↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
愛犬たちと異世界辺境スローライフ~王家から逃げたアラサー女子、スマホ通販で快適生活~  作者: 紅しょうが


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

8/89

第6話 王城に残された聖女

王城。


玲が姿を消してから、二日が経っていた。


「……まだ見つからないのか?」


重々しい声が、王城の一室に響く。


「申し訳ございません」


報告に来た騎士が頭を下げる。


「城内はもちろん、王都の門も確認しております。しかし、今のところ、それらしい女性を見たという情報はありません」


「王都から出た可能性は?」


「門を通った記録には、それらしい人物は――」


騎士が言葉を濁した。


「ありません」


「……ふん」


男は苛立たしげに椅子へ腰を下ろした。


「聖女ではないのだ。そこまで躍起になって探す必要があるのか?」


その部屋の端にいた愛莉は、黙って話を聞いていた。


――あの人。


愛莉の頭に、玲の顔が浮かぶ。


召喚される前。


家の近所で、時々見かけた女性。


柴犬とチワワを連れて、いつも散歩していた。


何度か見かけたことがある。


けれど、それだけだった。


話したことはない。



まさか、あの人と同じ場所に召喚されるなんて。


召喚された直後、初めて近くで顔を見て。


「あ……」


と思った。


いつも犬を連れて歩いている人だ、と。


そして、少し話したことで初めて名前を知った。


――玲。


それだけの関係だった。


友達でもない。


知り合いと呼べるほどでもない。


それでも。


王城から突然いなくなったと聞けば、気になった。


「……あの」


愛莉が口を開く。


男が振り返った。


「何だ、聖女殿」


「一緒に召喚された人……」


「また、その話か」


「はい」


愛莉は少しだけ怯みながらも続けた。


「ちゃんと探した方がいいと思います」


「何故だ?」


「それは……」


愛莉は言葉を探す。


「あの人、すごく怖がっていたから」


「召喚されたばかりなのだから、混乱していただけだろう」


「でも……」


あの時の玲の表情。


ただ戸惑っていただけではなかった。


何かを警戒していた。


何かから逃げようとしていた。


そして――


突然、姿を消した。


「何か理由があったんだと思います」


男は鼻で笑った。


「聖女殿。あの女は聖女ではなかった」


「……」


「魔力の反応も違った。王国として必要なのは、聖女であるお前だ」


愛莉は唇を噛んだ。


「でも、だからって……」


「もうよい」


男が話を切った。


「それより、お前には聖女としてやってもらわねばならないことが山ほどある」


「……はい」


愛莉は俯いた。


その時だった。


「……お待ちください」


別の騎士が口を挟んだ。


「何だ?」


「一つ、確認したいことがあります」


「言ってみろ」


騎士が手元の書類をめくる。


「先ほどから、あの女性の捜索について話しておりますが……」


「それがどうした?」


「その女性の名前は?」


部屋が静かになった。


「…………」


誰も答えない。


愛莉が顔を上げた。


騎士が困惑したように周囲を見る。


「召喚記録を確認しましたが、聖女様の名前しか記載されておりません」


「何だと?」


「召喚された人数については記録があります。しかし、もう一人の女性については、名前も身元も記載がありません」


男が眉を寄せる。


「では、誰を探している?」


「……」


騎士が黙る。


愛莉は思わず口を開いた。


「玲……」


全員の視線が愛莉へ集まった。


「……何?」


「名前です」


愛莉は答えた。


「玲っていう名前です」


「玲?」


「はい」


愛莉は頷いた。


「一緒に召喚された人の名前です」


男が騎士を見る。


「記録に追加しておけ」


「承知しました」


騎士が書類へ目を落とす。


だが、すぐに眉を寄せた。


「……しかし」


「何だ?」


「姓は?」


「え?」


愛莉の表情が固まる。


「玲さんの……名字は?」


「…………」


知らない。


愛莉は玲の名前しか知らなかった。


考えてみれば当然だ。


元の世界でも話したことがない。


召喚されてからも、まともに会話をする時間などなかった。


「……分かりません」


愛莉が小さく答えた。


騎士がため息をつく。


「では、年齢は?」


「それも……」


「出身地は?」


「日本……です」


「それは聖女様と同じだろう」


「……はい」


「職業は?」


「……分かりません」


男が苛立ったように机を叩いた。


「では、何も分からんではないか!」


愛莉の肩が跳ねる。


「……すみません」


「お前が知っているのは『玲』という名前だけか?」


「……はい」


部屋に重い沈黙が落ちた。


愛莉は俯いた。


自分は、あの人のことを何も知らない。


ただ。


近所で何度か見かけた。


いつも柴犬とチワワを連れて散歩していた。


それだけ。


それなのに。


なぜか、胸の奥がざわつく。


「……あの人」


愛莉が呟いた。


「どうした?」


「いつも……犬を二匹連れていました」


「犬?」


「柴犬と、チワワです」


愛莉は必死に思い出す。


「いつも一緒に散歩していて……」


騎士が書類に何かを書き込む。


「特徴として記録しておきます」


「お願いします」


愛莉は小さく頷いた。


その時。


「失礼します!」


扉が勢いよく開いた。


別の騎士が駆け込んでくる。


「辺境から緊急報告です!」


男が顔をしかめる。


「またか」


騎士が一枚の書状を差し出した。


「魔物の出現数が、さらに増加しています」


「被害は?」


「村が一つ、襲われました」


「……!」


愛莉が息を呑む。


「死者は?」


「幸い、死者は出ておりません。しかし、負傷者が多数」


「魔物の種類は?」


「それが……」


騎士が言葉を濁す。


「本来、その地域には生息していない魔物が確認されています」


男の顔が険しくなる。


「どういうことだ?」


「分かりません」


「原因は?」


「現在調査中です」


「辺境騎士団長は何をしている?」


「現在、王都に滞在しております」


「まだいるのか」


「はい。援軍を求めて、王城へ何度も――」


「分かった。後で話をする」


男が手を振る。


騎士が頭を下げる。


「失礼します」


扉が閉まった。


部屋には再び沈黙が戻った。


愛莉は胸元をぎゅっと握る。


魔物。


辺境。


そして――


玲。


何故だろう。


胸の奥が嫌な感じにざわついている。


「……玲さん」


愛莉は小さく呟いた。


いつも犬を連れて散歩していた人。


自分が一方的に見かけていただけの人。


それなのに。


「無事なら……いいけど」


誰に聞かせるでもなく呟いた。


その頃。


王都の冒険者ギルドでは――


「……これで身分証になるんだ」


玲が、出来上がった冒険者証を嬉しそうに眺めていた。


自分の名前が刻まれた、小さなカード。


玲。


この世界で初めて手に入れた、自分自身の身分証だった。


玲は知らない。


王城では今、自分の名前を知っている者が――


たった一人しかいないことを。


そして、その一人でさえ。


玲の名字も。


年齢も。


どこに住んでいたのかも。


何も知らない。


王城に残された記録には、玲の名前すらなかった。


けれど。


愛莉が伝えた。


「玲」


その名前が、初めて王城の記録に刻まれた。


――その頃。


王都の冒険者ギルドには、もう一つの記録が作られていた。


冒険者・玲。


Fランク。


そして。


その玲の隣には――


柴犬の雷電と、チワワのアビー。


二人の世界で。


同じ一人の女性を指す記録が、別々に生まれ始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。