第4話 冒険者ギルドに登録します
翌朝。
「よし」
一ノ瀬玲は、食堂の入口で小さく気合いを入れた。
今日は大事な日だ。
昨日、女将さんに教えてもらった冒険者ギルドへ行く。
まずは身分証。
そして、できれば仕事も探したい。
異世界に来てしまった以上、いつまでも女将さんの好意に甘えているわけにはいかない。
「自分で稼がないとね」
「ワン」
『その前に、ちゃんと食べて』
「……はい」
雷電の横で、アビーが呆れた顔をしている。
「分かってるってば」
朝食を終え、玲はショルダーバッグを肩に掛けた。
中には財布。
犬たちのおやつ。
そして――スマートフォン。
昨日、スマホにとんでもない機能があることは分かった。
けれど、今はまだ何も分からない。
まずは生活基盤を作る。
「行こうか」
「ワン」
『気をつけて』
「はいはい」
玲と二匹は、食堂を出た。
* * *
「ここ……かな?」
しばらく歩いたところで、玲は足を止めた。
目の前には大きな建物。
木製の扉の上には、剣と盾を組み合わせたような紋章が掲げられている。
「冒険者ギルド……」
玲は思わず呟いた。
ファンタジー小説でしか見たことがない。
中からは人の話し声。
金属のぶつかる音。
笑い声。
「……緊張してきた」
玲は雷電を見る。
雷電は堂々としている。
アビーを見る。
アビーも落ち着いている。
「私だけ?」
『そう』
「即答しないでよ」
玲は深呼吸した。
「よし……」
扉を開ける。
ギィィ……。
中に入った瞬間。
「…………」
何人かの視線が玲に集まった。
玲は固まった。
そして――。
「……犬?」
「犬二匹連れてるぞ」
「珍しいな」
「赤い毛の方、結構デカいな」
玲は雷電を見る。
「……雷電、目立ってるよ」
「ワン」
堂々としている。
『玲が堂々としてればいい』
「アビーは簡単に言うなぁ……」
玲は受付らしきカウンターへ向かった。
「あの……」
「はい。ご用件は?」
受付嬢が笑顔を向ける。
「冒険者登録をしたいんですけど」
「かしこまりました。では身分証をお願いします」
「……」
玲の動きが止まった。
「…………」
「どうかしましたか?」
「あの」
「はい?」
「身分証って……」
玲はショルダーバッグを開けた。
「これでもいいですか?」
取り出したのは――。
マイナンバーカード。
「…………」
受付嬢がカードを見る。
玲を見る。
カードを見る。
「……これは?」
「身分証明書です」
「…………」
「日本の」
「…………」
「……国の」
「…………」
受付嬢の笑顔が微妙に引きつった。
「申し訳ありませんが、こちらは……」
「ですよね」
玲は素直にしまった。
「昨日、女将さんにも同じこと言われました」
「ええと……」
受付嬢が困った顔をする。
「こちらの身分証をお持ちでない場合は、ギルドで発行することができます」
「本当ですか!?」
「はい」
玲の顔がぱっと明るくなる。
「お願いします!」
「では、こちらへ」
受付嬢が書類を取り出す。
「お名前は?」
「一ノ瀬玲です」
「イチノセ……レイ様」
受付嬢が書類に記入する。
「年齢は?」
「……」
玲は一瞬迷った。
アラサー。
この世界で年齢を言っても問題ないのだろうか。
「二十九です」
玲は少しだけサバを読んだ。
まだ二十代でいたい。
受付嬢は特に気にした様子もなく記入した。
「出身地は?」
「…………」
最大の難問が来た。
「……遠いところです」
「遠いところ?」
「はい。ものすごく遠いところ」
「……」
受付嬢が首を傾げる。
「国名は?」
「…………」
玲は笑顔になった。
「内緒で」
「……」
受付嬢の顔が完全に困っている。
「では、出身地不明として登録しますね」
「お願いします」
いいのか、それで。
玲自身が心の中で突っ込んだ。
「では、こちらに手を置いてください」
カウンターの上に、小さな透明な水晶板が置かれた。
「これは?」
「身分確認と魔力適性の確認を兼ねています」
「魔力……」
玲は少し緊張した。
召喚されたときも、聖女だとか何だとか言っていた。
自分には何か特殊な力があるのだろうか。
「右手を」
「はい」
玲が水晶板に手を置く。
――ふわっ。
「……?」
水晶板の中に光が灯った。
淡い光。
それが一瞬だけ強くなり――。
「…………」
受付嬢が固まった。
「……あの?」
「…………」
「どうしました?」
受付嬢は水晶板を見つめたままだ。
「えっと……」
玲が不安そうに覗き込む。
「何か問題あります?」
「い、いえ!」
受付嬢が慌てて首を振った。
「問題はありません!」
「そうですか?」
「はい!」
明らかに何かあった。
だが受付嬢は、それ以上何も言わなかった。
「では、こちらが仮身分証になります」
渡されたのは、小さな金属製のプレートだった。
「これ……身分証?」
「はい。冒険者登録をすると、冒険者証としても使えます」
「なるほど」
玲はプレートを眺める。
「これで、ようやく身分証ができた……」
なんだか感慨深い。
日本にいた頃は当たり前に持っていた身分証。
それが異世界では、こんなにありがたいものになるとは思わなかった。
「では続いて、冒険者登録ですね」
「お願いします」
「ランクはFから始まります」
「F……」
「依頼をこなしていくことで、E、D、C……と上がっていきます」
「なるほど」
「最初は簡単な依頼からになります」
「はい」
受付嬢が書類を出す。
「冒険者登録の理由は?」
「生活費を稼ぐためです」
「……」
受付嬢が少しだけ目を丸くした。
「それだけですか?」
「はい」
玲は真顔だった。
「私、昨日この世界に来たばかりなので」
「…………」
受付嬢の手が止まった。
「……昨日?」
「はい」
「この街には昨日?」
「はい」
「どちらから?」
「……ものすごく遠いところから」
「…………」
受付嬢は何かを察したような顔をした。
だが、深くは聞かなかった。
「では、登録を進めますね」
「お願いします」
必要事項を書き終える。
最後に。
「こちらへ魔力を少し流してください」
「魔力……」
玲は困った。
「どうやって?」
「え?」
「魔力って、どうやって出すんですか?」
「…………」
受付嬢が固まった。
「……こう、身体の中から……」
「身体の中?」
「はい」
「分かりません」
「…………」
玲は本気だった。
魔力なんて使ったことがない。
「では、試しに水晶へ手を」
「はい」
玲が手を置く。
――ポウッ。
また光った。
「……」
「……」
受付嬢が目を見開く。
「これでいいですか?」
「……はい」
玲には何が起こっているのか分からない。
受付嬢は何かを確認するように水晶を見ている。
「……登録完了です」
「本当ですか?」
「はい」
玲はほっと息を吐いた。
「よかった……」
これで、仕事を探せる。
これで、この世界で暮らしていける。
玲が冒険者証を受け取った、そのとき。
「――おい」
低い男の声がした。
玲が振り返る。
「はい?」
ギルドの奥から、一人の男が歩いてきた。
年齢は四十代後半くらい。
がっしりした身体。
短く刈った髪。
太い腕。
そして、何より――。
人を見る目が鋭い。
「ギルド長……」
受付嬢が小さく呟いた。
「セブライトさん」
男は玲の前で足を止めた。
「……こいつが新入りか?」
「はい。先ほど登録したばかりです」
「名前は?」
「一ノ瀬玲さんです」
「イチノセ……レイ」
セブライトが玲を見る。
じっと。
まるで値踏みするように。
「…………」
玲は居心地が悪くなった。
「……何か?」
「いや」
セブライトの視線が、玲の足元へ移る。
そこには雷電。
さらにアビー。
「犬を二匹連れて冒険者登録とは珍しいな」
「この子たちは家族なので」
「家族、ねぇ」
セブライトは雷電を見る。
雷電もセブライトを見る。
「…………」
「…………」
妙な沈黙。
雷電の尻尾が、ほんの少しだけ揺れた。
セブライトの眉が上がる。
「……いい犬だ」
「ありがとうございます」
次に、アビーを見る。
「…………」
アビーはセブライトを見上げた。
じーっ。
「…………」
セブライトが目を細める。
アビーも目を細める。
「……何だ、このチビ」
『玲』
「何?」
『この人、油断できない』
「……アビーがそう言うなら、そうなんだろうね」
「……?」
セブライトが玲を見る。
「今、何か言ったか?」
「え?」
「いや……」
セブライトは首を傾げた。
「まあいい」
そして、玲の冒険者証へ目を落とした。
「登録したばかりなら、まずは簡単な依頼からにしろ」
「はい」
「薬草採取、荷物運び、街の雑用。最初から魔物討伐なんて考えるなよ」
「分かりました」
「……素直だな」
「え?」
「いや」
セブライトは少し笑った。
「最近の新人は、登録した途端に強い魔物を倒したがる奴が多くてな」
「私、そんな度胸ないですよ」
「ははっ!」
セブライトが豪快に笑った。
「気に入った」
「……?」
玲は首を傾げる。
「何がですか?」
「いや、こっちの話だ」
セブライトはそう言って背を向けた。
だが。
数歩進んだところで、もう一度玲を見る。
「……一ノ瀬玲、だったな」
「はい」
「この街で何か困ったことがあったら、受付に言え」
「ありがとうございます」
「それと――」
セブライトの視線が、雷電とアビーに向く。
「その二匹は大事にしろ」
「もちろんです」
玲は即答した。
セブライトは満足そうに頷いた。
そしてギルドの奥へ戻っていく。
玲はその背中を見送った。
「……変わった人だったね」
『あの人』
「うん?」
『強い』
「え?」
アビーがセブライトの消えた方向を見ている。
『普通じゃない』
雷電も同じ方向を見ていた。
「……ギルド長だから強いのかな」
『そうかも』
「まぁ、いいや」
玲は手元の冒険者証を見る。
「これで私も、今日から冒険者!」
「ワン!」
『まず仕事探し』
「……現実的だなぁ、アビー」
玲は笑った。
その頃。
ギルドの奥では――。
「……セブライトさん」
先ほどの受付嬢が、そっと声を掛けていた。
「何だ?」
「さっきの一ノ瀬さんなんですが……」
「ああ」
「登録時の魔力測定、少し妙でした」
セブライトが振り返る。
「妙?」
「水晶が、途中で測定を止めたんです」
「……」
「壊れたわけではありません。ですが、数値が最後まで出なくて」
セブライトは黙った。
「それに……」
「まだ何かあるのか?」
「最初に身分証を持っているか聞いたとき、見たことのないカードを出してきまして」
「カード?」
「はい」
セブライトが眉を寄せる。
「どこの国のものだ?」
「……分かりません」
「…………」
セブライトは、先ほどの女を思い出した。
普通の服装。
普通の話し方。
どこにでもいそうな女性。
なのに。
連れている犬は妙に賢い。
魔力測定は不自然。
身分証もない。
出身地を聞けば「ものすごく遠いところ」。
「……面白い新人が来たもんだ」
セブライトは口元を少し上げた。
そして、ふと。
昔からの知り合いの顔を思い浮かべた。
「――あいつが見たら、どう言うかねぇ」
辺境を守る、古い友人。
セブライトと同じように、この国の片隅で生きる男。
「まあ、まだ話すほどじゃねぇか」
そう呟き、セブライトは仕事へ戻っていった。
一方その頃。
「さて!」
玲は冒険者ギルドの掲示板の前で腕を組んでいた。
「どれからやろうかな?」
隣には雷電。
足元にはアビー。
そして玲の手には――。
異世界で初めて手に入れた、自分自身の身分証。
ここから。
一ノ瀬玲の異世界生活は、少しずつ動き始める。




