矜持 Ⅱ
「よう、元気にしていたか」
ほの暗い路地裏にて。フェリクスは片手を上げて目の前の男性に呼び掛ける。その男性はふう、と溜息を吐いて片手を同じように上げて返す。
「……遅いぞ。5分遅刻だ」
「ごめんて、ドナちゃん」
「その名前で呼ぶのをやめろ、フェリクス」
ドナちゃんと呼ばれたその男性──ドナート・ナボコフは鬱陶しそうに眉を顰める。彼はフェリクスの同期であり、フェリクスが妙な渾名を付ける程の悪友だ。
「いやね、色々書類が手間取ってね」
「大佐ともあろうものがこんな軽い調子で大丈夫なのか……?」
2人は路地裏の曲がり角、そこに吊り下げられたネオンライトの看板の元へ。
「マスター! 大人2人ね」
隠れ家的な、と言える薄暗く、しかしどこか懐かしさを覚えるシックなバーの内装。フェリクスはカウンター席へと座る。
「ご注文は」
「俺はナフレカで」
「では私も」
「承りました」
マスターはそう言い残し、手前の棚からナフレカ──サクランボやプラム、ラズベリーや蜂蜜などをウォッカに漬けたリキュール──の入った瓶を取り出し、ゆっくりと注ぎ始める。
「相変わらず物寂しいねぇ」
「こちらとしては静かで助かるがな」
「ドナちゃんは陰キャだなぁ」
「その呼び方をやめろ。それと陰キャじゃない」
ゲラゲラと笑うフェリクス。
2人以外に客のいないほの暗い店内の中、から、という音を立てて浮かべられた丸い氷。マスターは音も無く、2人の前にグラスを差し出す。
「乾杯」
「……乾杯」
からん、とグラスをぶつけ、注がれたナフレカを一口呷る。
「……で、どうよ。仕事の方は」
「まあ、ぼちぼちというところだ」
「振り回されて難儀な仕事だねぇ……」
「そっちこそ」
ははは、と微笑む2人。
「……仕込みは済ませた。あとは、勝手に潰し合えばいい」
「おおこっわ」
「そもそも太平洋連合経済圏とコモンウェルス経済圏は水面下では互いに疑心暗鬼なんだ。俺達はきっかけを作ってやっただけだ」
「コモンウェルスも一枚岩じゃあない……不満を持つ国家を誑かしたか」
「大戦前から、それこそ旧ソ連から続く御家芸だとも」
「内ゲバさえしてくれりゃ、結果的に敵の戦力を削げる、か」
狡いことをする、とフェリクスは苦笑する。
ドナート曰く、コモンウェルス経済圏に属しながらも、同経済圏及び表面上は同盟関係にある太平洋連合経済圏へ不満を抱く小国へ取引を持ちかけ、兼ねてよりユーラシア社会主義経済圏が支援していた太平洋連合経済圏のアメリカ合衆国の独立派と繋げたというのだ。技術者を秘密裏に密入国させ、とってつけたような現地改修ではなく専門技術を用い、システムとのマッチングを済ませた機体とすることで機動性の大幅な底上げをした。
だが、裏で糸を引いた新ソ連の狙いは独立派の支援だけでなく、独立派が撃破・回収されることも視野に入れた上で、敢えてコモンウェルス経済圏側の技術を機体に痕跡として残すことで双方の不信を煽り、対立を齎そうとしたのである。
「既に幾つかの独立派に種を撒いた。……勘の良い軍人であればまずい、と気付くだろうが、全員がそうじゃない。もう既に上層部に報告は行っていることだろう」
「口封じをしたとしても時すでに遅し、ってわけね」
「そういうことだ」
「おっかないねぇ」
「ふん……それで、お前の所の新兵はどうだ」
「まあまあ、ってとこかな。リーダー格の子は良い線行ってるよ」
あとは場数踏ませりゃ及第点から合格点かね、と続ける。
「間に合いそうか」
「うーん……なんとも、といいたいところだけど──間に合わせるさ」
「……ならいい」
そう時間もかからない内に勃発するであろう次の世界大戦を見越した確認だ。
多くの大戦期の英傑を失ったことで生き残りも少なくなっている現状、数的有利を保つ為には新兵の教育が必要なのだ。戦場へ速く適応させ、撃墜王候補がいれば積極的に取り立て育てる。兵員を確保する為にも義務と化した徴兵制は必要不可欠であるし、それこそ略取した子供達を洗脳することも厭わない。
「……こういうとこでしか話せないよねぇ。外じゃ諜報を警戒しなきゃだし」
「そうだな……お前の事だ。撒いてきたんだろ?」
「モチのロン」
「諜報部に欲しいよ」
「よせやい、褒めても何も出やしないぜ」
「ははっ」
ぐびり、と2人は酒を呷った。
暫くの後、談笑を終えた2人は会計を済ませてバーを出た。
ネオンライトの看板と僅かな街灯が照らす中、ふとフェリクスは何かを思い出したようにショルダーバッグの中を探る。
「いっけね忘れてた」
取り出したのは若干古く分厚い文庫本。
「これ、返すよ。ずっと借りたままだったし……悪いね」
そういえば貸していたな、と今更ながらに思い出したドナートは別に自分も最近まで忘れていたし構わない、と述べつつその文庫本を受け取る。
「……?」
ふと、妙な感覚を覚えてドナートは立ち止まる。
食当たりか、と考えながら身体に感じた小さな痛みに眉を顰める。
──どくん
「……っ!?」
「おいどうした……!?」
フェリクスはドナートへ駆け寄る。
「く、くるし、い……息が……!!」
ドナートは泡を吹いて路上へと倒れ込む。
呼吸が出来ていないのか、苦しそうに酸素を求めてぜえぜえと喘ぎ続ける。
「きゅ、救急、車を……」
ドナートは速く、速く救急車を呼んでくれ、と息も絶え絶えになりながらフェリクスへ縋り付きながら懇願する。
「……」
「ふぇり、くす……?」
黙り込み、自身を見下ろすフェリクスに違和感を覚え、尋ねる。
「……その必要はねぇよ」
「……?」
まるで何を言っているかわからない。
「わからねぇか? てめぇはもう、用済みなんだよ、ドナート・ナボコフ」
フェリクスは文庫本をドナートへ見せる。そして……ドナートは驚きのあまりその瞳を大きく見開いた。
ぱらり、と広げられた文庫本の中には──拳銃。
収めるスペースを丁寧にくりぬき隠蔽した、見るからに暗殺用のやり口。
だが銃声はしなかったはずだ。
「即効性の毒だ。数分もしない内にてめぇは死ぬ」
炭酸ガスを用い、猛毒を塗った針を撃ち込んだのだ。
どうして。
「知り過ぎたんだよ。……上からのお達しだ。この裏工作に関わった奴は全員死んでもらうことになっている」
トカゲの尻尾切り──上層部はこの件が外部に漏れることを恐れ、関係者全員の処分が決定されたことが知らされる。
だが、ドナートは解せない。
それを何故フェリクスが知っている?
「何故ってツラしてんな。教えてやるよ」
フェリクスは懐からとあるものを見せる。
「KGB……!」
「そういうことだ」
フェリクスは新ソ連の軍人であり──国家保安委員会の構成員でもあったのだ。
国家保安委員会は秘密警察のような立ち位置であり、粛正や反共産主義者の逮捕──そして軍の監視をも担う。
軍人でありながらKGBでもあるというその態様は旧ソ連とは大きくその在り方変えてはいるものの、本質的には同じだ。
「な、ぜお前が……」
「俺はね。妻と娘の為なら悪魔にだって魂を売れるんだ」
「……人質、か……」
「俺を恨め、ドナート。お前にはその権利がある」
己の守りたいものの為に悪友ですら手にかける──フェリクスとはそういう人間だ。
「……お前を、友達だと思っていた」
「……そうだな。俺もだ」
「……信じて、いた」
「……ああ」
ドナートは窒息感に苦しみながらも、フェリクスの胸倉を掴み言葉を絞り出す。
「……お前は、ずっと独りだ……誰も、お前を理解出来や、しない……」
「……そうだな」
「……生きろ、フェリクス……私を踏み越えるというのなら……生きろ」
「……ああ」
その言葉を言い残した後、ドナートは力無くその手をだらりと降ろした。
「……わかっているさ」
──もう、立ち止まることは許されないのだから。
第一章「戦火の予兆」ユーラシア社会主義経済圏編──完
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