 私は絶句した。


 この時代、この地で、邪馬台国の名を、ミタイ族の族長が知らない。"ヤマト"も"ヤマイ"も知らない。


 考えを整理しきれないまま、私は最後の切り札を、問いにした。


「じゃ、じゃあ──『卑弥呼』は? 奴らの王の、名前は」



「!」


 アシカビの目の奥に、初めて、何かが動いた。


 私は身を乗り出した。


 ──ここだ。ここで、何か、手がかりが出てくる。


「魏志倭人伝によれば──この時代の倭の国を支配しているのは、邪馬台国なのは間違いない」


 私は、自分に言い聞かせるように続けた。


「ならば、その女王の名前は、轟いているはず──」



 アシカビは、しばらく私の顔を見ていた。


 そして、ふっと、視線を逸らした。


 視線の先は──ずっと、後ろだった。


 若き族長の顎が、ゆっくりと、後ろを指した。


 そこに座っていたのは──。


「ヒミコ……?」


 アシカビは、小首を傾げた。


「ヒミコなら、──ホレ?」



 アシカビの顎が指していたのは。


 篝火から少し離れて、静かに座っていた、あの少女。


 頬に刺青のない、朝日に照らし出された時にあれほど美しかった、あの少女。


 ──カヤ姫だった。



「えええええ!」


 私の喉から、情けない声が漏れた。


「カヤちゃんが、卑弥呼ッ!?」



【"ヒメ""ヒミコ"の語源──『ヒミコ(卑弥呼)』の語の由来には諸説ある。最有力説の一つは『日御子(ひみこ/ひのみこ)』、すなわち"太陽の御子"であり、固有名詞ではなく太陽神に仕える巫女の称号であるという説。類似語に『ヒメミコ(姫御子/日女御子)』があり、これが『ヒメ(姫)』の語源ともされる。つまり"ヒミコ"は、一個人の名というよりも、特定の身分・役職を持つ女性祭司の総称でありうる。もしそうであれば、三世紀の倭国の各地に、複数の"ヒミコ"が並立して存在していた可能性がある。中国側が邪馬台国の女王を代表的に『卑弥呼』と記録しただけで、ヒムカの山の民の巫女であるカヤ姫もまた、この地域における一人の"ヒミコ"であった──この可能性は、民俗学的にも決して否定できない】



 篝火の向こうで、カヤ姫の肩が、ぴくりと動いた。自分の名が、急に広場の中央で叫ばれたのだ。姫はゆっくりと、こちらへ振り向いた。その黒い瞳が、何が起きているのか測りかねて、穏やかに揺れている。


 私は口を開けたまま、固まっていた。


 数日前、父の傷口の膿を顔に浴びながら冷静に青銅の刃を操っていた、あの少女。ユキヒコに名を明かした朝、朝焼けの中で"ワノナハ、カヤッタイ"と微笑んだ、あの少女。


 あの子が──。


 二千年後の歴史家たちが、血眼で探し続けてきた、女王の、名──?


 篝火が、夜風に煽られて、ごうと一度、高く燃え上がった。


 カヤ姫が、こちらを見つめたまま、静かに、小さく、首を傾げた。


(第十七話 了)

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