第78話 ここに来て良かった
パール化粧品に、新しい商品が加わってから。
辺境の街は、以前にも増して活気に満ちていた。
「パールシャンプー、こちらで最後になります!」
「トリートメントも一緒にお願いします!」
「はい、ありがとうございます!」
店の中では、今日もエミリアが忙しそうに接客をしている。
その隣ではマリアが在庫を確認し、セドリックは帳簿を片手に数字を追っていた。
「……また売上が増えています」
セドリックが呟く。
「本当に?」
エミリアが振り返る。
「はい。シャンプーを買ったお客様が、今度はトリートメントも購入してくださっています」
「嬉しいですね」
マリアも笑う。
「材料を届けてくださる農家の方たちも、以前より仕事が増えたと喜んでいました」
その言葉を聞いて、三人は顔を見合わせた。
パール化粧品が売れる。
商品を作るために、辺境の素材が必要になる。
素材を作る人が増える。
仕事が増えれば、人々の暮らしも少しずつ豊かになる。
それは、玲が最初から考えていたことでもあった。
自分だけが豊かになるのではなく。
この辺境で暮らす人たちと一緒に、少しずつ前へ進んでいく。
それが、いつの間にか形になっていた。
***
「玲様!」
研究室にエミリアが駆け込んできた。
「どうしたの?」
「今日もたくさんのお客様が来ています!」
「本当?」
「はい!」
エミリアは嬉しそうに笑う。
「それから、シャンプーとトリートメントを使った方から、こんな声も届いています」
「どんな?」
「『髪を手入れするのが楽しみになった』って」
「……」
玲は一瞬、言葉を失った。
そして、ふわりと笑った。
「そっか……」
化粧品を作っている時。
玲が大切にしていたのは、ただ商品を完成させることだけではなかった。
使った人が鏡を見るのを少し楽しみにできる。
自分自身を大切にしたいと思える。
そんな商品を作りたかった。
「嬉しいな」
玲は窓の外を見る。
辺境の街には、人の声が溢れている。
以前よりも店が増えた。
通りを歩く人も増えた。
笑顔も増えた。
「玲」
後ろから声がした。
振り返ると、レオンが立っていた。
「レオン、お疲れ様」
「ああ」
レオンは玲の隣へ歩いてくる。
「今日は騎士団の仕事、終わったの?」
「終わった」
「じゃあ、一緒に帰ろうか」
「そうだな」
玲が立ち上がる。
足元では、雷電がすぐに立ち上がった。
「ワン!」
『帰るって』
アビーが通訳する。
「分かってるよ」
玲が笑う。
「じゃあ、みんなで帰ろう」
***
研究室を出る。
夕暮れの辺境は、柔らかな光に包まれていた。
街を歩けば、顔見知りの人たちが声をかけてくれる。
「玲さん!」
「こんばんは!」
「パール化粧品、また買いに行きますね!」
「ありがとうございます」
玲も笑顔で応える。
少し前まで。
自分がこの場所で、こんなふうに暮らすことになるなんて想像もしていなかった。
玲はふと足を止めた。
王都。
冒険者ギルド。
そこで出会った、レオンハルト。
王城の騎士団に追われていた自分たちを不憫に思い、辺境へ連れてきてくれた人。
あの時は、ただ必死だった。
逃げることしか考えられなかった。
でも――。
「玲?」
レオンが不思議そうに玲を見る。
「ううん」
玲は首を振った。
「ちょっと思い出してたの」
「何を?」
「王都で初めてレオンに会った時のこと」
「ああ……」
レオンも思い出したように笑う。
「随分と警戒されていたな」
「だって、最初は何を考えてる人なのか分からなかったんだもん」
「それはお互い様だろ」
「そうだった?」
「そうだった」
二人で笑う。
あの日。
レオンハルトと出会わなければ、今ここにいる自分は違っていたかもしれない。
追われていた自分たちを、辺境へ連れてきてくれた。
そして、その場所で暮らすうちに、玲は少しずつこの土地を好きになっていった。
人々の優しさ。
穏やかな日々。
自分の力で何かを生み出せる喜び。
そして――。
隣にいる、大切な人。
玲はレオンの手をそっと握った。
「レオン」
「ん?」
「ありがとう」
「急にどうした?」
「ううん。言いたくなっただけ」
レオンは少し照れたように笑い、玲の手を握り返した。
「こちらこそ」
その足元では、雷電が二人を見上げている。
「ワン」
『早く帰ろうって』
「雷電、待って」
アビーも後ろから追いかけてくる。
『雷電、先に行きすぎ』
「ワン!」
『俺が先導するんだって』
「ふふっ」
玲は笑った。
いつもの光景。
いつもの帰り道。
それが、何より幸せだった。
***
家に着くと、玲は窓を開けた。
辺境の街が一望できる。
以前、レオンに連れてきてもらったあの場所から見た景色とは、少し違って見えた。
街には明かりが増えている。
人の暮らしがある。
笑い声がある。
未来がある。
「……変わったね」
玲が呟く。
「ああ」
レオンが隣に立つ。
「だが、まだこれからだ」
「うん」
玲は頷いた。
パール化粧品も、まだ始まったばかり。
作りたいものは、まだたくさんある。
辺境にも、これから変わっていくものがたくさんあるだろう。
「私も、まだまだ研究したいな」
「好きなだけすればいい」
「レオンは?」
「俺は騎士団がある」
「そっか」
「だから、お互い好きなことを続ければいい」
玲は笑った。
「うん」
その時。
雷電が玲の足元へやってきた。
アビーもその隣に座る。
二匹を見下ろし、玲はしゃがみ込んだ。
「雷電、アビー」
「ワン」
『なに?』
アビーが首を傾げる。
「私ね」
玲は二匹の頭を撫でた。
「ここに来て、本当によかった」
雷電が尻尾を振る。
アビーも嬉しそうに玲を見上げる。
『私も、そう思うよ』
「ありがとう」
玲は二匹を抱き寄せた。
顔を上げれば、隣にはレオンがいる。
目の前には、これからも続いていく辺境の街。
そして、自分が作ったパール化粧品。
守りたいものがある。
一緒に歩いていきたい人がいる。
そして何より――。
愛犬たちと一緒に、安心して暮らせる場所がある。
玲は穏やかに笑った。
「ここが、私の居場所なんだ」
夕暮れの辺境に、温かな風が吹く。
今日もまた、穏やかな一日が終わっていく。
明日になれば、また新しい一日が始まる。
新しい商品を考えて。
みんなと笑って。
雷電とアビーと散歩して。
レオンと一緒に暮らして。
そんな日々が、これからも続いていく。
聖女としてではなく。
誰かに必要とされるためでもなく。
一人の人間として。
大切な人たちと生きていく。
それが――。
玲が見つけた、幸せだった。
愛犬たちと歩く、異世界辺境での穏やかな日々。
その物語は、ここで一度、幕を閉じる。
けれど――。
玲たちの毎日は、これからも続いていく。
――完――




