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灰燼のイニティウム ──壊れかけの世界で、明日へ藻掻く機械仕掛けの記憶──  作者: 白カラス
第一章「戦火の予兆」ユーラシア社会主義経済圏編
19/20

郷愁のクオリア

「……今月分はこれでよし」


 新ソ連郊外の銀行にて、フェリクスはATMで金を振り込んでいた。

 養育費である。


「……ん? メールだ」


 離婚してもう数年が経ち、離婚調停で親権すら失っているとはいえ父親なのだ。責任というものがある。

 ふと、スマートフォンに通知が来たことに気付き、ジャケットの内ポケットから取り出しスクリーンセーバーを見ると、《ディアナ》と表示されていた。


《今度はいつ会えるの》


 ただ一言。


(無愛想な所はあいつによく似たか……)


 苦笑するフェリクス。

 彼には中学生の娘、ディアナがいる。が、その端的な文面からうかがえる性格は離婚した妻にそっくりであった。


《明日か明後日にでも行くよ。母さんは元気か?》


《ん。まあ、ぼちぼちってとこかな》


《なら良かった》


 差し入れか何かでも買って行った方がいいだろうか、と思案するフェリクス。


《何か欲しい物あるか?》


《うーん……今はいいかな》


 暫くのやり取りの後、画面を暗転させた。


「……どーすっかね」


 寒空の下、考え込みながら帰路に就く。


「買ってきたのはいいものの……」


 とりあえず帰路に就きながら、少し良い所のチョコレートに元妻への贈り物として乾燥する季節故のハンドクリームを、そして娘への贈り物として寒い時期故のマフラーを選択した。

 離婚しているが為に周囲の目に触れる目立つ者は相手の心理的な負担になってしまうだろうから、と考えたフェリクスは実用的で使い捨てられる物を選んだのだ。気に入らなければ捨てていい──それくらの物であれば、新しい人生を、そして新しい恋人を作ろうとしているのなら尚更だろう。

 娘に対してのマフラーは、中学生は何かと金がかかる。近年の物価高もあり、年頃の娘だからこそ楽しみたいお洒落も思うようにいかないはずである。なら、重過ぎない程度でお洒落が出来るように──という理由である。

 また、元妻や娘に会いに行くのならば明日──今日いきなりでは流石に迷惑だ、と考えたが故の提案である。


「……喜んでくれりゃいいんだがね……ま、高望みし過ぎか」


 もう、彼女らの人生の中に自分という存在は、端にいるのだから。





 翌日。

 フェリクスは彼女らが住む家の近くの駐車場にジープを止め、インターホンを押す。


「よっ」


「……ん、久しぶり」


 扉を開けたディアナは家を訪れたフェリクスに片手を上げ、どこか気楽な挨拶をする。ほんと変わらないよな、とフェリクスは苦笑しながら同じく片手を上げて応えた。


「……フェリクス。身体の具合は?」


「……まあ、ぼちぼちってとこだ、アンゼリカ」


「……そう。もう貴方も若くないんだから、無理はしないで」


「ああ……」


 アンゼリカ──彼の元妻の名だ。

 彼女は家に入ったフェリクスの最近の身体の調子をぶっきらぼうながら気に掛ける。


「これ……2人で食べて」


 フェリクスはチョコレートを差し出す。


「……いいの? 結構高いんじゃ」


「いいんだよ……どうせ、使い道のない金だから」


 それとこれ、とアンゼリカに小箱を渡す。彼女は開けていいか、とその視線で伺い、フェリクスはこくり、と頷く。

 アンゼリカは小箱を破らないように、そろそろとリボンを解き箱を開けた。


「……ハンドクリーム」


「ほら、この時期はよく指が乾燥して堪らないって言ってたから……」


 気に入らなかったら捨てるなり誰かにやるなりしていいから、とフェリクスは困ったように微笑む。


「……ううん。大事に使う」


 覚えてくれていただけでも嬉しいから、とほんの少し口角を上げて応えるアンゼリカ。


「……2人ともなにやってんの」


 気まずさから沈黙する2人に対してダイニングからひょこり、と顔を覗かせたディアナは呆れたような目線を向ける。

 2人は今行く、と言ってダイニングへ向かった。


「ディアナ……これは俺からのプレゼント」


 ダイニングへと入ったフェリクスはディアナがソファに座り寛ぎ始めたのを見計らい、小綺麗な包装をした包みを渡す。


「……ありがとう。開けていい?」


「もちろん」


 ガサガサと包装用紙を剥がすディアナ。入っているのはシックで落ち着いた色合いのマフラーだ。


「……気に入るかどうかわかんないけど……どうだ」


「……ん。大人っぽくて、あたしは好きかな」


 似合う? とマフラーを巻いて尋ねるディアナ。くるり、と一周回ってフェリクスとアンゼリカの2人に見せている。


「ええ……似合ってるよ」


「似合ってるとも」


「にへへ……」


 照れくさそうにはにかむディアナにフェリクスは贈ってよかった、と安堵する。

 静かで、それでもどこか暖かい。そんな再会にフェリクスは不思議と満たされていた。彼が手放した、手放さざるをえなかった、そして彼自身が壊してしまった日常をもう一度──そんな贅沢を言うつもりは毛頭ない。


 だが、確かに守りたいものがそこに残っていた。






──何てことの無い日常だ。


──俺が手放した、手放さざるをえなかった、俺が壊してしまった()()だ。


──アンゼリカを、そしてディアナを守る為ならば……俺は悪魔にだって()()()()

         フェリクス・セルゲーエフの手記

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