忘失のメモリア
「早く乗れ」
気怠そうにしている兵士に急かされ、エレーナは輸送機の貨物スペースの中に入る。
あの後近辺の前線基地に逃亡した後、事情聴取が行われた。その後、機体の整備が行われ、追って通達された転属命令により前線基地から他前線基地へと移送されることとなったのだ。
(……どこに行ってもモノ扱い、か)
開放されたコックピットに乗り込み、機密シャッターとコックピットハッチを閉鎖する。
暗いコックピットの中で輸送機が飛び立つ浮遊感を感じつつ、静かに瞼を落とす。これまでは中南米に派遣されていたが、次はどこに派遣されるのか──人として扱われない立場である以上考えていても仕方が無い、と判断したエレーナは暫くの間休むべく、シートに身を預けその意識を手放した。
「お父さん……!! お母さん……!!」
幼き日、新ソビエト連邦樹立後、暫くした後に政治的イデオロギー対立からアメリカ合衆国に対し宣戦布告。全面戦争は敵国の血を引く国民への憎悪へと結び付き、程無くして敵性外国人隔離政策が施行。新ソ連を中心として結束した国家をルーツに持つ国民をスパイ視し、強制収容所への連行、及び成人年齢に達した者は優先されるように特別士官学校入学並びに特攻部隊へと配属され、使い潰されていった。
エレーナは齢十にも満たない頃に強制収容所へと連行され、両親は特攻部隊として程無くして出撃、現在と比べれば劣悪な性能たるEFW第一世代機に乗り、帰らぬ人となった。
強制収容所において、立場の弱い者、特に憎悪の対象となった新ソ連の血を引く者はとりわけ過酷な扱いを受けた。
常に監視される中、配給される食糧も戦時下故に粗末で少なく、有刺鉄線と壁で囲われた強制収容所は彼らに極限状態ともいえるストレスを課していた。当然、内部ではカーストのようなものが形成されていき、少しでも自分の取り分を多く、少しでも自己保身の為に、不満の捌け口を求めるようになっていった。
幼いエレーナは日常的に暴言や暴行を受けて過ごした。
食糧を奪われ、冷水を浴びせられ、ストレスの発散の為に少しでも気に入らなければ殴られ、蹴られ、時には身包みを剥がされて寒空の中放り出されることもあった。
どうしようもない閉塞的な現実に、心が凍り付いていった。
いつか来る召集令状に怯える──わけでもなく、その日を待つようになった。
──親に会いたい
──せめて、残滓が欲しい
EFWに乗ったというのなら、どこかに残骸がある。そして、朧気ながらも記憶の片隅に残った、両親の残滓のペンダントがあるはずだから。
それだけが、彼女の理由になった。
少ない食糧を野草や時折入り込む小動物を捕まえて食いつなぎ、身体を鍛えた。
大人質の喧嘩、特に軍人が反抗的な人間に振るう暴力を見て効率の良い暴力を見よう見まねで身体に叩き込んだ。
──誰も守ってくれないなら、自衛する
──自分の存在を証明する為にまだ死にたくない
その証明はきっと探し求めた親の残滓か、それとも別の何かか。どちからの問いはエレーナにとっては些細なことであった。
何度踏み付けられたとしても。
何度足蹴にされたとしても。
何度存在を否定されたとしても。
一筋の、微かな光に縋ることの何がいけないというのか。
もう誰にも期待しないし、この扱いもきっと致し方のないことなのだろう。皆、己の心を守ることに必死なのだから。己が壊れない為に、誰かを踏み付けなければ言い訳が出来ないのだから。
全て、どうしようもないことなのだから。
廃墟に横たわる白骨の如き痩せた人型の巨躯。
「ようやく……見付けた」
朧げな記憶と確かに合致する、熔けてはいるものの、翼を模したペンダント。
慎重にコックピットの中から取り上げ、右の掌のそれを見詰める。
「……ねえ、どうしたらいいかな」
力なく、その右腕は垂れ下がる。
その問い掛けは──誰にも届かない。
バァンッ!!
この手は既に血に塗れている。
──介錯は、いる?
──……ありが、とう
だらり、とその拳銃を握る右手が垂れ下がる。
綺麗だったはずのその手は、どうしようもない程に。
深紅に穢れていた。
──その手はかつて誰かを看取った右手なのだから。
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