43:懐いた猫と、自重をしないドワーフの日常
ルナとセラフィナとの奇妙なデートから数日が経って、僕の胃痛もようやく治まってきたある日のこと。
エルダ村は、ぽかぽかと温かい日差しに包まれ、これ以上ないほど穏やかな空気が流れていた。
そんな平和な午後、僕の膝の上には、小さな温かい重みが乗っていた。
「ん~……。アル兄、そこ、気持ちいいニャ~」
猫獣人のミミだ。
僕は膝の上で丸くなっている彼女にブラッシングをしていた。ミミは喉をゴロゴロと鳴らしながら、髪を櫛でとかれる感触を気持ち良さそうに堪能している。
亜麻色の髪からピンと突き出た猫耳が、僕の手の動きに合わせてピクピクと動くのが愛らしい。彼女の尻尾も、機嫌良さそうにゆらゆらと揺れている。
「ミミちゃん、本当に気持ちよさそうですね」
向かいに座って洗濯物を畳んでいたルナが、微笑ましそうにこちらを見ている。穏やかな表情といい、まるでお母さんのようだ。
「うん。最近、ミミも随分と甘えん坊になった気がするな」
「それだけ、心を許してくれている証拠ですよ。最初に来た時の、あの怯えていた姿が嘘みたいです」
確かにそうだ。奴隷商人に追われ、傷だらけでこの村に逃げ込んできた時の彼女は、誰のことも信用しようとしない、野生の小動物のようだった。それが今では、こうして無防備にお腹を見せて寝転がっている。
彼女の柔らかい髪をとかしながら、僕は改めて「守れてよかった」と心から思った。
僕とルナが、いろいろと思い返してほんわかしていると。
ミミが、片目だけ開けてルナの方を見た。
「ルナ姉も、やってほしいニャ?」
「えっ? わ、私ですか? いえ、私は結構です……」
「嘘だニャ。ルナ姉も、アル兄にナデナデしてほしいって顔してるニャ」
「しっ、していません! 私はもう子供じゃありませんから!」
ルナが慌てて否定する。ブンブンと首を振り、必死な様子で。
でも、彼女の耳は少し赤くなっていた。鋭いな、ミミ。
「ふふっ。じゃあ、後でルナの髪も櫛でとかしてあげようか?」
僕がからかうように、ミミに便乗してそんなことを言ってみる。
すると、ルナは真っ赤になって俯いてしまった。
「も、もう……。アルトまで、ミミちゃんの真似をしないでください……」
なんて会話を交わしつつ、ほのぼのとした時間を過ごしていると。
突然、ドタドタという重い足音が近づいてきた。
「おぅ! ミミ! ここにおったか!」
現れたのは、ドワーフのギドさんだった。顔中煤だらけで、何かの作業中だったのか。手には何か奇妙な形の金属部品を持っている。
「げっ、ギド爺だニャ。逃げろ~」
ミミは飛び跳ねるように、僕の膝から降りた。そのまま素早く、ローテーブルの下に滑り込んで隠れようとする。
「こら、逃げるんじゃない! 今日こそは、ワシの最高傑作の実験台になってもらうぞ!」
「嫌だニャ! 絶対に嫌だニャ!」
ギドさんが、逃げ出したミミを追ってローテーブルの下を覗き込む。低い声で唸りながら追い詰めようとする姿は、申しわけないけれど完全に悪役だ。
「この前の『自動猫じゃらしマシーン』だって、ブンブン振り回されて目が回ったニャ! ギド爺の発明品はロクなことがないニャ!」
「何を言うか! あれは回転速度の調整を少しミスっただけじゃ! 今度の『全自動ブラッシングマシーン改』は完璧じゃぞ! お前のその剛毛も一瞬でツヤツヤになるわい!」
「ミミは剛毛じゃないニャ! フワフワだニャ!」
ローテーブルの反対側から顔を出したミミと、なにやらテンションが高いギドさんが言い合いを始めた。僕とルナのことはほったらかしにして、かなりくだらないけれど熱はこもっている舌戦が繰り広げられる。
ギドさんは一見すると厳つい頑固親父だ。でも実はミミのことが可愛くて仕方がないらしい。工房の隅には、彼がミミのために作った木のおもちゃや、小さな家具がいくつも置かれているのを僕は知っている。
ミミの方も、「ギド爺はうるさいニャ」と文句を言いながらも、毎日のように工房に遊びに行き、彼がハンマーを振るうのを飽きずに眺めているのだ。傍から見れば、完全に「おじいちゃんと孫娘」である。
「二人とも、家の中で暴れないで」
関係ないところでやられる分には、いくらでもやってくれと思う。でも人が住んでる家に乗り込んで、家主とは無関係なことで騒ぐのは勘弁してもらいたい。
僕が注意すると、ギドさんは「むぅ」と唸って立ち上がった。
「仕方ない。今日のところは見逃してやるわい。……その代わり、これを持ってけ」
「……ニャ?」
ギドさんはポケットから小さな包みを取り出し、テーブルの上に置いた。
ミミが、恐る恐るテーブルの下から這い出てくる。
彼女が包みを開けると、銀色に輝く小さな鈴のついた、可愛らしい首輪が入っていた。首輪の革は柔らかく鞣され、鈴には精緻な彫刻が施されている。
「これは?」
「フン。余ったミスリル銀の端材で作った試作品じゃ。捨てるのも勿体ないから、お前にやる」
ギドさんは、そっぽを向きながらぶっきらぼうに言う。
でも、その耳が少し赤くなっているのを、僕は見逃さなかった。
「ミスリル銀の端材って……そんな高価なものを?」
ルナが驚きの声を上げる。まぁ、気持ちは分かる。
ミスリル銀といえば、王国騎士団長クラスの剣に使われるような最高級素材だ。使い道が限られる端材とはいえ、それを猫の首輪にするなんて。
ミミは、目をキラキラさせて首輪を手に取った。
「きれい……! これ、ミミにくれるの?」
「いらんのなら、溶かして釘にするがの」
「いるニャ! 絶対いるニャ!」
ミミは大喜びで首輪を自分の首につけた。サイズはぴったりだ。動くたびに、チリン、と澄んだ涼やかな音が鳴る。
「ありがとう、ギド爺! 大好きニャ!」
「う、うむ……。まあ、似合わんでもないわい」
ミミが、ギドさんの太い足に抱きついた。
ギドさんは照れくさそうに、ごつごつした大きな手で、ミミの頭をポンポンと叩いた。その顔はどう見てもデレデレの好々爺だった。
「よかったですね、ギドさん」
僕が言うと、彼は「ふん」と鼻を鳴らした。
「勘違いするなよ、師匠。これは、あいつがどこにいても音で分かるようにするための、防犯対策じゃ。最近は物騒だからな」
「はいはい、分かってますよ」
素直じゃないなぁ、もう。
◇ ◇ ◇
別の日の夕方。
僕は、ミミとギドさんの三人で、村外れの小川へ釣りに出かけた。
「今日こそは大物を釣り上げてやるぞ!」
ギドさんが自作の (無駄に高機能な) 釣り竿を構えて気合を入れる。そして岩場にどっかりと腰を据え、釣り竿を振るった。
「ミミも釣るニャ! お魚さん、待ってろニャ~」
それに対抗してか、ミミも同じように声を上げた。もっとも、彼女の釣り竿は木の枝に糸を垂らしただけの簡単な仕掛け。ギドさんのものとは正反対だ。
僕はやる気満々な二人に苦笑しながら、その間に座る。
元気いっぱいなギドさんとミミを横目に、僕はのんびりと糸を垂れた。
川面を渡る風が心地よい。水面には、夕焼け色が反射して揺らめいている。
しばらくすると、ミミの竿に当たりがきた。
「ニャッ! 来たニャ!」
興奮した声を上げて、ミミが勢いよく竿を上げる。
引き上げた先には、ピチピチと跳ねる銀色の魚がかかっていた。
「やったー! 大物だニャ!」
「おお、やるじゃないか!」
ミミが釣り上げた魚を自慢気に掲げて見せた。
それを見てギドさんが、目を細めながら賞賛する。
「ワシも負けてられんわい!」
我も続けと、ギドさんも張り切った。さぁこい、さぁこいと、ドワーフの技術の粋を込めた (であろう) お手製の釣り竿を手に、水面を凝視する。
でもなぜか、彼が釣り上げるのは長靴だったり、流木だったり、なぜか流れてきた村人の洗濯物だったり。肝心の魚は一匹も引っ掛からない。
「ぬおおおっ! なぜじゃ! なぜワシの竿には魚がかからんのじゃ!」
「ギド爺の竿、仕掛けがゴチャゴチャしすぎてるから。お魚さんが警戒してるんだニャ」
「なんと……。そんなバカな……」
ミミの冷静なツッコミに、ギドさんはがっくりと肩を落とす。新たに釣り上げた藻の塊を手にしたまま、その場に膝をついてしまった。
「ふふっ、ドンマイですよ、ギドさん」
僕が慰めると、ギドさんは悔しそうに唸りながらも気を取り直した。
「次は絶対釣ってやる!」
ギドさんは少しムキになって、再び竿を振るった。
そんな彼を見て、ミミが楽しそうに笑い声をあげる。
騒がしい二人を眺めながら、僕は幸せな気持ちに浸っていた。
かつては孤独だったドワーフと、居場所を失った獣人の少女。
種族も年齢も違う二人が、こうして本当の家族のように笑い合っている。
僕が作りたかった「楽園」は、きっとこういう場所なんだろう。
「あ、アル兄! 引いてるニャ!」
ミミの声に我に返ると、僕の竿が大きくしなっていた。
リールを巻くと、水面から巨大な魚影が跳ね上がった。
「おっと、これはデカいぞ!」
「すげえ! 師匠、ヌシじゃ! ヌシを釣り上げおった!」
「すごーい! 今夜はご馳走だニャ!」
ギドさんが大興奮で叫ぶ。
ミミが飛び跳ねて喜ぶ。
その後も僕たちは、さらなる大物を釣り上げるべく大騒ぎしながら、なんてことのない、平穏なひと時を楽しんだ。
◇ ◇ ◇
その夜、僕たちは釣った魚を囲んで、賑やかな夕食を楽しんだ。
ルナが魚を香草焼きにしてくれて。
セラフィナも「あら、意外といけますわね」と珍しく褒める。
ギドさんは上機嫌でドワーフの酒を飲み。
ミミは満腹になって、ギドさんの膝の上で眠ってしまっていた。
僕はその光景を肴に、静かに杯を傾けた。
外の世界では、魔王の復活や、人間族との対立といった不穏な動きがある。
けれど、ここには確かな平和がある。
この小さな幸せを守るためなら、僕はいくらでも戦えるだろう。
そう思える、穏やかで温かい夜だった。
-つづく-
次回、第44話。「多種族による円卓会議 (サミット)」。
村の未来について語り合う。もしかすると、あらゆる種族の未来さえ。
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