45:擦り合わせた歴史の先に見えたもの
「……まずは、お互いの知っている『歴史』を、全部出し合いませんか?」
僕の提案により、会議は第二段階へと移行した。
ギデオン村長が、ゼノンさんに目配せをする。ゼノンさんは静かに立ち上がり、村の書庫に保管されていた数冊の古い本を運んできた。
『聖戦記』。
それは人間族の常識的な歴史が綴られている、ありふれた歴史書だ。
ルナもまた、自室から一冊の美しい装丁の書物を持ってきた。
エルフ族が記した、『悔恨の書』。
森で彼女に掛けられた呪いの結界を解いた際、ルナが持っていたのだろう荷物があった。書物はその中にあったものだという。
そして、セラフィナ。彼女は何も持っていなかったが、その存在自体が、数百年の時を経た『生きた歴史書』と言える。魔族視点の歴史はその場その場で口を挟む、と告げた。
ギドさんは、ドワーフの歴史を記した書物などは持っていない。彼自身も歴史に詳しいわけではないが、一般的なドワーフが知っている程度の知識はあるという。
ミミは、残念ながらそういった知識は持ち合わせていないようだ。彼女は獣人族の群れからはぐれ、人間族の奴隷商人に追われていた身。しかも、まだ若いというよりも幼いと言った方が妥当な年齢だ。退屈かもしれないが、とりあえず耳を傾けているだけでいいと判断する。
「さて、と……」
テーブルの上に書物が広げられる。
それらは異なる種族の目線から綴られた、数百年前の『聖戦』の記録だ。
まずは、僕たち人間族にとって最も馴染み深い『聖戦記』に手を伸ばす。それは王都の教会による公式記録とされ、かの聖戦を見届けた司教の書き記したものが伝えられたという。
ゼノンさんが、古びた羊皮紙のページをめくった。
「ここに記されているのは、人間族が魔族という絶対悪を討ち滅ぼした、正義の英雄譚じゃ。魔王の暴虐、魔族による理不尽な侵略の数々。そして、神の啓示を受けた勇者と聖女が、光の軍勢を率いて魔界へと進軍し、世界に平和をもたらした……とある」
人間族なら誰でも、幼い頃からおとぎ話のように聞いているだろう物語。僕も孤児院で先生から聞かされてきた、お馴染みのものだ。
次に、ルナが静かに『悔恨の書』を開いた。
「これにはエルフ族が、人間族との同盟に至るまでの苦悩が綴られています」
ルナの指先が、書に記されている流麗なエルフ文字をなぞる。
「魔王は、人間族の無秩序な森の伐採や魔力の浪費が、世界のバランスを崩すと警告してきました。当時のエルフの長老たちは、その言葉に一理あると感じていたようです。しかし……」
解説する言葉がわずかに震える。
彼女は、辛そうに目を伏せた。
「長きにわたる人間族との交流や、彼らの圧倒的な軍事力を前に、私たちは人間族と敵対する道を選べなかった……。結果として、魔王を討つ側に回ってしまったことへの、深い後悔と罪悪感が、ここに記されています」
それらが記されたのは、ルナが生を受けるよりも前のこと。彼女自身は聖戦の渦中にあったわけではない。だが同胞の苦衷を思ってか、表情は苦悶の色が浮かんでいる。
最後に、セラフィナが退屈そうに口を開いた。
「さて、魔族側の記録――と言っても、わたくしの記憶ですが」
彼女は扇子をパチンと閉じ、僕たちを見渡す。
向けられる視線は、責めるでも嘲るでもなく、冷静なものだった。
「そもそも。我々魔族は、人間族の領域を侵略するつもりなど毛頭ありませんでしたわ。魔王様は、世界の調和を守るための『調停者』に過ぎません。人間族の行動が世界の寿命を縮めていると判断し、警告を与えただけ。それなのに、ある日突然、人間族の大軍勢が、我々が平穏に過ごしていた魔界へと雪崩れ込んできたのです」
聖戦当時を生きていた者の、経験と記憶。魔族に比べれば圧倒的に寿命が短い人間族には、セラフィナが口にする内容を確かめる術はない。ギデオン村長もゼノンさんも顔をしかめさせているが、彼女に食ってかかるようなことはしなかった。
「……」
人間族の『聖戦記』。
エルフ族の『悔恨の書』。
魔族側の『侵略の記憶』。
これら三つの記録を突き合わせ、パズルのピースを合わせるように、当時の状況を整理しようと試みる。
ふと、違和感を覚えた。
「……おかしいですね」
どうも、腑に落ちない。
僕は、人間側の『聖戦記』の記述を指差した。
「ここには、『魔族が先に侵攻してきた』とある。でも、その具体的な被害の記録や、魔族がどこから、どのように攻めてきたのかという侵攻ルートの記述が、極端に曖昧です。まるで、後から『侵略されたこと』にするために、無理やり付け足したかのように」
ギデオン村長が「確かに……」と、眉をひそめた。何かを思い出すように中空を見つめ、あごを擦る。
「ワシも騎士時代に、過去の戦史を学んでおる。聖戦前の魔族による被害記録は、驚くほど少ない。国境付近の小競り合い程度の記録ばかりで、大軍による侵略の痕跡は見当たらなかった」
「ええ。それに、最大の謎は……」
村長の言葉に頷きを返す。
さらに疑問を呈そうとすると、ルナが真剣な表情で言葉を継いだ。
「なぜ人間族は、当時は存在すら曖昧だった『魔界』の場所を正確に特定し、大規模な侵攻を行うことができたのか……」
ルナの指摘に、全員が沈黙した。
魔界は、異次元の狭間や、地底深くに隠された世界だと言われている。偶然見つけられるような場所ではない。
「当時の人間族の魔術レベルで、魔界への入り口を特定し、数十万という軍勢を安定して送り込むための転移門 (ゲート) を開くことなど、不可能に近いはずです」
ルナの言葉を裏付けるように、ギドさんが腕を組みながら唸った。
「……今まで気にしたことはなかったが。ワシらドワーフ族に残る記録にも、不審な点がある。聖戦の直前、当時の人間族の王家から『硬い岩盤を掘り進むための、特殊な巨大ドリル』の大量発注を受けた記録があるんじゃ。ワシも見たことがあるが、その設計図は人間族の技術体系とも、ワシらドワーフの技術体系ともまったく異なる、未知のロジックで作られておった」
未知の技術による設計図。
不可能を可能にした、魔界への侵攻ルートの特定。
そして、不自然なまでに正当化された『聖戦』の記録。
「……誰かが、裏で糸を引いていた?」
僕は、なんとなく頭に浮かんだことをそのまま言葉にした。
残された記録というものは、多少ならず記録者の意図が挟まるものだろう。だとしても、あまりに都合が良過ぎないだろうか。
「人間族と魔族を争わせるために、情報を操作し、人間族に未知の技術を与えた。その上で、魔界への道標を示した『何者か』がいる。そんな黒幕の存在がなければ、この聖戦の歴史は、辻褄が合わない」
僕の言葉に、集会所の空気が一段と冷え込んだ。
人間族が信じてきた『正義』は、誰かによって巧妙に作られた、巨大な虚構の舞台 (セット) に過ぎなかったのかもしれない。
僕たちはその上で、数百年もの間、踊らされ続けてきたのだとしたら。
「……黒幕、ですか」
セラフィナが、面白そうに目を細める。
「わたくしども魔族も、人間族が急に力をつけ、的確に我々の急所を突いてきたことには疑問を感じておりました。もし、その『誰か』がいるとすれば……それは魔王様をも上回る、とてつもない策士ですわね」
不可能を可能にした何か。
歴史の裏側で糸を引いていた、第三者の存在。
パズルのピースを合わせれば合わせるほど、人間族が語る『正義』の裏に、巨大な虚構と、隠された黒幕の影が浮き彫りになってくる。僕たちの敵は、人間族の王家だけでも、魔王軍だけでもないのかもしれない。
「……そういえば」
重い沈黙を破ったのは、ずっと古文書を睨みつけていたゼノンさんだった。彼は、記憶の糸を手繰り寄せるように、ゆっくりと口を開く。
「ワシが宮廷魔術師団にいた若い頃、王宮の古い書物庫で、走り書き程度の奇妙な記録を目にしたことがあるのじゃ」
「奇妙な記録?」
「うむ。その一文いわく、聖戦が始まる数年前、当時の王宮に『異界の賢者』と名乗る謎の人物が謁見に訪れたらしい」
あきらかに怪しい。おそらく、些細な出来事だと重要視しなかったのだろう。もし本当になんらかの影響を与えたのなら、しっかりとした記録が残されているはずだ。
しかし僕は、『異界の賢者』という言葉の響きに嫌な感じを覚えた。
「その『賢者』は、どこから来たのかも、どんな姿をしていたのかも、一切の記録が残されておらん。ただ一つ、『王に、神の啓示と、魔を滅ぼすための知恵を授けた』とだけ、記されておったのじゃ」
ゼノンさんの言葉が、集会所に静かに響き渡る。
異界の賢者。
第三者の介入の可能性。
もしそれが事実なら。人間族もまた、その『賢者』と名乗る何者かに踊らされていたのだろうか。
そして、その『賢者』の目的は、一体何だったのか。
僕は窓の外、西の空へと視線を向けた。
その方角に、遥か遠く、王都がある。
魔族を敵視し、勇者パーティーを英雄として祭り上げ、そしてこの村を忘れ去った、人間族の中心地。
それぞれの種族の歴史を照らし合わせる、という提案から始まった新たな話し合い。だがそのたどり着く先には、僕たちが想像していた以上に、深く、暗い歴史の闇が広がっているのかもしれなかった。
-つづく-
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次回更新は……おそらく4月4日になると思います。
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