第5話 王都で出会った男
冒険者ギルドの扉を開けた玲は、少しだけ緊張しながら中へ入った。
王城を出て、まだ二日。
街の中を歩くだけでも、玲にとっては知らないものだらけだった。
石造りの建物。
見たことのない看板。
行き交う人々の服装も、元の世界とは全く違う。
それでも――
「ここなら、なんとかなるかな」
玲は小さく呟いた。
王城には戻らない。
あの場所で、自分の命が狙われた。
だったら、自分で生きていくしかない。
「まずは身分証……」
玲は受付カウンターへ向かった。
足元では雷電がいつものように堂々と歩き、アビーは玲の腕の中に抱かれてる
受付嬢が三人を見て、少しだけ目を丸くした。
「冒険者登録をご希望ですか?」
「はい」
「では、こちらへどうぞ」
必要事項を聞かれ、玲は自分の名前を書いた。
そして――
「こちらが冒険者証になります」
差し出されたカードを、玲は両手で受け取る。
「玲……Fランク」
自分の名前が書かれている。
たったそれだけなのに、不思議な気持ちになった。
「これで……この世界での身分証になるんですね」
「はい。冒険者証は身分証としても使えます」
「よかった……」
玲は胸を撫で下ろした。
王城を出てからずっと、どこか落ち着かなかった。
これで少なくとも、街の中を堂々と歩ける。
「では、初めての依頼も探してみますか?」
「お願いします」
受付嬢が掲示板を指差す。
玲は掲示板へ向かった。
薬草採取。
食用キノコ採取。
荷物運び。
掃除の手伝い。
「……これならできそう」
玲が指差したのは、薬草採取の依頼だった。
「薬草なら、私でもできそうです」
「そうですね。Fランクの方にはおすすめです」
「じゃあ、これを――」
「……薬草採取?」
突然。
背後から声がした。
玲は振り返る。
そこに立っていた男を見て――
「…………」
言葉が止まった。
長身。
すらりとした体つき。
無駄のない筋肉。
金に近い髪。
鋭さを感じさせる目元。
整った顔立ち。
けれど、怖いという感じではない。
むしろ――
静かで、落ち着いていて。
どこか大人の色気を感じる。
玲は、思わず男を見つめてしまった。
(…………あれ?)
どこかで見たことがある。
そんな気がした。
もちろん、この世界に知り合いなんていない。
それなのに。
(……誰かに、めちゃくちゃ似てる気がする)
男が玲を見る。
「……何か?」
「い、いえっ!」
玲は慌てて視線を逸らした。
(気のせい、気のせい)
そう思った。
なのに。
男が髪をかき上げる。
その仕草を見た瞬間――
(…………あ)
また、何かが引っかかった。
玲は眉を寄せる。
(絶対、知ってる人に似てる……)
でも、思い出せない。
「顔が赤いが、大丈夫か?」
「大丈夫です!」
「そうか」
低く落ち着いた声。
それを聞いて、玲はますます混乱した。
(声まで……)
『玲』
アビーが肩の上で小さく呟く。
「なに?」
『さっきから、その人ばかり見ているわよ』
「見てない!」
『見ているでしょう』
「見てないって!」
「……何をしている?」
男が怪訝そうに眉を寄せる。
「な、なんでもありません!」
玲は慌ててアビーの口元を塞いだ。
男は少し不思議そうに玲を見た。
その時。
「団長」
受付嬢が声をかけた。
玲の動きが止まる。
「……団長?」
「はい」
受付嬢は男へ向き直った。
「先ほどの件ですが、ギルド側でも確認を進めています」
「そうか」
男の表情が変わった。
先ほどまでの穏やかな雰囲気が消える。
「王都にいる間に、できるだけ情報を集めてくれ」
「承知しました」
玲は二人の会話を聞きながら、首を傾げた。
「……何かあったんですか?」
男が玲を見る。
「お前には関係のない話だ」
「……そうですか」
ちょっと感じ悪い。
玲が心の中でそう思った瞬間。
雷電が男の前へ歩み出た。
「ワン」
「雷電!」
玲が慌てる。
男は雷電を見下ろした。
雷電も男を見る。
しばらく無言。
「……随分と堂々とした犬だな」
「でしょう?」
玲が少し嬉しそうに答える。
「雷電です」
「雷電?」
「はい。私の大事な相棒です」
「ワン!」
「……本人もそう言ってます」
男の口元が僅かに緩んだ。
玲は――
また固まった。
(…………やっぱり)
この笑い方。
どこかで見たことがある。
それに――
「……?」
男が玲を見る。
「どうした?」
「いえ……」
玲は慌てて目を逸らした。
「何でもないです」
「そうか」
男がもう一度髪をかき上げる。
(……それ!)
玲は心の中で叫んだ。
(その仕草、絶対知ってる!)
でも、どうしても名前が出てこない。
玲は必死に記憶を掘り起こしていた。
そんな玲の横で、アビーが小さくため息をつく。
『玲……』
「なに?」
『いい加減にしたら?』
「だって!」
玲が小声で反論する。
「絶対、誰かに似てるんだもん!」
『誰に?』
「それが分からないの!」
『……そう』
アビーは呆れたように首を振る
その時だった。
ギルドの扉が勢いよく開いた。
「団長!」
一人の騎士が駆け込んできた。
男――団長が振り返る。
「どうした?」
「辺境から追加の報告が届きました」
「……」
男の顔から、完全に笑みが消えた。
「魔物の数は?」
「増えています」
ギルド内の空気が変わった。
「昨日よりもさらに増加しているとのことです」
「被害は?」
「村が一つ、襲われました」
玲の顔が強張る。
「……村が?」
騎士が頷く。
「幸い、死者は出ていません。ただ……」
騎士は一度言葉を切った。
「確認された魔物の種類が、これまでとは違います」
「どういうことだ?」
「辺境では、本来その地域には生息しない魔物が確認されています」
男は黙った。
「……やはりか」
「何か分かっているんですか?」
玲が思わず口を挟んだ。
男が玲を見る。
「最近、辺境で魔物の動きがおかしい」
「おかしい?」
「数が増えているだけじゃない」
男の目が鋭くなる。
「魔物が、何かから逃げているように見える」
「……逃げている?」
玲の背中に、ぞくりとしたものが走った。
「魔物が逃げるって……」
「原因はまだ分かっていない」
男は騎士へ向き直る。
「王都からの援軍要請は?」
「まだ返事がありません」
「……そうか」
その声には、苛立ちが滲んでいた。
「王都は、まだこの件を軽く見ているらしいな」
「団長……」
「俺が直接話す」
男は踵を返した。
その時。
玲は思わず声をかけた。
「あの!」
男が振り返る。
「……何だ?」
玲は少し迷ってから言った。
「あなた……辺境の騎士団長なんですよね?」
「ああ」
「じゃあ、今は王都にいるんですか?」
「そうだ」
「どうして?」
男は少しだけ黙った。
そして答える。
「援軍を求めるためだ」
それだけ。
でも、玲には十分だった。
「……大変ですね」
「そうでもない」
「いや、大変でしょう」
玲は思わず言った。
「自分のところで魔物が増えて、村まで襲われてるのに、王都まで来てお願いしなきゃいけないんですよね?」
男は黙って玲を見た。
「……」
「……何ですか?」
「いや」
男の口元が、ほんの少しだけ緩んだ。
「変わった女だと思ってな」
「失礼ですね!」
「そうか?」
「そうです!」
玲が頬を膨らませる。
その横で――
「ふっ」
男が笑った。
(…………まただ)
玲はまた思った。
(やっぱり……誰かに似てる)
男は玲から視線を外すと、受付嬢へ告げた。
「彼女の薬草採取依頼は、今日はやめさせておけ」
「え?」
玲が声を上げる。
「なぜですか?」
「今の話を聞いただろう」
「でも、ここは王都ですよね?」
「王都の外でも魔物の目撃情報が出ている」
「……」
玲は黙った。
「今は不用意に外へ出ない方がいい」
「……分かりました」
素直に頷く。
命は大事だ。
王城で死にかけたばかりなのだから。
「お前は、この街に来たばかりか?」
「はい」
「なら、しばらく王都にいろ」
「分かりました」
「それと――」
男の視線が、玲の犬へ向く。
アビー。
そして足元の雷電。
「その二匹から離れるな」
「二匹じゃないです」
玲が即座に訂正する。
「雷電とアビーです」
「……そうだったな」
男が僅かに笑った。
「雷電とアビーから離れるな」
「はい」
「それと、自分から危険な場所へ行くな」
「……分かりました」
「約束できるか?」
玲は一瞬、男を見つめた。
その目は鋭い。
でも――
不思議と怖くなかった。
むしろ。
自分を心配しているように感じた。
「……はい」
玲が頷く。
男は満足そうに頷いた。
「それならいい」
そして、騎士と共にギルドを出ていく。
玲はその背中を見送った。
扉が閉まる。
「……ねえ、アビー」
『何?』
「やっぱり、あの人……」
『誰かに似ている?』
「うん」
玲は腕を組む。
「絶対、どこかで見たことある」
『そう』
「でも、名前が出てこない」
『なら、思い出すまで考えればいいんじゃない?』
「うーん……」
玲は頭を抱える。
そして――
「……あ」
『思い出した?』
「いや、違う」
『何よ』
「めちゃくちゃカッコよかった」
『…………』
アビーが呆れたように玲を見る。
雷電が、
「ワン」
と鳴いた。
「何よ、雷電まで!」
玲は頬を膨らませる。
けれど。
ギルドの外へ目を向けた時。
玲の表情は少しだけ真剣になった。
辺境で増え続ける魔物。
本来なら、そこにはいないはずの魔物。
そして――
何かから逃げているような魔物たち。
「……何が起きてるんだろう」
玲にはまだ分からなかった。
ただ一つ分かっているのは。
この世界に来てから起きていることが――
どうやら、玲自身とも無関係ではなさそうだということだった。




