第74話 聖女じゃなくても
王城の一室。
国王は、王太子と愛莉を前にして静かに口を開いた。
「二人に、話しておきたいことがある」
「父上?」
王太子が不思議そうに尋ねる。
愛莉も少し緊張した様子で国王を見る。
「一ノ瀬玲のことだ」
「玲さん……?」
愛莉の表情が変わった。
国王は、これまでに分かった玲の事情を二人に話した。
玲が日本で化粧品の研究をしていたこと。
異世界へ召喚された後、王城で出された食事に毒を盛られたこと。
その毒に雷電とアビーが気づき、雷電が食事をこぼしたことで、玲は毒を口にせずに済んだこと。
そして――。
「玲を殺そうとしたのは、当時の宰相グスタフだった」
「……宰相が?」
愛莉の顔から血の気が引く。
「玲さんを……殺そうとしたんですか?」
「ああ」
「そんな……」
愛莉は胸の前で両手を握りしめた。
玲が王城からいなくなった理由。
それが、ただ逃げ出したのではなく、命を狙われたからだったと知った。
「その後、玲は王都を離れた」
国王は続ける。
「王都の冒険者ギルドで出会った辺境騎士団長レオンハルトが、玲たちが王城の騎士団に追われていることを知った」
「……」
「そしてレオンハルトは、玲たちを辺境へ連れ出した」
愛莉は黙って話を聞いている。
「そこで二人は共に暮らすようになり――」
国王は少しだけ表情を和らげた。
「今では夫婦だ」
「えっ……!」
愛莉が目を丸くする。
「玲さん、結婚したんですか?」
「ああ。辺境騎士団長レオンハルトと」
「そうだったんだ……」
愛莉の表情には驚きと、少しの安堵が浮かんだ。
「……よかった」
小さな声だった。
「玲さん、幸せなんですね」
「そう聞いている」
国王も穏やかに答えた。
「辺境で夫と暮らしながら、玲は自分の知識を生かして商売を始めている」
「商売……?」
「化粧品を作っているそうだ」
「化粧品……」
愛莉が少し考える。
そして、ふと思い当たったように顔を上げた。
「もしかして……パール化粧品?」
国王が目を瞬く。
「知っているのか?」
「はい!」
愛莉は思わず身を乗り出した。
「私、使っています!」
王太子も驚いた顔をする。
「そうだったのか」
「そういえば……」
愛莉は頬に手を当てる。
「初めて使った時から、なんだか懐かしい感じがしていたんです」
そして、驚きながら笑った。
「どおりで……あのパール化粧品は玲さんのお店だったんですね!」
「そのようだ」
「玲さんが作っていたんだ……」
愛莉は嬉しそうに微笑んだ。
「玲さん、ちゃんと自分の好きなことを続けてるんですね」
王太子も穏やかに笑った。
「玲らしいな」
「はい」
愛莉も頷いた。
けれど――。
ふと、愛莉の笑顔が曇った。
「……じゃあ」
愛莉は俯いた。
「聖女じゃない私は……どうなるんですか?」
王太子が愛莉を見る。
「愛莉……」
「玲さんが本物の聖女かもしれないなら……」
愛莉の声が震える。
「私は、聖女じゃないんですよね?」
これまで自分は聖女として扱われてきた。
けれど、自分に特別な力があるわけではない。
玲の話を聞けば聞くほど、自分が聖女ではないことを思い知らされる。
「聖女じゃなければ……私には、この国にいる意味なんて……」
「愛莉」
王太子が優しく名前を呼んだ。
愛莉が顔を上げる。
「そんなことを言わないでくれ」
「でも……」
「聖女かどうかなんて、私には関係ない」
王太子は、真っ直ぐ愛莉を見つめた。
「私は、聖女だから愛莉を好きになったわけじゃない」
愛莉の目が大きくなる。
「私は、そのままの愛莉を愛している」
「……殿下」
愛莉の目に涙が浮かんだ。
「聖女じゃなくても……?」
「ああ」
王太子は迷いなく答えた。
「聖女という肩書きがなくても、愛莉は愛莉だ」
愛莉は唇を噛んだ。
それでも、まだ不安は消えなかった。
「でも……聖女じゃなければ、この国は……」
その言葉に、国王が静かに口を開いた。
「愛莉」
「はい……」
「聖女の力に頼らなければ国を守れないというのなら、それは王である私たちの力不足だ」
愛莉が顔を上げる。
「この国を守るのは、聖女だけではない」
国王は王太子を見る。
「王族が政治を行い、貴族が領地を支え、騎士が民を守る。そして国民一人一人が、この国を支えている」
「……」
「聖女の力に頼らなくても、国を豊かにし、国民を守る方法を考えることはできる」
王太子も頷いた。
「その通りです」
そして愛莉を見る。
「僕たちがもっと勉強すればいい」
「殿下……」
「政治も、経済も、外交も。国を守るために必要なことを、今まで以上に学ぶ」
王太子は優しく微笑んだ。
「愛莉にも、一緒に学んでほしい」
「私も……?」
「ああ」
少し照れたように続ける。
「未来の王妃になるのだから」
「……!」
愛莉の頬が赤くなる。
「王妃……」
「嫌か?」
「……嫌じゃ、ありません」
愛莉は涙を拭った。
そして、小さく笑う。
「私も頑張ります」
「ああ。一緒に頑張ろう」
「はい!」
その日、愛莉は初めて「聖女ではない自分」を怖がることをやめた。
玲は聖女であるかどうかに関係なく、自分の知識を生かして辺境で新しい人生を歩んでいる。
ならば、自分も同じだ。
聖女でなくても、自分にできることはある。
そして、自分をそのまま愛してくれる人がいる。
王太子と愛莉は、それから今まで以上に勉学に励むようになった。
国のため。
国民のため。
そして――いつか、この国をより豊かな国にするために。
愛莉の物語は、静かに次の一歩を踏み出した。
ー第74話 終ー




